巻頭言 総長選挙と「新中期計画」、その柱としてのキャンパス問題について

「立命館の民主主義を考える会」副代表 佐々木 嬉代三

考える会ニュースNo28,2010.8.6

はじめに

前回のニュース第27 号でお知らせしましたように、「臥薪嘗胆」と「捲土重来」の3 年間を経て新しい総長選挙規程が設けられ、現在その下で選挙管理委員、推薦委員、選挙人の選出が順次進み、この後10 月6 日の推薦委員会からの総長候補者の推薦とその後の一般推薦を俟って、10 月31 日に選挙人による投票が行われることになっています。民主的な枠組みを得て漸く、学園再生への制度的歩みが着実に始まりつつあるように思われます。

新中期計画「中間まとめ」の提起

けれども、先のニュースの「編集後記」で示唆しましたように、総長選挙の動向を睨みながら、立命の将来構想を予め決定しておこうとする動きも強まってまいりました。退職者の皆様には十分お伝え出来ていませんが、昨年末に新中期計画策定に向けて5つの委員会と特別委員会が立ち上がり、今年6 月2 日の常任理事会の討議を経て「中間まとめ」が教授会をはじめとする各教学機関に降ろされました。新中期計画はR2020 と称されるように、今後10 年に及ぶ「長期」計画と目されているのですが、7 月7 日に各機関の討議を集約し、9 月末に「答申」を提起する方向で進められています。計画の重さに比して拙速にすぎる進め方になっており、各教学機関の意見は聞き置くだけで、予め立てておいた結論を押し付けるのではないかという警戒感を、多くの教授会は抱いたようです。もっとも、「中間まとめ」の冒頭部分に記された総長の見解によれば、新中期計画の核心は「質の向上」であり、そのためにはまず「教育・研究の質向上」を図り、「教職員の力量発揮をささえる条件の設定」を行い、さらに学びの空間の拡充や研究スペースの改善等を含む「キャンパス創造」を行うというのですから、まあ、いいことずくめの案のようにも見えます。ですから、中間まとめに対する批判も、それが学園の現状分析を欠いた一般的・抽象的な問題提起にとどまり、財政的裏付けを欠いた「単なる願望」「空虚なアイディア」(経済学部教授会の意見)の提示にすぎないのではないか、という点に置かれていたように思われます。

けれども、実のところ総長は、「キャンパス創造」に関わって、「新たなキャンパスの展開も視野にいれた検討が課題」になると提起しておりました。この「新たなキャンパスの展開」に類する表現は、第1 委員会から第5 委員会に及ぶ「中間まとめ」の中では一切出てきません。中期計画のフレームを議論した第1 委員会は、「新しい教学領域創造の可能性」について言及していますが、その場合にも「規模問題と教育研究条件の推進を所与の一体とせず、『質的充実・向上』を目的として条件整備を行うことにより学園創造を進めることを意図している」と断っています。その意味では、「新たなキャンパスの展開」という提起は、「中間まとめ」の枠を飛び越えた総長の独断的な発言だという謗りを免れません。だが、たとえ謗りを受けようとも、ここにさりげなく挿し込まれた一つのフレーズが、次の唐突なる新キャンパス問題を導くための、巧みな布石であったのです。

唐突なる「新キャンパス問題」の浮上

7 月21 日、「立命館大学キャンパスに関する将来構想」と題する新中期計画特別委員会報告が常任理事会で行われ、続いて7 月23 日、臨時常任理事会を開いて継続討議され、結局この報告が学部教授会や部次長会議等の討議に付されることとなりました。教員にとっては長い夏季休暇を挟んでのこと、討議集約は9 月末とされ、10 月には新キャンパスの判断を下すとされているのですから、ここでは拙速というより、殆どトップダウンに近い運営方式の復権が志向されています。しかも、いち早く経営学部と政策科学部が移転へ名乗りを挙げたというのですから、少なくともこの両学部には他学部に先がけて予めの根回しが行われていたとみるのが常識でしょう。場所は大阪北摂地域、JR の駅至近、JR の大阪駅、京都駅、二条駅より12~40 分、面積12 万㎡(衣笠キャンパスとほぼ同じ広さ)と記載されていますから、衣笠、BKC に並ぶ第3 のキャンパスを茨木市付近で開設することが目指されているということなのでしょう。

一体全体、なぜ今唐突にキャンパス問題が提起されるのか、それが最初に浮かぶ疑問です。たとえ新キャンパスを志向することがあるにしても、しかし今、新しい総長が生み出されようとしている矢先に、なぜ立命の将来を枠付けする決定を急ぐのか、全く理解に苦しみます。新しい総長を選出し新たな運営体制を確立した上で、じっくり腰を据えて学園の将来像を検討するというのなら至極当然のことなのですが、新しい総長実現の前に学園の将来像の決定しておくことが、現執行部によって慌しくも企てられている。なぜか。考えられるのは2つのこと、1 つは新キャンパス展開を最大の争点にして総長選挙を勝ち抜こうとする戦略があること、2 つには誰が総長になるにせよ、新キャンパス展開を既成事実化し、それを推進する勢力を学園の中枢に残すこと、であります。川口総長を始めとする現執行部は、新キャンパス展開という大きな網を教職員に投げかけ、その網の中での計画実現が学園の取るべき唯一の道だと描きだすことによって反論や異論を封じ、自らの権力掌握を確かなものにしようとしているのです。ずる賢いやり方だといわざるを得ませんが、それは同時に、立命館の将来を担保にした危ない賭けに乗り出すほどに、彼らの危機意識が強いことの現われだとも思われます。

特別報告の内容

さて、特別委員会報告は、まるで川口総長の意をうけたかのように、「今後、本学が整備していかなければならない点は、『人的体制の強化』と『キャンパス創造』の2点であること」が、「概ね共通理解になっている」と述べて、本報告を始めています。「中間まとめ」に対する意見集約段階で「共通理解」なるものが形成されたとするのは、予定の結論を押し付けるために取られる騙しのテクニックですから、これに引っかかってはなりません。また、「キャンパス創造」は、その意味の取りようによっては様々な可能性を含みますが、「今回、キャンパス創造として新キャンパス展開を提示」すると述べて意味の限定をはかり、新キャンパス展開を「新キャンパスによって生み出されるスペースを活用して教育研究を向上させていくという、質的向上を目指す基盤」だと位置付けて、「中間まとめ」との整合性を図っています。いわば「中間まとめ」と抱き合わせの形で、新キャンパス展開は「質的向上を目指す基盤」なのだから、これ抜きに教学の質的向上は図れず、学生のキャンパスライフの豊かさも保障し得ず、従って立命の未来の可能性を語る者は新キャンパス展開に反対しえないはずだ、という論理構成になっているのです。巧みな言い廻しですが、しかしこれにも騙されてはなりません。新キャンパス展開は様々な条件が満たされた場合に取り得る一つの選択肢に過ぎず、万能薬でもなければ特効薬でもありません。確かに衣笠は日常普段に混雑し、BKC も相次ぐ新学部増設によって手狭になりつつありますが、たとえそうであっても、教職員と学生の距離を近づける努力を怠らず、学生に語りかけ学生の声に耳傾ければ、教学的な営みを今まで以上に深いものにすることは十分可能なはずなのです。教育は人と人との営みであり、必要なスペースとは心が通じ合うスペースです。これを忘れて空間的なスペースの拡大ばかりを問題にするのは、教育的というよりもむしろ、外観にとらわれた皮相な見解だと思われます。もてはやされる先端的な研究が、地味ではあるが必要不可欠な基礎的研究の軽視を招くように、鳴り物入りの新キャンパス展開は、既存キャンパスの日常的な教学努力を軽んずるおそれがあります。質的向上を叫ぶのならば、まずもって現状の何をいかに改めるべきかを具体的に指摘する必要がありましょう。膨大な財政負担を伴うキャンパス新展開は、様々な検討を積み重ねた上で検討の柱に据えるべきかどうか、苦しい判断を下すべき種類のテーマなのです。

十全なる討議保障の必要性

もっとも、空間的なスペース拡大が、内発的に必要になることもあり得ます。立命の経験でいえば、BKC への理工学部移転が典型的にそうでした。このような場合には全学合意もとり易く,移転は全学の祝福のもとで行われます。だが、内発的な逼迫感がなお不足する場合には、オープンで原則的な全学討議を繰り返し行い、移転に関する合意が広がるように努めなければなりません。そのためにも討議する時期をきちんと選び、討議する時間を十分に保障する必要があるのです。移転賛成派と反対派が別れ、相互に足を引っ張り合うなどは愚の骨頂です。相互に納得できるまで時間をかけ、移転に伴う利点にばかり目を奪われるのではなく、新たに発生するであろう教育・研究上の問題や正課・課外活動上の問題、事務体制上の問題等々を見通して、それへの対応策を予め検討しておかなければなりません。とりわけ今回の提起のように、規模拡大を伴わず、移転によって生ずるスペースの有効活用が教学の質向上の原資と考えられている場合には、土地購入や校舎建設や設備購入などによる多額の初期投資がそのまま学園財政上の負担の増大として圧し掛かりますし、拠点キャンパスの増加による経常経費の増大も見越さなければなりませんから、慎重で厳密な財政上の検討が不可欠です。こうした検討結果を全学にオープンにし、全学の合意を得てはじめて、キャンパスは別れても学園の一体感は保たれる、という状況が出来上がるのです。こうした議論展開を導くよう、理事会は心すべきであったし、これからも心すべきです。拙速やトップダウン的方針決定は、許されるものではありません。せめては、新総長を頂いた新体制のもとで再度真剣な検討を重ねることが、「制度としての民主主義」を成熟させるためにも、必要不可欠だと思われます。

以上私見を交えながら、現在学園で生じつつある深刻な亀裂、その導火線が理事会側の唐突なる新キャンパス展開の提起であることを述べてきました。退職教職員の皆さん、どうぞ心して、この議論の行く末を注視してください。そして、立命館の民主主義の再生がごまかしに満ちた泥だらけの道に迷い込まないように、皆さんの知恵を寄せてください。皆さんの過去の立命館体験が、現在の混迷を打ち破る糸口になるやもしれません。