==> 国立大学独立行政法人 化に抗して
独立行政法人化問題の論点(1)

独立行政法人化問題の論点(1)

==>論点(2)
北大構成員の皆さまへ

独立行政法人化問題について、各部局での議論が始まりました。この問題は大
小の争点が沢山あるために、肝心の論点を見失う危険性があります。少しだけ
論点を整理し始めました。より詳しく
  http://fcs.math.sci.hokudai.ac.jp/dgh/dgh-issues.html
に論じていく予定です。参考にして頂ければ幸いです。なお、独立行政法人化
に対する<対案>については「反対するのに対案が必要」という主張そのもの
も吟味する必要がありますが、学長から全構成員に対案を出す機会が与えられ
たいうことですので、ぜひ真剣に考えていきましょう。

【国立大学の独立行政法人化への真の圧力】
◆国立大学の定員削減には必然性はない。それは政治的に作られた誘因に過ぎ
ない。国立大学をすべて廃校にしても予算の中の0.5%である1兆5千億が
毎年浮くだけで焼け石に水である。国立大学の独立行政法人化は国の財政改革
には意味がない。独立行政法人化の推進力は(政治家の都合は別にして)別の
所にある。
◆経団連が11月24日に発表した「科学・技術開発基盤の強化について」
  http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/pol251/index.html
で鮮明になったが、<グローバリズムの国難>に対峙する挙国一致体制の一
貫として国立大学の独立行政法人化が構想されている。(他にも
  http://www.keidanren.or.jp/21ppi/japanese/policy/19991006b/sum.html
  経済同友会 http://www.doyukai.or.jp/database/teigen/970109_1.htm)

【独立行政法人制度の不安定性について】
◆独立行政法人化推進のキーワードは「創造的破壊」である。市場原理により
伝統的な価値(大学内部の連帯感・学問の有機性等々)を破壊することで挙国
体制に組み込まれた、無駄のない研究機関・不要になればすぐに改廃できる機
関、が形成できる。
  この点は、経済企画庁経済研究所教育経済研究会が1998年4月6日に出
した報告書の要約
  http://www.epa.go.jp/98/g/19980406g-kyouiku-s.html
に次のように鮮明に書かれている。

> 第二に、教育機関や教員の間に競争原理を導入する。現在の規制その他の政
> 策は、既存の教育機関やその教職員の経済的な安定を保証しており、消費者
> に質の高い教育を供給するための競争をむしろ阻害している。

これは、教職員の経済的な安定性を奪って競争させろ、そうすれば効率が飛躍
的に上がるだろうという勧告であり、「恒産なければ恒心なし」という古来の
知恵を忘却したものであるだけでなく基本的人権への露骨な攻撃ともいえる。

◆独立行政法人制度の持つ構造上の不安定性は、この制度設計の目的が要求し
た核心的特性である。

◆このような<使い捨て>法人を用意する制度への移行作業に莫大な知的人的
資源が日本全体で十年のスケールの期間を通して消費されるであろうことにも
問題がある。


【定員削減についての誤解】
「国立大学制度に留まれば10%〜25%の削減があるのに対し、独立行政法
人化すれば<定員>という枠がなくなるので、予算次第でもっと大きな削減が
あり得る。しかし、一方では予算に応じて人員をいくらでも増やせる。たとえ、
国立大学全体としては大幅に人員が減ることになっても、減り方は一様ではな
く、ある大学やある部局は100%減るが、別のところは逆に50%増えるこ
とも可能である。これが独立行政法人化を是とする意見の要点である。大きな
大学や時勢に合った(「科学技術立国日本」に直接寄与できる)分野にとって
は大きなチャンスであることは否めない。しかし、その他の大学や分野は当然
25%以上刈り込まれることは確実である。この問題は小規模ながら大学院重
点化のときに始まっており、大学院重点化した大学の予算的優遇は、それ以外
の大学の厳しい予算削減の代償の上に成り立っている。独立行政法人化はそれ
を徹底的に推し進めるものである。(これが「創造的破壊」として推奨されて
いる)

【イギリスの実験】
H.J.パーキン(有本章/安原義仁編訳)「イギリス高等教育と専門職社会」
(玉川大学出版部1998, ISBN4-472-11171-3)p104前後に詳しい様子
が書かれています。独立行政法人化後は一部の分野を除いて以下のようなこと
が普遍的に生じることになります(除外される分野自身も時間と共に動きます
が)。

「大学教師団の規模を教授と講師あわせて約6000人減らすため、政府は任意辞職
と早期退職の制度を創設した。前者は55才以下の者を対象に、早期退職する場合に
は年金の額に10年までの割増金を付加するというものであった。多くの大学教師が
補償金を受け取って職を辞するよう奨励された。さらに彼らはその後、数年間パート
タイム講師として大学に復帰した。これは高価につく制度であった。短期間では節約
になるどころか、かえって高くついた。それはまた、大学を去るのは主として最も優
れた人々であったがゆえに、高等教育システムのバランスを崩すものであった。なぜ
なら、彼らはより愛他心に富む人々であったり、あるいは、もっと研究に自分の時間
を使いたいと希望する人々だったからである。さらにまた、彼らはアメリカやオース
トラリアやヨーロッパなど、海外の大学で仕事をみつけることのできる人々であった
。こうして、広く知られるようになったイギリス大学人の「頭脳流出」が生じた。そ
の大半はアメリカに渡ったが、そこで彼らの多くはそれまでの2倍もの俸給を得、衰
退しつつある制度を維持するための空しい奮闘から解放されたのであった。法学や工
学などの専門職に関係した大学人も多くイギリスを後にした。...
 ...大学はアカデミック・スタッフの新規採用をほとんど中止したし、また大学
で研究や教育に従事することを希望する大学院レベルの学生は急速に減少した。そし
てその結果、中国の文化大革命のときの「失われた世代」と同様、大学人の「失われ
た世代」が生み出された。」

辻下 徹
内線3823
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PS:他の点は、時間がないので、10月30日にreform というメーリング
リストに投稿したものをそのまま添付します。

++++++[reform:02227]++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
独立行政法人化問題の議論にはいくつか見過ごされがちな錯誤や思い込みがあ
ると思い、思いつくものを挙げてみました。お気付きの点があればお教えくだ
さい。
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[1]国立大学の独立行政法人化の是非を、次の是非と混同する錯誤
 (A)国立大学の法人化の是非
 (B)教育研究における競争原理(あるいは効率化)の是非
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◆(A)について
 国立大学に法的な人格を与えること自身に意義があることは確か
なことですので、法人化自身の是非は余り争点にはなりません。問
題は法人化の内容は天国から地獄まで無限の幅と多様性があること
です。そして、独立行政法人大学は、通則法をどのようにいじって
も最悪の方です。(後述の[4]にも関係します。)

国大協が別の法人化の案を模索するのは、この点からいえば、当然
のことかも知れませんが、そういう対処の仕方は、独立行政法人化
と同じく拙速の弊害は避けられないと思います。
([3]でもふれます。)

◆(B)について
学問的な競争は制度とは無関係に現に行われています。どの学問分
野もそれぞれの仕方で厳しい競争があるはずです。分野間の競争自
身も、科研費の増大によって次第に公平に行われるようになってき
ていますし、定員という枠は短期的には競争の対象から外されてい
ますが、やはり長期的には妥当な競争の対象になっていると思いま
す。国立大学制度の中でも(研究・教育という観点からの)競争原
理はいくらでも強めることはできるのです。これは、来年度から始
まる積算方式の変更で(その是非は別にして)ある程度可能となる
はずです。

ところが独立行政法人化の場合に導入される競争原理は実に粗雑な
もので、文化的な競争ではなく文字通り、どれだけ金に結びつくか、
という大学には調和しない競争になります。

私自身は図書以外に金の余りかからない学科にいますので、以前そ
うであったように、金のかかる研究へ「寄付」のようなことがあっ
ても構わないと個人的には思っています。費用がもっと欲しい研究
者を支援することには、時間だけが重要である理論系の研究分野に
とっては厭うようなことではありません。

また、藤田英典氏の「教育改革」(岩波新書)で提出されている
「共生」という価値観を敷延して考えるとき、これまでの学問的競
争は、いかに激しいものだとしても、大学制度は教育研究に携わる
者の共生の場として機能していたのに対し、経済原理に基づく競争
を導入することは、大学間・大学内にある共生の空間を破壊してし
まうものです。

なお、独立行政法人化が実現したときに起こるのは、学問の活性化
ではなく、国立大学からの頭脳流出と、(不可避の任期制を避けて)
若い研究者が就職先として国立大学を忌避することによる、学問的
空洞化に過ぎません。

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[2] 国立大学にとどまったとき定員削減が25%だ、という思い込
み。
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公務員数の25%削減は国立大学が独立行政法人化することにより
実現されることであり、もしも、国立大学がそのままとどまった場
合に、残りの75%である9万人分の削減は文部省以外の省庁で負
担しなければならないはずです。いくらなんでも文部省25%大蔵
省10%という数字には国民が納得しないはずです。しかし、独立
行政法人化すれば、実質、文部省50%大蔵省10%に近いことが、
国民に不審がられずに実現できるわけです。

なお、独立行政法人化を歓迎する意見のなかに「独立行政法人化後
は「定員」という概念がなくなるので、たとえ全体として実質50
%の定員削減になるとしても<重要な>分野はむしろ(増大する予
算に応じて)定員を大幅に増やすことができるようになる」という
打算があると思います。もちろん、このような単純な論理ではない
と思いますが、この意見には、知的文化というものの有機的全体性
という視座が欠落していると思います。得をするはずの分野の人に
これを納得させることは難しいですが、財界人の中にも、有機体の
一部だけを切り出して人工培養しても一過的効果を除けば悲惨なこ
とになるだけだ、ということを、十分説明すればよく理解する人が
いるのではないか、と期待しています。

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[3] 対案を出さなければ独立行政法人化に反対できない、という意
見。
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これは一部の大学では「常識」になっているようですし、国大協で
も同種の意見は強いようですが、かなり問題のある意見です。独立
行政法人化の問題点の中で大きなものとして拙速性があります。1
00年に一度というような大変革を数ヶ月の検討で踏み出してしま
うという愚かさです。これに対する対案を同じ時間の中で出そうと
いう態度には同じ愚かさが感じられます。土俵自身の不適切性が問
題の根源にあるので、その土俵で戦うことを認めれば、相手と同じ
過ちを犯すことになるだけです。

たとえば、一大学が見事な「対案」が出たとしても、長期的な日本
の高等教育・研究全体を考える視座を伴わない限り、独立行政法人
化とは別の厄介な禍根を残すものともなり兼ねません。

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[4] 独立行政法人化が長期的に続くという思い込み。
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これは既に以前も指摘したことですが、独立行政法人化は民営化へ
の過渡的な段階という予測にはいろいろ根拠があります。民営化に
つながっているから困る、ということではなく、独立行政法人化後
の民営化の質は最悪のものになることが予想されることです。この
意味で、本来多大な国費と時間がかかる民営化をこのような手段で
安価に短期間に実現しようという意図がある以上、回避しなければ
ならない。そして、国立大学の民営化が国意ならば、最初から質の
よい法人化を時間をかけて交渉していかなければならない、という
ことです。

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[5] 国立大学が大胆な改革が自分でできない以上、独立行政法人化
で否が応でも暴力的に改革を実現するしかない、という錯誤。
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これは、知人の言葉を借りれば、歯を全部抜いてしまえば、虫歯は
無くなる、という論理です。国立大学全体は余りよい条件とは言え
ない中で多様な使命を十分果たしています。九州地区の学長会議が
国大協に提言したように、早急に国立大学が、表面的にでなく、実
質的に有効に機能していることをはっきり示すことが急務です。ま
た、それぞれの国立大学は周辺地域に対して、単に文化的な貢献だ
けでなく、大きな経済効果も持っており、その点を各地域の財界人
にも訴えていくことも必要と思います。

++++[reform:02230]++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
昨日の私の投稿[reform:02227]の意図説明が不十分でした。

国立大学独立行政法人化は日本という大木の地中の大きな根の一つ
を切る許しがたい行為であり何としても回避しなければならないも
のと私自身は思っています。しかし、この考えは未だに少数派であ
るように感じます。

独立行政法人化を内心歓迎する人たちは、賛成意見を積極的に言う
必要はなく、「まだよくわからない」あるいは「困ったことだがも
う決まったことだ、不可避だ」と言っているだけで目的を達するこ
とができるので、圧倒的に優位な位置にいます。

しかし、実際に周囲に働きかけて感じることは、独立行政法人化の
意味について正直わかっていない人も多いことです(私のこの観測
が錯覚でないことを祈っているのですが)。

そうすると、独立行政法人化に意義があるかのような論調の新聞記
事には明確にその錯誤を示しておくことが重要になります。昨日の
私の投稿は、独立行政法人化の意義を説く主張に見られる論点のす
り替えなどを指摘したかったものです。私自身は、法人化・民営化・
競争原理・効率等についてはまだ十分な考えを持っているわけでは
ありませんが、これらの是非を通して独立行政法人化の是非を議論
をするのは論点のすり替えであり的外れであることを指摘したかっ
たのです。

また、独立行政法人化を歓迎する人には、独立行政法人化の利点と
されれていることはすべて国立大学制度の中で実質的に実現できる
ことばかりである、という点を考慮してもらい、再考を促せないか、
と思ったわけです。

また、財界には、日本を将来を真剣に憂える人たちも少なくないは
ずで、そういう方にも国立大学独立行政法人化は愚行であることを
理解してもらうことはできないか、と思ったわけです。
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