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(2006.5.9 修正)

立命憲章検討素案についての意見

BKC 月曜会

憲章を定める手順について

  • "答申にあたって"は、この憲章の必要性を
    (a)「 今年の秋に総長を選任し、新たな出発をとげる時期」なので

    (b)「全学の構成員が改めて立命館学園のミッションを確認・共有する必要が ある。」

    としている。 (a)を前提とするならば、この憲章は、4-5年を視野に 入れて書かれれば十分であろう。 他方、同文書 p. 4 最下行には
    (c) 憲章が想定する当面、数十年単位
    とある。一方、憲章とは大学が学内に対してのみならず社会に対して発する当該大学の教学の基本理念、学園運営の基本思想の宣言である。数十年を想定し、かつ社会に対して宣言する大学理念の真髄ともいえる重要な憲章の策定が(a)(b)という短期スケールの事象のためにろくな検討もなくあたふたと決定するという精神は大学のあり方とそもそも矛盾する。その事から考え直すべきである。憲章の策定にはすくなくとも2年をかけ、学園各層からの様々な案をつのり、それらを公表し、原案に実質的な(アリバイづくりのものではなく)フィードバックをかけつつ作成すべきものである。
  • "答申を受けて"によれば、
    現計画では:起草委員会の検討素案を  ・・・などの可能な限り幅広い学園関係者から意見を聴取し、シンポジウム等を開催し、(起草委員会が)原案を策定し、全学へ提起
    とある。未だシンポジウム等の日程も公表されていないのに、連休明けの5月10日意見とりまとめが可能とは到底思えない。

    原案提示後に行われる「全学討議」をどういう形で行うのかが全く明確 でない。

    原案は全学討議の如何によっては改案される。
    と明記すべきである。全学討議を原案を通過させる為のアリバイ作りの儀式として使うのは許せない。

  • この検討委員会の委員長が学長ではなく、理事長であることは疑問がある。理事会、法人の憲章なのか、学園の憲章なのか? 学園の憲章たる事を明確にするためにも総長を検討委員長とするべきである。

  • 総論的批判

  • 憲章は少なくとも今後半世紀の時間スケールで本学園のとるべき基本思想を万人に伝えるものでなければならない。その観点からすると素案は学園憲章としての品位や志が、低すぎる。

  • 教学が学園運営の全てに優先すべき事を明記した部分が見当たらない。明記すべきである。同時に、教職員、学生の教育、研究に対する活力の源泉となるよう、理事会・法人・主導ではなく、全構成員自治を基礎とする事を明言すべきである。

  • 「性急に成果を求める短期かつ過度の成果主義の大学」ではなく、明確な理念の下で「落ち着いて教育研究できる大学」「長期かつ着実に社会全体と人類全体に貢献できる大学」が求められている。これを具体的、適切に表すフレーズを検討すべき。

  • 「改革」という言葉が多過ぎる。大学の使命は改革ではなく明確な教学理念にもとずく教育、研究の推進にある。改革は節目節目に行うべきものであり、明確な教学理念が存在すれば、猫の目のように変わる恣意的「改革」は必要ない。「改革」が常態的が横行する大学は、教育理念の薄弱な大学であり、むしろ恥ずべきである。

  • 教学理念の根幹は「平和と民主主義」である事はいうまでもない。しかしそれに基づいていかなる教育、研究を行うのかという明確な実行理念が提示されていない。それに言及すべきである。ここでは一案として:

    1. 教育という観点からは、民主主義を担う市民としての責任感と自覚を備えた人、真の教養を身につけ世界市民たる自覚を備えた人(人材という言葉は機能という観点からしか人間を見ていないので使っていない。)の育成。

    2. 研究という観点からは、(世におもねらず)自らの信念に従って真理を探求する精神に基づく独創的、創造的研究の発展。(白川静先生に範をとればよい。)
    をあげておく。

  • 逐条的批判

    立命館憲章(検討素案)第一節

    立命館は、西園寺公望を学祖とし、1900年、中川小十郎によって「自由と清新」を建学の精神として、日本の古都京都に京都法政学校として創設された。戦後、過去の戦争の反省の上に立って、「平和と民主主義」を教学理念と定め、創造的に改革を進めてきた。
    「自由と清新」や「平和と民主主義」が、過去のものと解釈される余地を残している。ここは、現在進行形で書かれるべきである。

    「・・・創造的に改革を進めてきた。」となってい る。本学の創立以来100年以上の歴史を述べる記述の文末としては、余りにも貧弱。 学園の使命は単に改革を進めることではなく、明確な理念に基づく教育・研究の推進であり、 社会や人類への貢献の筈である。

    立命館は、絶えず時代と社会に真摯に向き合い、学園の自主性を貫き、構成員の勇気と愛校心をもって学園紛争の克服など幾多の困難を乗り越えながら発展を遂げてきた。
    この段では立命館の歴史の光と影を正直に語るべきである。ここでは光の部分が抽象的にのべられているに過ぎない。学園紛争など長く重い立命館の歴史からほんの最近の些事に過ぎない。影の部分では、今次大戦時の誤った国策に翻弄された歴史もある。今の立命館がそうでないとは言い切れない。 歴史に学ばなければ、賢い発展はありえない。

    もし学園紛争を語るとすれば、学園紛争で学生が提起した問題に大学がどのように真摯に対応したのか、それがどう教学に生かされたかを記述すべきである。立命館はそれを実行した日本の数少ない大学であるという評価もある。次の段に語られている大学規模の拡大よりその事実を記載する方がはるかに価値があるし、立命館の歴史の誇りとできる。

    2000年に「自由・平和・ヒューマニズム」を基本理念とする立命館アジア太平洋大学を広く内外の協力・支援により創設、2006年に立命館小学校を開設し、学園は初等・中等・高等教育を担う総合私立学園となった。
    「2006年立命館アジア太平洋大学」や「2006年立命館」の設立は、記述に値するであろうが、憲章が想定する数十年単位を視野に入れるときには、ごく最近の、評価が未だ定まらぬ事項に過ぎないこれらの記述は不要である。この全文削除し、上の段と合わせて、立命館の歴史の光と影を正直に語る部分とすべきである。

    立命館憲章(検討素案)第二節

    立命館は、アジア太平洋地域の日本に位置する学園として、過去を誠実に見つめ、人種、宗教、言語、性別等の違いを超え、相互理解、多文化共生の学園を確立し、学術・文化・スポーツを通じて、互恵と連帯の精神のもと、社会的、国際的交流に努め、国際社会から支持される世界水準の学園づくりを進める。
    「世界水準」が何を意味するか明確にすべきである。この表現は曖昧で、品位がなく、内容が不明確である。何における世界水準をめざすのかを明言すべき。拡大路線・ビジネス優先の社会の評価を受けるのではなく、「真の教養を身につける教育、創造性豊かな研究という点に於いて世界の模範となる大学を目指す」べきでろう。

    ここの段および次の段で、総論で述べた教育研究の実行理念について語るべきである。

    その運営に当たっては、私学に徹し、教職員、学生の英知を集め、自主、民主、公正、公開、暴力否定の原則を貫き、学園の高度化を図る。
    この段で「大学の自治」及び、「全構成員自治」の語を是非入れるべきである。

    私立学校の特性に言及することは評価する。しかしこの表現のままでは意味が不明。私学に徹して「経済的採算を最大重視する市場資本主義大学を目指す」のではないと思うが。立命館の歴史の明暗を学び、しばしば誤る国策に翻弄される事なく国家政府から一線を画し、私立学校独自の理念と良識にもとづいて学園をつくりあげる事を謳うべきである。

    「学園の高度化」が何を意味するか明確にすべきである。この表現は曖昧で、品位がなく、内容が不明確である。真の教養が皆無の専門馬鹿が集う学園を「高度な学園」というのではないと思うが。

    およそ法治国家の公的機関で「暴力否定」は自明の原則。立命館学園ではいまなお暴力が横行しているかのような印象を外部に与える。やめるべき。

    立命館憲章(検討素案)第三節

    立命館は、教育・研究を不断に改革し豊かにするとともに、その営為を通じて人類の未来を切り拓くために、紛争、環境破壊、人権侵害、貧困等の人類的諸課題の解決はもとより、普遍的な価値の創造とその実現をめざし努力する。
    この段落には「学問の自由」の語を入れるべきである。より正確に言えば「各構成員が自らの信念にしたがって真理を探求する自由に基づき豊かで創造的な教育、研究実践を行う」事を謳うべき。

    「教育・研究を不断に改革し・・」とあるが、教育、研究の「改革」とは何を意味するのかが不明である。「不断の改革」の名目で行われる「不断の組織いじり」は大学を疲弊させるのみである。自転車操業的改革は大学運営の根本理念と基本思想のみすぼらしさを露呈するに他ならない。

    「改革」をはずし例えば

    「立命館各成員は自らの信念に従って真理を探求する自由に基づき、より豊かでより創造的な教育、研究を実現すべく不断の努力を行うとともに.....」
    とすべきである。

    「普遍的価値の創造と実現を通して人類的諸課題を解決する」とかくべきではないか。

    そもそも“立命館”の名は、孟子の「尽心篇」に由来し、「学問を通じて、自らの人生を切り拓く修養の場」を意味する。
    「尽心篇」の「修身」をこのように、「自らの人生を切り開く」こととというふうに、個人レベルの問題と解釈して良いのであろうか。専門家の意見を聞くべきであろう。
    立命館の役員・教職員、学生・生徒・児童は、この修養の場に集う者として、「未来を信じ、未来に生きる」を旨とし、ヒューマニズムと倫理性をもって勉学・教育・研究に取り組み、21世紀の世界と日本の平和的・民主的・持続的発展に貢献することを誓う。
    役員・教職員、学生・生徒・児童という順序づけをやめるべきである。あたかも、上位が役員、下位が児童と凖位が定まっているかの如し。ランダム(たとえば、学生、生徒、児童、役員、教職員)にするべきである。立命館の学是に反する書き方である。