学校法人立命館は10月12日に理事会を開催し、多数決で大阪府茨木市にあるサッポロビール茨木工場跡地(12ha)の購入を決定した。
今回の一連の過程は、立命館の歴史始まって以来の異例づくめのことであった。
戦略的方向の合意のないままに、どこでも検討していない第3キャンパス論に基づき12haの土地を190億円費やして購入する、12学部中5学部が教授会として反対決議を挙げている一方で、いずれの学部も移転決議を挙げていない、学内(常任理事会)での合意もないままに総長の判断で理事会に提案し、理事会において多数決で議決した。
私を含めて、拙速に決めるべきでないと反対した人々の誰一人として、一般論として第3キャンパス絶対反対で論をすすめた人は誰もいなかった。
すなわち衣笠キャンパスを起点に京都市内にマルチキャンパスを設けBKCと二拠点でいくのがいいのか、京都、滋賀、大阪の三拠点行くのがいいのか、をきちんと議論して決めるべきである。もしも大阪新展開する場合でも、都市型キャンパスとは言い難い茨木がいいのか、もっと大阪市内の真ん中にもっていったほうがいいのか、その場合でも大学院、社会人中心の配置でいくのか、特定の学部移転でいくのか、など多角的に検討議論し、3拠点に伴うマイナス要因を上回る積極的な展望と困難克服の方策で教職員が確信と誇りをもつて臨めるようにしなければならない。
しかし推進者たちによって既定事実のように上記した異常な進め方がされるに及んで、疑問と危惧を抱き拙速な購入に反対したのである。
なおすでに記してきたことであるが、10月31日に行われた総長選挙において、現職の川口総長が学園全体でもわずか53%の得票率、立命館大学内においては明らかに過半数を割っていたと推測される状態で再選された。これは立命館において1949年に公選制総長が開始されて以来はじめての異常事態となった。ここには、この間の大学運営、ならびに茨木キャンパス問題を巡る強引で不可解なやり方に対する厳しい批判が表れている。
したがって私が指摘したように、どなたが総長になられようとも、茨木問題はいったん取りやめると同時に、ここまで広がった学内の不団結と亀裂の修復に最大の努力を費やさざるを得ないと提起した。にも拘わらず上記したように強引に多数決決定でサッポロビール茨木工場跡地の購入を進めたことは、もはや政策の是非を通り越して立命館民主主義の否定行為である。
今日まで、私は、何度かの問題提起で、このも問題にたする私の意見を展開してきた。また5学部長声明でも総括的意見が開陳されている。そこで私は同じ問題でも、できる限り重複をさけて今回の決定が(1)長い歴史で作り上げてきた立命館の管理運営原則、すなわち立命館民主主義の蹂躙と(2)川口総長の記者会見内容の問題点、(3)私が危惧する疑惑について明らかにしておきたい。
大学は教育・研究を目的とした組織であり、経営と財政はあくまでのその目的を達成するための手段である。法的には法人としての議決機関は理事会であり、重要事項は教授会の審議に付さなければならないとされている。問題は教学に責任を負う教授会と経営に責任を負う理事会の関係をどのように扱うかは各大学が苦労しているところである。
立命館においては戦前の京都大学事件などの苦い体験から、大学の自治を教授会自治に限定せず、学生や職員にも依拠した「全学構成員自治」という考え方に基づいて1949年に全学協議会、総長公選制などを設けた。
また1955年、キャンパスの狭隘を解消するためとして、当時の理事会が右京区の農地68000坪購入計画を提案した。それに対して学内から「反対」「慎重に」などの様々な意見が出され大論争なった(「緑の学園」論争)。結局最終的にこの構想は断念されるとともに理事会と大学協議会(教学の最高機関)の合議の上で「調査委員会が設けられ今後の立命館の方向を探ることになった。
調査委員会は大学協議会で選任された委員と理事会から選任された委員で構成され、学内委員が多数を占めた委員会は「理事会の従来の所決定に拘束されることなく、全く白紙の立場で教学と経営の両面から、内外諸般の実状を十分に調査研究し、学園の将来のために、最も堅実かつ妥当な構想を作り上げる」ことを申し合わせし、5カ月間に20数回の会合を重ねるとともに「学部代表者会議」を開くなどして1956年3月に報告書をまとめ上げた。
そして1957年の全学協議会を経て理事会の諮問機関であると同時に大学協議会の調査機関として正式に「学園振興に関する臨時調査委員会」が誕生した。こうして学園始まって以来の長期の「特別調査機関」が発足した。これが第一次長期計画の原型となり広小路キャンパス周辺の土地を順次買収しながら学園の整備が図られたのである。この作業を通じて、学内優先、教学優先の原則が合意されたのである。そして長期計画(グランドデザイン)樹立合意の上で、新展開(衣笠一拠点化、BKC新展開、APUの創設)を行うというやり方が定着してきたのである。
一方、1949年の末川総長辞任の後に作られた総長公選制によって選ばれた末川総長とともに、1952年、教授会選挙によって選ばれた学部長を理事とするいわゆる学部長制度を発足させた。学内優先・教学優先を執行体制として確立するために「(学内)理事会」「理事会(学内)」「学内理事会」などと発展し、学内の理事の会議が実質的な日常的最高決定機関として役割を果たし、1988年に正式に制度として「常任理事会」を発足させ、実際の教育・研究の現場に足をおく学内理事を中心とした常任理事会が1990年代以降の学園改革を積極的にリードすることになったのである。そして「緑の学園構想」以来、立命館においては学内合意の上で理事会において議決するというやり方が定着し、以来一度も理事会において多数決でことを決するというやり方は行なわれてこなかった。
法律上は理事会が法人としての議決機関であり、寄付行為上においても「多数決」を考えとして採用している。しかし学部長理事制度をとっていない大学や、常任理事会制度をとっていない他大学と異なり、半世紀以上にわたって教学優先、学内優先、全学合意という考え方に基づいて多数決決定を行ってこなかった立命館において5学部が教授会で反対決議を挙げて、常任理事会で合意に至らなかったにもかかわらず、総長の責任で理事会に諮り、多数決で議決したことは、立命館が歴史的に積み上げてきた管理運営原則・立命館民主主義を乱暴に踏みにじったものである。
文部科学省から生命科学部の特別転籍問題において「管理運営上に問題がある」と厳重な指導を受け、私学助成を15%(25億円)カットされた立命館大学において、このような乱暴なやり方で管理運営の原則が破壊し、学内に不団結と亀裂を生みだしたことは絶対に許されるものではなく長田理事長、川口総長、森島常務の責任は免れない。
11月16日、茨木市役所において野村宣一茨木市長と川口清史立命館総長の共同記者会見が行われた。
1.学園3分割論に基づいて16haもの土地を190億円かけて購入するというのに、長田理事長は組合への説明会に一度も出席せず、12日の理事会においても提案説明を行わず、そして16日の記者会見にも出席しなかった。まさに本人も周りも無能力者であることを衆人の前で公的に認めているようなものである。長田理事長は森島の言いなりに動き、彼とともに学園に混乱だけをもたらし、責任はとらないという姿をさらけ出している。
この日の記者会見の中で、川口総長は「10000人規模」という発言を行っている。
移転対象学部を巡っての混乱は必至この「10000人規模」については、すでに森島常務が、茨木市に対して、どこにも諮らず、決まりもしていない「3学部10000名規模という申し入れを行った」と発言していることと符合するが、立命館大学の内部では現時点では、いずれの学部が移転するかも決まっていないが、一体どのようにして「10000規模」を推進するつもりなのか。 例え、推進者たちが勝手に言っている政策科学部(1400)と経営学部(4000)の移転を押し通しても5400名にしかならず、茨木市に申し入れている「3学部10000にはほど遠い。
衣笠においては法学部、国際関係学部、産業社会学部が反対決議を挙げている。文学部は「人文系学部として京都の地に残る」ことを確認している。
たとえ川口総長の出身学部である政策科学部が移転をしても衣笠の狭隘は解消されない。推進者たちは計画されている「人間系学部の茨木での開設を口にしたが、文学部の心理、教育、産業社会学部の福祉を基礎とした人間系学部の内、福祉系については創設以来、京都市内の各種福祉施設と実習生受け入れなどで協力関係を築いてきており茨木市への移転などはできない。したがって無理に人間系新学部を茨木で開設するという方針を出せば2年間にわたって論議してきた人間系学部構想自体がご破算になる。
そのような中で文学部の心理学科だけを切り離して心理学部として茨木で開設するなどの思いつき発言がなされ、各教授会に配布されている「論議経過の文書の中にも、そのような発言が記載されている。しかし11月9日の文学部教授会においては「未定稿」を理由して配布されていない。
いずれにしても土地ありきの決定のために不必要な混乱を起こしている。人間系学部構想委員会に強引に茨木での開設を押し付けるか、狭隘克服のために京都市内の適当な場所を追加購入せざるを得ないか、衣笠狭隘克服は放置したままにされるということになりかねない。
BKCでは理系学部は新設したばかりの情報理工部、薬学部、生命科学部、スポーツ健康学部や大規模な実験設備を要する理工学部などを移転対象とすることはできない。茨木キャンパスを3学部10000名規模にしようとすると経営学部だけではなく、無理矢理に経済学部もということになりかねない。私が繰り返して言っているように経営学部や経済学部にとって地理的位置だけで言えば「茨木のほうが良い」という人がいても何ら不思議ではない。問題はそのようなことのために何百億円ものお金をつぎ込むことが現在の立命館の重点的優先的課題なのかということである。冷静に考えればそんなことにならない。にもかかわらず反対している経済学部を説得して移転させるのであろうか。先に土地を購入することは本末転倒だと指摘した通りのことになる危険が出てきている。
滋賀県知事ならびに草津市長からの申し入れ「移転により減員となる分に相当する学生数の確保の申し入れに対して、川口総長は「生命学部やスポーツ健康学部など新設した学部の学年進行や理工系大学院の拡充、留学生の増員などで学生数は増加する」と新聞記者会見で発言している。
そもそも新キャンパス確保の出発は衣笠狭隘克服であったが、「BKCは広大であるが、新たなに建設する余地がなくなっている、南草津駅からの輸送が限界であり」「適正規模は12000名」などと無責任なことを突然言い出し、経営学部を茨木に移転させるキャンパス3分割論を言っいるのは推進者たちである。にもかかわらず滋賀県や草津市に対しては、「減らない、増加する」「医療系新学部」などと発言している。
私は個人的には「医療系新学部構想」もありうると思っている。しかし立命館ではどこでもそのような議論はしていない、ましてやキャンパスが限界であり「12000名が適正だ」との主張していることと、新学部を創設することは相矛盾する。それを8月末の京都新聞の記事以来、立命館側からの発言として出されていることは全く無責任極まりない。
また立命館の担当者は草津市などに対して「滋賀県ならびに草津市からの支援は、理工学部の設置にあたって校地の無償譲渡をしていただいたが、経済・経営学部の移転に当たってはそのようなことはなかったので経営学部の移転に関しては補助問題は関係がない」との趣旨のことを述べている。補助があろうがなかろうが、経営学部4000名規模の学生の移転については十分な説明と対策の協議が必要である。
理工学部の移転にあたって1994年当時に滋賀県と草津市と立命館の間で3者の覚書がかわされ34haの土地が造成付きで無償譲渡された。その後経済・経営の移転に当たって、1998年に追加的に26000坪(8,58ha)が県から譲渡され、別に西武開発から10Ha余りが購入されて54haとなった。さらに近年 ラクビーとアメリカンフットボールの専用グランドが購入されて61haとなっている。
なおJR南草津駅の新設や道路、上下水道、などのインフラ整備を含めて「県は96億円、市は118億円を超す負担をした」この県と市にたいして理事長も市長も直接出向き、説明し了解を求め、学生減員に対する対策を立てる必要があるが、2人が直接出向いた形跡もなければ、対策を協議した気配もない。これほど社会的関係を無視した態度はない。
それどころか長田理事長は11月10日の常任理事会において、経営学部 とあわて「経済学部の移転」までも発言している。推進者たちは、茨木キャンパスを「3学部10000名構想として実現しようとすれば、政策科学部と経営学部に続いて人間系新学部の茨木開設か経済学部の移転しかないと考えているのである。
当初、言われた2014年開設は入試広報上無理であり、最短でも2015年開設であるが、その場合でも、年度内に決定しなければならない。「具体的な学部は来年3月までに学内での討議の上で決めるとした」(11月17日付「京都新聞」京都版)と再び期限を付けた議論を政策科学部や、経営学部、さらに人間系新学部構想委員会、そして経済学部に押し付けるのであろうか。これは川口総長が総長選挙等で言ってきた「押し付けはしない」との自らの主張を否定する発言である。
新聞報道によると茨木市長は「支援策として(立命館がサッポロビールから購入した)12haのうち3haを買い取り、防災公園を整備し、市民も利用できる施設を立命館とともに建設する予定」と発言している。
この3haならびに防災公園は、立命館の茨木進出とは関係なく、すでに昨年の9月議会において都市計画道路の実行として、JR線の西側のマイカルの北側とJR線東側のサッポロビール北側をJR線の下をくぐって結び、その道路のサッポロビール側の周辺部に防災公園を作ることが計画されている。そのために6年間で48億円の負担をする債務負担行為が9月議会に急遽提案され可決されている。その図面が、手回しよく立命館側の説明文書のp12ページの茨木キャンパス構想に取り込まれている。したがって立命館が進出しようがしまいが、茨木市として実行することが昨年の9月段階で予算を含めて決まっていたことを、あたかも立命館に対する支援の如く発言している。
BKC開設にあたって当時の立命館は滋賀県と草津市から校地の無償譲渡を受けた。また関西大学は高槻移転にあたって高槻市から大学部分に相当する分については無償貸し付けを受けた。近年の立命館はBKCもAPUも守山高校もすべて県ならびに市から無償譲渡を受ける公私間協力で実現している。
それに対して茨木キャンパスは、立命館が190億円かけてサッポロビールから購入するという後退的手法を行い、それをごまかすために「茨木市から131億円に及ぶご支援を検討していただいている」(森島常務)と発言したものの、「どこでそのような情報を聞かれたが知らないが、そのような約束をした覚えはない」(9月議会における市長答弁)とすぐに化けの皮がはがれた。
そこでもともと予算を含めて決定していた防災公園を、茨木市側と立命館側の合作で、あたかも立命館に対する支援の如く発言している。しかしこれが個別立命館に対する支援でないことは明確である。しかも新聞報道の追加記事に「市民も利用できる施設を立命館とともに建設する予定」とし、茨木市が立命館から購入した土地の上に、立命館と茨木市、そして国の補助金組み合わせた施設を建設するのであろう。
おちは茨木市が道路と防災公園のために買い戻す3haの土地の単価が、駅側に近いので、立命館がサッポロビールから12ha購入した190億円の平均価格よりも高くなるので、それを立命館では「茨木市からの支援」と言い、茨木市では「鑑定評価とおり購入しました」というのであろう。しかしこうしたやり方は茨城市民から厳しい批判に遭遇するだろう。
「学問の都、京都」を町づくりの中心の一つとして位置付けている京都市は、コンソーシアム京都の発足援助など様々な方策を進めてきた。そして同志社の文系学部の田辺から京都市内への全面移転にあたって、京都市は京都市衛生研究所跡地の売却を公募形式とした上で、同志社からの提案が「優れていることを根拠に、議会の同意を得て随意契約とした。
そして今回、「山の内浄水場」についても公募としたうえで「最高価格ではなく最低価格をクリアーしていれば提案内容を総合的に見て判断する」ので「立命館も応募してほしいと申し入れられている。にも関わらず、応募もしないという態度をとることになった。これは今後、立命館と京都市の関係を冷たいものにする危険がある。
現在4大学が応募を検討しているとの情報がある。衣笠キャンパス狭隘克服の有力候補の一つである「山の内」に、手も上げず、朱雀と衣笠の中間点にある地をみすみす他大学に明け渡す愚を犯すことになった。
これらのことから生ずる問題についても長田理事長、川口総長、森島常務の責任が厳しく問われることになる。
なぜ、ここまで無理をして強引にことを進めるのであろうか。常識的には理解できない。
以前に記したが、この話は昨年の秋に森島常務と志方部長から長田理事長に対して「『山の内』は無理なので、茨木のサッポロビールにしては」と進言があったことを出発としている。同席していた私は「慎重にしたほうが良い。もしも大阪新展開をするのなら茨木は中途半端だ、公募されている北ヤード(その後、サッカーのワールドカップ開催が可能な競技場建設の方向で動いている)とか、移転計画が出されている大阪府庁跡とか大阪にはいくらでも対象がある。」と述べた。
しかしその後、長田理事長、森島常務、志方部長が4月14日にサッポロビールの東京本社を訪ね売却を申し入れている。そして森島常務、志方部長の進言で6月1日から竹中工務店、鹿島建設、熊谷組、戸田建設のゼネコン四社から出向受け入れを常任理事会はおろか常務会にも諮らず長田理事長の決済で密かに進められた。
私は、これは4社に学内の建設情報が漏れ、4社による談合が行われる危険があるので、「辞めるべきであると指摘した。すでにスポーツ健康科学部の基本棟ならびに衣笠の新体育館の建設が竹中工務店に落札されている。そして長岡への立命館中高校の移転工事は鹿島建設が請け負い、衣笠キャンパスなどの耐震工事は熊谷組が行うことになっており私の指摘したことが進行している。
サッポロビール茨木工場跡地購入は夏休み直前の7月23日の常任理事会に提起され、9月集約、10月決定・契約と提案された。そのように拙速に行う理由として「相手があることならびに新聞報道で「競争相手が出てきたのでなどと言っていた。私は「3月末まで大規模土壌汚染のあったところに競争相手などあるはずがない「『ある』と言うなら明らかにすべきであると言ったが、結局10月になっても競争相手は出てこなかった。
そこで私は「あらかじめ約束があるのではないか、イエスかノーで答える必要がある」と指摘した。その後、9月30日の部次長会議で森島常務、続いて10月3日の常任理事会で長田理事長の口から「相手から7月と言われたので、学内手続きもあるので10月末としてほしいと申し入れた」と、約束があったことを認める発言をした。
そして10月7日に「学内がいまだにまとまらないので、今しばらく待ってほしい」とサッポロビール側に申し入れたところ「10月末の役員会に諮らせてもらう」との返事があった。このことによって「10月末という約束が両者の間にあり、かつ相手側にとって役員会に諮らなければならないほどの重い約束であったことが証明された。
そして11月3日の常任理事会において相手側から11月1日に「11月12日(当日を含む)までに返事をください」との回答をもらったとの報告がなされ。そして強引に10日常任理事会、12日理事会と既定方針を確認するがごとく進められた。その過程で長田理事長の口から、「文書約束などない、そのようなものがあれば背任行為だ」などの発言が行われた。この発言には伏線があった。
サッポロビールから立命館への土地売却、そこへ立命館の第三キャンパスの設置構想が明らかになった時、現在の不況下において関西の建設業界の大きな話題となった。私が建設業界関係者から取材したところ複数から次のような証言を得た。
「サッポロビールと竹中工務店は深い関係があり、今回のサッポロビールの工場跡地の立命館の新キャンパス建設も竹中工務店が独占する可能性があったので、日本の大手ゼネコン5社の内、清水建設を除く大林組、大成建設、鹿島建設が竹中工務店に『競争入札にすべきである』と申し入れた際、竹中工務店から『サッポロビール、竹中工務店、立命館の間の3者覚書』があることが示され、他の3社は「そこまで話が進んでいるのなら」と手を引かざるを得なかった。これは関西の建設業界では広く知られていることです。
ということであった。この話は極めて信憑性の高いものと思われる。
また長田理事長は、学内で反対意見が高まる中で、周辺の人物複数に「この話を止める場合は、わしの首を差し出すぐらいではだめなのだ」と言っており、「10月末までに購入決定を行う」との口約束以上の約束、つまり何らかの内容のある文書約束を交わしていることを示唆した発言をおこなっている。
しかし一人のジャーナリストである私が、サッポロビールを訪れたところで、回答するはずがない。そこで私は法的根拠と権限を持つ学校法人立命館の監事である久岡常勤監事他数名に「直ちに調査し、事実であれば適切に対応してほしい」と文書で調査依頼申し入れを行った(10月8日)。
その際「立命館側においては、証拠隠滅のためにすでに破棄しているかもしれない。しかし相手側では立命館が購入しない場合には、証拠書類として出すことが考えられるので保管している可能性が高いので、弁護士などを立てて速やかにサッポロビールに『文書の存在の有無の確認』、存在していた場合には、その内容を明らかにしてもらう必要ある」ことを提起した。また同時に「売買契約が成立すれば相手側にとっても、その文書の存在は必要がなくなり、破棄される可能性があるので、契約が成立する前に行く必要ある旨を記した。
しかし残念ながら久岡常勤監事は調査した気配がない。それどころか重大な問題は11月10日の常任理事会において、茨木の土地購入の賛成演説を行ったことである。これはしてはならないことである。監事は理事会から相対的に独立し、理事会が「法と規則に基づいて運営されているか」「財産が適切に管理・運営されているかを監督する義務があり、違反や逸脱があれば監督官庁である文部科学省にならびに理事会に報告する義務がある。
その監事が理事の間で意見が分かれ激論しているときに、「賛成」演説など絶対にしてはならないのである。そんなことをすれば、今後、茨木キャンパスの執行をめぐって適切な監事行為を行うことができなくなる。
茨木キャンパスでの建設工事は、竹中工務店をメインとし、先の大林組、大成建設、鹿島建設も参加した共同体などによって請け負われる可能性が高い。
なお付記しておくと11月12日、学校法人立命館の理事会においてサッポロビールから12haの土地購入を決定したのに続いて、同日、待っていたサッポロビールの取締役会が開催され、立命館への売却が決定されたが、その直後に兼ねてから準備していたかのように株主にたいする特別資産の売却の広報がなされている。すなわち「簿価23億円の土地を、立命館に190億円で売却し、特別利益166億円を得、連結決算に計上した」との旨が報じられている。サッポロホールディング(サッポロビールの親会社)は現在外資のスティールパートナーズが筆頭株主であり不要資産の売却を至上命題としている。サッポロの決算は3月末ではなく12月末である。したがつて12月にグループの連結決算の年度決算報告書を発表するためには、少なくともその1カ月以上前ぐらいに関連会社からの決算書を受け取る必要がある。サッポロビールの茨木工場跡地を売却し、特別利益166億円の計上を内部決算書類提出期日までに行いグループ全体で「赤字にしない」との至上命題があったのであろう。当初の「10月末期限」そして延長申し入れ後の「11月12日(中)までに」に特別の意味があったと推測される。
これら私が指摘している問題に、長田理事長、川口総長、森島常務理事そして残念ながら久岡常勤監事は全学構成員ならびに文部科学省、私学振興財団などに社会的に納得される説明を行う義務がある。
以上。