「・・・しかしながら、右の意味での司法消極主義は、本質的に代表民主制の手続の中で判断されることがふさわしい場合でなければならないのはもちろん、「謙譲の精神」による憲法判断回避が安易に行われるときには、結局司法による政治部門の行為にたいする合憲のお墨付きを与えたに等しい結果を招くことになることに注意しなければならない。すなわち、問題となっている憲法上の原則について違憲の疑いがある場合でも、司法が民意を反映しない機関であるが故に憲法判断をしないという態度をとるときには、その消極的態度が違憲の疑いある行為を追認することになるのである。しかも、その憲法上の原則が平和主義のような基本原理に関するものであるときには、違憲の疑いある行為の追認にとどまらず、憲法改正手続を持ってさえ変更の許されない原理を、それこそ民意を反映しない裁判所の消極的判断によって変更してしまうことにさえなりかねないのである。」