7月19日に常任理事会と組合との団体交渉()が約2 時間半行われたが、その模様を中継で聞くことができた。こ の交渉は「ボーナス1ヶ月カットの撤回」要求や中期計画などを 議題としていた。この議論を通じて学園の深刻な実情が浮き 彫りになるとともに、明るい兆しも見えてきた形である。 1.「はじめにボーナス・カットありき」 -説得力のない賃金切り下げの理由 組合側は教職員の意思、反発を背に、重ねて昨年来の「ボー ナス1ヶ月カットの撤回」を強く要求し、理事会があげる3 つの理由に合理的な根拠や説得力がないことを懇々と諭した。 理事会は紋切型の答えを時に大声を上げて繰り返しただけで あったが、「はじめにボーナス・カットありき(熟慮してカッ トを決めたのではなく、決めてから理由をつけた)」という ことことがまたしても確認された。たとえば理事会が「私学 が危機にあり、九州の私学の25%は定員割れである。将来 の危機に備えて早めに賃金切り下げに踏み切った(予算化も し、財源はあるにもかかわらず)」「他の大手私学の水準と 比較し給与が低いから、ボーナス・カットが不当であるとい うのは間違いである」と断言したことに表れている。「世界 水準」まで行かなくても、ほぼ同等レベル、規模の大学と同 じ給与水準を確保することなくして、教育や研究のレベルを 引き上げられると考えているのだろうか。 2.「光の見えてきたボーナス・カットの撤回」 -孤独、動揺の中にある権力者、独裁な者 組合委員長、書記長はじめ執行部の厳しい態度、道理ある説 明に対して、理事会側には乱暴な言葉、「賃金はできるだけ 低く、労働は長く強める」という旧式の経営感覚が露骨に表 れた。それは次の発言によく表れている。「長期的に教職員 の生活を保障するためにボーナス・カットを断行した」(現 在は十分支払い能力があることの表明)「大学の運命に理事 会は責任を持っているが、組合は持っていない」(理事会は 法的にはそうだが、組合=教職員は同等の責任を持っていると 考えるべき)「賃金やボーナスは組合が納得するまで、話し 合いを続ける必要はない」。この点は特に重要である。ボー ナス・カットに正当な理由、合理的な根拠があるなら、理事 会は自信を持って組合が納得できるまで話し合いを続けるべ きではないだろうか。「経営の論理を組合が理解できるはず がない」というのは今日、営利企業の経営者ですら取らない スタンスである。理事会はいつから、そのように旧式の経営 者になったのだろうか。権力者や独裁者は孤独の中にあり、 周りが見えなくなって動揺するという。理事会に道理がほと んどないのに対して、組合、教職員の要求の正当性がいっそ う鮮明になったという意味でボーナス・カットの撤回(2005 年を含めて)に、光が見えてきたと思うのである。 3.空疎に響く「学生のため」「社会貢献」という言葉 理事会は発言の冠詞にしばしば「学生のため」「社会貢献」 という言葉を用いる。組合は「理事会が人心の分裂や業務へ の動機の低下、学園指導部に対する不信、不満、不安をどれ ほど知っているか」(組合ニュース71)と問うているが、 これを解消せずによい教育の条件は失われる。今回の団体交 渉でも空疎にしか響かないのは、「大学運営が経営、ビジネ ス優先で、学生(教育)や社会をその手段としている」から ではないだろうか。そうでなければ、ボーナス1ヶ月カット というひどい仕打ちはできないはずである。長田総長は今年 末で退任する。一定の功績をあげたが、ボーナス・カットに よって総長に対する尊敬や感謝は水泡に帰しつつある。交渉 での総長挨拶が心なしか哀調を帯びていたが、そのせいだろ うか。「ボーナス・カットの撤回」を決断することによって、 「立つ鳥跡を濁さずに」してもらいたいものだ。