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2001.6.28
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コラム:大学を考える

文部科学省の「大学の構造改革の方針」について

岡本 洋三

2001.6.28

文部科学省の「大学の構造改革の方針」は、なぜ「構造改革」が必要か、どこがどう問題なのかという検討は見られません。最初から「国立大学の再編・統合−スクラップ・アンド・ビルド−国立大学の数の大幅な削減を目指す」といい、「国立大学に民間的発想の経営手法を導入」「大学役員や経営組織に外部の専門家を登用、経営責任の明確化により機動的・戦略的に大学を運営、能力主義・業績主義に立った新しい人事システムを導入」、「大学に専門家・民間人が参画する第三者評価による競争原理を導入」「評価結果に応じて資金を重点配分、国公私を通じた競争的資金を拡充」など、企業経営と同じ発想・手法で競争させ、政府・財界の思いどうりの「大学」にしようと言うものです。大企業の利益を計るために、大学を企業に奉仕する「研究企業」「人材育成企業」に「構造」を変えようとする浅薄で愚劣な方針です。それは俗にいう「金の卵を求めて鶏の腹を割く」愚行です。さしあたりは民間手法の導入と言うことで、目先の利益を追求する「研究」が優遇され、重点配分で「特定の大学」を肥らせることはできるでしょうが、そのような札束で人々の尻をたたき、リストラで脅かすやり方で、研究者の独創性を育むことはできないでしょう。それがどような結果を生みだすか、すでに実験済みのことではありませんか。これまでの政府主導の原子力開発や大企業の犯罪的な手抜き生産、公害の垂れ流し、その結果の大災害の事例に明らかです。学問や研究のもっとも本質的な源泉は、人間の真理探究の願いであり、それに近づくことへの喜びであり、そのような人間の営みが「結果的に」人類の英知を発展させてきたのです。そのような源泉を歪め圧殺して何が生まれてくるでしょうか。これまでの学問の発達史に明らかなように、政治や権力は、学問・教育を支配することによって、人類に多大な災悪をもたらしました。そういう最も基本的で本質的な観点が、政府の教育や学問研究の政策には完全に欠落しています。さらに愁うべきことは、それが大学の中からも失われつつあることです。世の中の風潮やマスコミの論調が「制度改革」や「国際競争」あるいは「リストラ」「経済効率」の追求を煽り立てていることが人々の感覚を支配し思考に影響することは避けられない点はあるでしょうが、学問の研究教育を職としている人間が同じような風潮に流されるのでは、社会がその職に期待していることに背いていると言わざるをえないでしょう。そういう人間が大学の多数を占めるようになったら、そういう大学は「大学」の名に値しないものですから、それこそ「リストラ」されても当たり前です。
鹿児島大学名誉教授