個人情報保護法案の諸問題
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Subject: 「全権委任法」への危惧
From: TSUJISHITA Toru
Date: Thu, 22 May 2003 01:44:01 +0900
議員のみなさま
明日23日の参議院本会議での議決により、個人情報保護法案が決まります。
通常は、この会議は儀式のようなものかも知れません。しかし、参議院議員の
みなさまには、まだ、可能性が残されています。すなわち、将来の日本の多く
の人を必ずや苦しめる−−丁度、治安維持法が成立後十数年を経て私達の前世
代の人々を苦しめたように苦しめることになる法律の成立を留保する可能性が
残されています。もしも、まだ、この法案の全文を精査しておられない議員の
かたがおられましたら、是非いま一度、全文を精読してみてください。
みなさまは、この法律を通して本当にいいのですか?所属されている政党の判
断ではなく、御自身で判断してください。これは、「個人情報」のコントロー
ルについての行政への白紙委任状ではないとお考えですか?このような委任立
法をすることは、行政の暴走への安全装置を守ることを使命とする国会議員と
しての責務を放棄することにはならないですか?これらの問について選挙区の
人たちに胸をはって答えられるのでしょうか。
あらゆる分野で行政の裁量に委ねられる事柄が日増しに止処なく増大していま
す。多くの法律が委任立法の様相を強めつつあります。最近の重要法案の多く
は、行政への全権委任に近い様相すら持ちはじめています。小さなものですが、
国立大学法人法案も、大学改革を行政に白紙委任する点では、例外ではありま
せん。1933年のドイツの「全権委任法」がもたらした災厄はよく御存知の
通りです。どうか、そのことを考えて頂きたいと思います。
まだ、一日あります。法案が行政の権限を止処なく増大させること、そして、
それは、今の行政ですぐに問題にならないとしても、今後の行政のありように
よって時限爆弾の危険性を持つこと、そのことを理解されましたら、この法案
の成立を中止させてください。城山三郎氏が命を賭けて法案の危険性を警告さ
れておられるのを、みなさまは知らん顔をされるのでしょうか。「仕方がない」
という言葉をみなさまも使われるのですか?
辻下 徹(国立大学教員)
PS. 個人情報保護法案拒否!共同アピールの会という団体が4月に出したメッ
セージをご参考までに添付いたします。
【国会議員諸氏よ、真正面から考えてほしい】
国会議員諸氏よ、
あなたたちはいま、
どんな法律を作ろうとしているか――ほんとうにわかっているか?
それが目の前にある。
個人情報保護法案という。
「個人情報は守らなければいかん」
と、あなたは言う。
私たちもそう思う。
「そのためには法律が必要だろう」
と、あなたは言う。
私たちもそう思う。
「じゃあ、今度の政府案を通せばいいじゃないか」
と、あなたは言うかもしれない。
だが、私たちはそうは思わない。
理由はふたつある。
ひとつ――この法案では、個人情報が保護されないからだ。
ふたつ――この法案が、個人と個々人の暮らしを破壊してしまうからだ。
国会議員諸氏よ、
政府案をよく読んでほしい。
要旨を斜め読みしたり、官僚の説明だけでわかったつもりになるのではなく、
立法府に身を置く一人として、
自分で読み、自身で判断してほしい。
個人情報保護法の政府案は二種類ある。
一方は、行政部門対象の法案であり、
もう一方は、民間部門対象の法案だ。
政府与党と官僚たちは、昨年末に廃案となった旧法案の「修正案」と呼んでいる。
批判を汲んで、修正したと彼らは言う。
よろしい。
あらためて、問題点を指摘しておこう。
行政部門対象の法案の修正は一カ所のみだ。
法案末尾に「罰則規定」が付け加えられたことである。
これまでなかったことがそもそも自分勝手な「官尊」だが、
修正案の中身もひどい。
小遣い銭欲しさに個人情報を密売したなどという利己的な事犯を罰するだけで、
官庁ぐるみ、組織ぐるみの事犯にはいっさい対処できない仕組みなのだ。
トカゲの尻尾切りに使われるだけの条文でしかない。
民間部門対象の法案では当該従業員の社長まで罰することになっているのに、だ。
こういうものを、立法府では「修正案」と呼ぶのだろうか。
行政部門対象の法案には、「センシティブ情報の収集制限」が盛り込まれていない。
センシティブとは、微妙、繊細、取り扱い注意の意味だ。
門地、人種、思想信条、性的指向など、人間のアイデンティティーに深くかかわり、
ときとして社会的差別を生じさせもする個人情報のことである。
ほぼすべての都道府県条例が、センシティブ情報の収集制限をしているのに、
なぜかこの法案だけが避けている。
おわかりだろう。
この法案が通ってしまえば、各地の自治体が積み上げてきた条例は紙くずとなる。
行政部門対象の法案は、「第三者機関」が不在だ。
行政機関は全国民の基本的な個人情報を、
もっとも網羅的に、もっとも継続的に、もっとも大量に収集・蓄積・利用している。
個人情報保護先進地域の欧米では第三者機関を設置して、
行政機関の個人情報取り扱いをたえずチェックしているのに、
どうして日本の政府行政だけがいやがるのか。
「政府や行政には外交や犯罪捜査という特殊な仕事があるから、一概に言えない」
などと、早合点しないでほしい。
外交や刑事事件にかかわる個人情報は、最初からこの法律の対象外なのだ。
ここで指摘しているのは、その他の行政機関の個人情報取り扱いをめぐってである。
一般的な個人情報の取り扱いをめぐって、日本の中央行政機関は、
どうしてこうも頑ななのか。
どうしてこんなにも秘密主義なのか。
どうしてこれほど傲岸不遜なのか。
収集・蓄積・利用されているのは、私たち一人ひとりの個人情報だということ、
もとをただせば、私自身のもの、あなた自身のものだということ、
それを忘れてもらっては困る。
自分の個人情報を自分で管理する権限を持つ。
これを、自己情報管理権という。
自分の部屋は自分で、自分の仕事は自分で、自分の生活と人生は自分で取り仕切る。
この当たり前のことが、自分の個人情報についてだけは、認められない。
それが、行政部門対象の政府案が言っていることである。
これをおかしいと思わないとしたら、立法府の一員としての資質を疑われる。
言いたいことは、まだいくつかある。
一年以内に消去される個人情報ファイルには、この法律全体の効力が及ばないこと。
各所に散在する個人情報を統合し、参照するデータ・マッチングの制限がないこと。
使い終わった個人情報を破棄する条項がないこと。
個人情報の目的外使用について、明確に禁止していないこと。
民間部門に対しては、いちいち当該個人に通知せよ、としているにもかかわら
ず、である
。
要するに、行政機関と官僚と公務員だけは誰の個人情報も使いたいように使える、
どう利用しようとも、誰にも指図させないし、されたくもない。
行政部門対象の政府案は、ただそう言っているだけの法案なのだ。
私たちの言っていることがでたらめや誇張だと思ったら、
どうかじかに法案に当たってもらいたい。
そこに、第三者機関やそれに類する言葉があるかどうか。
個人が自己情報を管理できる権利を認めているかどうか。
センシティブ情報に関する規定があるかどうか。
その他、ここに掲げた事項について、ないないづくしだということに気づくだろう。
それにしてもどうして、政府と行政は私たちの個人情報を勝手に集め、使いたが
るのか。
国会議員諸氏よ、
あなたはどう考えるだろう。
私たちの判断が間違っていないとしたら、
それは、戦後的政府、戦後的行政が終わりを迎えたからだ。
戦後日本は経済復興と経済拡大の道をひた走ってきた。
中央官庁が「行政指導」を通じて企業社会を動かし、
地方自治体が「地域振興」を謳って地域社会を動かす。
このふたつが車の両輪となって、経済中心の戦後日本を駆動してきた。
その意味で、戦後半世紀の統治手法はみごとなまでに一貫していた。
ところが、このふたつともが、「失われた十年」のあいだにずたずたになってし
まった。
地域社会は空洞化し、
企業社会は求心力を失った。
こうして私たちは、個々ばらばらに暮らしはじめた。
言い換えればそれは、
個人が社会とじかにつながり、
人間が世界と直接に向き合って生きる、ということだ。
それはまた、政府と行政の統治手法が変わらざるを得なくなったことでもある。
これから先は、個々人をじかに掌握・統治する――
おりしも電子技術が台頭し、コンピュータがそれを可能にした。
住基ネットが、その基礎となる。
個人情報の取り扱いが、その主要な業務となる。
だが、かつての経済拡大にかわる統治テーマはどこにあるか。
国会議員諸氏よ、
思い起こしてほしい。
一九九〇年代なかば、
住基ネットと個人情報保護法制の問題が持ち上がったとき、
担当官僚たちは何と言っていたか。
「大規模災害時に救援活動に役立つ」
「朝鮮半島有事の際の難民大量流入に備える」
彼らはそう説明していたのではなかったか。
危機管理と治安維持。
そのために全国民、全市民の個人情報を網羅し、たえず監視すること。
ここに、これからの政府と行政の新しい統治テーマがある。
これが、個人情報保護法制の政府案を支える思想となった。
しかし――
政府と行政が危機管理と治安維持と監視を統治課題とするとき、
近現代の歴史が教えるのは、
民主主義が危機にさらされる、ということだ。
危機管理と治安維持には強制力がともなっている。
政府と行政が強制力をもってふるまうとき、それははっきりとした、
「権力」になる。
私たちが目の当たりにしているのは、
戦後的政府と戦後的行政が権力へと姿を変えていく過程である。
だが、国会議員諸氏よ、
もうひとつ思い起こしてほしい。
民主主義はどのように始まったか。
民主主義はどのような仕組みを持つことによって生き延びてきたか。
権力の暴走を防ぐこと、
権力のふるまいを制御する仕組みを幾重にも作り上げること。
このことなしに、民主主義的な社会も世界も成り立たなかったのではなかったか。
行政部門対象の政府案には、この歴史の教訓が欠けている。
政府と行政が権力としてふるまおうとする野心は、
民間部門対象の個人情報保護法案にも露骨に表われている。
それは、
「包括法」という法形式、
「主務大臣」の権限の強大さ、
このふたつに端的に示されている。
「個人情報取扱事業者」は……と、政府案は言う。
個人情報を取り扱っている者すべてだ、と。
年齢にも、事業内容にも、営利か非営利かにもかかわらず、
個人情報を取り扱っている者すべてが、この法律の対象となる、と。
いったんそう定めた上で、数千件以下の小規模事業者を除外し、
報道機関や学術研究機関、政治団体や宗教団体がその目的の用に供する分野に関
しては、
「義務規定」を適用しないとする。
このように、まず全体に法網をかぶせ、
そのあとで部分的に引き算していく法形式を、
包括法という。
包括法は、強固な中央集権国家の形成には向いていて、
政府や行政が万民を捕捉し、管理・支配するには使いやすい法形式である。
しかし、個人情報の保護という目的にとって、
この法形式がふさわしいのかどうか。
ヨーロッパ諸国の個人情報保護法制の多くも包括法である。
だが、大きなちがいがある。
個人情報取り扱い上の不正・不当があったとき、
第三者機関が当事者間の調整・調停に当たることを原則にしているからだ。
日本の政府案はそうなっていない。
いきなり「主務大臣」が前面に出てくるからだ。
主務大臣が「報告の徴収」「助言」「勧告」「命令」の権限を持つ、とある。
総理大臣は国家公安委員会を主務大臣に指名することもできる、とあるから、
具体的には、警察が出てくる、ということである。
個人情報の取り扱いをめぐって、政府と行政がこれほど大きな権限を持つ法律は、
世界中を見渡しても、たぶん日本だけだろう。
政府与党は旧法案を修正したと言う。
旧法案にあった五つの基本原則を削除し、
義務規定の適用除外に、報道に携わる個人や著述家をふくめ、
マスコミなどへの内部情報の提供者を罰しないようにした、という。
だから、言論表現の自由に干渉することはないのだという。
国会議員諸氏よ、
日本国憲法にはどうあるか、思い出してほしい。
表現の自由は報道機関や専門家だけに付与された権利ではないだろう。
表現の自由は万民が享受する権利ではなかったか。
政府案は、表現の自由を報道機関と専門家の自由にのみ切り縮めている、
そう思わないか。
私たちは、個人情報保護のためには、
「個別法」を作るべきだと言ってきた。
各分野、各業界によって、集める個人情報もちがえば、収集・蓄積・利用の仕方
もちがう。
それぞれの実情に応じた法律を作るのでなかったら、何の役にも立たないと主張
してきた。
役に立たないばかりか、個々一人ひとりの、生きることそれ自体にある表現行為を、
萎縮させ、窒息させる危険すらある。
じつは、各個別分野の当事者たちも、
「こんな包括的な法律ができても、個人情報を守るルールにならない」
と、言っている。
「官僚たちが権力を手に入れたいだけなんだろう」 と、冷ややかに眺めている。
あなたたちはこの現実を知っているだろうか。
彼らは言っている。
「ほんとうは個別法を作ってもらったほうが、自分たちにもいいのだが」
たとえば、医療分野だ。 疾病を、生活習慣と遺伝子との関連でとらえようとす
る研究が始まって以来、
医者たちは患者の生活環境や遺伝子サンプルなどの個人情報を重視するように
なった。
しかし、患者は採取される個人情報がほんとうに自分の治療に使われるかどうか、
疑いを持ってもいる。
「医療不信を払拭するためにも、臨床の実情に合わせた個別法が必要だ」
と、多くの医者たちが言っている。
私たちは電気通信事業者に言ってきた。
「人と人のコミュニケーションを媒介する仕事は、
表現の自由の根幹にかかわっている。
あなたたちがいま、表現と通信の自由の理想を語らかったら、
たんに金儲けにしか興味のない連中と思われても仕方がない。
政府と行政に足下を見透かされるぞ」と。
案の定プロバイダー法などが作られようとし、彼らはユーザーの信頼を失おうと
している。
この業界でも、個別法への関心が急速に高まっている。
しばしば問題が指摘されるサラ金業界では、
「個別法でなければ与信情報は守れない」
という意見がもともと強かった。
たとえば警察から、ある人物の借入返済情報を見せろ、と要請されても、
この業界は裁判所の決定を条件としてきた。
しかし、いまの政府案が通ってしまえば、警察官は勝手に立ち入ることができる。
「包括法は役立たないだけでなく、危険な法律だ」
と、彼らは言っている。
私たちは、
各業界の個人情報取り扱いの実情に合わせた個別法を作るべきだ、
と、再度言う。
何度でも主張する。
政府案を押し通そうとする官僚たちが、要所要所に見せ歩いている資料がある。
「民間事業者による個人情報漏洩の事例」
なる資料である。
これだけいろんな分野で情報漏洩が起きているのだから、個別法ではダメだ、
包括法で全事業者、全国民に法網をかける必要がある、と説得するための資料だ。
国会議員諸氏、
よく見てほしい。
そこに一例でも、個々人が、非営利の個人や事業者が、
他者の個人情報を不正・不当に扱った事例があるかどうか。
ひとつの事例もないのに、あらゆる個人に法網をかぶせる意図がどこにあるのか、
国会議員諸氏よ、
よく考えてほしい。
私たちはいま、一人ひとりがばらばらに生きはじめた。
電子テクノロジーは、
その一人ひとりを電子データに分解し、流通させることを可能にした。
かつて人類が自我や個性という言葉で語ってきたことが、いまやデータになった。
そして、私たち一人ひとりが、
自己の個人情報の保護を求める者でもあれば、
他者の個人情報を利用して生きる者でもある。
この複雑な両義性に耐えられる保護法制とは何なのか、
どうか真剣に考えてほしい。
私たちは、あらゆる個人を法網でからめとる政府案に反対し、
廃案を求める。
2003年4月8日
個人情報保護法案拒否!共同アピールの会