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[JMM471M] 新銀行東京の損失問題をどう考えるか より引用
石原都政一期目で副知事を務めた青山やすしさんが2004年に出版した『石原都 政副知事ノート』(平凡社新書)という本があります。側近の立場から都知事として の石原氏の素顔を描いており、興味深いものですが、退任した立場から書かれた巻末 の「これからの石原都政」という章には、気になる箇所があります。

  「石原都知事は、自分が有能だから、身近に有能な人を必要としないようにみえる。 しかし、子分的な気風の人ばかりで周囲を固めると、判断を間違える。嫌でも、不愉 快でも、意に沿わない理性的、知性的な人を側においた方がいい」 「都政一期目は都庁実務の側と一定の緊張感があった。それがなくなるのは、危険だ。 多くの局長や部長が、定年の2年前、3年前に都庁を去った。死屍累々だ。風通しが よくなるだけならいいが、実務力・技術力が落ちていることは否めない。そのマイナ スを補うだけの新たなものをまだ構築し得ていない」 「知事が権威になってしまっては組織は死ぬ」

 この本は全体的には石原氏に対する敬意で満ち溢れており、ところどころで「天才」 という表現を使うなど、暴露本とは程遠い、むしろ石原礼賛本と言っていい内容なだ けに、引用した箇所には迫力があり、深い思いが込められているように感じられてな りません。新銀行東京をめぐる状況は、元側近が書いたこの「警告」を思い出させる ものがあります。

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[JMM471M] 新銀行東京の損失問題をどう考えるか
Delivery-date: Mon, 17 Mar 2008 11:23:43 +0900


 ■ 水牛健太郎 :評論家、会社員

 逆説的な言い方になりますが、新銀行東京の経営に携わった都庁の人たちから見て、
現在の状況はある意味で行政の失敗ではなく、輝かしい成功なのではないかという気
がします。新銀行発足時に彼らに与えられた仕事の本質は、営利組織の経営というよ
りも、彼らが普段やっている仕事、つまりは、ある政治目的を達成するための行政実
務にほかならなかったと思います。

 新銀行東京の経営トップである代表執行役は、開業時の仁司泰正氏、二代目の森田
徹氏とも民間人であり、三代目の津島隆一・現代表執行役は都庁出身です。新銀行東
京が先ごろ作成した内部調査報告書では、仁司氏の責任が大きいとしているようです。
しかし新銀行は出資のほとんどが都であり、都知事の公約実現のために設立されたと
いう経緯から言っても、経営に都行政の一環としての意味合いが大きかったのは明ら
かだと思います。

 都知事は知事選での公約実現のために、金融機関から融資を受けられずにいる中小
企業に対し、新銀行ができるだけ速やかに、できるだけ多くの案件に、できるだけ多
額の融資をすることを望んでいました。つまりそれが、行政の成果を計るものさしで
した。都の行政なので、もちろん都の予算が付いています。たまたま今回は銀行の資
本金という形を取っていましたが、行政マンである彼らから見て、予算に変わりはあ
りません。行政の仕事は予算を速やかに消化し、所定の成果を挙げることです。今回
は、銀行の資金をスムーズに融資に向けることが彼らの仕事だったわけです。

 その観点から見ると、彼らはずいぶん効率的に仕事を進めたようで、有能さがうか
がえます。回収されるかどうかに関わらず融資実行の件数や額に応じて行員に報奨金
を出したり、経験に基づく慎重な審査を止めさせるなど、できるだけ多くの融資をす
るために、努力を積み重ねました。資本金1200億円のところ、開業から3年足ら
ずで何百億円も焦げ付きを出すというのは、よほど果敢かつスピーディに融資しなけ
ればできないことです。「行政の失敗ではなく、輝かしい成功」だというのはそのた
めです。

 ただ問題は、債権の質が低くて充分なリターンがなく、銀行の資本金を大きく毀損
してしまっていることなのですが、これは彼らにとっては、仕事として意識された範
囲を超えた世界で起きた出来事なのだと思います。つまり「知ったことではない」の
です。

 要するに、市場経済システムの中で本来利潤を動機にして行われるはずの銀行経営
が、全く別種の、政治的な動機と行政的な手法によって行われたためにこのような結
果を生んだのだと思います。代表執行役が民間出身の経営者であろうと、新銀行の存
在理由そのものが政治目的ですから、有能であればあるほどその目的に奉仕すべく
「合理的に」行動することになり、利潤は度外視されていきます。社会主義の失敗に
よく似ています。

 新銀行を発足させた政治的な大義名分は、都市銀行を筆頭とする一般の金融機関の
貸し渋り・貸し剥しなどに苦しむ中小企業を救うということでしたが、これ自体に意
味がないとは言えないでしょう。実際、日本における中小企業融資には明らかに問題
があります。企業への融資に経営者個人の連帯保証が求められ、会社をつぶすことが
夜逃げや一家離散、最悪の場合には一家心中とイコールになってしまう絶望的な暗さ
は言うまでもありません。アメリカでグーグルなど設立後数年の企業が巨大に成長し、
人々の生活を大きく変えているのに対し、日本にはそうした例はほとんどないのを見
ても、中小企業への融資が抱える問題が、大企業も含めた日本経済全体から活力を
奪っている面があるのは明らかです。新銀行東京の業績には何一つ評価すべきものは
ないと思いますが、それでも、新銀行の融資によって救われ、見事に立ち直った中小
企業も少しはあるに違いありません。

 そうした大義名分があるにしても、実際に銀行として経営されていたからには、
「ちゃんと利益を出さないとまずい」と考える人たちも中にはいたはずです。そうし
た意見が結果的に少数派にとどまり、経営が軌道を外れていったところを見ると、政
治的な目的達成への圧力があまりに大きく、まともな方法では対抗できなかったとい
うことだと思います。

 その原因を考えてみると、三選を果たした石原慎太郎都知事の権威が都庁内で大き
くなりすぎたということではないでしょうか。国民的な人気があり、カリスマ性があ
る上に、年齢も75歳、幹部職員ですら親子ほどの年の差があります。

 石原都政一期目で副知事を務めた青山やすしさんが2004年に出版した『石原都
政副知事ノート』(平凡社新書)という本があります。側近の立場から都知事として
の石原氏の素顔を描いており、興味深いものですが、退任した立場から書かれた巻末
の「これからの石原都政」という章には、気になる箇所があります。
 
「石原都知事は、自分が有能だから、身近に有能な人を必要としないようにみえる。
しかし、子分的な気風の人ばかりで周囲を固めると、判断を間違える。嫌でも、不愉
快でも、意に沿わない理性的、知性的な人を側においた方がいい」
「都政一期目は都庁実務の側と一定の緊張感があった。それがなくなるのは、危険だ。
多くの局長や部長が、定年の2年前、3年前に都庁を去った。死屍累々だ。風通しが
よくなるだけならいいが、実務力・技術力が落ちていることは否めない。そのマイナ
スを補うだけの新たなものをまだ構築し得ていない」
「知事が権威になってしまっては組織は死ぬ」

 この本は全体的には石原氏に対する敬意で満ち溢れており、ところどころで「天才」
という表現を使うなど、暴露本とは程遠い、むしろ石原礼賛本と言っていい内容なだ
けに、引用した箇所には迫力があり、深い思いが込められているように感じられてな
りません。新銀行東京をめぐる状況は、元側近が書いたこの「警告」を思い出させる
ものがあります。

                                               評論家、会社員:水牛健太郎