お便り 2010.10.31

                  2010年10月31日

メッセージを寄せられた皆様へ

ご両親からお手紙を頂きましたので転送いたします。

                         サイト管理人

 皆様お元気でいらっしゃいますか。
 秋の色が濃くなるにつれて、澄んだ空気が心に染みわたり、証生がいない寂
しさが強く感じられるこのごろです。
 事件後もうすぐ七年になります。9・11から9年目を迎えるという、ニュー
スが流れるたびに、当時は我が家にまで、影響が及ぶとは思いもよらないこと
でした。
 先日は、アフガンで人質になられていた方が無事に帰国されて、本当に良かっ
たと思いました。証生にも48時間ではなく、もう少し時間が与えられていた
なら、きっとイラクの人々や、アルカイダに所属している人にも、証生の人柄
や、危険を省みずに入国した目的が、理解して貰えたのではないかと思うと今
だに残念でなりません。
 14枚の写真が証生の想いを伝えてくれていますが、この写真がなければ私
たちには何があったのか、想像も出来なかったことでしょう。ピースオンの方
に、アンマンのホテル従業員の方が声を掛けて下されなければ、イラクの子供
達の写真は我が家に戻ってくることは無かったかも知れないと思います。
 それまでのピースオンの方々の築きあげた深い信頼関係と、証生がイラクの
子供達を思う気持ちが、従業員の方に伝わり、写真が我が家に戻ってくる事に
なったのだと思います。
 また証生が、そのホテル従業員の方を日本へと導いて、更に深い繋がりを結
んでいく事になったのだと思います。アンマンから日本へ、どのような強い思
いが彼を動かしたのか、日本語が堪能になられたら、ぜひお話を聞かせて頂き
たいと思います。

  話はかわりますが、近いうちにイラクの方をお迎えするようになる予定で
す。出来るだけ証生の気持ちに沿って考え、総ての事を前向きに考え判断しま
した。遠い国で何があったのか、私たちの知らないことを、近くで見聞きした
方からお話を伺えるのは嬉しく思います。

 証生の命を奪った原因の一部に、メディアがあり、真実を伝えるはずのメディ
アに、偏りがあるのは残念です。しかし、今回の出会いのチャンスを作ってく
れたのも、メディアのお陰げだということも真実です。

 今回イラクの方が、私達に会いたいといわれるのは、イラク人として謝罪の
気持ちを伝えよう思われるのでしたら、私たちはイラクの人々を恨んだりして
いない事をお伝えください、とメッセージに付け加えてお返事しております。

 以前犯人が捕まり裁判を開く時に、イラク司法省にその旨の返事をしている
事を伝えています。2006年に、開戦後初めてイラクでの選挙が行なわれ、民意
が反映されて、法の裁きが行われるときにイラクに送付した一部を抜粋してお
ります。
 「イラクの人々の犠牲は多く、平和を望む気持ちは大きいと思います。息子
の死が無駄にならない様な、平和な礎となるような裁判が行われますことをお
祈りいたします。」
 裁判の結果がどうなったのか、私達は知りません。知らされていないのかも
知れませんが・・・。

イラクから無事に度立つ事が出来、そしてよき出会いが実現することを願って
おります。

                          香田 真澄・節子

 追伸

 ラジオジャパン開局75周年の企画に、エッセイを投稿され優秀で採用され、
今回ラジオ局の招きでいらっしゃるようです。

 世界15カ国でラジオジャパンは配信されているようですが、日本語の配信
はなく、私達は英語での放送は聞き取れませんので、残念ながらあきらめてい
ます。