==> 国立大学独立行政法人化の諸問題
岩波「科学」2000.1月号 p36--38

国立大学の課題

“独立行政法人”の意義を問う

廣田榮治(総含研究大学院大学)

これへの反論:多賀谷光男氏
私立大学の社会への貢献--公共性は国立大学だけにあるのではない
バブル崩壊以後,金融業界,官界を始め各方面 で頭在化したスキャンダルには目を覆いたくなる ほどである.バブルの進行とともに精神の弛緩, 規範の低下が蔓延し,モラルの喪失をもたらした ものと思われる.バブルに続く経済の低迷ととも に,一転して効率化が声高に叫ばれ,人々はリス トラという名の解雇におびえながら,いたずらに 右往左往するぱかりである.手抜きをしなければ ノルマは達成できない.最近連続しておこってい る科学技術関連の事故一一東海村の臨界事故,日 本が誇る新幹線のトンネル内コンクリート剥落事 故,さらに精緻なハイテク技術を集中した期待の H2ロケットの打ち上げ失敗は象徴的である.そ れぞれに固有の原因はあまたあろうが,上層部に よる過剰な効率化の要請がこれらの背景にあるの ではないだろうか.世の中に焦りがある.ないも のねだりがある.そして歪んだ一部の欲望が限り なく膨張する.向上心の表われ,理想の追究とい えば聞こえはよいが,本当にそうだろうか.根本 に,対立者を矢った資本主義社会の専横がある. 多くの機構が,人類の望むところをはるかに越え たスピードで回転し始めている.“生き残りをか けて”という殺し文句がすべてを見通しの利かな い方向へ加速度的に押し流していく.独立行政法 人化も類似の現象ではないだろうか.

先進諸国の大学は法人格を有し,自己責任を前 提とした自主性,自律性が保障されているといわ れている.国立大学も独立行政法人化によって法 人格を獲得することができれば,予算使途上の 諸々の制約から免れ,外部資金を導入していっそ うの活性化を達成できるのではないか.このよう な期待感が大学関係者の一部にもある.本当だろ うか,にわかに信じ難いことである.独立行政法 人という仕組みが,21世紀の高等教育・研究に ついての明確なビジョンに基づいたものとは到底 思われないからである.そこには経済効率性の向 上と行政のスリム化以外なんらの指針もみられな い.慎重に熟慮し,賢明,適切な判断を下すこと ができなければ,日本の高等教育・研究に将来は ない.

国立大学の責務

知の府である国立大学のもっとも根源的な責務 は,社会の動きを鋭く批判し,適切な助言を与え ることではなかったか.自分自身の関わる問題で もあるだけに対処し難い面はあろうが,かつてな い危機にたつ人類社会の現状を的確に把握し,そ の進むべき方向を明示するよう,国立大学が責任 を果たすべき時期が到来している.

太平洋戦争の最中を思い浮かぺよう.大部分の 大学人は時の政権の命に反抗することはなかった. しかし,ごく限られた教授たちは,その信ずると ころに従って敢然と官憲に低抗し,拘束された. いうまでもなく,大学人の武器は言論以外にない が,それさえも戦時には剥奪された.しかし,こ れらの少数の人々が知的活動の基本をわれわれに 伝えてくれたことを忘れてはならない.ファシズ ムとの戦いは終わった.戦後,主としてアメリカ 合衆国から民主主義の思想がもたらされ,高等教 育・研究は国が支えるべきものという認識がじょ じょに浸透していった.近代合理主義に基づく人 類の知恵,優れた思想である.国立大学はこのよ うな考えに立脚して設置されるべきものである,

国際交流の盛んになった現代においても状況は 変わらない.国際社会の一員として各国はそれぞ れの責任において自国の高等教育・研究の振興を 図らなければならないからである,国立大学の教 員は,その知的活動を通じて,日本人を含む全人 類のあるべき姿をつねに模索し,この理想の実現 に全力を尽くすべく為政者に適切な勧告をおこな うとともに,必要に応じて社会に警鐘を鳴らさな けれぱならない.これは云うは易く,行なうは難 い責務である.このために,教員はそれぞれの専 門領域はいうに及ばず,歴史を始め人類に関する さまざまな事項について広く深く研鎮を積み,不 偏不覇の見識を修得しなけれぱならない.この知 的活動の中核は研究を通じた実践である.さらに 人類の将来に資するために,知的財産を後継者に 伝達し,末来を拓く若者を育成することが求めら れる.

政治,社会の木鐸たる国立大学には,一面にお いて裁判所や警察署と相通ずるものがある.国か ら一切の資金を得ながら,国とは一線を画し,自 主独立性を保持するという点である.国はその活 動をいかなる形においても制限することは許され ない.国の自殺行為につながるからである.この 役割が国立大学を私立大学から峻別する.私立大 学はそれぞれの教学の理念に基づき,自己の資金 を基本に教育研究をおこなう任意の団体である. その社会的貢献に対して国が支援することは当然 である.しかしながら社会の木鐸たることは期待 されていないし,責任も負っていないのである.

最近私学関係者の方々から,私立大学が国立大 学に比し“競争”上不平等な扱いを受けていると いった趣旨の発言を聞く.これは誠に視野の狭い 些末な意見である.なんのための“競争”であろ うか.まず,国立大学の教員採用は,候捕者の公 募と厳正な選考が基本であることに留意したい. その出身は国公私いずれであっても差し支えない のである.現に,公立大学,私立大学の出身者が 国立大学で盛んに活躍している.今後国立大学は, その教員候補者を広く民間から,さらには諸外国 にも求め,率先して人事交流にさらなる努カを傾 注すべきである.

いま学術体制に求められるもの

太平洋戦争後,アメリカ合衆国の主導で学制改 革がおこなわれ,いわゆる新制大学がスタートし た.その目玉は,一般教育科目の導入と大学院の 充実である.前者は第1,第2年次の教育を担当 する教養部において教授されたが,学術の専門化 が進むにつれて形骸化し,教養部教員,学生双方 から見放されていった.新制大学の理想の一角が 崩れたのである.1991年に大綱化された大学設 置基準では,一般教育に代わって教養教育の重要 性が強く指摘された.しかし自信のあるカリキュ ラムの構築にはまだまだ十分とはいえない状況で ある.それぞれの専門領域において優れた業績を 挙げた碩学に,その経験を踏まえた含蓄あるお話 をしていただくことが一つの方法ではないか.

一方,新制大学院は学術体制に大きなインパク トを与えた.旧制度では大学院はほとんど有名無 実であったが,これが明確な実体をもつ5年の課 程に置き換えられたのである.とくに自然科学系 の研究室の充実ぶりには目を見張るものがあった. しかし,一つの大きな問題点は,大学院自体に対 する行政の,そして企業社会の無理解であった. 当然手当されるべき大学院固有の人員,予算,施 設等が,従来学部で用いられてきたものを流用す るというきわめて貧しい発想でしか措置されなか ったのである.この貧困な学術行政は,平成にな っておこなわれた大学院重点化でも繰り返されて いる.文部行政に携わった識者,官僚,大学人す べての責任であって,ことは重大である.日本か らの学術的寄与が,数量的には世界的なレベルに 到達しながら,質の点でいまだに2流,3流に甘 んじている現状は,このような貧困な学術行政に 帰するところが多い.限られたリソースをさらに 細分化せざるをえないからである.

大学共同利用機関の充実

このように高等教育・研究の多くの面で条件整 備が遅れているが,それにもめげず着実な進歩が 積み重ねられている.一つのよい例が大学共同利 用機関である.これは世界的にも類例をみない独 創的な優れた制度である.現在18を数えるこれ ら研究所群は,設立の理念や規模,あるいは歴史 においてさまざまではあるが,世界の一流に伍し て活動し,特筆すべき多くの成果を挙げている. これらの研究所群が示した研究自体におけるリー ダーシップとともに忘れてはならないことは,人 事の流動性に対する寄与である.数年前,国立大 学に選択的任期制が導入されたが,法制化に伴う 硬直性がその実行を阻んでいる,これに比し,大 学共同利用機関が誘起した人事交流ははるかに有 効であった.研究上格段に傑出した場を創出すれ ば,結果的に人事の流動を引きおこすという紛れ もない事実のよい証である.人事の流動性まで視 野に容れていた大学共同利用機関創設者の先輩方 の先見性に深い敬意を表わすとともに,今後の日 本の学術の振興には,これらの機関のいっそうの 整備充実が不可欠であって,それがわれわれ後輩 が果たすべききわめて重要な責務の一つであるこ とを強調しておきたい.

学生の多様化に応える多角的教育の実現

国立大学が今後一段と積極的に取り組まなけれ ばならないもう一つの重要な点を指摘したい.そ れは多角的な学部教育の実現である.教養教育の 再構築についてはすでに述べた.それとともに考 慮しなければならないのは学生の多様化である. 進学率はすでに50%になろうとしている.60%, 70%に達する日も遠くはないであろう.これら の学生が大学に期待するものは一段と多様化しよ う.大部分は研究者志向ではない.しかるに,い まだに少なからぬ大学教員が依然として自分の後 継者養成だけを重視し,狭い専門領域の教育に固 執している.いま学部学生に必要とされている教 育は,多くのむずかしい問題に対して適切な判断 を下せるだけの広い視野を身につけさせることで ある.また,社会の成熟化に伴い,学習の機会を 再度求めて大学に戻ってくる人が増えてきている. いわゆる社会人学生である.彼らの意図する学習 に果たして現在の大学教員は十二分に応えること ができるであろうか.多様な学生に対するきめ細 かい対応が,なによりも学部での教育に求められ ているのである.

世界に伍する研究をめざして

一方,大学院においては,上述したように,質 的に世界的レベルに達した研究を実現しなければ ならない.日本が,国際舞台での活躍や人類文化 への貴重な貢献を通じて,多くの国々から信頼と 尊敬を集めるためには,現在の学術的後進性を払 拭することがミニマムの前提条件である.ここに 国のサポートを受けた国立大学の役割があウ,そ こで活動する大学院教員の責務がある.論文数で 勝負する時代に終止符を打ち,斬新な学術体制を 打ち立て,未来を切り拓いていきたいものである

一つの方策は,一定の期間を設定し,選ばれた 研究者に思い切った取組みをさせることである. このような試行に応募する機会はすべての研究者 に平等に与えるが,厳しい審査を経て,一部の選 ばれた者にだけ勝負をさせる.彼らには研究遂行 に十分なリソースを与え,定められた期問,研究 に没頭させる.研究課題にもよるが,期間として は10年程度が適当ではないか.これ以上の長い 期間を必要とする課題の場合は,それなりのチェ ックをしながら進めるのがよい.期間満了後は, 大学院での研究を離れ,学部教育に戻り,それに 専念する.そして,別の研究者に場を譲る.

多くの改善すべき事項が残されているが,日本 の研究環境も一定のレベルに到達している.今後 は全体のレベルを一様に向上するよりも,ピーク の創出によって多くのカを注ぐべきではないだろ うか.


1996年度からスタートした科学技術基本計画 は,わが国の科学技術の推進に大きく寄与し,各 方面から高く評価されている.しかしながらこの 計画をもってしても,国立大学の施設整備や研究 支援者の充実はほとんど進んでおらず,改善の兆 しすらみられなかった.現在,つぎの5カ年計画 を立案する時期にきており,多くの期待に応える べく作業が進んでいる.このような状況において, 国立大学はその役割の重大性を明確に認識し,人 類の期待に応えた活躍を実現すべくいっそうの努 力を傾注しなければならない.世界における日本 の命運がその双肩にかかっているといっても過言 ではない.

すでにしばしば指摘されているように,日本で はGDPに対する高等教育への国の支出が先進国 の中では最低である.国立大学の施設の貧困さは 世界でも群を抜いている.上にも詳述したように, 政府は国立大学の活動を保障し,これをいっそう 推進する重大な責務を負っており,さらに私立大 学や公立大学にも適切な援助を与えなけれぱなら ない.大学改革のためにやるべきことすべきこと はいくつもある.独立行政法人のような貧困きわ まりない施策に拘泥しているときではないのであ る.(Eizi HIROTA 総含研究大学院大学)