立命館学園で働く方々へ Dear colleagues, 「立命憲章」に、学園運営の基本原則の一つとして「非暴力」を記 載すれば、暴力が恒常的に、あるいは組織的に、学園内で横行し ている印象を与えるのでやめるべきだと思っていましたが、 Unitas Hot News No 7 (2006.6.21) に記載された学長・学部長声 明「学生、院生、教職員のみなさんに訴える」(*)は、この事件が 氷山の一角で、暴力や暴言や恫喝が日常的に横行していることが 立命館学園の真の姿であることに驚愕し注意を喚起するものだっ たようです。憲章に「非暴力」を明記して、世間にこの実態を言 外に「伝える」ことは、社会に対する誠実な姿勢かもしれません。 上記学長声明にある「 解決に向けて全面的に取り組む 」決意を 展開し、TA・レインボースタッフや教員が、学生の暴行や暴言 に怯える状況がどのくらいの頻度で起きているのかを至急調査し 【1】、「非暴力」の精神論で済ますことなく、「内実化」の重要 なポイントに一つとして、資金を惜しまず、具体的解決法を至急 検討し【2】、暴力問題に対する理事会の現在の取組み状況を、で きるだけ早い時期に、全学に提示する義務があると思います。 なお、暴言や恫喝も正真正銘の暴力です。「立命館の方針が気に いらないなら立命館をやめれば良い」という類の暴言を職員の方々 が聞かされることがあると聞きます。これでは、現場からみて明 らかにおかしいことでも上の方針であれば批判しようもなく、現 場の士気はとめどなく低下し学園の機能不全は不可避と言えます し、立命館の将来を真摯に考える職員の方ほど悩むのではないで しょうか。実際、上司の暴言と恫喝で心を病み療養している若い 職員の方もおられます。 こういったパワーハラスメントの訴えを調査する機関は、学園の 権力構造から独立したものでないかぎり、訴えが公正に取り扱わ れるはずがありません。この点でも、立命館の「ガバナンス」は 遅れており、事務機構におけるパワーハラスメントを根絶し、職 場に心身の健康を取りもどすという「内実化」も立命館の最優先 課題の一つと思われます。 以上のように、学園憲章に「非暴力」を記載しなければならない ほど慄然とする暴力的事態に立命館学園の教学現場や事務機構が 直面していることが明らかになりつつある以上、「国際化の推進」 は日本の名誉を深く傷つけることになるので中断すべきように思 います。「非暴力」を学園運営の基本原則として掲げることが不 必要な学園となったとき、初めて「国際化」を推進する資格がで きるように思います。 ーーーーーーーーーーーーーー 【1】(投稿 2006.7.3) 「暴力事件をうけての学長・副学長・学部長声明(*)」を読む http://ac-net.org/rtm/No/73 ーーーーーーーーーーーーーー この声明を読んで曰く言い難い異様さを感じたのは私だけしょうか。 これは暴力行為一般を批判する声明ではないようです。一般的な 意味での暴力行為批判は、《第4に》の前半と第7段落の終わり 当たりに述べられているだけですし、なによりも、暴力行為一般 を批判する声明ならば、学生部長声明でこと足りますから、この ように仰々しく署名者を並べる必要はないでしょう。 それならば、この声明は何を問題とし、それにどう対応しようと している声明なのでしょうか。 この声明は事件を「TA の教育《業務遂行》に対する暴力行為」と 捉え、「大学は、教育に当たる教員と教育補助業務を行う学生・ 院生のスタッフに対して、その安全を守り、教育環境の適正化を 行うべく責任ある対応を行う」ことを宣言し、「(学生は)教員、 TA、学生のいずれにより注意がなされたかを問わず無条件でした がわなければならない。」としています。こうように、教育を行 う者と教育を受ける者とを対立的に捉え、一方は他方に無条件に 従えと高圧的に宣言することが、教育の現場において問題を解決 する有効な方法でしょうか。違和感の第1はここにあります。 声明はまた、「近年大学内でTA、レインボースタッフなど大学ス タッフとして院生・学生が一般学生と対応する際に、一部の学生 の中に、場合によっては身の危険を感じさせられるような応対や 侮辱的な言動があると言う声も寄せられている。」ということを 指摘しています。《身の危険を感じさせられるような応対や侮辱 的な言動》が頻発していることが事実ならば重大な問題ですが、 声明は《と言う声も寄せられている》程度にしか受け止めていな くて、大学がそれに対してどのようは処置を講じたのか、最低限 の行為である事実確認を行ったかどうかさえ分かりません。これ が、違和感の第2です。 そして声明は、唐突にも《多文化共生》へと論点が移しています。 風聞によりますと、暴力行為を受けた TA は外国人であるといわ れていますが、そのことで即《多文化共生》が論点となるもので はないでしょう。私語を注意され暴力行為に及んだ学生は、注意 した TA が外国人だから暴力行為に及んだのでしょうか。それと も、注意した TA が日本人だろうが外国人だろうが、注意された から暴力行為に及んだのでしょうか。このことが声明からは一切 分かりませんが、もし後者ならば、すなわち、被害を受けた TA はたまたま外国人であったに過ぎないのであれば、この事件から 直ぐさま《多文化共生》を論じることは、外国人が加害者である 犯罪事件の報道に、「だから外国人は云々」と排外的に反応する のとコインの裏表に過ぎず、外国人を一人ひとりの個人として捉 えず、十把一絡げに「外国人」として捉える、危険な思想と言え ましょう。これが、違和感の第3です。 発端となった私語問題については、「私語問題に伏在する深刻な 問題点についての的確な認識が教員と学生のなかで不十分である」 と現場に問題を押しつけた上で、「本学は、今後私語問題に対し て当然のことではあるが厳格かつ適正に対処していく」と恫喝す るのみです。一人ひとりの教員は、私語が自分の教室だけのこと なのか、大学全体に広がっている問題であるのかさえ分かりませ ん。実態の把握と、その認識の共有化から取りかかるべきです。 恫喝でこと足りると考えに違和感を禁じ得ません。 なお、野路便りへの投稿【2】として非常勤の方が「私語のマスプ ロ原因説」を述べられましたが、それはご本人の経験と若干の人々 の話からの帰結であって、大学全体における私語の実態を踏まえ ての発言であったかどうかは分かりませんが、「軽々に結論をだ すな」とたしなめるよりも、大学に対して実態把握を迫ることの 方が先決でしょう。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【2】(投稿 2006.6.24 ) 「暴力事件」広報内容への批判(非常勤講師より) http://ac-net.org/rtm/No/63 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー (編註:「立命館の過去・現在・未来」サイトに投稿されましたの で、既に読まれたかたもいると思います。) 2006年6月24日(土) 10:17:13 初めて投稿いたします。 私は立命館大学で非常勤講師として教壇に立っております。私は、 学部生、大学院生、そして非常勤講師として立命館大学に関わっ て今年で17年目を迎えます。 さて、今回の投稿ですが、先日産業社会学部で発生した暴力事件 についてです。この事件に対して、大学側は学長、副学長、各学 部学部長の署名入りの声明文を発表しました。その声明文は、広 報課よりメーリングリストを通じて学生に送信されました。私は 学生ではないのでそれを直接受け取ったわけではないのですが、 知人を介してその内容を目にしました。そして、その内容にあき れ、怒りを覚えました。おそらく、管理者の方はすでにその内容 をご存じかとは思いますが、資料としてまず貼り付けておきます。 その後、私の意見を述べさせていただきます。 ○以下広報課からメーリングリストを通じて学生に送信された声 明文 広報課アドレス koho-ka@ml.ritsumei.ac.jp このメールマガジンは、在学生専用です。 6月5日(月)に発生した、産業社会学部における暴力事件をう けて学生、院生、教職員のみなさんに、学長・副学長・学部長が 声明を発表しました。声明の内容は下記の通りです。 ( 編註:略 ) ○上記の声明に対する私の意見 私はこの声明文を読み、広報課のアドレスに抗議文を送りつけま した。しかし、システムの問題なのか届くことなく返信されてき ました。そこで、このようなおかしな声明文に対する抗議を表明 するために、この場を利用させていただきたく存じます。 この声明文の内容ははっきり言ってピントがずれています。それ は、現在の立命館大学の教学の現状に対する認識の欠如に他なり ません。その根本原因はマスプロ教育に他なりません。「暴力事 件が発生した講義、またTA等が業務上身の危険を感じたという 講義は、大講義=マスプロ教育であった」と私は同業者との情報 確認を通じて認識しております。そもそも、この間の大講義への TA等の配置は、マスプロ教育のサポートもしくは、マスプロ教 育を前提とした教学カリキュラム以外のなにものでもありません。 この件に関して端的に申し上げれば、マスプロ教育の解消なくし て、今回のような暴力事件を抑止するための方策を検討するのは、 お門違いと言わざるをえません。この事態の改善を「学生の良心 (講義を受ける権利)」や「教員の教える権利の侵害(しかし、 それは声明文のトーンからすれば「教員の講義力量」とも解釈で きます。この点が声明文に対する私の怒りを増幅させます)」に 訴えかけるような声明文では、立命館大学が真摯にこの問題に取 り組んでいるとはとても評価できません。ましてや、親御さんに 高学費を払ってもらって、もしくは自分で高学費を工面して立命 館大学にやってきた学生さんたちにこの程度の声明文でこの事件 の重大さを訴えるということは、「笑止千万」という言葉以外に なにがあるでしょうか。 以前の野路便りで大学と父母との「共生(連帯)」の話しがあり ましたが、今回の事件もそれを考え、実践する契機になると思わ れます。やはり、「高い学費払っているのに大学キャンパス内で こんなアホなことが起こるのはなんでや?」という怒りこそ、現 在の教学内容、大学経営の根幹への率直かつ的確な批判になるの ではないでしょうか。当然、共生(連帯)の道を構築するために は、非常勤職員・講師の役割も重要となるでしょう。 なお、声明文の最後に学長、副学長、各学部長が雁首揃えて署名 していますが、このなかに心ある理事がいるのであれば-いて欲 しいですけどね-、この程度の声明文の後に自分の名前が入るこ とに嫌悪感を抱いている方もいるのではないでしょうか。わかり ませんが。 最後に。野路便りでは立命館に関する様々なことが紹介、議論さ れていますが、今回の暴力事件も現在の立命館大学を象徴するも のです。学生、常勤・非常勤教職員を問わず、全構成員にとって も重要な課題であると思われます。この件に関して他の教職員は どう考えているのか、意見を聞いてみたいものです。 長くなりました。このあたりで失礼いたします。 --------- http://ac-net.org/rtm/No/64 2006年6月24日(土) 10:48:11 先ほどの産業社会学部での暴力事件に対する抗議文を書いた者で す。本文中に「声明文は広報課より学生宛に送信された」と書き ましたが、正確には「学生、院生、教職員宛に送信された」と記 す必要がありました。失礼いたしました。とはいえ、声明文送信 対象となっている「教職員」のなかに、私たちのような非常勤講 師・非常勤職員はそこから外されているんですね。(中略)この ような事件に遭遇するのは、常勤も非常勤も関係ない。ましてや、 遭遇してはならないからこそ、その問題を徹底的に追求する必要 があるというのに! ============================== 編集発行人:辻下 徹 Toru Tsujishita ( BKC 教員 ) 連絡先:tjst@rtm.ac-net.org