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昨日文部省は国大の独立行政法人化について説明をしました。公立大学についても同様の法人化を検討することも初めて表明されました。
「法人化の内容は今は何も具体的には約束できませんが、ともかく法人化することを決めて一緒に内容を埋めませんか」という内容です。このような誘いが効力を持ち得るのは、深い信頼関係が存在するか、力関係に大きな差がある場合のいずれかです。前者ではないことは明らかなので、後者を意識しての指手であったと思われます。実際に、事前工作として、国大協が協力しない場合には個別に大学を法人化を進めるという方針を表明して大学を動揺させようとしていますが、そのことについては昨日の説明では触れていません。 独法化で大学がよくなるなどと本気で考えている者は大学関係者には居ません。当事者の意向を無視して事を進めれば文部省も吉野川可動堰における建設省の態度と同じことになりますが、そこまでする強さは文部省にはないため、国立大学協会の協力が絶対に必要なのだと思われます。 学長の方々の一部は大学経営者としての責任の余り、大学運営は学問と教育のためにあるという自明な原点を見失っておられるように感じます。運営の自由を得るために、学問と教育の自由を手放すのは主客転倒なことに気付いて頂きたいと思います。 一部の大学が焼け太りを狙って先駆けするというのならば、その大学自身の浅慮というだけで済みます。しかし国立大学協会が独法化の作業に協力することは、独法化を大学全体自身が望んだことになります。これは決してとってはならない選択肢です。独法後に、独法大学の致命的欠陥を認識しても自業自得であり文部省や政府には何の責任もないことになるでしょう。 昨年9月以来、独立行政法人制度は諸分野の専門家によって多角的に吟味されてきました。その吟味の全体は、通則法の骨組みを保ったままでは、どのような調整を行おうと、独立行政法人大学は、運営だけでなく研究教育活動自身が国によって多重に支配され、大学と言えるようなものではあり得ない、ということを明確に証しています。文部省の「何とかなるでしょう」は既に論破されているのです。 政治に関心があろうとなかろうと、今大学に居る者の義務があります。大学は学問と教育の場であることを失念している大学幹部が居れば、原点に戻って考えるよう働きかけることです。 |