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The False Realities of a Politicized Society

カレル・ヴァン・ウォルフレン(鈴木主税訳)
人間を幸福にしない日本というシステム

新潮OH!文庫 ISBN 4-10-290008, 2000.10.10刊.
第1部 よい人生を妨げるもの
 第1-1章 偽りの現実と閉ざされた社会 25
 第1-2章 巨大な生産マシーン 51
 第1-3章 無力化した社会の犠牲者たち 79
 第1-4章 民主主義に隠された官僚独裁主義 102
第2部 日本の悲劇的な使命 143
 第2-1章 日本の奇妙な現実 145
 第2-2章 バブルの真犯人 197
 第2-3章 日本の不確実性の時代 224
第3部 日本はみずからを救えるのか? 245
 第3-1章 個人のもつ力 247
 第3-2章 思想との戦い 266
 第3-3章 制度との戦い 307
 第3-4章 恐怖の報酬   334
 第3-5章 成熟の報酬   347

23

第1部 よい人生を妨げるもの

25

第1-1章 偽りの現実と閉ざされた社会

30

市民とは何か

市民とは政治的に意味をもつ存在だ。市民とは、自分のまわりの世界がどう組織されるかは自分の行動にかかっていると、おりにふれてみずからに言い聞かせる人間である。..市民はつねに、社会における自分たちの運命について理解を深めようとつとめる。

市民にとっては、自分がどのような状況におかれているか、その現実を知ることが決定的に重要だ。変えるべき対象について正確に知らなくては、変えようがないからである。

31

日本では民主主義は可能性に留まっている

ここで、もう一つの概念を理解する必要がでてくる。「偽りの現実(false reality )」という概念である。
日本では民主主義はまだ実現していない。いぜんとして可能性にとどまっている。そして、私の言う偽りの現実が人々の頭からかたときも離れず、おそらく日本に民主主義が生まれるのをはばむ最大の障害となっている。」
38

「しかたがない」について

「しかたがない」と言うことは、政治的な主張である。...「しかたがない」というたびに、いま自分が問題にしている点を改めようとする試みが、すべて失敗に終ると言っているのに等しいからだ。こうして、変革をもたらそうとする試みはいっさい成功しないと考えるよう、他の人々に勧めていることになる。

...
「しかたがない」というひとことの力で、日本人を政治的に閉じこめる檻の格子はしっかりと閉ざされる。..もっと自分通りに生きたいと考えるなら、「しかたがない」という一句を自分の辞書から追放したほうがいい。しかし、そうするためには、まず勇気が必要だ。...」

43 公式には民主主義国である日本が、なぜこれほど官僚に支配されつづけているのか−−これは、日本の市民がつねに自問すべき最大の問題である。なぜなら、官僚は選挙で市民に選ばれたのではなく、市民の選んだ代表によって任命されたのでもないからだ。官僚は、政府の省庁につとめているというだけで、権力を手にしている。彼等がこれらの省庁に入れたのは、たいていの場合、東大の入学試験に合格できたからにすぎない。彼等は、国家の運営に必要な英知を東大で吸収できたとでもいうのだろうか。そんなはずはない。東大にしても他の有名大学にしても、政治についてはずっと以前からひどく時代遅れの教育機関になっているからだ。このような遅れた環境のなかでは英知は育まれない。」
51

第1-2章 巨大な生産マシーン

65

社会の「政治化」について

政府の官僚は、業界団体を通じて、あらゆる業界に命令できる。実際、これらの業界団体は、省庁の付属機関か出先機関と考えてもいいほどだ。日本には純粋な政府機関や、純粋な民間企業もたしかにある。だが、それらは日本の政治経済システムでは例外的な存在である。システムの大部分は、民間部門と公共部門の融合した組織によって占められている・

...もはや政府と民間の区別ができないというのは、社会のほとんどが政治システムに組み込まれていることを意味する。..これを社会の「政治化」(politicization)という。日本の社会は、ほぼ完全に「政治化」されている。この「政治化された社会」という概念は難しいので、あとでもう一度、わかりやすく説明するつもりだ。これは日本のp市民に覚えておいてもらいたい最も重要な概念の一つだからである。」

67 日本の社会現象をじっくりと観察し、欧米の先進工業国とくらべてみると、驚くべき事実に気がつく−−日本には、政治に影響をもつ中流階級がほぼ完全に欠落しているのである。
79

第1-3章 無力化した社会の犠牲者たち

79

日本の経済構造の歪みについて

社会学的観点からしても心理学的観点からしても、経団連や日経連をはじめとする経済団体と系列企業が日本にもたらした経済構造は、日本にたいへんな損害を与えつづけている。戦後日本の2つの「偉業」−−「奇跡の経済」と中流階級の抑圧−−が、日本の個人生活に多大な犠牲を強いていることは、何度言っても言い過ぎることはない。家庭生活の質や個人の人格形成に、日本ほど企業が大きな影響をおよぼしている国は、他には見当たらないだろう。
..たとえば日本の教育制度は、経済組織の要求にもとづき、その利益に合致するようにつくられており、経済組織から受ける影響は欧米の教育制度よりもはるかに大きい。
96

Responsibility と accountablitiy の混同ついて

今日の状況を考える場合には、2種類の「責任」を区別して論じておかなければならないと私は考える。すなわち、「責任」(responsibility) と「説明責任」(accountability) である。
レスポンシビリティの意識とは、自分の決断や行動が重大な結果を生むかもしれない、だから軽々しく扱ってはならないと自覚していることであり、その意味での責任感なら、日本の政治エリートの多くがもっている。私も、日本の多くの官僚が強い責任感を示すのを見てきた。彼等に欠けているのは、アカウンタビリティのほうなのだ。

アカウンタビリティに欠けているというのは、自分たちが何をしているのか、なぜそうしているのかを、自分の所属する省庁以外の人に説明するよう求められれていないという意味だ。何が日本にとってよいことだと思うか、なぜそう思うのか。官僚はそれを説明するよう要求されていないため、自分の属する省庁の利益を超えた広い見地からものごとを考えられないのである。

102

 第1-4章 民主主義に隠された官僚独裁主義

104 日本はうわべだけの民主主義国になっている。そうした構造のなかで多くの「民主主義的」儀式が行われ、日本の市民を欺く偽りの現実が維持されている。うわべだけの民主主義のなかで実際に機能している権力システムは、「官僚独裁主義」と呼ぶべきものだ。

日本の独裁主義は特異な現象だ。なぜなら、私のよく知っている他の独裁政治体制とちがって、権力が最終的に一人の人間もしくは一つの集団に集中していないからである。

日本の政治権力は拡散している。政治権力は、官僚と経済界および政界のエリートの上層部というかなり厚い層に分散している。そして、この分散した政治権力が日本の政治システムをつくっているのだが、社会が政治化されているために、人びとは権力がどこから行使されているのか感じ取れない。実際、権力はいたるところから行使されているように見える。」 「官公庁で働く官僚と、業界団体や系列企業や系列銀行の高度に官僚化された幹部の両方をまとめて言い表す言葉が必要になる。彼等は「管理者」(administrators )と呼ぶべきだろう。」

114

コンセンサス・デモクラシーという偽りの現実

日本の民主主義に関する偽りの現実は、いくつかの作り話からなっているが、その最たるものは、欧米諸国の官僚は議会の支配を受けているが、日本の官僚は国民の代表の支配を受けなくてもいい、というものだ。なぜなら、日本は「コンセンサス・デモクラシー(合意による民主主義)」の国だからというのである。」
119

日本の司法制度も官僚の手中にある

もう一つ忘れてはならない重要なことがある。日本の司法制度も、つまるところは官僚の手中にあるのだ。日本の司法制度の最高機関である最高裁判所は、実際上は同裁判所の事務総局に支配されており、その事務総局は法務省の保守的な官僚に支配されている。これは、たいていの日本人が認識していると思われるよりはるかに深刻な事態である。
130

日本では社会秩序が正義より重要視される。従って現状維持が何よりも重視されている。

社会秩序は、政治に関する日本人の考え方においては、当然のようにいいものとされている。正義よりはるかにいいものと考えられている。そのため、日本の司法制度には、社会に正義が行われるようとりはからう人間はあまりいない。
143

第2部 日本の悲劇的な使命

145

 第2-1章 日本の奇妙な現実

147 私たちは何よりもまず、官僚が絶対に必要なことを認識しなくてはならない。官僚が存在しなければやっていけないのである。..官僚制度に敵愾心をもつのは賢明ではない。...官僚に社会を支配する権力を与え過ぎてはならない。だからこそ、官僚の実態に関心をもつべきなのだ。官僚を愛する必要はないが、彼等が自分自身をどのように見ているか、何を自分たちの任務と考え、何を問題視しているかは理解すべきである。」
151 官僚の能力を維持しつつ、官僚に政治を支配させない方法として、どういうものが考えられるだろうか。これは、近代民主主義社会にとっての最優先課題だと思われる。
153

日本では、官僚の権力が全く管理されていないことについて

日本の官僚制度が注目を余儀なくさせる側面、同時にきわめて恐ろしい側面は、それを管理するものがいないことだ。日本の市民は、なかなかこれを実感できない。..日本にみられる政治現象は、たしかに他の国でも見られる。だが、強大な権力が公的な権力として規定されないまま闇のなかに据えおかれている度合いや、日本の社会が政治化されている度合い、また官僚の権力が管理されていない度合いは非常に大きく、その点で日本は全く異質である。日本の市民は、官僚が日本ほど放任されている大国はないという事実に気づくべきだ。」
162 経済大国化という使命は、これまで検討されたことがなかったので、殆どの日本人は、空気のように当たり前のものだと長いあいだ思ってきた。立ち止まって考えることなどしなかたのだ。だが、経済大国化という使命は、空気と同じではない。空気がなくなると私たちは死ぬが、とめどない経済発展という使命を放棄せざるをえなくなっても、日本の国民は他のもっとよいいろいろなことを始められるのだ。」
165 日本人は若いときに、教師やスポーツのコーチなどの目上の人には質問しないよう教えられている。だが、私たち市民として、なぜいましていることをするのか、なぜ他の人間に自分たちの生活や仕事を取り仕切らせるのかを問わなくてはならない。
169 日本の政治エリートには、国民に相談するという習慣がない。各省庁のいたるところに設置されている審議会は、偽りの現実の一部である。だから、誰かが私に「日本はこうしたい」というとき、私は、「日本の誰がそうしたいのですか」と聞き返すことにしている。」
182 日本の経済戦略家たちが生活環境の改善を全く考えていないことは、すぐにわかる。戦後の日本経済を形成した主な政策決定を調べても、生活環境の改善など考えていなかったことがわかる。彼等が考えているのは、国家の安全なのだ。...レオン・ホラーマンによれば、日本の政治官僚とビジネス官僚は、日本を世界の経済司令部国家に変えようとしている。可能な限り世界経済を支配すれば、日本国民に究極的な安全保障をもたらせるというわけである。」
189 日本の政府官僚と実業家のビジネス官僚は−−言い換えれば「管理者たち」は−−あたかも自動操縦装置のように機能している。」
192

官僚には、変化への対応という低次元にしか選択肢がないため、状況に支配されざるを得ない、ということについて

官僚の選択肢は、変化する世界にどういう戦術で対応するかという低次元にしか存在しない。彼らは状況に支配されるのだ。そして、国家としての日本の目的にかかわる最高のレベルの選択肢は排除される。仲間を説得してそういう高次元の選択肢を考えさせる権限や政治的意思をもつ者は存在しないのである。...

日本の省庁は誤りを決して認めないことについて

事態を複雑にする要因もある。官僚も人間であり、人間は誤りをおかすものだ。それなのに、日本の省庁は、自分が誤りをおかしたという事実を決して認めようとしない。このためにすべてが損なわれる。各省庁は、せいぜい広報面への配慮が足りなかったことを謝罪するくらいで、根本的な誤りを認めることはない。」
194 私たちは、日本の「管理者たち}が自分たちのしていることを説明するように求められていないことを見てきた。彼等はaccounatbility をはたしていない。これは、彼等が自分自身や自分の仕事を客観的に吟味するよう訓練されていないことを意味する。
197

第2-2章 バブルの真犯人

224

第2-3章 日本の不確実性の時代

244 収益を度外視して産業の拡大を追求する昔ながらの使命が、いまなお遂行されつづけ、そのための資金が家計からしぼりとられている。こんな危険なやりかたがつづいている理由はただ一つしかない。国家的使命の遂行者たちが、目隠しされたまま、自分たちは最善をつくしていると信じているからだ。こうした状況を変えるためには、彼等に自己欺瞞をやめさせ、同様をも国民をも偽るのをやめさせ、これまで当然と思ってきた目的を真剣に考え直させなければならないのである。

245

第3部 日本はみずからを救えるのか?

247

第3-1章 個人のもつ力

250

指導者の無能と構成員の無関心が組織の有害な惰性を引き起こすことについて

国家や組織の構造について、少し考えてみよう。国家や組織の成員は、2つのグループに分けることができる。一方のグループは、組織の運営に実際に関与するわけではないが、運営しているグループを監視し、彼等がきちんと仕事をしていなければ干渉する義務がある。前者のグループの無能力と、後者のグループの無関心が、有害な惰性を引き起こす。
252 しかし、今日、まさに舵取りが必要なこの重大局面に、日本を運営する大蔵官僚にはもはや舵を取る能力がないことは明らかだ。この無能力さゆえ、彼等が危険な存在になっていることを十分に認識しなくてはならない。
彼等は日本を破滅に導きかねない。戦後最長の不況がなおもつづき、政治の行方も外交関係も予断を許さないときに、この官僚たちは本来なすべきことと反対のことをしている。内需拡大のために国民の懐にお金を入れるべきなのに、消費税と公共料金を上げることばかり考えている。もっと広い視野に立ち、日本の経済を健全なものとし貿易相手国との健全な関係を結ぶべきことを考えると、これは破滅的だ。日本経済にも世界との関係にもさらなる打撃となるだろう。

日本の有害な惰性の第二の原因は、一般の人々があいかわらず「しかたがない」と言い続け、思い続けていることだ。無能な人たちが組織を運営し、構成員の間に無関心が広がっていれば、それは組織の衰退を破滅の決定的な要因となる。組織を運営する者が無能でも、構成員が組織の運命に大いに関心をもち、つねに心配しているなら、なんらかの手段を高じるだろうから組織には再生のチャンスがある。だが、関心をもつメンバーが少なく、全体として十分な力がなければ、組織には再生のチャンスがない。つまり無関心は組織にとって最大の脅威なのだ。」

256

国家予算を官僚がすべて決める国は日本だけ

民主主義を標榜している先進工業国で、政府の使う金の額とその調達方法を、選挙で選ばれたのではない官僚がすべて決定する国は、日本以外にはない。日本以外の国では、これらの問題の少なくとも大部分を、選挙で選ばれた政治家が決めている。
257 大蔵官僚は悪人ではない。彼等は、自分たちの任務だと思っていることを実行しているだけだ。だが、その点はかつての軍の上層部も同じだった。両者に共通しているのは、国全体を正しく導いていく能力がない点である。そして、最もおそろしいのは、第二部で分析したように、官僚は自分たちが何をしているか本当にはわかっていないことだ。まさに子供が火遊びをしているようなものなのである。
258

「しかたがない」という政治的言葉を辞書から追放すべきことについて

個人はすべて、少しだけなら自分の環境を変えることができる−−この点は、誰もが認めると思う。みなさんにも、そのような経験が少なくとも数回はあるはずだ。そこからもう一歩進んで認識すべきなのは、とても小さな努力の積み重ねが突如として大きな結果を生むことがあり、それがさらに重なれば重大な変化をもたらしうるということだ。言い換えれば、日本を変えるための小さな貢献が的を得たものであれば、しかも他の人々の小さな貢献とうまく結びつけば、かなり有意義な結果が得られるかもしれないのだ。
 だが、そのためには、まず基本的かつ重大な一歩を踏み出さなくてはならない。その最初の一歩は、日本で最も頻繁に使われている「しかたがない」とう政治的な言葉を、あなたの辞書から追放することである。これからは、決して「しかたがない」と思ってはいけないのだ。
264

日本では、制度と思想を通して組織的に偽りの情報が流されていることについて

私が知っている多くの欧米諸国やアジア諸国とくらべて、偽りの情報が組織的かつ狡猾な手口で流されている点で、日本は最悪だ。..みなさんは、偽りの情報を流す大きな媒体について知る必要がある。それは制度と思想である。制度のなかには、大半の日本人が決して疑いを抱かないものもある。また、思想のなかには、日本人がいつも当然のように受け入れているものもある。」
266

 第3-2章 思想との戦い

268

社会的な組織が人々の視野を制限する

社会的な組織の影響力は、人びとの視野を制限するうえでとくに威力を発揮する。社会的な組織が、何が現実であるかを決めるのだ。だが、人々が共有する管理された現実よりも、人々が個人として思い描く現実のほうが、つねに内容が豊富である。この事実のゆえに、人は独立した個人になれる。これは、人間であることの本質なのだ。
269

行動を日本文化のせいにして納得すべきではない

何かが日本文化の一部であるという説は、説得力があるように聞こえるかもしれない。しかし私は、今度誰かが日本文化という言葉を用いたら、笑い飛ばすようお勧めしたい。行動を文化のせいにして説明されても、納得すべきではないのだ。文化をもちだしても行動を正当化することはできないし、ほとんど弁明にさえならない。
...ここで注意すべききわめて重要な点は、人が何かをするのはそれが文化の一部だからという主張には、別の意味も含まれているということだ。つまり、平均的で、普通で、習慣的で、社会的に奨励されるこれらの行為は、神聖視しうるものでもあると言おうとしているのだ。神聖なものを妨害するのは危険だ。だから変えるべきではない、と言っているのである。」
276

日本が調和のとれた国というイデオロギーは対立を排除するため有害である

日本は調和のとれた国である−−あまりに多くの人がそう思い込んでいる...。だが、これは笑止千万な主張である。まったくのナンセンスなのだ。
しかし、日本は調和のとれた国であり、その意味であまたの国のなかでも独特な存在だとの信念は、日本人の集団的意識に深く根づいている。きわめて多くの人が非常にうまくだまされている。この信念ははなはだしい偽りの現実であり、そこからさらに多くの偽りの現実が生みだされている。
日本の社会は、並み外れて調和がとれているなどという人がいたら、やはり笑い飛ばすべきだ。そして、全く逆に、日本は並外れて不調和に悩まされていると反論すべきである。...
調和のイデオロギーが日本にとって有害なのは、それが嘘のかたまりだからだけでなく、日本社会における対立の正当な役割までも否定するからだ。私たちには対立が必要だ。この言い方に驚くとすれば、それは調和の達成を倫理的に必要なものと思わされている証拠だろう。すぐには信じられないかもしれないが、対立がなければ社会にしっかりした秩序をもたらすことはできない。
調和は必要で対立はつねに悪いことだという考え方を、教育によって信じ込まされている人には、この話しはショックだろう。しかし、民主主義を実現するためには、本当に対立が不可欠なのだ。対立を通じてこそ政治思想を競わせることができ、対立を通じてこそ、人々は政治的に教育される。対立を通じてこそ、協力な利権によって生じる大きな社会問題を解決できるのだ。
292

知識人は非民主的な社会統制計画に参画してきた

学者や編集者や文学者をはじめ、おおまかに、「知識人」と分類される日本の文化人は、わずかな例外を除いて、同胞である日本の人びとの政治的解放を促進するうえで大きな力になってこなかった。..そのかわり、彼らは官僚に協力する傾向がある。知識人は非民主的な社会統制計画に−−ときには意識的に、多くは知らないうちに−−参画してきたのである。

優秀な頭脳とよく鍛えられた精神をもち、立派な学位を取得した人びとが特権階級を形成する。権力者は、一般にこの特権階級と友好関係を結びたがる。そのため、いかなる社会でも知識人への誘惑は大きく、権力者と親密になって特別な恩恵を享受するよう知識人はそそのかされる。日本の知識人は、おおむねこの誘惑に負けてきた。...
ものごとをよく考える人なら、いつも時代のどこの国の人でも、ある者が他の者を支配する権力は警戒すべきだと認識している。日本の人も例外ではない。...

293 日本を変えたいと考える市民が忘れてならないのは、日本の多くの知識人が「管理者たち」にそそのかされて、既存体制の宣伝活動をさせられていることだ。
307

第3-3章 制度との戦い 307

322

日本の市民社会は大新聞により乗っ取られていることについて

日本の市民社会の悲劇は、乗っ取られたことだった。市民社会が繁栄する見込みは、独立した労働組合がつぶされ、戦後に短期間ながら独立していた司法機関がふたたび官僚の支配下におかれたとき、すでに大きく損なわれた。だが、日本の市民社会を最終的に乗っ取ったのは、大新聞だった。大新聞は、批判的な政治分析を妨害し、官僚の権力を支持し、世論を反映するのではなく捏造し、巨大な偽りの現実をかかげて、市民社会を乗っ取ったのである。
326

新聞の編集者の心のもちようを変えるべく、働きかける必要性について

新聞の読者は、新聞の質に多くの影響をおよぼすことができる。まじめな新聞社なら、読者から送られる意見や批判に−−内容が一貫しており、書き方も丁寧であれば−−編集者が敏感に反応する。この方法で、日本の市民は自分たちが思っているよりはるかに大きな力を発揮できるのだ。...みなさんおすべきなのは、..編集者達の心のもちようを変えることなのだ。
まず何度でも指摘してはっきりすべきなのは、社会秩序維持はジャーナリストや編集者の任務ではないということだ。..彼等の任務は、自己の能力と手段のかぎりをつくして、市民が知るべきことをできるだけ正確にかつ完全に読者に伝えることなのだ。
328

記者クラブについて

日本における真実の報道は、ある不愉快な制度によって組織的に妨害されている。この制度には改善の見込みはないから、取り除くしかない。つまり「記者クラブ」のことだ。

この制度こそが、ニュースと情報の管理に主要な役割をはたしていることを知る必要がある。記者クラブは、一九四五年以前、軍人と社会統制官僚が支配力をもっていた時代に、戦時の宣伝と検閲の道具として発足した。以来ずっと、自己検閲システムの最も有効な手段となりつづけている。

自己検閲は、何を報道し、何を報道しないかを合議で決めることによって成り立つ。自己検閲の度合いは記者クラブによって異なる。しかし、記者仲間からの庄力がそれほど強くない場合でさえ、この制度は良質のジャーナリズムを育むのに欠かせない報道における自主独立の姿勢を損なっている。

記者クラブは民主主義国にふさわしくない。多くの官僚組織と記者たちとのあいだにしばしば馴れ合いの関係が生まれ、記者の批判精神がむしばまれてしまう。たとえば、警察の言動に関する記事はまったく信用できないものだ。日本の権カシステムのなかのこの強力な組織たる警察については、自主独立の報道がまったく存在しないからだ。だが、記者クラブは日本の権カシステムに深く組みこまれているので、審議会と同じく、すぐにはなくなりそうもない。

しかしながら、市民のチームはこの記者クラブ制度を一貫して批判していくことができる。記者クラブの制度が、肝心の情報を読者から組織的に奪い、日本で何が起こっているかをわかりにくくしている‐‐この事実を自分たちが認識していることを、編集者にわからせるのだ。

330 日本に市民社会を築きたいと思う市民がここでなすべきことは、わりと簡単なことだ。日本人の暮らしに大きな変化をもたらしている人物や組織に、新聞が定期的に質問し、彼等が何をしているか、なぜそれをしているかを明らかにさせるべきだと、編集者たちに主張しつづけるのである。...日本の真の権力者にアカウンタビリティをはたさせるのは編集者の責務であると、市民が繰り返し編集者に思い起こさせるべきなのだ。

331 大学は、ほとんどの場合、市民社会の強化に重要な役割を果たしてきた。ところが、日本の大学では、新聞と同じく、市民社会を弱いものにしてしまう傾向がある。つまり、日本の大学は現状維持のための勢力なのだ。...

大学は、日本を変えるためには邪魔なのだ。なぜなら、日本の学者は日本社会の支配の実態とほとんど、あるいはまったく関係のない問題へと、人びとの注意をそらしてしまうからだ。彼らは、難解な理論や無味乾燥な専門知識のなかに迷い込んでいる。政治の現実を「科学的」に研究しているという言い訳によって、彼らが現実から逃避している事実の重大性が隠されてきたのだ。

333 私は、日本を有害な惰性から救いだそうとする市民が、大学という制度を第一の標的にすべきだとは思わない。新聞を変える努力とは異なり、日本の大学をもっと政治的に反応するように変える努力は、おそらくたいへんなエネルギーの浪費になるだろう。もっとも、自分が大学に在籍していれば話は別だ。 もしあなたが大学教授で、聡明な学生に教えているなら、もちろん彼らの考え方に大きな影響を与え、市民の育成に一役買うことができる。この本で論じている主要な問題を取り上げれば、学生はあなたの話をすぐに理解するだろう。 またあなたが学生なら、教授に適切な質問をすることで成果があがるかもしれない。偽りの現実が日本社会の望ましくない面の根本にあることを、教授を怒らせないではっきりとわからせられるなら、当然それを実行してみるべきだ。」
334

 第3-4章 恐怖の報酬 334

347

 第3-5章 成熟の報酬 347


  • 日本には市民が存在しない。市民とは、社会のありかた自分も責任があること自覚し行動する存在のことである。
  • 日本では官僚が完全な権力を掌握し、社会の管理を使命と考えている。
  • 官僚には責任感responsibility は十分あるが、accounatbility が完全に欠けている。それが日本社会の最大の欠陥であり、また、悲劇である。
  • 大新聞は、官僚を支持し架空の現実を作り出し市民社会を乗っ取ってしまっている。