==> 国立大学独立行政法人化の諸問題
Weekly Reports No.6 2000.4.17 より

2つの価値観の戦い

辻下 徹


 国立大学独立行政法人化問題は、古代から闘い続けられている戦いの一局
面です。繊細で儚い目に見えない精神的価値観と、目に見える頑強な経済的
物質的価値観との闘いです。この2つの価値観は、根底から相容れぬ仇敵な
がら、互いに相手を必要とし、一方が他方を抹殺するとき社会は病み衰退す
ることは歴史を見れば例に事欠きません。私たちが直面している局面は、ユニ
バーサルな精神的営為である教育・研究活動の陣営に対する、ローカルな物
質的効果以外を認めない経済活動の陣営からの攻撃です。この攻撃は半世紀
に亙る攻撃の最終局面とさえ言えそうです。ここで目に見えぬ価値を認めな
い陣営が圧勝すれば、日本は不治の病に陥るでしょう。

  しかし、大学の中でも「この国家的危機の中で国立大学だけが例外である
はずはない、独立行政法人化もやむなし。それに悪いとは限るまい、遅々と
して進まない大学改革が一挙に前進するだろう」と考える人が少なからずい
ます。しかし、逆なのです。こういう危機だからこそ大学は、経済的物質的
価値観とは異質の価値観を呈示し日本のため(そして人類のため)に死守し
なければならないのです。そして、国の陥っている現在の困窮の中で、敢え
て冷静さを保ち、日本が果たすべき役割、そして大学が果たすべき役割を時
間をかけて考えていくべきなのです。間もなく始まる国際資本の怒濤の攻撃
へのローカルな防衛戦に大学を動員するのは学徒動員と同じ発想です。大学
の使命はそんなところにない。グローバル化し一体化しつつある世界を利用
し蹂躙しようとする存在を弱体化させ無害なものにすることに知恵を絞るべ
きなのです。物質的経済的世界の変化に自ら進んで右に左に振り回されてい
るようでは大学は存在理由を失い弱体化し、人知れずして消滅するでしょう。

  以上の発言を、迷惑で無意味で無内容なアジテーションだと思う人もいる
ようです。独立行政法人化を不可避と思い込み少しでも大学にとって良いも
のにする努力に奔走している方がそう思われるのは仕方ないかもしれません。
しかし、大学の使命は研究と教育にあり、それだけで時間も頭も一杯だ、政
治的なことに関わりあう暇はないはずだ、迷惑だ、と思う人も多いはずです。
そこで、ヴィゼールの言葉(文芸春秋1月号)を引用したいと思います。

  「愛の対極にあるのは憎しみではない。無関心である。美の対極にあるの
は醜さではない。無関心である。知の対極にあるのは無知ではない。それも
また無関心である。平和の対極にあるのは戦争ではない。無関心である。生
の対極にあるのは死ではない。無関心、生と死に対する無関心である。」

  国立大学教職員は無関心であってはならない。10年後・15年後・20
年後の同僚の運命に無関心であってはならない。先人が命がけで築いた研究・
教育の自由が衰退することに無関心であってはならない。その自由があれば
こそ教育・研究はグローバルに意義にあるものを生みだせるのだ。これから
来る世代の人達が中世のような知的薄明時代に生きることに無関心であって
はならない−−そう私は思います。

  6月には選挙があり、教育改革は選挙の争点の一つになるでしょう。半世
紀に亙ってその時々の経済界の要求をほとんど丸呑みにして初等中等高等教
育と学術研究の場を混乱させ停滞させてきた学術教育政策全体が問われるの
です。その中で国立大学の独立行政法人化問題が国民的議論となる可能性も
出てくると思います。民営化の議論も浮上することもあり得ますが、何が変
わるのかわからない不透明な法人化の話しとは違い、国家的関心事となるで
しょう。今必要なのは、国立大学が迎えようとしている終焉の真の姿を多く
の人々に目撃して目に焼き付けてもらうことなのです。そしていつの日か大
学再興の風が吹き始める契機を残して置くことなのです。(2000.4.17)