国立大学独立行政法人化の諸問題
2719 visits since 2003.7.5

国立大学法人法案について注意を喚起します

辻下 徹

2003.7.5


To: chiji
Cc: giin, gakuchou, media, no-dgh
Subject: 国立大学法人法案について注意を喚起します
From: 辻下 徹 
Date: Sat, 05 Jul 2003 12:56:06 +0900


都道府県知事のみなさま
Cc: 教育行政担当者のみなさま

初めまして。

北海道大学で数学の教育・研究に従事しています辻下徹と申します。現在、国
会で審議されている国立大学法人化関連諸法案について、お伝えしたいことが
あり、メールで恐縮ですが、お便りいたしました。

この諸法案は、国立学校制度全体を完全に廃止し、国立大学・国立高専等を広
義・狭義の独立行政法人(≒政府の受託企業)に変える政策に基づくものです。
この政策には日本の将来にとって憂慮すべき重大な問題点がいくつもあること
を大学関係者は絶えず指摘してきましたが、実質的にはほとんど何も考慮され
ないまま法案となって国会に上程された経緯があります。そのため全野党が法
案に強く反対し、4月からの国会審議において、いくつかの問題点が争点とな
り、会期末の6月18日までには成立しませんでした。しかし会期が延長され
たため、与党が採決を強行し全法案が無修正のまま成立する可能性が極めて高
い日々が続いています。


国会で十分に吟味されていない問題点の一つは、文部科学省が「遠山プラン」
で表明した国立大学の大規模な統廃合の方針です。いくつかの地域での反対運
動が展開されたため、この方針の実現は若干遅れていますが、何も変更されて
いません。この法案が成立しますと、「客観的評価」により小規模国立大学の
統廃合が粛々と進み、それで浮く資源が大規模大学の拡充に回されることは、
大学構造改革の中に明示的に掲げられており「重点化政策」によって必至です。

国会審議でも、地方の国立大学への影響の懸念が言及されていますが、文部科
学省の答弁では、地方の国立大学を大事にして行かなければならないと述べな
がらも、悪影響を防ぐ具体的なものは用意していない、との明言(*)があり
ます。不可避と予想される大多数の国立大学への悪影響に対し「運用上の配慮」
以外に何も具体的方策が法的に用意されていない法案は、日本社会の健全な発
展に不可欠な地方分権への流れを阻害するものであることは論をまたないと思
います。
     (*)6/10 参議院文教科学委員会:内藤委員の質問への河本副大臣答弁


各地の主要紙は、国立大学法人法案の問題点をかなり正確に報道していますの
で、法案の問題性についての認識は各地で高まっていると思います。しかし、
いまに到っても、どの大手紙も、国会審議について実質的報道をしようとして
いないため、地方への悪影響が不可避の国立大学法人化諸法案に対する、日本
各地の疑義の声が議員には届かず、国会審議で反映されていない状況です。

大都市の声しか国会審議に反映されないことは日本の将来にとって憂慮すべき
ことと思います。ぜひ 、皆様から、参議院での慎重審議を求める声を挙げ、
地方公聴会等の開催を要請し、また、地元の議員の方々に働きかけますよう、
お願い申しあげます。


ご参考までに、5月7日の衆議院文部科学委員会で参考人として発言され、地
方分権との関連についても述べられた、田中弘允前鹿児島大学長のご意見を添
付します。

また、6月10日に読売新聞に掲載された全面意見広告の内容を添付します。
これは、日本の将来に大きな影響がある国立大学法人法案について大手新聞が
報道しようとしないことに危惧の念を持ち、2000名余の国立大学教員有志
が法案の廃案を国民に直接訴ったえたものです。

また、大学関係者を主な対象としている「国公私立大学通信」というメール通
信をご参考までに別便でお送りします。

辻下 徹

連絡先:
〒060-0810 札幌市北区北10条西8丁目
北海道大学 大学院理学研究科 数学専攻

関連サイト http://ac-net.org/dgh


-[1]---------------------------------------------------------------------
衆議院文部科学委員会(5月6日)議事録より:田中弘允氏意見陳述
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/156/0096/15605070096011a.html
----------------------------------------------------------------------

○田中参考人 御紹介いただきました田中でございます。

 私は、平成九年一月に鹿児島大学長に就任いたしまして、ことしの一月まで
六年間、国立大学協会のさまざまなこれに関する委員会の委員並びに文科省国
立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議のメンバーといたしまして、
国立大学の独法化問題に深くかかわってまいりました。

 本日は一学徒として意見を申し上げたいと存じますが、時間の関係もありま
して、内容を書いてまいりましたので、読み上げさせていただきたいと思いま
す。お手元にあるかと思いますが、それを参照しながらお聞きいただくとあり
がたいと思います。

 現在国会で審議されています国立大学法人法案には深刻な矛盾が幾つか含ま
れており、意に反して、意図する目的とは正反対の結果を生じるのではないか
と思われます。

 以下、その理由を述べます。

 一、国立大学の法人化の中心目的は、自主性、自律性の拡大にあります。と
ころが、本法案は、予算、組織、人事等に関する運営上の裁量は拡大いたしま
すが、大学の本来の任務である教育研究の自主、自律は逆に大きく失われます。
なぜなら、独立行政法人通則法を基本とする本制度においては、従来大学が一
体となって持っていた企画、立案、実施の機能は分割された上、企画、立案は
文科省の権限に移されまして、大学には実施機能しか割り当てられないからで
あります。しかも文科省には、大学が実施した業務の成績評価と予算配分や大
学の改廃を決定する権限までも与えられています。したがって、この制度は、
政府や官僚が、強力な権限を持ち、国立大学を直接統制することができる仕組
みを内包していると言うことができるのであります。

 具体的に見ますと、文科省は国立大学に対し、六年間の教育研究等の目標、
計画を指示、認可いたします。そして、六年後の成績評価、これは達成度評価
でございますが、と予算配分、それから次期の目標、計画の指示、認可あるい
は大学の改廃までも取り仕切ることができるのであります。これを改革サイク
ルというふうに言っております。換言いたしますと、大学は文科省の指示、評
価、予算配分等に従って教育、研究、運営等を実施しなければならないという
ことになるわけであります。

 大学に対するこのような国の縛りは、我が国において存在したことはなく、
もちろん現行制度にもありません。従来、「文部省は、その権限の行使に当つ
て、法律(これに基く命令を含む。)に別段の定がある場合を除いては、行政
上及び運営上の監督を行わないものとする。」文部省設置法第六条二項、とさ
れてきたのであります。したがって、この制度は、大学に対する規制強化を意
味しておりまして、構造改革の旗印である規制緩和と明らかに矛盾するもので
あります。

 また、大学本来の学問的使命に対する以上のような歪曲は、世界に例を見な
いものでもあります。これはまた、憲法二十三条の学問の自由の保障や教育基
本法十条の教育の不当な支配の排除に反することは、既に多くの識者が指摘し
ているとおりであります。

 大学の現場で教育研究に従事しておれば、この仕組みが大学に適合しないこ
とは容易に理解できると思います。

 まず、教育について見ますと、その目的は、学生個人の能力を伸ばし、人生
途上での困難に際し創造的に自己を形成する能力を養成することにあると思い
ます。学生は単に知識を習得するだけではなくて、自分の頭脳で考えることを
学ばなければなりません。また、さまざまな機会をとらえて人格の形成を図る
ことも必要であります。人間の本質にかかわるこれらの部分について、目標を
指示し、それに従って計画を立てることや、特に数値化することは到底不可能
でありまして、もしそれが強要されるならば、教育の本質は大きくゆがめられ
ることになるでしょう。

 一方、未知の学術的価値の発見や創造を目指して行われる研究は、ノーベル
賞受賞者の経験談に示されているように、まず研究者の自由な発想から始まり、
試行錯誤を繰り返しつつ進行し、当初の予定から大きく外れることもしばしば
であり、また、偶然が大きな役割を果たすこともよく知られています。したがっ
て、六年間の目標を指示され、計画の認可を受け、それに従って研究を行うこ
とは、無意味であると言わざるを得ません。もしこの制度が実施されるような
ことになるとすれば、真に独創的な創造的研究の芽が摘み取られることになり、
我が国はいつまでも基礎研究ただ乗りの国、これはサッチャーが言ったわけで
すが、から脱することはできないでしょう。長い目で見た場合、国際競争力は
むしろ低下するのではないかと危惧されます。

 いずれにいたしましても、本制度のもとでは、真の教育研究を行うことは困
難であり、もしそれが強要されるならば、教育研究の本質はゆがめられ、我が
国の学問は衰退を余儀なくされることは明らかであります。このことは、文部
大臣の当初の反対声明に的確に述べられているわけでございます。

 次に二番目ですが、法人化は、行革の一環として始められた以上、行革とし
ての意味も持たなければなりません。行革の目的はスリム化、効率化でありま
した。したがって、政府の業務も権限も縮小されねばならないはずであります。
ところが、さきに述べたサイクルにおける各業務、策定、認可、評価、査定は、
新しく発生した膨大で煩瑣な事務量を含み、しかも、それらはすべて政府のも
とに集中化されています。したがって、その業務も権限も現在よりも増大、強
化されることになります。少なくとも縮小されることは困難であります。

 この矛盾は、各大学においてもあらわれます。さきに述べた改革サイクルに
おいて、中期計画の作成、年度計画の公表、各種の評価書類の作成とやりとり、
財務諸表の提出、決算報告書の提出等、各大学でも膨大で煩瑣な事務量が発生
し、それに応じて多くの人員と財源が教育研究以外の業務に費やされることに
なります。それにも増して、新しく二名の監事、多数の役員、学外者を雇用し
なければなりません。これらはすべてスリム化、効率化を目指す行財政改革の
本来の意図に矛盾します。それはむしろ、教育研究から大学経営への人員と財
源のシフトと言うべき事態でありまして、教育研究の高度化という大学改革の
本来の趣旨に根本から矛盾し、壮大な浪費と言わざるを得ないのであります。

 三番目、競争原理導入による大学の活性化という発想には、根本的なパラドッ
クスが潜んでおり、慎重に対処しないと極めて危険な事態に陥る可能性があり
ます。この発想は、学問の内実に即して内発的に教育研究に従事している人々
に対しては必要ではなく、否、むしろ迷惑で有害ですらあるのに対して、そう
でない人々に対してのみ多少有効に機能するという逆説があるからです。それ
は、日本の大学の最低水準を引き上げるのには役立つかもしれませんが、逆に
最高水準を押し下げ、全体としても水準を低下させる可能性が極めて高いと考
えられます。

 なぜなら、それは教育研究の外面的評価、特にその数値化と相まって、熱心
で有能な人々の学問的内発性をそぎ、人間精神の純粋な創造的、発見的エネル
ギーを攪乱し、低下させるからであります。イギリスの大学は既にそれによる
多数の頭脳流出を経験したのです。競争原理による活性化は、一時的な効果を
生むかもしれませんが、たちまち息切れし、全体として日本の高等教育を凡庸
な水準に収れん、停滞させると思われます。中長期的には、意図した活性化で
はなく、停滞が結果として生ずることになります。日本の企業の幾つかの経験
はそれを暗示しています。

 四番目、行革には二つの手法があって、一つは市場競争原理導入であり、他
は地方分権であります。前者は人、物、金の流れを大都市に集中化させる働き
をし、後者は逆に、過度の大都市集中に伴う政治経済のゆがみ、文化の一様化、
平板化、社会問題の噴出といった事態を回避し、全国的に多様な活力ある地域
社会を発展させる役割を果たすべきものであります。

 ところが、国立大学の法人化は、競争原理に強く依拠して制度設計されてお
ります。したがって、すべての国立大学への一様な本制度の導入は、国立大学
機能の集中化、拠点化のみを推進するものであり、最近の展開はそれを証明し
ておりますが、地方の国立大学と地域社会にとって極めて憂慮すべき制度設計
と言わねばなりません。市場競争原理のみでは、企業立地の実情や県民所得の
格差、さらに既に存在する大幅な大学間格差等に照らして、さきに触れた大学
経営の自由は地方では実効を伴わないのであります。この制度設計が地方の衰
退を招き、全体として日本の国力の地盤沈下を招くことはほぼ確実と思われま
す。したがって、それは地方活性化をうたう地方分権に矛盾しています。

 このことが意味するのは、行革に二つの手法があるように、大学改革にも二
つの手法があるべきであって、産業競争力強化を担う大都市圏の大学への拠点
化、集中化の方向とは別に、日本全体の地域活性化を担う*地方国立大学* <#>
についてはあくまでも分散化を維持し、一方向的に集中化のみを図るべきでは
ないということであります。大都市と地方は相互に支え合っており、地方の活
性化なくして大都市の活性化もあり得ないからであります。

 現在、国立大学に対してさまざまな批判があります。今ここでそれらに対し
て十分な検討を加えることはできません。しかし、暫定的に次のように言うこ
とはできると思います。

 日本の大学は、世間で思われているほど業績水準が低いわけではありません。
むしろ、かなりの業績と潜在能力が隠されているとさえ言えます。ただ、それ
らを一般社会と結びつけるチャンネルが欠如しているのであると思うわけであ
ります。大学の学問研究を地域社会現場と全面的、根本的に結びつけることに
よって、両者を相互的に活性化させるような社会空間、この関係を全国的に展
開することによって二十一世紀のグローバルな大問題に各大学が相互補完的に
協力して対応し得るようなネットワーク、このような社会空間、ネットワーク
が形成されるならば、日本の大学はよみがえるはずであります。

 このことは、競争原理による活性化のみではなく、協力原理による相互活性
化もまた必要だということであります。したがってまた、この理念に基づく大
学群も国家にとって必要不可欠だということを意味しています。

 今日、日本の文教政策が念頭に置くべきは、グローバル化に伴う二十一世紀
前半の巨大な経済的、社会的変動であり、考察さるべきは、いかにしてそれら
の変動に柔軟に対応し得る多様で豊かな構想力を培い、日本の社会全体を支え
得るかということだからであります。

 以上述べましたように、本法案は多くの致命的な矛盾を内包していますので、
我が国の高等教育及び学術研究の水準の向上と均衡ある発展を図るという目的
とは反対の結果を生むことになると思われるのであります。我が国の未来を見
据えた理性ある判断を期待いたします。

 ありがとうございました。(拍手)

-[2]-------------------------------------------------------------------
意見広告の会:http://www.geocities.jp/houjinka
読売新聞6月10日意見広告
http://ac-net.org/dgh/03/610-ikenkoukoku.html
i-mode: http://www003.upp.so-net.ne.jp/znet/imode/adindex.html
----------------------------------------------------------------------

国民の皆さん

現在国会で審議中の国立大学法人法案は、短期的な知の果実を強引に摘み取ろ
うとして、日本社会の再生に必要な国立大学という全国97本の大切な樹を枯ら
すものです。

● この法案は人材と知識の効率的生産を急ぐ余り、文部科学省による全国の
国立大学の集中的コントロールという時代錯誤の方法を導入しようとするもの
です。それは創造的な人材と知識を生み出すために最も大切な自発性と創造的
精神を大学から奪うものです。

● いま日本の大学は、高等教育と研究の質においてこそ互いに競い合い、高
め合わなければならない時です。しかしこの法案とその背景にある文部科学省
の「遠山プラン」は、国立大学を書類上の数合わせと見当違いな生き残り競争
に駆り立て、根本から疲弊させようとしています。

● この法案は、国立大学を誤った方向に導くだけではありません。国立大学
を強引に中央省庁の天下り先にすることによって、大混乱に陥れようとしてい
ます。

● 日本社会再生の起点となるために、国立大学自身が大きく生まれ変わらな
ければなりません。しかし今必要な変化は、各大学、そして各教員の自発性に
基づくことによってのみ可能です。それは、上からの強制によって生み出せる
ものではありません。

法案にはこれだけの問題があります

1.大学が官僚=国の統制下におかれ、学問の自由がそこなわれます。「法案」
は国立大学の「独立」「民営化」とは、全く関係がありません。

   国会で審議中の「国立大学法人法案」では、各大学の教育・研究をはじめと
した一切の目標(「中期目標」と呼ばれています)が、「文部科学大臣が定め
る」ものとされています。各大学の自主性・独立性は全く認められていません。
こんなことは、戦前にもなかったことでした。また「法案」では、その目標を
達成するための措置・予算などのプラン(中期計画)も、文部科学省の「認可」
事項となっています。「国立大学法人法案」は、中央省庁の「許認可権」をで
きるだけ縮小しようとする行財政改革の本来の理念に、全く逆行する法案です。


2.大学が高級官僚の天下り先となり、構造的腐敗の温床になりかねません。

   「法案」によれば、国立大学などに全国で500名を越す「理事・監事」など
の「役員」が、新たに生まれます。この人達の給与に教育・研究・運営に必要
な費用が回されて、結局国民の税金(「法人」への「交付金」)や学生納付金
(授業料など)が使われます。しかも、決定権や認可権を中央省庁に握られた
各大学は、いわゆる「中央との太いパイプ」を求めて、あたかも多くの特殊法
人のように、学長を含めた理事などに天下り高級官僚を迎え始めるに違いあり
ません。こんな高級官僚の人生設計のための仕組みが、どうして国立大学の改
革になるのでしょうか。


3.学長の独裁をチェックする仕組みがありません。

   法案では、大学の学長の権限が強大です。学長は、各国立大学法人の内部の
「学長選考会議」が選考します。ところが、この「学長選考会議」の委員の過
半を、学長が決定することが可能です。つまり学長は、自分を含めた次の学長
を決定することができるのです。これは独裁国家の仕組みと同じです。仮に学
長が問題を引き起こしたとしても、大学の構成員や市民がそれをチェックする
ことはできません。


4.大学の財政基盤が不安定となり、授業料の大幅な値上げがもたらされます。

   財政基盤が不安定なまま、授業料などが各大学でまちまちになってしまいま
す。特に理科系の学部・学科を中心に、学生納付金(授業料・施設費など)の
大幅な値上げが予想されます。地方の中小大学のように財政基盤の弱い大学で
は、特にそのことが顕著に現れます。今の国立大学の比較的低廉な学費が高騰
したら、「教育の機会均等」の理念は一体どこへ行ってしまうでしょう。


5.お金儲け目当ての研究が優先され、基礎的科学・人文社会科学の研究や学生
の教育が切り捨てられてしまいます。

   学問・研究の成果は、長い目で見てゆくしか判断のできない性格を持ってい
ます。「法案」が定める「経営協議会」や「役員会」がトップダウン(上から
の命令)で目前の成果をあおっても、真の成果は期待できないのです。また、
現在の日本の学問・研究の水準は悪条件の下(高等教育・研究の関連予算は欧
米諸国のGDP比の半分程度で、OECD加盟国中最低)にあっても、決して諸外国
に見劣りするものではありません。おまけに大学評価に直結しにくい学生の教
育面は、「法案」の成果主義では軽視されてしまいます。一部のプロジェクト
研究にばかり予算をそそぎ込もうとする「法案」の考え方は、日本の学問・文
化に百年の禍根を残します。


6.この「法案」は、「違法・脱法」行為を行わない限り、実施することが不可
   能な「欠陥法案」です。

   国立大学協会は、5月7日、「国立大学法人化特別委員会委員長」の名で、会
員校に検討要請の文書を送付しました。驚いたことにその内容は、「労働基準
法」「労働安全衛生法」などの届け出義務や罰則規定の適用について、「運用
上の配慮」を関係行政庁にお願いしようというものです。「労働基準法」や
「労働安全衛生法」は、会社・法人など、どのような事業所でも必ず守らなけ
ればならず、違反すれば使用者が刑事罰に処せられる刑罰法規です。立場の弱
い「定員外職員」の人たちの失業問題も懸念されます。 「法案」は、種々の
違法・脱法行為が認められなければ、実施することができない「欠陥法案」な
のです。

----------------------------------------------------------------------

池内 了(名古屋大学 大学院理学研究科)

 自然科学の研究は未知のものを相手にしている。それだけに、どのような成
果がでるかはわからないまま船出をする。幸運によって大発見につながる場合
も、積み上げた労苦が報われない場合もある。それを予め知ることができない
からこそ研究を続けているのかもしれない。しかし、法人化によって中期計画
を組まねばならず、それに従っての研究は近視眼的な成果主義に追いやられる
ばかりで、大きな目標を掲げた研究は廃れてしまうだろう。また、そのような
研究者によって育てられた若手は、さらに近場の成果主義に走ることが習い性
になっていくだろう。10年、20年の単位で見たとき、基礎科学の地盤は浅くな
り、本当の科学力を身につけた人材が払底してしまうことになりかねない。科
学の成果は、金で買えるものではないし、ましてや研究者を成果主義に追いつ
めて得られるものでもない。法人化によって、大学が安手の論文生産工場と化
し、視野の広い大きな夢を抱く研究者が消えていけば、日本はどのような国に
なるのだろうか、それを最も憂慮している。

井上ひさし(作 家)

 戦前戦中の、あのガチガチの国家主義の時代にも「大学の自治」がありまし
た。それは東京帝国大学の例を見ても一目で判ります。大正一二年(一九二三)
九月の関東大震災で全建物面積の三分の一を失ったとき、全教授と全助教授が
投票で移転先を決めて、その結果を大蔵大臣に提出しました。ちなみに一位が
近郊(陸軍代々木練兵場)で一五一票、二位が本郷居据りで一三一票、三位が
郊外(三鷹)で一〇三票でした。つまり教授会にそれだけの力があったのです。
もっとも近郊移転は陸軍省の猛反対で実現はしませんでしたが。
 大正八年(一九一九)には、それまで二十年間つづいていた優等生への恩賜
の銀時計の下賜が、教師と学生たちの声で廃止されました。理由は、天皇が行
幸になると、大学構内に警備のための警察官が大勢やってくる。そのこと自体
が大学の自治を乱すからというものでした。
 このような例はまだまだありますが、紙幅がないのでもう一つだけ書きます。
昭和二〇年(一九四五)六月、帝都防衛司令部が本郷キャンパスの使用を申し
入れてきた。幕僚以下三〇〇〇人の兵士で、ここを使うというのです。当時の
内田祥三総長は、「ここでは一日も欠かすことのできない教育研究を行ってい
るのであり、自分たち学問の道を歩む者たちの死場所でもある。動くわけには
行きません」と断わった。――ところがいま、一片の法律で、総長・学長を大
臣が任命し、また解任できるという途方もないことが行われようとしています。
そんなことになれば、「大学の自治」も「学問の自由」もただの画餅、戦前戦
中よりもさらにひどいガチガチ国家主義の時代になってしまうのでしょうか。

櫻井よしこ(ジャーナリスト)

 国立大学法人化で、大学の教育・研究目標を六年単位で区切って中期目標と
し、それを文部科学大臣が決めるようになるのだそうだ。
 全国でいずれ八七になる国立大学の教育・研究の中期的概要を決定する能力
が、一体、文科大臣や文科官僚にあるのか。問うのさえ赤面の至りで、答えは
明白だ。
 にも拘わらず、日本の大学教育・研究は、いまや彼らの狭量な支配の下に置
かれようとしている。国費を投入するからには、国として責任をもたなければ
ならないからだと遠山大臣は力説する。しかし、これまでも、今も、国立大学
に国費は投入されてきた。それでも教育・研究目標を、政治や行政が決めるな
どという愚かなことはかつてなかった。政治家も官僚も犯してはならない知の
領域の重要性を辛うじて認識していたからである。
 それが今回の法人化議論でたがが外れ、世界に類例のない、政治と行政によ
る学問の支配が法制化されようとしている。
 学問への支配は、大学の人事の支配によって更に息苦しいまでに強化される。
法人化された大学では学長の任命権も解任権も文科大臣が握ることになる。生
殺与奪の力を文科大臣に握られてしまえば、学長は文科省の意向に従わざるを
得なくなり、大学の自立の精神は土台から揺らぐ。理事の数まで、大学毎にこ
と細かに法律によって決められてしまう制度のなかで、大学の自由裁量は絶望
的に損なわれていく。文科省の顔色を忖度しながら行われている現在の大学運
営は、法人化以降は更に蝕まれ、文科省の指導に決定的に隷属する形で行われ
るようになるだろう。
 大学の自主自立と独創性を高め、学問を深めると説明された国立大学法人化
は、その建前とは裏腹に、自主自立と独創性を大学から奪い取り、大学教育と
学問を殺してしまうだろう。
 経済政策で間違っても、産業政策で間違っても、やり直しは可能だ。しかし
教育政策における間違いは決してやり直しがきかない。日本の未来の可能性を
喰い潰してしまうこの大学法人化に、心から反対する所以である。

田中弘允(前鹿児島大学学長 医学博士)

 私は、国立大の独法化に反対です。独法化は、大学を官僚統制と市場原理と
いう二重のくびきの下に置き、学間の自由な展開を阻害し、財源の確保の為に
企業化するからです。これは、将来のための多様な知の形成と創造力ある人材
の育成という大学の本質的な役割の遂行を阻害します。
 私達国民は、本来の社会的公共的使命を達成するにふさわしい自由闊達な大
学を、社会的共通資本として育てなければならないと思います。
 本法案は、それとは正反対の方向を目指しています。後世に大きな付けを残
してはなりません。
 選良の皆様一人ひとりに、未来を見据えた長期的視点と世界や日本全体を視
野に入れた大所高所からの思慮深い判断が、いま国民から期待されています。

間宮陽介(京都大学 大学院人間・環境学研究科)

 国立大学の独立行政法人化を実現させようとしている政党、文科省、国立大
学協会の方々は、ほんとうにこの「改革」が学問・研究の自由度を高め、その
水準を飛躍的に向上させると信じているのだろうか。私はいまだ彼ら諸氏の口
から納得のいく説明を聞いたことがない。大学間の競争を高める?そうかもし
れない。しかしそのとき、大学を超えた研究者の協働はかえって損なわれるで
あろう。学問・研究上の競争とは理論や学説をめぐる競争であって、大学間の
ビジネス競争とはなんの関係もない。
 彼らは、独立行政法人化の効能を信じているというより、信じようと必死に
つとめているように見える。法人化に最初は反対した国大協は、バスの発車が
不可避と見るや、バスに乗り遅れることをおそれ、法人化がもたらす利益の分
け前に与ろうと必死になっている。
 大学は自らをもっと外に開いていかなければならない。大学人は自己保身に
汲々としてはならない。国立大学の法人化はこのようなもっともな批判に応え
るように見えて、そのじつは大学を内に閉ざす。対外的な広報活動は活発にな
るだろうが、開放的なのは外見のみである。
 われわれ大学人に求められているのは、「バスに乗り遅れるな」ではなく、
バスを発車させないことである。そのうえで、真摯に自己改革につとめていく
ことである。

リチャード・ゴンブリッチ  Richard Gombrich
(オックスフォード大学ベイリオル・カレッジ教授
サンスクリット学、仏教哲学)

 日本の真の友人たちと同様、学問の自由に影響を及ぼすようなやり方で国立
大学を「改革」するという政府の提案には、私も失望しています。官僚や政治
家に学問的、知的活動を支配する権力を与えるこのような動きは、悲惨な結果
をもたらし得るだけであることを、歴史は繰り返し示しています。
----------------------------------------------------------------------

「国立大学法人法」用語解説 

―国立大学がどうなろうとしているのかわかります―


学校法人

私立学校法によって定められている法人(つまり団体)。私立学校(大学を含
む)の設置を目的とする。学校法人の長とそれが設立する私立学校の長は本来
異なる人物であることが望ましいが、実際には同一人物である場合もある。

国立大学法人

国立大学法人法(法人法と略す)により新たに定められる法人。国立大学の設
置を目的とする。この法律によれば国立大学の長は必ずそれを設置する国立大
学法人の長と同一人物でなければならない。学校法人と国立大学法人を比べる
と、この法律の特異さがわかる。

独立行政法人

行革の一環として造幣局、大学入試センター等のように業務が単純で数値的に
評価できる国の機関の業務効率化のために導入された制度。数値化の難しい教
育と創造的研究という目的を持つ大学にとっては、不向きな制度。現在の国立
大学法人法案は、大学を造幣局のような組織とみなすという発想に基づいてい
る。

中期目標

「独立行政法人通則法」に示されているコンセプト。各独立行政法人が3−5年
の間に達成すべき目標を所轄大臣が定め、それを実行する計画を独立行政法人
の長が中期計画として大臣に提出することになっている。法人法はこの制度を、
期間を6年に延長するだけでそのまま大学に適用している。それは大学を文部
科学省の子会社とみなすことを意味している。

国大協

国立大学協会の略称。形式的には全国の国立大学を会員とする組織だが、実質
的には国立大学の学長からなる組織。1950年に戦前の大学と国家の関係に対す
る反省の上に立ち、学問の自由と大学の自治を守るという精神のもとに設立さ
れた。大学法人化問題では当初大学人としての立場から様々な要求を行ってい
たが、文部科学省をはじめとする中央官庁への妥協を繰り返した結果、法人法
には多くの不満を持つにもかかわらず「ノー」と言う勇気を失い、大学を衰退
させる張本人になりつつある。なお本日から国大協の定例総会が開かれるが、
法人法について話し合わないことを国大協幹部は決めている。

遠山プラン

2001年6月に文科省が発表した国立大学改造計画。具体的な目標として「特許
数を10年後に1500件に」とか「社会人キャリアアップ100万人計画」のように
数字だけを並べ、高等教育の質に関する言及は皆無。大学の教育研究を数値化
してとらえようとする文科省の考え方を象徴している。

大学の設置者

学校教育法の定める制度。同法は教育機関の設置者は、その機関の教育条件の
整備の経費負担義務を負うと定めている。法人法により国立大学の設置者は国
から各大学法人に変わることになり、国は国立大学に対する財政的責任を負わ
なくてよくなる。各大学の学長は交付金の為に文科省の意に従わざるを得ない
立場に自動的に追い込まれる仕組みになっている。

大学の自律性

文科省は法人法により大学の自律性が高まると言っている。しかし大学はこの
法律によって経済的自立を強いられるに過ぎず(=設置者が国から大学法人に
かわる)、教育研究の運営については今よりも文科省に従属する(=中期目標
を文科大臣が定める)。これは世界でも希な制度。

役員会

法人法において、大学の運営上最も大きな権限を持つ組織。学長と学長が任命
する理事から構成される。2002年3月の法案最終報告で「理事」は「副学長」
と呼ばれ、明確な役割が定められていたが、法案の作成過程で、中央省庁の圧
力によって「理事」という曖昧な存在に置き換えられた経緯がある。全国で
400以上の理事ポストが法人法により創出される。「理事」という曖昧な名は
天下り先として最適。なお各大学の理事定員数が、法人法「別表1」という人
目につきにくい箇所で定められている。

評価委員会

法人法が、各国立大学の業務実績を評価する組織として定めている委員会。文
部科学省の内部に設置される。通則法は、評価委員会の評価に基づき文科大臣
が各大学の「組織と業務全般を検討し必要な措置を講ずる」としており、大学
の運営費交付金は評価委員会の評価に応じて配分されることになる。文科省や
国大協は評価委員の評価を「第三者評価」と呼ぶが、これは日本語の誤用。本
来の第三者評価とは、専門誌、シンクタンク、マスコミ、高校教育関係者、予
備校など、大学自身とも政府とも違った独立の第三者による評価のこと。

非公務員化

法人法による大きな変化の一つが大学教職員の非公務員化。その結果新たに労
働基準法や労働安全衛生法が国立大学に適用されることになるが、国立大学の
研究室の相当数がこれらの法規の定める基準を満たしておらず、法人法が実施
される来年4月には大半の国立大学が違法状態に置かれることがほぼ確実視さ
れている。この問題はなお国会で審議中。国大協は、これらの法規の適用に関
する「配慮」を関係省庁に要請する文書を5月初旬に各大学に配布したが、そ
れが違法行為の黙認要請であることに気づき、文書を修正しようと試みている。