通信ログ

国公私立大学通信 2003.07.10(木)

--[kd 03-07-10 目次]--------------------------------------------
[1] 国会情勢速報 No.33(2003.7.9 19時)ー最終号ー
    http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/web030709kokkaijouhou33.html

[2] 小林正彦「怒りを力に、理想を高く、闘いの主役に立つ」
    http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/030709danwa.html

[3] 6/9 井上澄夫『慟哭による……「抗議」』
    http://www1.jca.apc.org/aml/200306/34422.html

[4] レべッカ・ソルニット『希望に基づく行動
                            ――世界のステージで、帝国に挑戦する』
    http://www.egroups.co.jp/message/TUP-Bulletin/90
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国立大学法人化関連法が成立しました[1],[2]。同様の
ことに直面したイラク反戦運動と有事法反対運動の中か
ら発せられた文書[3],[4]を転載しました(編集人)。

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[1] 国会情勢速報 No.33(2003.7.9 19時)ー最終号ー
    国立大学法人法案阻止・教育基本法改悪阻止
    http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/web030709kokkaijouhou33.html
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独立行政法人反対首都圏ネットワーク事務局
/独立行政法人問題千葉大学情報分析センター事務局:共同編集

9日参議院本会議、国立大学法人法案を賛成131,反
対101で可決

2月28日提出の国立大学法人法案等関連6法案は,当
初の会期を大幅に越えた7月8日、参議院文教科学委員
会での不当な採決強行(本速報No.32)を経て、参
議院本会議に上程された。9日の本会議において、山根
隆治(民主)、畑野君枝(共産)の 明快な反対討論の
後、賛成131、反対101(投票総数232)で可決
成立した。本法案は会期延長がなければ当然廃案となっ
たものであり、また、会期延長されても8日のような民
主主義的ルールを踏みにじる強権的議事運営がなければ
審議未了・廃案となるべきものであった。改めて、本法
案の可決成立を怒りをもって糾弾するものである。

法案の可決成立によって、国立大学法人法反対闘争は新
たな局面にはいった。新たな局面における新たな闘争は、
法人法の実質化にあくまで反対し大学自治を発展させる
こと、法そのものの凍結・廃止法提出を準備することの
2つを結合するものとなろう。その闘争へ勇躍決起する
ことを宣言し、本号をもって「国会情報速報」を終了す
る。
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[2] 小林正彦「怒りを力に、理想を高く、闘いの主役に立つ」
    http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/030709danwa.html
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「参議院で二十三項目の付帯決議が付けられ、希代の悪
法が成立しました。この間、野党議員の皆様が、私達に
代わって、たくさんの質問をして下さり、問題点を次々
に浮き彫りにしてくれました。

 国立大学法人法により国立大学が変わることは確かで
しょうが、どう変わるかは国立大学の構成員の意思と力
次第です。無用の干渉を撥ね退けるためにも、大学の構
成員が力を合わせ、理想の大学を造り上げる必要があり
ます。これから、私達が主役の息の長い闘いが始まるの
です。

 まだ憲法は生きていますから、その下で私達は何者に
も負けない強い力をつける必要があります。怒りを力に
変えて、その力を合わせて、働く歓び、学ぶ歓びに満ち
た理想の大学を造らねばなりません。そうすることが、
共に闘って下さった議員の皆様と応援して下さった市民
の皆様に応えることになるからです。」
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[3] 6/9 井上澄夫『慟哭による……「抗議」』
      http://www1.jca.apc.org/aml/200306/34422.html
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「  慟哭による……「抗議」

……それは、2003年6月5日、参議院有事法制特別
委員会(正式名称・武力攻撃事態への対処に関する特別
委員会)で、午後6時15分頃、起きたことだ。

同特別委員会はこの日、午前10時から正午まで開かれ、
一旦散会。午後4時から小泉首相が出席して総括質疑が
行なわれた。そして午後6時頃、質疑が打ち切られ、採
決が強行された。

安全保障会議設置法「改正」案、武力攻撃事態対処法案、
自衛隊法「改正」案の順に可決され、最後に付帯決議の
提案があって、これも可決された。特別委の委員長が
「本日の議事は終了しました。これをもって散会します」
と宣言し、与党三党や民主党、自由党の議員たちが、互
いに有事三法案成立を祝う握手を求め始めた……、その
ときだ。

傍聴席から突如、泣き声があがった。最初その声は低い
ものだったが、たちまち号泣に変わった。祝勝の握手を
始めていた議員たちは、一斉に傍聴席を振り返り、黙り
込んだ。それが法案の成立を悲しむ泣き声、慟哭である
ことが、すぐわかったからだ。議員たちは祝勝ムードを
打ち砕かれ、不快な表情を浮かべて、そそくさと議場を
あとにした。・・・・・・・・・」

〈練馬の里から〉 ゆったり反戦通信・その82  より
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[4] レべッカ・ソルニット『希望に基づく行動
                            ――世界のステージで、帝国に挑戦する』
http://www.egroups.co.jp/message/TUP-Bulletin/90 より転載
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『期待するということ』

何十万規模の大量殺戮、毒ガス、塹壕に生命を潜め、それを口
の開いた墓所として死ぬ兵たち、戦車、有刺鉄線、機関銃――
近代的意味で恐ろしい最初の戦争、第一次世界大戦勃発後の足
掛け8ヶ月たった1915年1月18日、バージニア・ウルフ
は、「未来は暗い。暗いことこそ、全体的に考えて、未来とし
ては最善である、と私は思う」と日記に書いた。

「暗い」という言葉を、彼女は「不透明」の意味で用いたので
あり、「恐ろしい」という意味ではないように思える。未来は
想像不可能なので、人々が感知する世界の終末はすぐそこにあ
る。

ソ連が存在せず、インターネットが存在する世界を、20年前
に誰が思い描いただろうか? 「期待する」と口にする時、願
い事が実現するという意味でこの言葉を用いるが、なぜ望むの
かと問うことも肝要なはずだ。私たちは道義に基づいて望む。
戦術的、戦略的に、私たちは望む。未来は暗いので、私たちは
望む。望みを持つ方が、生き方として力強く、楽しいので、私
たちは望む。

絶望は、次に来るものは分かりきっているという推定の上に成
り立つ。 だが、カナダ政府が北方の広大な土地を先住民族に
返還し、あるいは投獄されていたネルソン・マンデラが解放後
の南アフリカの大統領になるとは、20年前に誰が想像できた
だろうか?

21年前のこの6月、100万の人々が核兵器凍結を要求して
セントラル・パークに集まった。要求は貫徹できなかった。 

運動参加者の大方は、数年のうちに目標を達成し、家庭に戻れ
るだろうと信じていた。多くは失意のうちに、あるいは燃え尽
きて、家に帰った。

だが、10年もたたないうちに、ヨーロッパの反核運動と、そ
れがゴルバチョフに与えた弾みのおかげで、大規模な核兵器削
減交渉が始まった。その後、この問題は視野から外れ、達成さ
れたものも多くは失われてしまった。

アメリカは包括的核実験禁止条約を未だかつて批准せず、ブッ
シュ政権は、1991年に中断された本格的な核実験の再開、
核兵器製造の再興、保有量の拡大、そしておそらくは禁令を破
棄して核兵器使用を目論んでいる。

いついかなる時でも、家に帰るのは早すぎる。結果を計算する
のも早すぎる。かつて私は、1963年のアメリカ初の大規模
な反核兵器運動であり、母乳と乳幼児の歯に放射性降下物が検
出されるまでに至った大気中核実験を終結に追い込むという重
要な勝利に貢献した『平和のための女たちのストライキ』に参
加した女性の逸話を読んだ。

彼女が語るには、ある朝、ホワイトハウスのケネディに対する
抗議行動で、雨の中に突っ立っていて、なんとも馬鹿で無駄な
ことをしているんだろうと感じていた。

何年か後に、彼女は聞いた――そのころ、この問題に取り組ん
だ活動家としては最も知名度が高かったベンジャミン・スポッ
クが、ホワイトハウスへの抗議行動で女たちの小グループが雨
の中に立っているのを目撃したことが、自分にとってのターニ
ング・ポイントだったと発言したのである。

女たちが情熱を傾けているからには、自分もこの問題について
じっくり考えなければならないとスポックは考えたのである。


『終りのない変化』

多くの活動家は、あらゆる行動に対して、それと同等の力が逆
方向に間を置かずに働く反作用があり、反作用がなければ、失
敗であると考える。

結局、多くの場合、活動とは反作用なのだ。ブッシュがイラク
侵略を決定し、私たちは、7つの大陸で同じ週末に、1000
万ないし3000万の人々がデモ行進する地球規模の反戦運動
を組織する。

だが、歴史はうねりと夢の共有とで創り出されるものであり、
個々の行動と瞬間状況とは、それを目に見える形にしているに
過ぎない。歴史は、原因と結果の単純なバランス関係よりも、
複雑に入り組んだ景観なのだ。

政治は表層であり、その転換は、目に見える行動が原因になる
だけではなく、集団的想像力の深層での広範な変化を原因とし
て生じる。もっとも、変革の条件として、行動と想像力の両者
とも必要である。また、時には大きな原因が小さな結果しか生
まず、時には小さな原因が大きな結果を生む。

何年か前、科学者たちが、初期条件が同じなら、やがて同じ気
象状態が出現するだろうと仮定して、長期天気予報の開発を企
てた。結局、初期条件がまったく同じでも、検知さえも不能で
あり、データとして想定すらもできない、ごく微少な変異が、
完全に異なった様相の天候に帰結することが判明した。

有名な譬えを使って結論を言えば、北京での蝶々の羽ばたきに
よる空気の揺らめきが、ワシントンの天気を変えてしまう。

歴史は天候のように移ろい、チェスの動きには似ていない。チ
ェスのゲームには終りがある。天候は終わることなく移り変わ
る。だから、なにごとも保つことなんてできようもない。

保つと言えば、間違った言葉遣いである。

イエスは救い、銀行は蓄える。イエスと銀行とは、諸行無常の
浮世の移ろいから、大切なものを別の場所に移しておく。私た
ちはクジラの絶滅を防いだかもしれないが、クジラを救うこと
はできない。クジラが絶滅しない限り、絶滅を絶え間なく防ぐ
しかないだろう。

蓄えは、シミや汚れが損なわない場所にしまい込んでおくこと
を意味するのであり、この類に似た救世の追求が、たぶん、ア
メリカ人が危機に手早く対応し、さっさと家に帰り、別の危機
を迎える理由であろう。

問題が家に帰ってくれることは稀だ。

大多数の国々が絶滅危惧種クジラの捕獲を禁じているが、別の
次元ではクジラの海は危うくされている。DDTはアメリカで
は禁じられたが、第三世界へは輸出され、モンサントは次なる
非道に手を伸ばす。(訳注:本節文中の、保つ、救う、蓄えるの
原語は、すべて"save")

世界は良い場所になる。また、悪い場所にもなる。これに取り
組むためには、まさしく生涯の時間をかけなければならない。
幸運であれば、生涯の長さを知るよしもない。未来は暗い。夜
のようだ。確立と可能性はあるが、保証はない。

アダム・ホックシールドが指摘するように、奴隷制度を最初に
イギリスのクェーカー教徒たちが問題にした時から、アメリカ
とヨーロッパで廃止されるまで、75年もかかった。かつては
不可能であるとしか考えられなかったことが、振り返ってみれ
ば、突然、必然であったと思われるようになった時には、当初
に課題に取り組んだ人で、結果を目撃したのは、いたとしても
、ほんの僅かだった。

予期せぬ結果が法則化して、期待を呼び、奴隷制度廃止運動が
初期の幅広い女性の権利運動に火を点け、それが、同じ程度の
長い時間をかけて、アメリカ女性に選挙権を保証し、その後の
83年間で、はるかに多くを獲得したが、今でも、完了したと
は決して言えない。直接行動は街角の店へ出かけるようなもの
ではない。それは暗闇への跳躍なのだ。

稀なケースを除き、行動が直接的である必要はないと、作家た
ちは理解している。あなたは本を書く。あなたは種を蒔く。種
はネズミに食べられるか、あるいは腐ってしまう。カリフォル
ニアに生育するある植物の種は、山火事に遭って初めて発芽す
るので、何十年も休眠状態にある。シャロン・サルツバーグは
、著書『信仰』において、仏教僧ウ・パンディタの教えを書物
にまとめた経緯を詳述し、その仕事を「小乗(マイナーな善行)
の類」と規定している。

ずっと後になって、ビルマ独裁政権による自宅軟禁下にあって
孤立していた民主化運動の指導者アウン・サン・スー・チーに
とって、その本と、それに書かれた瞑想法とが、「あの極めて
困難な歳、彼女の精神的支えの主要な柱になった」ことを、著
者は知った。

エミリー・ディキンソン、ウォルト・ホィットマン、それにア
ーサー・ランボオは、ヘンリー・デーヴィッド・ソーローのよ
うに、死のずっと後になって、往時のベストセラー作家たちの
墓が草に埋もれたずっと後になって、最大の影響力を発揮した
。

ソーローの影響を受けたガンジーの非暴力は、インドと同じく
アメリカ南部でも重要であったし、その最新版であるマーティ
ン・ルーサー・キングは世界の市民不服従運動に影響を与えて
いる。ガンジーとキングの暗殺から何十年もたっている今でも
、彼らは私たちと共にある。

4月7日早暁に、カリフォルニア州オークランドの港で、数百
名の平和活動家たちが結集し、イラクへ武器を搬出する事業所
のゲートを封鎖した。

港湾労働者組合はピケ破りはしないと約束した。暴動鎮圧用に
重装備した警官隊が到着し、道理も、警告もなしに、活動家グ
ループに対して木製弾とビーズバッグ(お手玉)弾を撃ち始めた
。報道陣3人、港湾労働者9人、活動家50人が傷害を受けた
。私は、何人かの若い男たちの背中にグループフルーツ半分の
大きさの血まみれのミミズ腫れを見た。彼らは背後から撃たれ
たのだ。華奢なヨーガ教師の顎には卵大の腫れができていた。
このように語れば、暴力が勝利したのだ。

だが、暴力が港湾労働者組合を発奮させ、反戦活動家たちとの
より緊密な協調関係を促し、地域問題と世界問題との関係を浮
き彫りにしたのである。

5月12日になって、私たちは再びピケを張った。今度は、港
湾労働者たちは運動参加者たちと連帯して行動し、誰の記憶で
も前代未聞のことだが、事業者たちは交替制勤務を停止した。
このように語れば、物語の進展に伴って、私たちは強くなって
いった。

さらにもう一つ、第3の語り口がある。ピケは多くのコンテナ
・トレーラーを立ち往生させた。 ドライバーの中には苛立つ
者もいた。戦争は人道的な営みであると心から信じているドラ
イバーもいた。それでも、ドライバーの何人かは、とりわけ、
さんぜんと輝く朝日を浴びて立っていた南アジア系のドライバ
ーたちは、私たちのことをたいしたものだと考えていた。

ピケが破られた後、ひとりの移民ドライバーがクラクションを
鳴らして支持を表明し、路肩にトレーラーを寄せて、車の装飾
用にピースマークが欲しいと申し入れた。私が前に出て、車の
クロム鍍金グリルにゴムロープで留められるように、ピースマ
ークに穴を空けた。私たちは少し話し、握手して、彼は運転席
に乗り込んだ。

彼はゲートで追い返された。反戦トラック野郎の配達を受け入
れなかったのである。次に私が彼は見かけた時、警官隊の背後
で、独りぼっちで縁石に腰掛けていて、愉快そうであり、恐い
もの知らずの様子だった。この職を賭けた男の自発的な勇気の
結果が最終的にどうなったか、誰が知りえようか?


『新しい時代の平和運動の勝利』

反戦行動とブッシュ政権の間に、一般に広く認められる因果関
係を期待するのは、失望のお膳立てをするようなものだった。
だが、ひょっとすると……? 私たちが答えを知りうることは
なさそうだ。

それでも、ブッシュ政権がバグダッドへの『衝撃と畏怖』集中
爆撃案を退けたのは、世界世論と市民の不安という代償が余り
にも高くつくことを、私たちが明確にしたからであるようだ。
何百万人の私たちが、数千、ことによると数十万の生命を救っ
たかもしれない。

●2月15日の世界の平和運動を伝える報道は、過少もはなは
だしかった。

バルセロナでの100万人デモ行進は素敵だった。だが、ノー
スカロライナ州チャペルヒルで、何千人規模のデモがあり、ニ
ューメキシコ州ラスベガスという小さな町で、150人の人々
が平和の祈り集会を夜を徹して開き、ボリビアからタイにいた
るまで、もっと小さな村々で住民たちが反戦の意志を表明した
と、私は聞いた。

●社会集団を代表しない、主流を外れた群に過ぎないと、活動
家たちが見なされることが多いが、昨年の秋、メディアで何か
が変わった。それ以来、反戦活動家たちは、多彩で正統な代表
集団であると大抵は見なされるようになった。 私たちの代表
権と長期的展望にとって、分水嶺的な勝利である。

●これまで発言したことがなく、街でデモ行進をしたことがな
く、集団に参加したことがなく、政治家に手紙を書いたことが
なく、運動に寄付をしたこともなかった多数の人々が、行動を
始めた。数え切れない人々がかつてなかったほどに政治化した
。

つまり、何あろう、情熱の巨大な地下水脈が満ちて、変化の川
に流れ込もうとしているのだ。新しいネットワーク、共同体、
ウエブサイト、リストサーバ、収監者連帯グループ、連合が台
頭した。

●国内でのテロの脅威を叩き込み、外国での戦争を正当化する
、いわゆる対テロ戦争の名の下に、私たちは、隣人、お互い、
よそもの(特に、中東出身者、アラブ系、イスラム教徒)を怖れ
、行状をスパイし、ドアをロックして、私生活中心主義に閉じ
こもるようにと奨励されている。

様々に異なった人種の人々と共に、社会に向かって、私たちの
希望と抵抗を表明することによって、私たちは恐怖の教理問答
を克服し、たがいを信頼した。

イラクの人々に対する私たちの関心を行動で示すことによって
、私たちは、様々な違いを超えて、平和を愛する人々の共同体
を創り出した。

●私たちは指導者のいない運動のグローバル化を達成した。優
秀な代弁者、理論家、組織者はいたが、あなたの命運を指導者
に委ねてしまえば、あなたは、彼・彼女を超えて、強く、清廉
で、独創的になることはできない。

口コミ、インターネット、教会、組合、直接行動アフィニティ
・グループといった多様な集団情報ネットワークで結ばれ、自
ら組織化した100万の人々の結びつき以上に民主的でありう
るのは何だろうか? 指導者のいない行動と運動は、もちろん
、これまでの20年間にも組織されてきたが、これほど壮大な
規模になったことはなかった。

かつて、アフリカの作家ローレンス・ヴァン・デル・ポストが
、誰もが追随者であることを止める時代になったので、偉大な
指導者は新たに出てこないと言った。たぶん、私たちは彼の言
うとおりなのである。

●私たちは、ベトナム反戦運動の不名誉な失敗を繰り返さず、
分裂を回避することが上手にできた。私たちは、サダム・フセ
インを是認することなしに、対イラク戦争に反対することがで
きた。私たちは、戦っている兵たちを思いやりながら、戦争に
反対することができた。

私たちの大多数は、アメリカの対外政策がしばしばひっかかり
、旧い時代のラディカルがひっかかった、敵の敵は味方、悪の
対抗者は善という罠、国民と首領、将軍と兵との混同視という
罠に陥らなかった。 私たちはアメリカに反対し、イラクに賛
成したのではなかった。戦争に反対したのだった。

また、私たちの多くは、すべての戦争に、すべての大量破壊兵
器に、すなわち我が国の大量破壊兵器にも反対であり、すべて
の場所の、すべての暴力に反対だった。私たちは単なる反戦運
動ではない。平和運動なのだ。

平和、反グローバル化運動が提起した問いは、今や主流になっ
ている。もっとも、主流にいる人々はその理由を語らないし、
おそらくは理由を知ってさえもいない。活動家たちは、ベクテ
ル、ハリバートン、シェブロン、ロッキード・マーティンを、
ブッシュ政権と結びついた戦争成り金企業として標的にした。

行動は、特定の事業所を実力で封鎖するのではなく、その営業
活動に対して、公衆の面前で異議申立てすることで行われた。
直接行動が効力を実際に発揮するのは稀なことだが、今や、メ
ディアが企業をかつてなく見つめている。

先日、ヘンリー・ワックスマン下院議員が、ハリバートンのテ
ロ国家との関係に対して公然と疑問を投げかけた。チェイニー
副大統領が就任するまで率いていた企業であるハリバートンに
70億ドルのイラク石油の管理契約を与える政権の密室決定を
、メディアが綿密に取り上げている。こうしたことは飛躍的な
進展である。


『天使が見せたもう一つの歴史』

アメリカの歴史は弁証法で動いている。歴史上の最善が最悪を
契機として出現する。奴隷廃止論者とアンダーグラウンド・レ
ールロード(南北戦争以前に自由州やカナダへの奴隷の脱出を
助けた秘密組織)、フェミニスト運動と公民権運動、環境と人
権運動はすべて脅威と暴虐を契機として成立した。

たった今も、最悪の事態が山ほど進行中である。しかし、私た
ちが必要としているのは行動主義、それも反作用としてのもの
ではなく、自主的創造としての行動主義、心ある人々がいたる
所で政治課題を設定する行動主義である。

私たちは、戦争が醸し出した熱情を、次なる戦争を防止するた
めに、また、爆弾だけではなく、あらゆる形態の暴力に対抗す
るために保つ必要がある。私たちには、現在の悪に対抗するだ
けではなく、未来の可能性を引き寄せる運動が必要である。

私たちには、希望の変革が必要である。そのためには、私たち
は、変化がどのように機能するのか、我が方の勝利をどのよう
に算定するのかを理解する必要がある。

かつて私は、ネバダの環境・反核非営利団体、シチズン・アラ
ート(市民警報)理事として、『イッツ・ア・ワンダフル・ライ
フ』を手本にした、募金集めの文書を書いた。

自殺志願の男ジョージ・ベイリーに天使が諭すフランク・カプ
ラの映画は、ラディカルな歴史の典型である。隣人に対して彼
がベストを尽くさなければ、街がどうなってしまうのかを天使
が見せたのである。

この天使がもう一つの歴史で見せたのは、実際に起こったこと
ではなく、起こらなかったことであり、それこそはもっとも評
価しがたいことなのだ。シチズン・アラートにとっての勝利は
、主として、ネバダの大気、水系、大地、そして住民に起こら
なかったことなのである。

より大局的な運動の成果の歴史を構成するものは、主として、
踏みにじられなかった経歴、抹消されなかった思想、実行され
なかった暴力と威嚇、犯されなかった不正行為、毒を盛られず
、堰き止めもされなかった河川、落とされなかった爆弾、漏れ
出さなかった放射能、撒き散らされなかった毒性物質、破壊さ
れなかった野生の自然、再開発されなかった田園地帯、絞り取
られなかった資源、絶滅しなかった動植物種なのだ。

ベルリンの壁が築かれた夏、私が誕生した国では、女性と有色
人種を自由で対等な市民権から疎外する社会的慣行の多くに、
改善方策どころか、用語さえなかった。

同性愛は精神病と診断され、犯罪として扱われた。生態系は概
念でさえもなかった。動植物種の絶滅と環境汚染に注視するの
はごく少数派に限られていた。「化学の力で生活向上」のキャ
ッチフレーズがブラック・ユーモアに聞こえなかった。

核のハルマゲドンぎりぎりで、アメリカとソ連が一触即発の警
戒体制で睨み合っていた。文化に関するたいていの大問題はま
だ提起されてさえいなかった。

その世界には、もっと多くの降雨林、もっと多くのオゾン層、
もっと多くの動植物種が存在したが、当時、それらを保護する
人たちもほとんどいなかった。生態学的想像力が出現し、共通
文化の一部になったのは、これまでのほんの20年間のできご
とであり、人類の多様性と人権についての意識が広がり、深ま
ったのもそうである。

世界は悪くなりつつある。善くもなりつつある。そして、未来
は暗い(不透明な)ままだ。

行動の帰結は誰にも分からないし、歴史は世界を思いがけなく
変えたささやかな行為で満ちている。ネバダ核実験場――アメ
リカとイギリスが千発を超える核爆弾を爆発させ、環境と健康
に苛酷な影響をもたらした歴史が今でも進行している、(そし
て、ブッシュ政権が、未批准の核実験全面禁止条約を踏みにじ
って、実験を再開したがっている)その現場で、私は結集した
活動家たち数千のうちの一人だった。

私たちは核実験場を閉鎖できなかったが、カザフの詩人、オル
ザス・スレイメノフが私たちの行動に霊感を受け、1989年
2月27日、カザフ・テレビに生出演して、詩ではなく、宣言
を読み上げて、カザフスタン共和国セミパラチンスクにあった
ソ連の核実験場の閉鎖を要求し、集会を呼びかけた。

翌日、5千のカザフ人たちが作家同盟に結集し、実験場を閉鎖
するための運動を組織した。彼らは自分たちの運動を『ネバダ
・セミパラチンスク反核運動』と命名した。

ソ連の核実験場は実際に閉鎖された。スレイメノフは触媒の役
目を果たしたのである。ネバダでの私たちの運動は彼の刺激に
なったが、彼の基盤になったものは、詩を愛する国民社会にお
いて、詩を書くことだった。

スレイメノフが詩を書いたのは、ことによると、すべて、ある
日、テレビ・カメラの前に立ち、詩ではなく、宣言を発表する
ための準備作業だったのかもしれない。さらに、アルンダティ
・ロイが書いた魅惑的な小説が彼女をスターの座に押し上げた
のも、ことによると、彼女が立ち上がって、多国籍企業の利益
のためのダム建設と地域社会の破壊に反対を表明した時に、人
々が気づくための準備段階だったのだろう。

あるいは、彼ら作家たちが地球を荒廃させる行為に反対したの
は、ことによると、詩――もっとも広い意味での詩もまたこの
世界で生き残るための正当防衛だったのだろう。

ブッシュ政権が『衝撃と畏怖』作戦を発表した直後に、大統領
夫人ローラ・ブッシュが主催した『詩とアメリカの声』シンポ
ジウムに招かれたサム・ハミルが、丁重に断り、激しい憤りを
表明する手紙を配布した時に、アメリカの詩人たちも自らを反
戦運動に組織した。

彼のEメール・ボックスが満杯になったので、彼が反戦詩人サ
イトを開設したところ、今日までに、1万1000人の詩人が
投稿した。ハミルは名だたる反戦スポークスパーソンになった
。

平和運動を組織するためのツールになった、ハミルのウエブサ
イト『反戦詩人たち』:
http://www.poetsagainstthewar.org


『左ではなく、前へ』

浮かぬ顔の伝統左翼は、明るい兆しを見ても、雲を探すのにご
執心である。

今年1月、イリノイ州のライアン知事が167件の死刑宣告を
覆した時、私たちなら、フットボール優勝チームのように頭か
らシャンパンをかけるはずなのに、重箱の隅を突ついて、細か
いことに欠点をあげつらった左翼関係者たちがいた。

喜びは私たちの勝利のための武器のひとつである。行動しない
人たちは、時に、デモの最中に楽しそうにしている、世界の一
大事を背負っている時に面白がっていると私たちにブツクサ言
う。

だが、疎外され、孤立し、無力を知り、私たちが多いに悩んで
いる時、群をなして街に繰り出すことは、勝利の手段なのでは
なく、それこそが勝利なのだ。

それにしても、喜びの能力を備えた新しい運動と昔からの大立
て者たちとのギャップは広がるばかりである。彼らの不機嫌は
、たいてい、完全主義者の不機嫌なのだ。

彼らは、全面勝利に届かなければ失敗であるという、しょっぱ
なから断念に傾きやすく、あるいは可能なはずの勝利を蔑んで
しまうような前提に立っているのだ。ここは地上なのだ。ここ
が天の国になることはない。 

常に残虐行為はあるだろう。暴力はあるだろう。破壊はあるだ
ろう。

たった今、凄まじい荒廃がある。あなたがこの文章を読んでい
る間にも、何エーカーもの降雨林が滅び去り、女たちはレイプ
され、男たちは撃たれ、余りにも多くの子どもたちは、たやす
く予防できるはずの原因で死んでしまうだろう。

すべての時点のすべての荒廃をすっかり解消することなんて不
可能である。

しかし、それを軽減し、非合法とし、その起源と土台を掘り崩
すことはできる。こうしたことが勝利なのだ。

2001年9月11日を経験して、私たちのほぼ全員が覚えた
感覚は、嘆きと恐怖に加えて、飛躍的に高揚した理想主義と受
容性、問い、学ぶ姿勢、互いに繋がっている一体性、馴染みが
なく、安全でも容易でもなくても、もっと多くの何かのために
自分の人生を生きたいという欲求だった。

現在の政権にとって、この欲求に肩を並べる脅威は他になく、
施政権者たちは手段を選ばず抑圧に走った。

それでも、その欲求はそこに存在する。それは、いまだに名づ
けられてもいない巨大な新しい運動、右翼に対抗する左翼では
なく、おそらくはエリートに対する下々の、強大者に対する弱
小者の、統合に対する地方性と分権の運動の背後に控えた力な
のだ。

旧来の定義を投げ捨てることができるなら、どこに新しい連合
が広がっているか、認識できるだろう。このような――小規模
経営農民の、工場労働者の、環境主義者の、貧者の、先住民族
の、義の人の、預言者の――連合は、企業利益と制度的暴力の
勢力に対する抜群に強大な力になりうるだろう。

左翼と右翼は、フランス革命後の国民議会で急進派と保守派が
議場を分け合っていた時代の用語である。もはや私たちは、そ
のような議席配分は言うまでもなく、左右対決の世界に生きて
いるのではない。

私たちは、破滅も、毒も、遺産も、全員にとって全面的に新し
いものである世界に生きているのだ。 反グローバル化活動家
たちは、「もう一つの世界がありうる」と言っているが、もう
一つの世界はありうるだけではない。それが必然なのだ。

そして、もう一つの世界の造形に、私たちは参画しなければな
らない。

私は希望に満ちている。部分的には、これほど暗い(不透明な)
未来にはなにが起こるか分からないからであるが、同時に、こ
こに生ある限り、私たちの道義に従って生きるからである。

希望は恐怖の対極にあり、私たちはそれに賭けよう。世界が救
命ボートであると想像しよう。企業と政権が舟底を叩き割って
いて、そのペースたるや、私たちが水を掻いだし、あるいは穴
を塞ぐのと同じぐらい(あるいはもっと)速いとしよう。

それでも、穴を空ける人がいれば、水を掻いだす人もいると、
気を留めていることが大切なのだ。

そして、過去形の文章で嘆き節を綴るよりも、現在形で物語を
書きとめることが大切なのだ。そうすることがボートを浮かせ
ておく努力の一端なのだ。

さらに言えば、ボートが沈没すれば、私たち皆が溺れてしまう
。だから、水を掻いだそう。ボートを漕ごう。無謀きわまるブ
ッシュ政権は、これまで永く、アメリカ歴代政権が尻込みして
きたのに、歴史ある秩序を粉砕し、やりたい放題の世界を創り
出そうとしているようだ。


(メキシコの)サパティスタ国民解放軍の広報担当のマルコス副
司令官が語を継いで語った――

「権力が書いた歴史は、私たちが敗者だと教えた……

権力が教えることを、私たちは信じなかった。

彼らが従順と衆愚を教えた時、私たちは教室を抜け出した。

私たちは現代化に合格しなかった。

想像力によって、創造性によって、未来(の夢)によって、私た
ちは連帯している。

過去において、私たちは敗北に直面しただけではなく、正義を
求める願いと、よりよく生きる夢を見出した。

私たちは懐疑論なんか大資本の衣紋掛けにぶら下げたままにし
ておき、発見したのは、信じることができ、信じるに値し、信
じなければならないのは――私たち自身である――ということ
だ。

あなたが健やかであるように。希望のごとく、花々を収穫する
ことをお忘れなく」

そして、花は暗闇で育つ。「私は信じる」と、ソーローも言っ
た。「森の中で、草原で、夜の闇の中、トウモロコシは育つ」
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(翻訳  井上 利男/TUPスタッフ)
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