通信ログ
国公立大学通信 2003.06.16(月)

--[kd 03-06-16 目次]--------------------------------------------
[1] 6/16 「国立大学法人法案と大学の未来を考える国会内集会」式次第
[2] 5/07 衆議院文部科学委員会における田中広允氏の意見
[3] 6/12 週間新潮:櫻井よしこ「大学法人化の呆れた国会答弁」
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[1] 6/16 「国立大学法人法案と大学の未来を考える国会内集会」式次第
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 国立大学法人法案と大学の未来を考える国会内集会

 日時:6月16日(月)12:30〜14:00(その後も交流会)

 場所:参議院議員会館第一会議室

 呼びかけ人 櫻井よしこ(ジャーナリスト)
             加藤秀樹(構想日本代表)
             小林正彦(東京大学教授・元副学長)
             山口二郎(北海道大学教授)
             屋山太郎(政治評論家)

 プログラム

  第一部(12:30〜14:00)
 1. 司会者挨拶
  2. 呼びかけ人から—国立大学法人法案の何が問題か
  3. 国会議員から—国会審議の特徴
  4. 国会より、言論界より、大学より、市民より
  5. 討論

  第二部(14:00〜15:00)
  1. 司会者挨拶
  2. 各団体、個人からの発言
  3. 討論
  4. 要請行動のお願い
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[2] 5/7 衆議院文部科学委員会における田中広允氏の意見
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/009615620030507011.htm
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○田中参考人 御紹介いただきました田中でございます。

 私は、平成九年一月に鹿児島大学長に就任いたしまして、ことしの一月まで
六年間、国立大学協会のさまざまなこれに関する委員会の委員並びに文科省国
立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議のメンバーといたしまして、
国立大学の独法化問題に深くかかわってまいりました。

 本日は一学徒として意見を申し上げたいと存じますが、時間の関係もありま
して、内容を書いてまいりましたので、読み上げさせていただきたいと思いま
す。お手元にあるかと思いますが、それを参照しながらお聞きいただくとあり
がたいと思います。

 現在国会で審議されています国立大学法人法案には深刻な矛盾が幾つか含ま
れており、意に反して、意図する目的とは正反対の結果を生じるのではないか
と思われます。

 以下、その理由を述べます。

 一、国立大学の法人化の中心目的は、自主性、自律性の拡大にあります。と
ころが、本法案は、予算、組織、人事等に関する運営上の裁量は拡大いたしま
すが、大学の本来の任務である教育研究の自主、自律は逆に大きく失われます。
なぜなら、独立行政法人通則法を基本とする本制度においては、従来大学が一
体となって持っていた企画、立案、実施の機能は分割された上、企画、立案は
文科省の権限に移されまして、大学には実施機能しか割り当てられないからで
あります。しかも文科省には、大学が実施した業務の成績評価と予算配分や大
学の改廃を決定する権限までも与えられています。したがって、この制度は、
政府や官僚が、強力な権限を持ち、国立大学を直接統制することができる仕組
みを内包していると言うことができるのであります。

 具体的に見ますと、文科省は国立大学に対し、六年間の教育研究等の目標、
計画を指示、認可いたします。そして、六年後の成績評価、これは達成度評価
でございますが、と予算配分、それから次期の目標、計画の指示、認可あるい
は大学の改廃までも取り仕切ることができるのであります。これを改革サイク
ルというふうに言っております。換言いたしますと、大学は文科省の指示、評
価、予算配分等に従って教育、研究、運営等を実施しなければならないという
ことになるわけであります。

 大学に対するこのような国の縛りは、我が国において存在したことはなく、
もちろん現行制度にもありません。従来、「文部省は、その権限の行使に当つ
て、法律(これに基く命令を含む。)に別段の定がある場合を除いては、行政
上及び運営上の監督を行わないものとする。」文部省設置法第六条二項、とさ
れてきたのであります。したがって、この制度は、大学に対する規制強化を意
味しておりまして、構造改革の旗印である規制緩和と明らかに矛盾するもので
あります。

 また、大学本来の学問的使命に対する以上のような歪曲は、世界に例を見な
いものでもあります。これはまた、憲法二十三条の学問の自由の保障や教育基
本法十条の教育の不当な支配の排除に反することは、既に多くの識者が指摘し
ているとおりであります。

 大学の現場で教育研究に従事しておれば、この仕組みが大学に適合しないこ
とは容易に理解できると思います。

 まず、教育について見ますと、その目的は、学生個人の能力を伸ばし、人生
途上での困難に際し創造的に自己を形成する能力を養成することにあると思い
ます。学生は単に知識を習得するだけではなくて、自分の頭脳で考えることを
学ばなければなりません。また、さまざまな機会をとらえて人格の形成を図る
ことも必要であります。人間の本質にかかわるこれらの部分について、目標を
指示し、それに従って計画を立てることや、特に数値化することは到底不可能
でありまして、もしそれが強要されるならば、教育の本質は大きくゆがめられ
ることになるでしょう。

 一方、未知の学術的価値の発見や創造を目指して行われる研究は、ノーベル
賞受賞者の経験談に示されているように、まず研究者の自由な発想から始まり、
試行錯誤を繰り返しつつ進行し、当初の予定から大きく外れることもしばしば
であり、また、偶然が大きな役割を果たすこともよく知られています。したがっ
て、六年間の目標を指示され、計画の認可を受け、それに従って研究を行うこ
とは、無意味であると言わざるを得ません。もしこの制度が実施されるような
ことになるとすれば、真に独創的な創造的研究の芽が摘み取られることになり、
我が国はいつまでも基礎研究ただ乗りの国、これはサッチャーが言ったわけで
すが、から脱することはできないでしょう。長い目で見た場合、国際競争力は
むしろ低下するのではないかと危惧されます。

 いずれにいたしましても、本制度のもとでは、真の教育研究を行うことは困
難であり、もしそれが強要されるならば、教育研究の本質はゆがめられ、我が
国の学問は衰退を余儀なくされることは明らかであります。このことは、文部
大臣の当初の反対声明に的確に述べられているわけでございます。

 次に二番目ですが、法人化は、行革の一環として始められた以上、行革とし
ての意味も持たなければなりません。行革の目的はスリム化、効率化でありま
した。したがって、政府の業務も権限も縮小されねばならないはずであります。
ところが、さきに述べたサイクルにおける各業務、策定、認可、評価、査定は、
新しく発生した膨大で煩瑣な事務量を含み、しかも、それらはすべて政府のも
とに集中化されています。したがって、その業務も権限も現在よりも増大、強
化されることになります。少なくとも縮小されることは困難であります。

 この矛盾は、各大学においてもあらわれます。さきに述べた改革サイクルに
おいて、中期計画の作成、年度計画の公表、各種の評価書類の作成とやりとり、
財務諸表の提出、決算報告書の提出等、各大学でも膨大で煩瑣な事務量が発生
し、それに応じて多くの人員と財源が教育研究以外の業務に費やされることに
なります。それにも増して、新しく二名の監事、多数の役員、学外者を雇用し
なければなりません。これらはすべてスリム化、効率化を目指す行財政改革の
本来の意図に矛盾します。それはむしろ、教育研究から大学経営への人員と財
源のシフトと言うべき事態でありまして、教育研究の高度化という大学改革の
本来の趣旨に根本から矛盾し、壮大な浪費と言わざるを得ないのであります。

 三番目、競争原理導入による大学の活性化という発想には、根本的なパラドッ
クスが潜んでおり、慎重に対処しないと極めて危険な事態に陥る可能性があり
ます。この発想は、学問の内実に即して内発的に教育研究に従事している人々
に対しては必要ではなく、否、むしろ迷惑で有害ですらあるのに対して、そう
でない人々に対してのみ多少有効に機能するという逆説があるからです。それ
は、日本の大学の最低水準を引き上げるのには役立つかもしれませんが、逆に
最高水準を押し下げ、全体としても水準を低下させる可能性が極めて高いと考
えられます。

 なぜなら、それは教育研究の外面的評価、特にその数値化と相まって、熱心
で有能な人々の学問的内発性をそぎ、人間精神の純粋な創造的、発見的エネル
ギーを攪乱し、低下させるからであります。イギリスの大学は既にそれによる
多数の頭脳流出を経験したのです。競争原理による活性化は、一時的な効果を
生むかもしれませんが、たちまち息切れし、全体として日本の高等教育を凡庸
な水準に収れん、停滞させると思われます。中長期的には、意図した活性化で
はなく、停滞が結果として生ずることになります。日本の企業の幾つかの経験
はそれを暗示しています。

 四番目、行革には二つの手法があって、一つは市場競争原理導入であり、他
は地方分権であります。前者は人、物、金の流れを大都市に集中化させる働き
をし、後者は逆に、過度の大都市集中に伴う政治経済のゆがみ、文化の一様化、
平板化、社会問題の噴出といった事態を回避し、全国的に多様な活力ある地域
社会を発展させる役割を果たすべきものであります。

 ところが、国立大学の法人化は、競争原理に強く依拠して制度設計されてお
ります。したがって、すべての国立大学への一様な本制度の導入は、国立大学
機能の集中化、拠点化のみを推進するものであり、最近の展開はそれを証明し
ておりますが、地方の国立大学と地域社会にとって極めて憂慮すべき制度設計
と言わねばなりません。市場競争原理のみでは、企業立地の実情や県民所得の
格差、さらに既に存在する大幅な大学間格差等に照らして、さきに触れた大学
経営の自由は地方では実効を伴わないのであります。この制度設計が地方の衰
退を招き、全体として日本の国力の地盤沈下を招くことはほぼ確実と思われま
す。したがって、それは地方活性化をうたう地方分権に矛盾しています。

 このことが意味するのは、行革に二つの手法があるように、大学改革にも二
つの手法があるべきであって、産業競争力強化を担う大都市圏の大学への拠点
化、集中化の方向とは別に、日本全体の地域活性化を担う地方国立大学につい
てはあくまでも分散化を維持し、一方向的に集中化のみを図るべきではないと
いうことであります。大都市と地方は相互に支え合っており、地方の活性化な
くして大都市の活性化もあり得ないからであります。

 現在、国立大学に対してさまざまな批判があります。今ここでそれらに対し
て十分な検討を加えることはできません。しかし、暫定的に次のように言うこ
とはできると思います。

 日本の大学は、世間で思われているほど業績水準が低いわけではありません。
むしろ、かなりの業績と潜在能力が隠されているとさえ言えます。ただ、それ
らを一般社会と結びつけるチャンネルが欠如しているのであると思うわけであ
ります。大学の学問研究を地域社会現場と全面的、根本的に結びつけることに
よって、両者を相互的に活性化させるような社会空間、この関係を全国的に展
開することによって二十一世紀のグローバルな大問題に各大学が相互補完的に
協力して対応し得るようなネットワーク、このような社会空間、ネットワーク
が形成されるならば、日本の大学はよみがえるはずであります。

 このことは、競争原理による活性化のみではなく、協力原理による相互活性
化もまた必要だということであります。したがってまた、この理念に基づく大
学群も国家にとって必要不可欠だということを意味しています。

 今日、日本の文教政策が念頭に置くべきは、グローバル化に伴う二十一世紀
前半の巨大な経済的、社会的変動であり、考察さるべきは、いかにしてそれら
の変動に柔軟に対応し得る多様で豊かな構想力を培い、日本の社会全体を支え
得るかということだからであります。

 以上述べましたように、本法案は多くの致命的な矛盾を内包していますので、
我が国の高等教育及び学術研究の水準の向上と均衡ある発展を図るという目的
とは反対の結果を生むことになると思われるのであります。我が国の未来を見
据えた理性ある判断を期待いたします。
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[3] 6/12週間新潮:櫻井よしこ「大学法人化の呆れた国会答弁」
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連載コラム 第71回 櫻井よしこ 日本のルネッサンス

	   ■ ■ 大学法人化の呆れた国会答弁 ■ ■

  「この法案は、一言で申し上げますと、羊頭狗肉、換骨奪胎法案
であります」「火事場泥棒と申し上げてもいい。騙し討ちと申し上
げてもいいと思います」

  民主党鈴木寛参議院議員の言葉鋭い批判に対し、遠山敦子文部科
学大臣は頼を紅潮させて反論した。

  「火事場泥棒して何かやるというような類ではございません。ど
うぞ取り消していただきたい」

  これは5月29日、参院文教科学委員会での応酬である。国立大学
法人法案は、あっという間に衆議院を通過し、今、参議院で審議中
だ。遠山大臣は国立大学法人化を、「日本の学制度の大転換点にな
る大変重要なもの」と位置づけ、強硬な中央突破の姿勢を崩しては
いない。遠山大臣が法人化の意味を語った。

  「諸規制を緩和して、国立大学がより大きな自主性、自律性、自
己責任の下でこれまで以上に創意工夫を重ね、教育研究の高度化或
いは個性豊かな大学作りを可能にするための法人化であります」

  大学法人化の議論の歴史を語り続けた遠山大臣は「私が心を尽く
して答弁」したことの真意を酌み取ってほしいとも訴えた。

  対して鈴木寛議員が応えたのが冒頭の火事場泥棒発言だったのだ。
遠山氏が抗議したように、良識の府であるはずの参議院には、或い
は相応しくない表現かもしれない。だが、もしそうなら、遠山氏の
誤魔化し発言は、もっと相応しくない。

  国立大学法人法案のどこをどう読めば、遠山答弁にある国立大学
の自主自律や創意工夫が生まれてくるのか。

  最大の問題点の一つは、6年間で大学が達成すべき中期目標を文
科大臣が定めるとした第30条である。第30条の中期目標の筆頭に、
教育研究に関する事項が挙げられている。この点についてすでに大
学関係者らから厳しい批判が相次いでいる。


		 ■ 道山教子文科相の詭弁 ■

  お茶の水女子大学教授の藤原正彦氏は「先進国のどこに、大臣即
ち実質的には官僚が大学の中期目標を指図するところがあろうか」
と書いた(5月10日「産経新聞」正論欄『文科官僚の過剰介入に潜
む学問の危機』)。

  早稲田大学教授の長谷川眞理子氏も「全国立大学の教育研究の方
針を認可するような文部科学省、文部科学大臣とは、一体どんな実
績のある立派な組織であり、人なのだろうか?」と反問した(6月1
日「朝日新間」時流自論欄『学問殺す国立大学法人化』)。

  京都大学教授の佐和隆光氏は「国立大学法人化は、当初の意図に
反して、科学・学術研究の中央集権的な『計画』と『統制』をその
骨子としている。言い換えれば、法人法案は国立大学の『ソビエト
化』を目指している」と書いた(5月27日「朝日新聞」私の視点欄
『国立大法人化大学を「ソビエト化」させるな』)。

  鈴木寛議員も、文科大臣が決めるとした大学の中期目標に教育研
究の質の向上が含まれていることの問題点を繰り返し質した。する
と遠山大臣は次のように答えたのだ。

  「国立大学法人の意見を聴き、或いは尊重しということでござい
ますから、実際的には大学が定める、或いは大学の原案をベースに
決めていくわけです。私の今言っております実際的にはというとこ
ろを、是非とも将来にわたって記録に残しておいていただきたい」

  鈴木寛議員がすかさず反論した。「実際的にとおっしやるんだっ
たら、その通り書けばいいと私は申し上げているんですよ。法律を
作るということはそういうことですよ。未来永劫、この条文をその
時々の当事者が参照します。その法文にり忠実に大学行政をやって
いこうというときに、一番立ち返るところが法文でありますから、
法文を(真意に沿って)きちっと直せばいいのです」

  鈴木議員の言う通りである。法律上は文科大臣が大学の研究の中
期目標を定めると書いておきながら、「実際的には大学が定める」
のだから受け入れてほしい、就中、文科大臣がそう言うのだから、
それを「将来にわたって記録に残」すのだから心配無用と言う答弁
を、一体誰が信用できるのだろうか。

		 ■ 官僚が教育を喰い潰す ■

  私たちはつい、1年前のことを想い出す必要がある。住基ネット
の導入には「個人情報の保護に万全を期するため、速やかに、所要
の措置を講ずる」という条件が、故小渕恵三首相が3度にわたる回
会答弁で述べたことによってつけられた。しかし、福田康夫官房長
官らが、小渕首相の答弁は行政府の長としての「認識」を示したも
のに過ぎないとして、これを無視したのは記憶に新しい。

  一国の首相が3度にわたり答弁し、改正住民基本台帳法附別第l条
の②という法律に定められながら、この国の政府と官僚たちはいと
も簡単、かつ、完全にこの法律を無視した。そのことを思えぱ、一
閣僚の答弁が如何ほどの確約となり得るのかと問わざるを得ない。
遠山大臣の「実際的には大学自身が中期目標を定め」との言葉が真
意なら、その通りに法律を作るべきだ。そうしないのは言葉とは裏
腹に、別の意図、国立大学への支配を強めたいとする意図があると
思わざるを得ない。

  法案には、遠山大臣の説明とは正反対の大学支配への文科省の意
図が見え見えである。たとえば理事の数である。大学運営の項点に
立つのが役員会である。役員会は学長と監事2名及び理事によって
構成される。学長と監事2名は文科大臣が任命し、理事の数は大学
毎になんと、法律で定められている。たとえば筑波大学、神戸大学、
九州大学の理事は8名、北海道大学や東京大学は7名だ。広島大学や
岡山大学む7名である一方で、お茶の水女子大や一橋大学は4 名で
ある。

  一体全体、この数の根拠は何か。そもそも法律で政府が理事の数
を決める必要などない。大学自身が決めればよいのだ。にも 拘わ
らず、法律で数を決めるのは天下り先のポスト獲得が目的の一つと
しか思えない。

  昨年度独立行政法人に移行した9省庁57法人を例にとると、独法
化以前は90だった指定職(理事)の数が独法化以降は264名で、実
に3倍だ。内、常勤理事はl45名、その97% 140名が官僚出身で、見
事に天下り先が増えたのだ。要する給与は年間28億9900万円である。

  「大学へのこのような縛りは日本にかつて存在したことがなく、
勿論現行制度にもない」という鈴木議員の批判に、遠山大臣は答弁
した。

  「大学の自主性、自律性を守りながら国費を投入し、そのことに
責任を持つということの表れの法文でございます。御埋解をいただ
きたい」

  氏の答弁のなんと官僚的なことか。隅から隅まで官僚の発想と言
葉しか出てない参議院での質疑応答。決して質問に正面から答えな
い不誠実。この国の官僚たちが大学教育を蝕み喰い喰い潰していく
音が聞こえてくる。」
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編集発行人:辻下 徹 tjst@ac-net.org 
通信ログ:http://ac-net.org/kd