回答4 (by 法学部教員)


教授会の重要事項審議権の軽視問題
教授会における教育研究の予算議論
付属校・提携校・接続校設置と教授会
学費についての学園通信の記述の違法性
(1) まず、以下の『学園通信』の記述は、消費者契約法三条 「消費者契約の内容が消費者にとって明確かつ平易なものになるよう配慮」することに、明らかに反している。
(2) また、四条は「当該告げられた内容が事実であるとの誤認」である場合は、契約を取り消すことができるとしている。
(3) しかも、このような「誤認」を誘発する説明は、不当景品類及び不当表示防止法にも抵触する恐れがあると考える。
(4) 今後の対策について
A『学園通信:2008年度以降の財政・学費政策』
B 消費者契約法三条  
C、不当景品類及び不当表示防止法
本学園理事長の初芝学園理事長兼務

教授会の重要事項審議権の軽視問題

教授会における教育研究の予算議論

近年の立命館の運営においては、学校教育法第93条の「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない」という規定が守られていない。そのことによって、教育研究が深刻に脅かされている。

上記のように、教授会はただ存在していれば良いのではない。「重要な事項を審議」するために存在しなければならない。

では、「重要な事項」とは何か。教育研究の政策もそうであろうが、それらは財政的裏づけなしに実行することは出来ない。したがって、「重要な事項」は、教育研究に関わる政策だけであって、そこには財政は入らないという理解は出来ない。

少なくとも、ここ10年程度は、法学部教授会において、教育に関する予算、研究に関する予算を議論できる機会はなかった。もちろん、単なる形式的議論だけでも良くない。「重要な事項」というのであれば、教育研究の予算を左右できる議論自身が保証されるべきであろう。それがなければ、教授会は「重要な事項」の相当の部分を実際には審議できないということになるだろう。

学校教育法93条の規程を持って、教授会に決定権限がある、などとはいわないが、現在のように、教育研究予算の「審議」さえ行い得ないという状況は、「重要な事項を審議」できていない状況で、学校教育法の規程は事実上、本学では蹂躙されているといえる。

ちなみに、現在の教員図書予算の現状を見るならば(法学部教員年間2万円)、このような教授会を通さない研究図書予算決定によって、個々の教員の研究が立ち行かなくなると同時に、必要な書籍の蓄積が多年数にわたって滞る事態になり、立命館の研究力そのものが大幅に低下する可能性がある。削ることに狡賢くなる風潮は誰によって育成されたのか知らないが、研究機関としては自殺的行為であることに目覚め、長期的展望にたって本学の研究基盤の重要性を再認識していただきたい。

なお、このような基礎的研究基盤を破壊することが、個々の教員の科研費の渇望を生むという話を、残念ながら聞いたことがある。また、その話は本学の予算方針によって裏付けられているようにも見える。当然のことであるが、このような狡賢さは本学の将来に全く役に立たない。

付属校・提携校・接続校設置と教授会

教授会が審議すべき「重要な事項」には、教学が入ることは言うまでもないことである。同時に、その教学は適正な定員によって成り立つものであり、その扱いには慎重を期さなければならないということは、今春の「特別転籍」問題の教訓であるはずである。

特別転籍問題は、学校教育法施行規則第百四十四条「学生の入学、退学、転学、留学、休学及び卒業は、教授会の議を経て、学長が定める」に反して、常任理事会が事実上手続きを行い、対象学生に周知し、その既成事実で持って教授会が事実上拒否できない状態に置きながら、教授会に承認を迫った。この点は、文部科学省からも厳しく指摘されたと聞いている。

そういう意味では、付属校・提携校・接続校が激増し、その結果、学生の入学や転学に関して、教授会が事実上、受け入れること以外の選択が下せず、やむなく承認せざるを得ないという状況に至るとすれば、それは学校教育法施行規則の上記規定に反するとともに、学校教育法において定められている「重要な事項」の「審議」が行われていない事態というより他ない。そこにおいては、特別転籍問題の教訓が全く省みられていないといえよう。

もちろん、付属校・提携校・接続校の増加一般が問題なのではない。しかし、それらが増加することは、事実上どこかの学部教授会がそこからの入学生を受け入れざるを得ないという点では、付属校・提携校・接続校の増加はそのまま学部教学問題なのであり、学部教授会はそれらの拡大の是非について、かなり早急な段階から議論に参加すべきであろう。そうしないと、事実上、今後も、学校教育法やその施行規則に反した管理運営がなされる危険性が十分にある。初芝立命館問題については、7月の教授会に最終段階で出てきたのみであり、そのころには新聞報道もなされ、後戻りすることは極めて困難な状況に至っていた。さらに、立命館による市立岐阜商業高校の問題にいたっては、当地で10万人以上の廃校反対署名が集まる事態であるが、教授会においては現在までのところ、一切議論がなされていない。

付属校・提携校・接続校の増加については、まず既成事実が作られ、反対できないような状況にさせておいて、教授会で承認が求められる、といういわば「特別転籍」方式が奨励されているかのような状態である。こうした類の狡賢さは文化という状態は早急に改められなければならない。

具体的には以下の点について改善する必要がある。

1 教授会に諮る前に、学生数など具体的な交渉に入って、教授会での教学議論を後回しにしてきた責任者の更迭。

2 今後の付属校・提携校・接続校、ならびに同種類の政策の進捗に関しては、相手との具体的交渉以前に教授会での議論を行い、その是非に関して意見を聞くこと。


学費についての学園通信の記述の違法性

以下、Aの記述は、B 消費者契約法、C 不当景品類及び不当表示防止法に抵触する恐れがある。

(1) まず、以下の『学園通信』の記述は、消費者契約法三条 「消費者契約の内容が消費者にとって明確かつ平易なものになるよう配慮」することに、明らかに反している。

社会的通念においては、「社系学部」とは法学部、経済学部、経営学部、文学部、産業社会学部、国際関係学部、政策科学部などを含んでいるが、本学においては、その大半が「社系学部」からは外されている。したがって、本学の「社系学部」とは社会通念における「社系学部」の一部のみをそう呼んでいる状態で、実際には本学の「社系学部」は法学部と経済学部・経営学部の一部に過ぎない。そして、それらの学部の「初年度学費が 9私大平均を上回らない」としているのであるが、その状態を本学は社系学部の初年度学費が 9私大平均を上回らないと表現している。

 「社系学部」には、産業社会学部や国際関係学部、政策科学部などを含むことが一般的であり、社会的水準であると考えられる。にもかかわらず、その水準よりも明らかに狭く「社系学部」を定義し、それによって、あたかも学費が安いなどの印象を与える記述は、「明確かつ平易な」説明とは到底いえない。

(2) また、四条は「当該告げられた内容が事実であるとの誤認」である場合は、契約を取り消すことができるとしている。

以下のような記述が即座に「事実ではない」とはいえないが、社会通念から逸脱した「社系学部」という不適切な説明によって、「誤認」をもたらす可能性が十分にある。実際、立命館定義による「社系学部」以外(文学部や国際関係学部など)の学生・父母は、9私大平均での学費比較の説明については一切受けていないため、本学の一部学部の学費(立命館定義「社系学部」)と9私大との比較を、自分たちの学部の学費が9私大を下回っているという「誤認」をしてもおかしくない状況になっている。しかも、この状態は少なくとも全学協議会やその他の場で、教職員組合から指摘を受けていることを知りながら、継続している。

(3) しかも、このような「誤認」を誘発する説明は、不当景品類及び不当表示防止法にも抵触する恐れがあると考える。

この場合、訴訟によって問題にされるまでもなく、刑事告発を受ける可能性もある。

(4) 今後の対策について

次の学費議論を待つのではなく、2007年度の学費説明を補足する形で、法学部・経済学部経済学科・経営学部経営学科以外で、社会一般からは社系学部と見られる学部に関しても、9私大平均との比較の計算を行い、学生・父母に説明すべきである。今後は、学費係数1を基準とした9私大平均比較は、本学社会科学系学部全体を反映したものにならないので、やめるべきである。


A『学園通信:2008年度以降の財政・学費政策』

「学費の重み」を勘案して、初年度学費が 9私大平均を上回らないとする現行の歯止め指標を継続します。2008 年度の初年度学費の対比は表13のとおりです。社系・理工学部とも歯止め指標に抵触しないので減額調整は実施しません。

なお、ここでは文学部、政策科学部、国際関係学部、経済学部・経営学部文理総合インステ ステ ィテュート、産業 産業 社会学部現代社会学科、経済学部国際経済学科、経営学部国際経営学科、理工学部数理科学科、情報理工学部、映像学部、生命科学部および薬学部の初年度学費は対比の対象としていません。

B 消費者契約法三条  

「消費者契約の内容が消費者にとって明確かつ平易なものになるよう配慮」

消費者契約法第四条  「消費者は、事業者が消費者契約の締結について勧誘をするに際し、当該消費者に対して次の各号に掲げる行為をしたことにより当該各号に定める誤認をし、それによって当該消費者契約の申込み又はその承諾の意思表示をしたときは、これを取り消すことができる。

 一 重要事項について事実と異なることを告げること。 当該告げられた内容が事実であるとの誤認」

第4条事業者は、自己の供給する商品又は役務の取引について、次の各号に掲げる表示をしてはならない。

C、不当景品類及び不当表示防止法

二商品又は役務の価格その他の取引条件について、実際のもの又は当該事業者と競争関係にある他の事業者に係るものよりも取引の相手方に著しく有利であると一般消費者に誤認されるため、不当に顧客を誘引し、公正な競争を阻害するおそれがあると認められる表示


本学園理事長の初芝学園理事長兼務

本学園理事長が初芝学園理事長を兼務したことになったそうであるが、そうなると、初芝の推薦枠の増設、教職員出向増による初芝人件費の立命館実質負担、初芝からの土地などの資産購入などに関わって、長田理事長らが、本学園で発言すること、役割を担うことは、利益相反の問題を引き起こす。初芝学園理事を務める人々は、それらの問題での学園管理運営から外されなければならない。

なお、実質的には合併だからとか言う人々が予想されるが、協定の文言ではそういうことは述べられていないし、7月の教授会の議論でも文書でも、むしろ「合併ではない」ことが強調されていた。あれは、初めから騙すつもりだったのか。狡賢さは美徳という、実質的には本学の一部幹部に存在する経営理念を削除しなければ、長期的に本学は信用を失う。

以下、理由。

1. 7月に締結されている協定にも、理事を送ることは記されているが、立命館理事長が初芝学園の理事長を兼ねることは記されていない。単に理事を送ることは根本的に意味が異なり、合併により近づくことを考えれば、今回の理事長の二重兼務は、学内や社会をも欺いたことになるのではないだろうか。とくに、弁解として「事実上、付属校が増えただけだから、理事長が形式上兼務しても問題ない」ということを常務理事たちがいうのであれば、それは事態が合併であるといっていることになる。だとすれば、協定や学内文書で合併ではないと繰り返しかかれたことは嘘になる。20億円以上カットされてもなお、嘘をつくことの罪悪感さえなくなってしまっていることに、唖然とする。

2. 具体的には、以下のような事柄が起これば、事実上の利益相反となって、社会から信頼をなくすことになるし、立命館においてもさらにモラルの欠如が明らかになり、失望感が蔓延する事態は避けられない。たとえば、理事長が推薦枠の拡大など初芝学園で今協定の見直しを提起し、立命館でも理事長が同様の内容で見直しを提起することを推進した場合、それは適当であろうか。立命館が初芝に貸付を行うように、理事長が両法人で動いた場合、それは「財政支援」の枠外とみなされて、やりたい放題が通るのであろうか。立命館が初芝の資産を買い取る ことを提起し、理事長が両法人でそれを推進することなどが起これば、学園の財産が損なわれる可能性があるのではないだろうか。

3. 理事長は、二つの法人の代表権を持つことになる。これを使い分ける器量があるとは思えないが、もしそういう良からぬことを考えたときに歯止めとなるものはあるのだろうか。

4. 理事長は両法人から理事長報酬を受け取るのであろうか。その場合、6月の報酬カットという甘い処分で失った所得を、はるかに上回る所得を得ることになるのであろうか。

5. 理事長は特別転籍の責任を取って、「全ての公的役職を辞職します」と6月20日の『特別転籍に関わる処分について』と述べている。それから二ヶ月もたたないうちに、新たな公的役職に就任することは二ヶ月前の社会的公約との整合性をどう説明するのだろうか。

6. 立命館寄付行為26条には、「予算外の新たな義務の負担または権利の放棄に関する事項」は、「あらかじめ評議員会の意見を聞かなければならない」となっている。本法人の理事長が他の法人の理事長を兼務するということは、法人の代表権を持つ理事長の新たな負担であって、それは法人の新たな負担と別のものであるとは言い得ないのではないか。ならば、評議員会で議題としても提示されておらず、審議もされていないこと自体が寄付行為に反することではないであろう か。

7. 今回の理事長の他の法人理事長との兼務は、常任理事会では認められたそうであるが、理事会で認められていないのであれば、常任理事会メンバーは、理事会に対する説明責任に背いているのではないか。

8. 「特別転籍」以後も、このように法的問題がある案件を推進した責任者は、特定され、今後の管理運営において、責任あるポストから外されるべきではないか。今回、それを行わないのであれば、常任理事会も法的問題のある決定に大した問題も感じずにお墨付きを与えることになる。

京都法政学校から出発した本学の伝統は、いったい何なのか。コンプライアンスへの感覚を長年麻痺させた結果、特別転籍問題を引き起こし、なおまた、法的に問題のある行為(表向き提携、実質合併)を平気で行っている。平和と民主主義の教学理念などといえる段階ではない。自分で守れないのに、学生に教える教学理念とは何なのか。それ以前に、コンプライアンスが議論になる水準は何なのか。ただただ、恥ずかしく、悲しい。

現に進んでいる問題で、中等教育などの理事の責任を問うことは難しく、またまたなし崩し的に、「まあいいじゃないか」という内容の提案がなされることが予想されて残念であるが、そのあたりに落ち着かせるためだけならば、コンプライアンス・アンケートなど、ただただ虚しいガス抜きであろう。

6月にあれほどしがみついて辞めなかった理事長は結局、このような不透明なことを放置して、一体何のために残ったのか。残念ながら理解できない。

本学の教学理念は、平和と民主主義であるが、経営理念は、狡賢さこそ美徳になっている。合併ではないといいつつ、合併を画策する。この体質はいつまで続くのか。