私は立命館大学で非常勤講師として教壇に立っております。私は、学部生、大学院生、そして非常勤講師として立命館大学に関わって今年で17年目を迎えます。
さて、今回の投稿ですが、先日産業社会学部で発生した暴力事件についてです。この事件に対して、大学側は学長、副学長、各学部学部長の署名入りの声明文を発表しました。その声明文は、広報課よりメーリングリストを通じて学生に送信されました。私は学生ではないのでそれを直接受け取ったわけではないのですが、知人を介してその内容を目にしました。そして、その内容にあきれ、怒りを覚えました。おそらく、管理者の方はすでにその内容をご存じかとは思いますが、資料としてまず貼り付けておきます。その後、私の意見を述べさせていただきます。
○以下広報課からメーリングリストを通じて学生に送信された声明文
広報課アドレス koho-ka@ml.ritsumei.ac.jp
このメールマガジンは、在学生専用です。
6月5日(月)に発生した、産業社会学部における暴力事件をうけて
学生、院生、教職員のみなさんに、学長・副学長・学部長が声明を発表しました。
声明の内容は下記の通りです。
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学生、院生、教職員のみなさんに訴える○上記の声明に対する私の意見去る6月5日(月)、産業社会学部の授業において、受講生の私語を注意したTA(ティーチング・アシスタント)に対し受講生が暴行を働く事件が発生した。その結果、TAは鼻骨骨折など深刻な傷害を負った。
今回の暴力事件は、受講生の私語をやめさせようとするTAの教育業務の遂行に対する暴力行為であり、大学教育の根底を否定しかねない重大かつ深刻な事態である。
第1に、授業中の私語は、その学生自身の学ぶ権利の放棄であるだけでなく、他の学生の学ぶ権利と教員の教える権利を侵害するものである。授業中の私語は、大学教育そのものの否定である。
第2に、授業中の私語を注意された場合は、教員、TA、学生のいずれにより注意がなされたかを問わず無条件でしたがわなければならない。私語を注意するものに対して暴力で応えるものは、大学で学ぶ資格を自ら放棄したものと言わざるをえない。
第3に、このTA以外に当該学生をたしなめる者があらわれなかったことも問題である。今回の事態は、大学教育にとって私語問題に伏在する深刻な問題点についての的確な認識が教員と学生のなかで不十分であることを意味している。
第4に、大学内での暴力が許されないことは当然のことである。「平和と民主主義」の教学理念を掲げすべての暴力を否定する立命館大学は、教育に当たる教員と教育補助業務を行う学生・院生のスタッフに対して、その安全を守り、教育環境の適正化を行うべく責任ある対応を行う。
今回のような暴力事件は、二度と発生させてはならない。近年大学内でTA、レインボースタッフなど大学スタッフとして院生・学生が一般学生と対応する際に、一部の学生の中に、場合によっては身の危険を感じさせられるような応対や多文化共生にふさわしくない侮辱的な言動があると言う声も寄せられている。立命館大学はこうした事態を重視し、解決に向けて全面的に取り組むとともに、これからも一貫して暴力否定の立場を堅持する。本学は、今後私語問題に対して当然のことではあるが厳格かつ適正に対処していく。
本学は、本格的な国際化をめざして、今後ますます多数の国際学生・院生を受け入れていくことになる。
世界に通用する大学にふさわしい平和で多文化共生のキャンパスライフを創造していくために、すべての学生・院生、教職員が今回の暴力事件を教訓化することを切に訴えるものである。
以上2006年6月20日立命館大学学長 長田豊臣 副学長 薬師寺公夫 副学長 川村貞夫 法学部長 吉田美喜夫 経済学部長 平田純一 経営学部長 田中照純 産業社会学部長 國廣敏文 文学部長 木村一信 国際関係学部長 小木裕文 政策科学部長 川口清史 理工学部長 高倉秀行 情報理工学部長 大久保英嗣
発行 立命館大学 広報課
私はこの声明文を読み、広報課のアドレス(koho-ka@ml.ritsumei.ac.jp)に抗議文を送りつけました。しかし、システムの問題なのか届くことなく返信されてきました。そこで、このようなおかしな声明文に対する抗議を表明するために、この場を利用させていただきたく存じます。
この声明文の内容ははっきり言ってピントがずれています。それは、現在の立命館大学の教学の現状に対する認識の欠如に他なりません。その根本原因はマスプロ教育に他なりません。「暴力事件が発生した講義、またTA等が業務上身の危険を感じたという講義は、大講義=マスプロ教育であった」と私は同業者との情報確認を通じて認識しております。そもそも、この間の大講義へのTA等の配置は、マスプロ教育のサポートもしくは、マスプロ教育を前提とした教学カリキュラム以外のなにものでもありません。
この件に関して端的に申し上げれば、マスプロ教育の解消なくして、今回のような暴力事件を抑止するための方策を検討するのは、お門違いと言わざるをえません。この事態の改善を「学生の良心(講義を受ける権利)」や「教員の教える権利の侵害(しかし、それは声明文のトーンからすれば「教員の講義力量」とも解釈できます。この点が声明文に対する私の怒りを増幅させます)」に訴えかけるような声明文では、立命館大学が真摯にこの問題に取り組んでいるとはとても評価できません。ましてや、親御さんに高学費を払ってもらって、もしくは自分で高学費を工面して立命館大学にやってきた学生さんたちにこの程度の声明文でこの事件の重大さを訴えるということは、「笑止千万」という言葉以外になにがあるでしょうか。
以前の野路便りで大学と父母との「共生(連帯)」の話しがありましたが、今回の事件もそれを考え、実践する契機になると思われます。やはり、「高い学費払っているのに大学キャンパス内でこんなアホなことが起こるのはなんでや?」という怒りこそ、現在の教学内容、大学経営の根幹への率直かつ的確な批判になるのではないでしょうか。当然、共生(連帯)の道を構築するためには、非常勤職員・講師の役割も重要となるでしょう。
なお、声明文の最後に学長、副学長、各学部長が雁首揃えて署名していますが、このなかに心ある理事がいるのであれば-いて欲しいですけどね-、この程度の声明文の後に自分の名前が入ることに嫌悪感を抱いている方もいるのではないでしょうか。わかりませんが。
最後に。野路便りでは立命館に関する様々なことが紹介、議論されていますが、今回の暴力事件も現在の立命館大学を象徴するものです。学生、常勤・非常勤教職員を問わず、全構成員にとっても重要な課題であると思われます。この件に関して他の教職員はどう考えているのか、意見を聞いてみたいものです。
長くなりました。このあたりで失礼いたします。