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[ml-cm-bkcmf 364] 物理科学科の中期計画意見集約
Date: Wed, 19 Jul 2006 13:56:50 +0900

(1) 全体を見渡して:専任教員を早稲田、慶応なみに充実させ、 立命改革を教育の内実化にむけよ。
ここ十年の立命館の大学としての規模拡大が、教育に於ける内実化 をまったく伴っていない。立命館の評価は官界財界では高いのかも しれぬが、高校教員、受験生とその父母の評価や受験界の評価は依 然として、全く残念な事に、同志社以下である。教育界での評価が 高くない。それは立命改革が教育に於ける内実化を伴っていない事 の反映である。 一方で基本金への組み入れという見掛け上の財政赤字化政策のおか げで、立命館の実質的人件費への財政収入に対する割合は(35%前後 か)は他大学(50%前後)に比べ著しく低い。 「早稲田、慶応につぐ私大」である事を標榜する立命館の学生一人 当たり常勤教員数は早稲田慶応の学生一人当たり教員数に比して 60%以下という貧困さである。早稲田(学生3万8千/教員数199 5人)。慶応(学生2万8千/教 員数1925人)。立命(学生数 約3万2千/教員数1017人) 要するに、カネがあるのにヒトに使わない。この悪弊を撤回し教員 の充実という<内実化>へに着手すべきである。それを中期政策最 優先課題とするべしが物理科学科の全員一致した意見でる。
「第2は、学びのありようと社会的需要変化に対応した選択と集中 創造的再編......」(P.11)
==> 以下の「創造的再編の原則」を明文化せよ。
提案文書は旧文書と比べ、スクラップ.アンド.ビルドを''創造的再 編''と書き換えただけで何ら本質的内容は変わっていない。「創造 的再編の原則」とあるがその原則が書かれていない。定義がない。 学科の再編は当然ありうる。しかし以下の原則が必要。これが我々 が提起する「創造的再編の原則」である。 a).教育組織再編には研究教育に与る現場がこれを協議決定す る責任をもつ。 b).教育組織には長時間スケールで変えてはならない古典的、 基幹的組織と逆に再編が活性化をもたらす流動的組織があ る。この二種の教育組織をバランスよく合わせ持つ事を前 提として再編が議論される。 何を古典と看做し、何を流動的と看做すかは正しく大学の見識であ る。受験人気のように世間の表層の動きに支配されるような教育組 織の再編を「創造的再編」とは呼ばない。
「第3は、立命館の発展を支えると同時にそれを先導する新財政政 策の推進...」(P.11) =======>>> この箇所は新財政政策文書と関係している。以下新財 政政策文書に関するコメント・批判 を集約
「新財政政策」では「370億円を確保できる見通し」とあるが、その 巨額収入に見合う事業の説明がない。BKC創設事業134億円、AP U開学事業192億円であることを考えると,もっと大きな事業展開が 可能であろうが。 1990年以来ほとんどの年度で、帰属収入の20%を超える基本金組 み入れが可能であった、つまり使いきれないくらい収入が潤沢であっ たことには一切ふれず、今後4年の基本金組み入れ 13%という立 て方には大きな疑問符。上記の総額370億円の事業よりももっと内実 化を促進できる大きな事業 ができるはずなのに、何も書かれていな い。資金をため込むだけで、それを教育にとって最も重要な人の雇 用に使わないのはどういう事か? 「消費収支の構成」の表(最後から2ページ目)の記述は詐欺に近 い。2006年度予算は、表に示されていない2005年度予算と本質的に 同じで、かなりの赤字。一方、2005年度決算は巨額の基本金組み入 れをした上で黒字。今年も、続く何年かも本質的には同じはず。な のにどうして赤字なんだ? 「研究の高度化」の最大の障壁の一つは、大学院学費・援助政策。  RA・助手制度は、有能な若い世代の研究時間を著しく減少させる だけでなく、高い大学院学費が重なることによって、世界はおろか 日本においても最悪の研究環境であることの認識が感じられない。 若い世代の研究・生活支援は、最も対費用効果の大きい施策である のは自明であるにもかかわらず、その取り組みが非常に弱い。 「研究の高度化」の最大の障壁のもう一つは、教員の時間の少なさ。 しかし、記述がなにもない。これも潤沢にある資金を人材雇用に回 せば、かなり改善できる事である。 立命の人件費比率は3割5分(2005年度)で、5割前後の他私大に 比べて大幅に下回る。明確な「財政政策」哲学に基づく方針である はずで、大いに議論すべきだが、この現実に全くふれず、何の説明 もない。 潤沢にある資金を他大学並の比率で人件費に使い内実化を促進るた めの議論を行うべき時である。真に創造的教育研究は考える時間的 余裕とゆとりがなければ決して芽生えない。 ましてや、短期間の集 中的な投資で芽生えるものではない。
********************************** 本財政政策文書中もっとも問題多い部分。P.12 **********************************
1.新財政政策P.12 学部、学科および研究科の創造的再編原則の基本的考え方 (1)-(3) 2.学生、院生の入学定数のシフトと教員再配置政策 に就いて。=====>>>
(3)の「競争能力を喪失した....経営環境にある云々」とあるが、私 学中最低の人件費比率の維持によって十分過ぎる程の財の蓄積があ りながら「縮小も避けられない経営環境にある。」とはどういう事 か? 殊に許しがたいのが「たとえば、...入学志願者数が入学定員の10倍 以下、..3倍以下、....偏差値50以下云々」である。学問的、文化的 存在基盤をもつ学部学科の学問分野としての存在意義に寸毫もふれ ず、浮薄な世間の動向によってどうにでも変わる偏差値や倍率等入 試人気のみから再編を決定するという、如何に教学に無知蒙昧な財 務と言えども許しがたい暴言である。こういう文章を書く財務関係 者は教育関係者としての基本的資質に欠けるので辞職していただき たい。既に論じたように創造的再編の責任は教学現場がもつべきも のであって教学現場を知らぬ財務の関与できるものではない。 1の(1)-(3)および2全体を削除する事を強く要求する。
IV. 世界的水準の研究成果の創出(P.22) ====>>> 「世界水準」とは何をさすか中身がない。 ====>>> 立命館の土壌から創造的独創的な研究を開花させる 為に何をなすべきかを論議しつくし、いいアイデア をつのるべきである。 ====>>> 世界水準並みの研究より立命館の土壌に育つ自立的 で創造的独創的研究を評価育成する<加点審査体制> を整備すべき。 ====>>> 立命館の土壌から生まれた研究によって「世界水準 の大学」ではなく「世界に尊敬される大学」を目指 すべき。
先ず私学としての“高度教養および科学教育”を基盤とする部門の 充実 をはかる。具体的には、早稲田、慶応の水準にちかいところま で教員数 を増員することである。そのうえにたって、高度研究部門 の整備をはかれるというものである。 研究を活性化するという観点には、立命の教員がどれだけのことを 達成 しているかをみきわめる必要がある。まず己の実力を知るべき である。それには、本学教員の総合的な力をみきわめなければなら ない。その上で、育成する分野が、各学問分野の中で自ずから浮上 する。それを総合的に分析したうえで採用する研究者、学部の将来 構想を論ずるべきである。 そのためには、教授の研究論文の数だけをつみあげたところで当該 研究の創造性独創性はかれない。ましてや、学問水準とは殆ど関係 ないところで決まる獲得した学外資金(これは社交によって決まる)、 輩出した博士の数(水準を下げれば、博士など大量生産できる)では かれるはずがない。例えば、以下のような制度を採用する事によっ て、当該教員の研究の創造性独創性を評価できる。 * 適当な期間(5ー7年くらい)をめどに、教員は研究報告を提 出し、同時にその研究を審査する。審査はその学問独創性創造性 の高さで評価すべきであり、審査委員会は当該分野にもっとも近 い分野の教員+他分野の教員によって構成されるべきである。場合 によっては学外からの委員をいれてもよい。但し評価は、減点法 ではいけない。被評価教員を元気づける加点法でなければならな い。さもなければこういう審査制度は、監視制度に転落し、自由 闊達な研究環境を破壊し、育つものも育たなくなるだろう。 世界水準とは何を具体的にさすのか? 白川静先生の研究の如く「自 ら責任において(学会その他の動向に支配される事なく)創造する自 立的な研究」こそが世界を豊かにする。(白川先生の研究はその萠芽 期は決して世間から評価されたものではなかった。) そのような研 究の萠芽を見出し、育て、花さかせる事にこそ全力を注ぐべきであ る。世界"並"の研究を行ったところで立命館の個性が輝く事にはな らない。 選択と集中によって研究が活性化できるのか? 私の貧しい個人的体験をかかせていただきたい。私は科研費特定研 究の班長を何回か体験した。一体験例ではボスが自由闊達な人物で、 「お金さえもらえば、あとはどんな研究やってもいい。特に期間中 に成果を出す必要もない。特定を組織する事によって異分野交流が 芽生えれば十分目的は達成されたと見なす。」と明言した。その特 定研究は思いもかけない分野間の交流が興り、その効果は今だ持続 している。もう一つの体験例ではボスが特定の目標を達成すべく有 形無形の圧力をかけた。その結果、まあやってる人はそれまでの慣 性でそれなりの研究を達成したが、特定を組織したおかげて芽生え るべき創造的な異分野交流は結局芽生えなかった。研究というもの はそういうものである。ある分野に集中的投資をして、短期間の成 果を期待しても、それが上がるわけではない。 それよりむしろ、研究者のこだわりと個性が生きる自由闊達な雰囲 気、時間的な余裕を醸成するべきである。立命館の財政的余裕をもっ てすればそれが可能なはずだ。真に高度で創造的な研究とは何なの か、その中身の議論をするべきである。「世界水準の研究」とは一 体何をもってそういうのか? そのモデルと中身を示すべきである。 ここで言う「世界水準の研究」とは、世界のどこかが研究の基本部 分を確立してくれた、目下流行中の研究に身をすりよせてゆく「東 大型研究」を推奨しているとしか読めない。 立命館の土壌では、秀才型の研究、即ち、世界のトップ水準を素早 く習得してそれを身につけ「世界的並み」の仕事をした<ふり>を するタイプの研究は合わない。そういう研究は東大や東工大あたり にやらせておけばいい。
研究業績2-3倍化計画、(P22) 若手研究者育成の為の後期課程の抜本的対策 (P23) について
仕事の質に対して2-3倍という定量的評価を一体誰がどういう基準で 行うのか? この提案は研究を全くしらない人間の馬鹿げた提案とい うほかない。 この提案を見掛け上達成するのは極めて容易である。 論文の質を落として多数の論文を生産すれば見掛け上の業績は増や せるし、同時に多数の博士を輩出する事もでき、「博士100人輩出計 画」も達成できる。しかし、オーバードクター問題は全く解決して いないし、博士課程の高額の学費問題も、十分な資金を持ちながら 何も解決していない。若手を育成したいなら博士課程学費を低額化 あるいは同等の奨学金政策を実行すべきである。早稲田の博士課程 学費は極めて低額と聞く。 若手育成に関しては「博士100人計画」に代わる提案が必要であり、 博士育成の「量から質」への転換がおおいに議論されるべきである。