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グローバル経済が世界を破壊する

ジェリー・マンダー、エドワード・ゴールドスミス編(小南祐一郎・塚本しづ香訳)
朝日新聞社 2000.4 刊 ISBN 4-02-257457-7

原著 "The Case Against the Global Economy : And for a Turn Toward the Local" by Jerry Mander (Editor), Edward Goldsmith (Editor)

書評

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関連サイト

  • WTOに関する国際市民声明(2001.8.2)"OUR WORLD IS NOT FOR SALE.WTO: Shrink or Sink" (仮訳:「〜私たちの世界は「売り物」ではない〜WTO:縮小か、破滅か」)
  • 通商白書2001 各論:世界貿易機関(WTO)
  • ATTACニュースレター日本語版プロジェクト
  • 武藤一羊氏(ピープルズプラン研究所)
    「グローバル化と冷戦後の米国覇権--経済と政治・軍事の結びつきをつかむ」 (2001.3.26)

  • 目次

    1 はじめに時流に抗して
      ジェリー・マンダー p7
     「上げ潮」/マスメディアの怠慢/欠陥だらけの思想妄想を生む仕組み
     引き潮−−再び地域へ

    2 プレトンウッズの失敗
      デイヴィッド・C‐コーテン p31
      成長に生態系は限界/経済的不公正/企業を規制から解放
      エリート支配のためのフォーラム/支配の道具立て

    3 市場資本主義の偽りの勝利
      デイヴィッド・C‐コーテン p47
      極端なイデオロギー−−社会主義と資本主義/裏切られたアダム・スミス
      自己本位の極論/多元主義と極論

    4 ガット、WTOと民主主義の崩壊
      ラルフ・ネイダー、ロ−リ。ウォラック p59
      権力を操る職人たち/民主主義的な法律を標的に/WT0・グローバルな強制装置
      古い規定と新しい規定/グローバル化の阻止

    5 グローバル経済と第三世界
      マーティン・コア p75
     危険な技術と製品の輸入/緑の革命/近代漁業は水産資源を破壊する/森林の伐採
     近代工業と巨大ェネルギー事業/資源は南から北へ流出する/新しいガット
     現状に代わる新たな展望

    6 新開発政策グローバルな環境経営
      ウォルフガング・サックス p91
     公正についての曖味な主張/管理・経営問題としての地球の有限性
     残りの自然をめぐる駆け引き/効率と充足/グローバル化の制覇

    7 電子マネーどカジノ経済
    リチャード・バーネット、ジョン・カヴァナ p109
     電子マネーの本質/グロ−バル化と規制撤廃の圧力/ホームレス・マネーの展開
     「カジノ経済」の出現/世界的な規制撤廃競争/最後の障害

    8 バイオ植民地主義生命の特許化と人体のグローバル市場
     アンドリュー・キンブレル p129
     生命形態の独占/自然の終焉/遣伝子組み換えは動植物の枠を超える
     人体のグローバル市場/遣伝子ラッシュ/バイオ民主主義

    9 コミュニティー・マネー地域通貨の可能性
     スーザン・ミーカー・ロウリー p149
     地域交換取引システム/代用貨幣/〃イサカ時間〃/〃時間ドル〃/変化のための手段

    10 「市民」GE
     ウィリアム・グレイダーp171

    11 ウォルマートグローバルな小売業者
     カイ・マンダー、アレックス・ボストン p187
     ミスター・サムのクラブ/ダウンタウンからゴーストタウンヘ/ウォルマートの給料
     コミュニティー収入の喪失/ウォルマートを押しとどめるには

    12 搾取の種 グローバル経済における自由貿易地帯
      アレキサンダー・ゴールドスミス p199


    13 東南アジア経済の輿亡
     ウォールデン・ベロー p207
     第一の波・日本の直接投資/第二の波・金融資本/タイの場合
     マレーシアでは/偶然の挫折か長引く不況か/アジア人が〃アジアのモデル〃を論じる
     危機か好機か

    14 多国間投資協定(MAI)金融自由化がやってくる
      オリヴィール・フーデマン p225
     MAIの内容/環境と労働者を守る?/企業の支配/MAIに対するロビー活動
     民衆の抗議/喜ぶにはまだ早い

    15 終わりに 家族・コミュニティー・民主主義
     エドワード・ゴールドスミス p237
     〃社会経済〃にかわって/コミュニティーの崩壊/コミュニティーと民主主義
     自給自足/グローバル経済の崩壊は避けられない

    訳者あとがき 小南祐一郎 p255

    1 はじめに 時流に抗して

    ジェリー・マンダー

    本書の第一の目的は、グローバル経済と呼ばれているものの実態が何なのか、 また急激に進むグローバル化がわれわれの生活にいかなる影響を与えるのかを 明らかにすることにある。第二の目的は、こうした動きはできるだけ早く阻止 しなければならないし、むしろそれを逆転しなければならないということを提 示することにある。

    経済のグローバル化が少なくとも産業革命以降の世界政治・経済制度を再編成 しようとするものであることは確かである。こうした基本的な変化は、公の調 査や論議の対象になったことはほとんどなかった。この地球規模の再編成につ いては、その大きさにもかかわらず、われわれの選良も、教育機関も、マスコ ミも、いったい何が行われようとしているのか、その根底にある思想はどうい うものなのか、信頼するに足る説明をしてこなかった。時折マスコミに掲載さ れるグローバル経済の現状や将来に関する記事の取材源は、通常この新しい秩 序の恩恵を受ける有力者、すなわち企業の指導者、政府内にいる彼らの協力者、 また最近特に力を持ってきた国際貿易官僚である。彼らがわれわれに提示する 展望は「グローバル化はわれわれの病を治す万能薬になるだろう」という全く 楽観的な理想論である。

    だが驚くべきことに、彼らのいう理想郷は、ここ数十年来彼らが自由貿易、規 制撤廃、経済再建策などを通して世界各地で適用し、しかもはっきりと失敗に 終わった経済政策や経済理論の上に築かれているのである。事実、現在のよう な凄まじい状況−−社会秩序の崩壊、貧困の増加、難民、ホームレス、暴力、 疎外、さらには多くの人びとの心の奥に潜む将来に対する限りない不安−−を もたらしたのは、こうした政策や理念そのものなのである。

    同様に重要なことは、地球的な天侯異変、オゾン層破壊、動植物の種の喪失、 大気、土壌、水の極限に近づいてきた汚染といった自然破壊のなかにわれわれ を追い込んだのも、これらの施策だったという事実である。

    われわれはいま、このように人びとを貧しくし、地球を荒廃させてきた開発計 画がさらに強化され、あらゆる場所で何の規制もなく自由に適用(つまりグロー バル化)されれば、これまでとは全く違った豊かな実りある世界がもたらされ ると信じるように仕向げられている。これは悪いニュースというしかない。し かし、こんなことが起こらないように手を打つことができるとすれば、これは 良いニュースである。

    〃上げ潮〃

    ガット(GATT‐関税貿易に関する一般協定)のウルグアイ,ラウンドと、それ に関連するWTO(世界貿易機関)の国際的な承認は、世界の政治指導層や多 国籍企業から世界の救世主の再来のように祝福された。彼らはこの新しい取り 決めが二千五百億ドルに上る世界経済活動を短期間に生み出し、その恩恵はわ れわれのすべてに〃滴り落ちる〃であろうと主張した。「新しい上げ潮がすべ てのボートを持ち上げてくれる」というのが、いましきりにいわれる政治・経 済についてのお説教である。

    実際、グローバル経済は、その形式ばかりではなく規模においても新しい。 国際経済を動かす新しいルールが生まれ、技術の発展によって開発と貿易は加 速し、またグローバルな政冶権力は急激な変化を遂げた。ラルフ・ネイダーと ローリ・ウォラックが述ぺているように、新しい国際的な官僚機構のルールに 合わせるため、多くの民主主義国家が自ら民主的に制定した法律を抑割するよ うな措置を採った。グローバルな企業活動に対する規制は撤廃され、通貨も国 家の統制から外されたため、リチャード・バーネットとジョン・カヴァナがい うような、通貨投機家に支配される〃カジノ経済〃が生まれた。

    しかしながら、このグローバル経済の根底にあるイデオロギー的な基本方 針は、それほど新しいものではない。それは現在われわれを社会、経済、環境 の面で窮地に追い込んでいる方針そのものてなのだ。この基本方針には経済成 長の優先、成長を刺激する自由貿易の促進、束縛のない「自由市場」、政府規 制の不在が含まれる。さらには西側企業の考えを忠実に反映し、その利益に奉 仕する浦ような均一な発展モデルを世界中に売り込み、飽くなき消費をあおる というのも、この方針に従っ時たものである。

    p20

    欠陥だらけの思想

    こうしたすべての問題は「全体」として見なければならない。いま世界を 動かしている組織の行動の基礎となる思想は、実は欠陥だらけである。デイヴィッ ド・C‐コーテンは個々の問題を要約して全体像を提示している。自給自足の 社会は消費だけを続けるわけにはいかないのだ。

    ウォルフガング・サックスが論じているように、開発は問題の解決策では なく、その発生原因となることがしばしばある。かつては世界でも有数な金融 業者であり、人生の大半を経済開発の受益者として過ごしてきたジェイムズ・ ゴールドスミスは、超国家企業と超富豪だけがグローバル化から利益を得るの は不可避だと書いている。一方、その費用はまた環境や貧しい人びとによって 不可避的に支払われることになる。しかし、最終的には、成長は明らかに一時 的なもので、持続できるわけではない。「大勝利」を収めたものも所詮は「タ イタニック号の上でポーカーに勝ったようなもの」なのだ。

    経済思想家であり、ダリーンビースの活動家でもあるスーザン・ジョージ は、ファブリッィオ・サベッリとの最近の共著『信頼と信用』(九四年・邦訳 『世界銀行は地球を救えるか』)のなかで、一部の人びとの間でしきりにいわ れている「グローバル経済政策の根底には世界的な陰謀がある」という議論に 反対している。世界銀行やIMFのような国際機関の不手際な活動に関しては、 ジョージとサベッリはむしろ責任は西側開発政策の無能とイデオロギー、さら にいえば、こうした政策への宗教にも似た信奉にあるという。新しい開発計画 が声高くうたいあげたような目的を達成できず、社会的、環境的な混乱を引き 起こすたびに、経済専門家たちは狂信的な信者のように、さらなる混乱を引き 起こすような計画に向かって進み続けた。ジョージとサベッリはその著書のな かで、ュートピア実現の名の下に貧しい人びとをより貧しくし、伝統的に有用 な経済制度を破壊していった開発政策に関して、世銀が当初に掲げた目標とそ の実績を対比した一覧表を掲載している。

    もちろん、誠実な経済専門家たちが、たとえミルトン・フリードマンの影 響を受け、その経済理論の信奉者になったとしても、どうして世銀の経済構造 改革計画に基づく借款のようなものが有効だと信じるようになったのか、なお 疑問は残る。こうした借款は自国の経済・社会構造を崩し、押しつけられた自 宙市場、自由貿易のイデオロギーによってそれを再編した国にのみ与えられる のである。

    世銀の借款を受ける国が引き受ける典型的な条件としては次のようなものがあ る。(1)保護関税の撤廃。これは直接、国内産業を危険に陥れる。(2)外国 投資を制限する規則の撤廃。これは国内産業の外国支配を招く。(3)自給自 足の小規模農業から輸出向けの企業モノカルチャーヘの転換。これは現地の食 糧自給を困難にする。(4)価格統制の廃止と賃金抑制の強要。(5)社会・医 療保障の大幅な削減。(6)政府機関の積極的な民営化。これによって貧しい 人びとは社会サーレビスを受けられなくなる。(7)国内の産業を多様化し自 給自足を促進してきた輸入代替政策の廃止。

    普通に考えれば、こうした政策はその国の生きる力を削ぐだけであり、結果も まさにその通りになった。外部の介入を受け入れ、WTOに加入した国々は、 自国の経済が崩壊し、外国の超国家企業が彼らの政治や経済を支配するのを目 撃することになった。

    妄想を生む仕組み

    ジェイムズ・ゴールドスミスは『ロンドンタイムズ』(九四年五月五日付)で次のように述べて いる。「文明は全く新しい状況のもとで、その経済的イデオロギーの妥当性を再吟味することがで きず、そのため文明そのものが自壊しているのを見るのは驚くべきことだ」。おそらくこれは経済 専門家たちが、ほかの狂信者と同様、自分たちの思考の枠の外にあるものは見えないということだ ろう。ただ少なくとも、このことだけははっきりしている。経済専門家たちは自分の成功を測定し、 自分の妄想を是認するような尺度を考え出したということである。

    こうした架空の尺度のうち最も重要なものは、現在、経済的な進歩を判定する のに広く用いられている国民総生産(GNP)と国内総生産(GDP)である。これ は国内の金銭上の取引の量を測るもので、この基準によれば、経済活動が多け れば多いほど経済は健全だということになる。テッド・ハルステッドとクリフォー ド・コッブはGNPとGDPの実態をみごとに暴露している。例えば天然資源の喪失、 刑務所の増設、爆弾の製造などというマイナスの要素は、現在の経済理論では〃 健康〃の指標となっているが、その一方、無報酬の家事、子供の世話、地域サー ビス、自家用の食料や道具の生産などという、本来より望ましい活動は不合理 にもこの経済統計に記載されてはいない。こうした活動は経済の健康度を示す指標とは見なされないのだ。

    この問題点をハッキリさせるため、エドワード・ゴールドスミスは次のような寓話をあげている。

    二人の友人が隣接する一万工−カーの林を相続した。友人Aは林に何も手をつ けず元のままにしておいた。友人Bは木をマクミラン・ブローデル会社に売り、 会社は木を切り倒した。彼はさらに表土と地下の石炭と鉱物の採掘権を売った。 この仕事が終わると、彼は掘られた穴に低レベルの毒性を持つ廃棄物を捨てる 許可をコンピューター・チッブス会社に与え、その上を舗装した。それが済む と、彼はその上に広いモール、テーマバーク、多目的劇場、屋内ブールを備え た産業団地を建設した。友人Aは地域の人たちからは木や鳥のために析角の機 会を無駄にした変わり者だと思われた。彼は理想主義者だが現実に疎いといわ れた。友人Bは土地を開発し、GNPを増やしたということで地域の柱と呼ばれた。 大金持ちになった彼は数百万ドルをメキシコ国境のハイテク機械製造業に投資 し、公職選挙に打って出た。彼のスローガンは「上げ潮はすべてのボートを持 ち上げる」であった。彼は上院議員に選ばれ、NAFTAとガットに賛成票を投じ た。

    この話の意味は明らかだ。一般の考え方では、重要なのはGNPであり、開発は そのための手段である。自然を守ろうとして行動を起こす人びとは信頼されず、 退けられる。そうした行動は現在の経済基準に照らせば有益ではないからだ。

    ハルステッドとコッブはGNPとGDPに対抗して一つの答えを提示している。それは真の進歩 指標(Genuine Progress Indicator=GPI)とでもいうべきもので、これはGNPから外された経 済活動の社会的、環境的要素を取り入れ、これまで評価されなかった家庭、地域、自然に有益な活 動に価値を与えるというものである。

    陰謀によってか、イデオロギーの狂信によってか、あるいは度し難い無能のた めにか、ともかく経済のグロ−バル化は一部の組織に思恵をもたらした。トニー・ クラークは「国家を含む世界の経済主体上位100のうち47が実際には超国 家企業であり、世界貿易の70%は約500の企業によって支配され、超国家 企業の1%が対外投資の半分を占めている」と書いている。さらに新しい貿易 協定は企業の集中化を加速し、国家との関係では企業の力を強化している。実 際のところ、これが「自由」貿易の目的なのだ。

    こうした集中化を可能にしたのは、新しい通信技術、衛星テレビとグローバル なコンピューターの力である。コンピューターと衛星の結合体はグローバル企 業の神経中枢となり、四散していた活動を一つにまとめることができるように なった。テレビと広告のグローバル化によって企業はそのイデオロギーを世界 に拡め、西側の幸福な消費生活様式の理想像を、最近まで道路もなかったよう な地域にまで売り込んでいる。ウィリアム・グレイダーはその具体的な例とし てゼネラル・エレクトリック(GE)の大きな政治力行使をあげている。

    企業は元来その存在と権限を国家の法律によって認められているものだが、そ の法律はわれわれが正当な手続きをとれば、廃止することも書き換えることも できる。われわれが発議して新しい企業の法律をつくり、例えば、企業がその 地域を離れたり、他の企業を買収したり、広告料による減て税を認められたり、 刑事罰も受けずに他人を傷つけたり、トップの経営者がベルトコンベヤーで働 く労働者よりもあまりにも高い給料を貰ったりすることを禁じるようにすれば よい。

    p62

    民主主義的な法律を標的に

    p64 ガットは非常に巧妙につくられた協定である。ヨーロッパの企業は彼らが気に入らないアメリカ

    おける牛の成長ホルモンの使用禁止(ヨーロッパ市民の求める消費者保護)や残酷な方法で捕らえ た動物の毛皮の販売禁止を攻撃する一方、ヨーロッパはアメリカの燃料消費基準や食品のラベル表 示法を攻撃する。だが、いずれの場合も得をするのは企業であり、損をするのは市民や民主主義で ある。

    おそらく議員をはじめ多くのアメリカ人はこうしたことが信じられないであろう。ほとんどのア メリカ人は自国の市場に入ってくる品物には、アメリカのいかなる基準でも押しつけられるし、そ れが名も知らない貿易官僚たちによって批判を受けるなどとは考えてもいないに違いない。しかし、 アメリカはガットやNAFTAを承認することで、そうした自国の法律の適用を貿易官僚の秘密の 判断に委ねてしまったのである。

    最近のダローバルな〃自由貿易〃協定は、その交渉、承認、実施の過程で、始めから終わりまで、 すべて市民の参加を排除するように仕組まれている。貿易交渉はつねに閉じられたドアの向こう側 で、選挙の洗礼を受けない無責任な官僚の間で行われ、しかもp彼らは大企業の利益代表がほとんどである。

    秘密のベールが交渉の過程そのものをすっぽりと覆い隠している。ウルグアイ・ラウンドの八年 間、交渉の断続はあったものの、つねに大国の少人数グループが会議場の控室に集まって談合し、 その結果を「承認か制裁か」という形で、他のガット加盟国に強要してきた。そのため、これらの 国々は単に「合意」を形成するだけの立場におかれた。ウルグアイ・ラウンドの結論は、アメリカ、 ヨーロッパ諸国間の交渉のため一年間棚上げにされ、他の百以上の国々はただ手をこまねいて待っ ていただけであった。

    p237

    終わりに 
    家族・コミュニティー・民主主義

    エドワード・ゴールドスミス

    グローバル化の最後の間題はわれわれの家庭やコミュニティーに戻ってくる。 グローバル化と開発の過程はまた、地域経済、コミュニティー、家族から、国 家や企業の支配を離れて自立する能力を奪う過程でもある。かつてコミュニティー 内で自由に支障なく行われていた協力的な取引は、貨幣を通じて行われ、地域 の人びとの手が届かぬものとなってしまった。そして、人びとは遠隔の地に住 む者たちの利害に左右されることになった。同様のことは自然界についても言 える。これまで人間の手によって変形させられることもなく、自らを持続させ てきた自然の能力は、国家や企業に奪われ、商品化されてしまった。社会、環 境の荒涼しかもたらさない、こうした凄まじい過程を逆転させるためには、国 家や企業がわれわれの生活を全面的に破壊してきた方法を明らかにすると同時 に、持続し得るような地域コミュニティーを再構築し、参加民主主義を再び確 立する必要がある。

    ガットやWT0(世界貿易機関)によって制度化されたグローバル経済の発展は、 すべての人びとに、これまでにない繁栄の時代をもたらすといわれてきた。し かし、これまで本書が明らかにしてきたように、こうした主張は偽りである。

    第二次大戦の終結以降、何兆ドルというカネが多国籍開発銀行、援助機関、民 間企業によって開発計画のために注ぎ込まれた。革命的な新技術は農業、工業、 サービス部門をひとしく変容させた。関税は大幅に引き下げられ、国内経済を 賄ってきた小さな企業は組織的に巨大な超国家企業に取って代わられた。世界 のGNPは5倍に、世界貿易は12倍に増加した。従来の考え方が正しいとすれ ば、世界は紛れもなく楽園と化していたはずである。貧困、失業、栄養不良、 ホームレス、疾病、環境破壊は野蛮で未開発な過去の思い出にすぎなくなるは ずであった。だが、いうまでもなく、実際には、その正反対のことが起こった のである。こうした問題が、これほど深刻化し、拡大したことは今までなかっ た。

    ガットのウルグアイ・ラウンドの調印によって、各国政府は社会的、環境的、 道徳的な間題を無視して貿易に関する規制を撤廃し、グローバルな経済成長と 開発を加速化させた。経済のグローバル化が今日われわれの直面する諸問題を より深刻化させているという明自な実証を受け入れることなく、各国政府は超 国家企業の圧力のもと、グローバル経済をさらに促進すると主張し続けた。こ うした諸問題を解決するためには、社会はこれと全く正反対の道を探らなけれ ばならない。巨大な手に負えない超国家企業の支配する単一のグローバル経済 をつくるかわりに、小さな企業に支えられ、地域の市場を賄う、コミュニティー に基礎をおいた、ゆるやかな結びつきの、多様な地域経済をつくりあげる努力 をしなければならない。われわれが目指すべぎものは経済のグローバル化では なく、その反対、つまり経済の地域化である。

    このことは過去を復元することではない。ここ数十年の経験は拭い去るべくも ないし、われわれがつくりあげようとしている地域経済は、過去の経済をその まま模倣しようとするものではあり得ない。しかし、考えてみれば、最近まで 経済はつねに地域中心だったのであり、過去の経験は真剣に考慮しなげればな らないはずである。

    p251
    実際、日本のような国が、いま強いられているようなことを逆転しなければな らない。ガットに固執するあまり、日本は家族に支えられた伝統的農業や地域 の顧客相手の小さな商店からなる小売部門を変えようとしている。日本はこう した重要な部門についてもカーギル、モンサント、ウォルマートに道を開こう としているのだ。その結果は失業者を増やし、社会の解体につながるにちがい ない。ごく最近まで、日本の失業率は約ニパーセントに抑えられてきた。家族 はほぼ従来のままで、わ犯罪や非行も非常に少なかった。いまやそれも変わろ うとしている。