==> 国立大学独立行政法人化の諸問題
廣田氏は,国立大学を裁判所や警察署のように国か ら一切の資金を受けながら自主独立性を保持する“社 会の木鐸”と位置づけ,その一方で,私立大学は設立 の理念に基づき教育をおこなう任意団体としている. さらに,私立大学が国立大学に比し“競争”上不平等 な扱いを受けているという私学関係者の指摘を“視野 の狭い些末な意見”と切り捨て,国立大学は教員採用 において公募と厳正な選考をおこなっていると述ぺて いる.
現在の大学教育において私立大学はその中枢を担っ ており,とても“任意団体”としてかたづけることは できない.高校生の大学・短大の進学率は現在50% 程度であるが,国立大学はそのうちの25%の学生の 教育を担っているだけであり,残りの75%の学生は 私立大学で学んでいる.国民に広くサービスを提供す るのが“公共機関”の役目ならば,私立大学のほうが より高い公共性を発揮しているといえよう.
私立大学が国立大学に比し“競争”上不平等な扱い を受けているのは明らかな事実で,国立大学への国庫 補助は年間約l兆5600億(学生1人あたり約230万 円)に対し,私立大学への補助は約3000億円(同約16 万円)にしかすぎない.国民から集めた税金から支出 される高等教育費の80%を25%の学生のために使う ことが果たしてフェアといえるのだろうか.この補助 金の差は(学生数:教員数)の格差に顕著にあらわれ, 国立大学が約l0:1であるのに対し,私立大学は 26:1である.小中高校までに関していえば,私立も 公立も1クラス40人が保たれているのに,なぜ大学 ではこのような極端な差が当然とされているのか非常 に不思議である.
廣田氏は国立大学が公募制の下で厳正に教員選考を おこなっていると述ぺているが,私立大学でも現在は 多くが公募制を採用している.1995年の調査では公 募制を採用している国立大学は98大学中90大学であ るのに対し,私立大学では425大学中183大学である. 学部や大学の新設に際し文部省は教官の公募制を採用 するように指導しているので,最近の学部新設ラッシ ュを考慮すれぱ,現時点でおそらく50%以上の私立 大学が公募制を採用しているといえるだろう.
国立大学のほとんどが公募制を採用しているといっ ても学部や研究所によっては公募をおこなっていない ところはいくつもあるし,公募といっても形だけです でに採用される人が決まっている“できレース”はか なりあるといわれている.また,最近ほとんどの旧帝 大でおこなわれた“大学院の重点化”においては,教 員数をほとんど増加させずに教授・助教授数を増やす ことが必要だったために,内部昇進という“お手盛り 人事”がいくつもおこなわれた.
廣田氏を含めて国立大学教員の多くが,国立大学の 研究施設が貧困なのはわが国の高等教育費が先進国の 半分しかないためであるというが,教育費が低いのは 私立大学への補助があまりにも少ないためである,国 立大学への国庫支出はすでに十分おこなわれており, 上で述べた学生と教員の数比は,先進国よりもよい状 態となっている(スタンフォード大学で15:1,UCLA で18:1).学生あたりに換算すると私立大学の1.8倍 いる事務職員による大学事務の効率化・リストラ,教 育と研究の教員を分けるなどの“教員の差別化”など をおこなえぱ,現在の国庫支出でも多くの研究費を捻 出したり,有効利用することは可能であろう.独立行 政法人化のもとで大きな自由を得て,このような改革 をおこなう道もあるだろうが,国立大学の教員は法人 化によって基礎研究がおこなえなくなると嘆くばかり であり,ポジティプな可能性を評価しようという声は ほとんどない.
現在,国立大学の独立行政法人化に反対しているの は当事者の国立大学教員ばかりで,国民からは反対の 声がほとんどあがっていない.その理由は,国立大学 が国民のために十分役だってきたと国民が感じていな いからではないだろうか.今日,国立大学と私立大学 の社会への貢献に差があると思っている人はほとんど いない.国立大学の教員はこの事実を自らによくいい 間かせる必要があるだろう.
本誌昨年G999年)11月号緊急特集“国立大学・研 究所の独立行政法人化”の中で,矢原徹一氏は,国立 大学の独立行政法人化反対の立場から,コーネル大学 総長のプリンストン大学での講演を“何と格謂高い呼 びかけだろう”引用し,“総合大学の使命”を論じて いるが,両大学は,ともに私立大学である.大学人が いま考えるべきことは,国立大学と私立大学の区別な く,わが国の高等教育と科学研究をどのようにしたら よくできるのかということではないだろうか. 多賀谷光男(東京薬科大学生命科学部)