次のメッセージの修正キー:
メッセージ32:

中期計画案の読後感

中期計画起草委員会の答申「2010年の立命館(中期計画2007-2010年)検討案」が配布されました。表題は、アジア太平洋地域のハブ学園をめざして、副題として「国際的通用性のある世界水準の教育の推進と特色ある研究拠点大学の地歩を固める」とありました。

添付されている「答申を受けて」という文書で、常任理事会は、今秋の総長選は単に「あらかじめ定められた政策を全学の先頭に立って具体化、執行する人物を選任する」だけだと述べ、この中期計画の策定作業が実質的な総長選挙であることに注意を喚起しています。

40字*40行*30ページで5万字弱の文書を通読し、よく検討されたスケールの大きな構想と思いました。このような構想を描ける執行部を持つ大学は少ないと思います。

どの組織も生き残りのための一定の努力は不可欠ですし、攻撃は最大の防御ですから、絶えず成長していくことが生き残るための最も有効な方法ということになるかもしれません。これらは、どのような組織も生き物として不可欠なことと思います。しかし、言うまでもなく、大学はそれだけでは大学ではないように思います。

時代や権力から独立した(古くは真善美といわれていた)普遍性のある価値観を持ち、大学にとって益とならない場合でも、その価値を固持しそれに忠実に教育と研究を展開することが、大学の存在理由と思います。これは大学というものを相当に理想化してはいると思いますし、アカデミズムの閉鎖性との線引きが難しいところもありますが、そういう面を完全に失うと、信頼を得られなくなったり、時流に翻弄され危機に直面したりして、生き残りそのものが困難になるということもあります。

中期計画検討案では、日本社会では関心が失われて久しい「平和と民主主義」を教学理念として固持し活そうという計画があって少し安心しましたが、全体としては立命館の益に結びつける関心が大部分を占めている点で寂しい思いがしました。

このような壮大な計画を実現していくには人件費をさらに節約せざるを得ないでしょう。そうすると、学園内での雇用格差をさらに拡大させていくことになり、日常的な機能が不全となる危険が拡大していくようにも思います。

学園の生き残りや発展だけでなく、日本の学術活動全体を活性化させるような活動も十分に可能ではないでしょうか。

戦前にあった出版部を再興し、学術書や権威ある学術雑誌の刊行を目指すこともできます。また、学位をとった少数の若い人達が、ほとんど何の支援もなく進めている、科学と社会を結ぶ「サイエンスコミュニケーション」の活動を支え促進することもできます。こういった活動は、次期COE獲得のために高額の給与で「世界水準の研究者」を招聘するよりも社会的意義ははるかに大きいし、良質の受験生を得るための「効果」は、もしかするともっと大きいかもしれません。

なお、検討案では、ネットにおける情報発信に言及がないのも気になります。大学のホームページの充実ということではなく、立命館の教職員や学生や院生が情報発信しやすい環境をととのえることや、広義の学術活動を支援するプラットホームを立命館が提供するような活動など、種々の方向があると思います。ネットの世界が日常生活と連続的につながっている若い世代は、ネットで存在感のある大学には魅力を感じるように思います。