==> 国立大学独立行政法人 化に抗して
独立行政法人化問題の論点(2)

独立行政法人化問題の論点(2)

==>論点(1)
Date: Mon, 6 Dec 1999 08:18:09 +0900
To: hu-members
From: Toru Tsujishita
Subject: 独立行政法人化問題の論点(2)

北海道大学構成員の皆さまへ

独立行政法人大学の設計図の完成をまたなくても国立大学の独立行政法人化を
回避すべき根拠は枚挙に暇がないのですが、蓮見国大協会長が10月18日の
談話で設計図の不備を完成するまでは賛成・反対など言えない旨を表明したこ
とに象徴されるように、賛成・反対というような単純な問題ではないという発
言が繰り返されています。丹保北大学長も先日新聞報道でそう発言されました。

誰でも気付くように、独立行政法人化により「弱小」大学や「弱小」分野(学
問的な意味の弱さではなく産業界への価値提供という点で弱いというだけの意
味)が没落することを通し「基幹」大学や「基幹」分野は大きく発展できる好
機であるという期待(これは幻想であることは明白ですが)が背景にあるから
です。

教官の中には、国立大学は種々の理由で反対など言える立場にないという意見
があるようです。しかし現在の状況は、独立行政法人化推進派は、賛成意見を
言う必要などなく単に「反対・賛成などいうような単純な問題ではない」と言
うか、あるいは単に沈黙しているだけで目的を達することができる、圧倒的に
有利な場所に達しています。現在沈黙すること、あるいはわからないと言うこ
とは、独立行政法人化賛成の明確な意思表示となっています。

なお、国立大学の独立行政法人化は、公立私立大学にも甚大な影響を及ぼすこ
とは明らかであり、現に、いくかの公立大学の独立行政法人化の検討が始まっ
ています。この点でも、国立大学教官は重大な責任があります。

また、余り触れたくはないことですが、今回の件を左右する位置にある多くの
方が定年までには独立行政法人化によって大きな影響を受けないと考えている
節があることです。定年まで面倒なことに係わりたくないという自然な気持ち
を押さえて、真剣に考えて積極的に発言して頂ければありがたいです。

最初に典型的な意見をいくつか紹介し、その後、その意見の背景にある認識の
食い違いを分析したいと思います。(最新版は
http://fcs.math.sci.hokudai.ac.jp/dgh/dgh-issues.html
に掲載)
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目次
【◆代表的な意見】
【◆考え方・認識の多様性】
 (A)制度とその運用との関係
 (B)国立大学自身の現状(内部改革の進行状況)。
 (C)国立大学の独立行政法人案推進の(大学外における)「真」の理由。
 (D)国立大学が独立行政法人化で失うものは何か。
 (E)教育と研究の関係
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【◆代表的な意見】
   * 推進派が推進する理由の例
        o 政治家と官僚の都合から来たこの話に便乗すれば、国立大学自身では不可
          能な抜本的改革ができるかも知れない。
        o 定員概念がなくなるので研究費を人件費に回して人手不足を解消できる。
        o <国家的意義が認められない>部局を統廃合できる。
   * 甘受派・容認派・沈黙派の理由の例
        o 国大は学内外の事情を考えれば、反対できるような状況にない。
             + 国民の目には独立行政法人化反対は既得権益死守としか映らない。
             + 実学以外は税金でやるようなものではないので、事態がこうなれば
               諦めるしかない。
        o 独立行政法人化後、国大は潰れることはわかっているが社会の流れから
          すると仕方ないのではないか。大学が潰れたときに学問を消滅させない方
          法を考え始めた方がよい。
        o 自分の利害には直接関係がない。
             + 独立行政法人化で形式が変わるだけで実質は何も変わらない だろう
。
             + 得はしないにしても損はしないならばいいではないか。
             + 問題になるのは自分の定年後のことなので、余り関心がもてない。
             + 独立行政法人化後居心地が悪くなれば、他の研究機関に移ればいい。
   * 反対意見
        o 「文化」の基盤が破損する。
             + 不安定な独立行政法人大学ではりリスクの大きな研究はできなくな
る。
             + <科学技術立国>に寄与しない分野は立ち枯れる。
        o 日本社会を冷静に中立的・専門的に吟味する場が消滅する。
        o 露骨な競争的環境では学問とは無関係の戦略による制覇者が発生する。
             + 大学評価機構のような小規模の<公的>組織ではそれを防げない。
             + エモーショナルなものを入れずにドライに競争を行えるアメリカの
               精神的風土がない日本では 露骨な競争的環境は学者社会に悲惨な影
               響を与えであろう。アメリカの表面的な真似は通用しない。
        o このような大規模な制度変更をする必然性がない。
             + 不安定な組織への制度変更は、莫大な人的・時間的・財政的コスト
               が無駄になる可能性がある。
             + 制度変更しても現在の運用上の悪弊は改善されない可能性が高い。
             + 国立大学の中でももっと大胆な改革は可能である。
             + 反省すべき点は山積しているが総体として全くだめということでは
               ない。

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【◆考え方・認識の多様性】
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以上のような意見などから考えますと次の点についての考え方・認識に幅があ
ることが、最終的合意を困難にさせると思われます。

(A)制度とその運用との関係
(B)国立大学自身の現状(内部改革の進行状況)。
(C)国立大学の独立行政法人化案推進の(大学外における)「真」の理由。
(国立大学を取り巻く世界・国内情勢等の状況。)
(D)国立大学が独立行政法人化で失うものは何か。
(E)教育と研究の関係
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(A)【制度とその運用との関係についての認識の不一致】

まず、
 (A-1)「制度は運用と切り離して考えることはできない」
という認識は最低限は不可欠です。認識が共有しにくい点は
 (A-2)「独立行政法人制度の運用による自由度がどこまで及ぶか」
という点にあります。大学の中の手腕家は
 (A-3)「独立行政法人制度は運用次第で大学の本性に合せられる」
と考えるようです。その根拠は「現に、理屈上では機関に存在し得ない自治が、
歴史的努力により運用上確保できているではないか。独立行政法人化し制度上
監視体制が強まっても自治・自由の確保は運用上の努力でいくらでも可能だ。
逆に、国立大学に留まっても今年の学校教育法改正に見られるように、運用上
で自治を確保することは困難になり始めている。国立大学にいる方が自治は守
りにくくなる。」しかし、一方、
 (A-4)「制度は如来の掌で、運営は孫悟空の移動程度」
という考え方もあります。私はそう思っています。手腕家の手腕への過信は政
治家・官僚の目論見の中で、制御可能な便利な駒として、種々の役割を果たす
ことになっていると思われ、私には盲目で危険で愚かなものと思われます。

前回、独立行政法人制度の不安定性を指摘しましたが、
 (A-5)「独立行政法人制度の「不安定性」は運用上の裁量幅の拡大である」
と考えるのは誤認識です。統廃合の手順が制度に繰り込まれるという根本的変
化は運用上の才覚で解消できるようなレベルのものではなく、また、文部省案
通り通則法を修正しても解消できるものでもないことは明らかです。

なお、(A-1)(制度の実質は運用に大きく依存する)を忘れると
(A-6)「国立大学は国の機関なのだから設置者である国が絶対的な支配権を持っ
ている」
錯覚が文部省にもあることは、憲法・教育基本法による学問・教育の自由の無
視で、重大な問題です。文部省が大学に対して不法な強い支配力を持つに至っ
たことには制度的必然性はないから、発生メカニズムの解明が重要と指摘する
人もいます。最も明確な説明は、予算削減により大学を飢餓状態において隷属
化させた(と同時に大学も隷属を甘受した)というものでしょう。

(B)【国立大学自身の現状(内部改革の進行状況)の認識の不一致。】

国立大学の現状がどこまで悪いかについての自己認識の違いが、経験と居場所
によって大きいようです。国立大学の<空洞化>から何らかの「被害」を受け
た経験のある人達はむしろ
(B-1)「国立大学の現状は極端に悪く独立行政法人化反対などと言えるよ
   うな立場にない」
という意見がある。極端な場合は、潰れてしまうのなら潰れた方がいい、とい
うものもある。しかし、一方では、
(B-2)「どんな制度でも一定の割合の「無駄」があり国立大学の場合もその割
   合の範囲に過ぎない」
という意見もある。ただ、
(B-3)「長期に亘って実質的な「評価」が欠如していたことは大きな問題であ
   る」
ことは共通認識と思われるが、
(B-4)「大学評価・学位授与機構のような固定した小規模組織に全大学を実質
   的に評価できるはずはない」
という危惧の声も大きい。

(C)【国立大学の独立行政法人化推進の圧力の「真」の理由】

当初、
(C-1)「25%定員削減では大学は運営できなくなるので独立行政法人化は
        仕方がない」
という論点が前面に出ていた。たしかに独立行政法人化すれば「定員」という
概念がなくなるために「定員削減」という言葉自身が意味を失うのだが、
(C-2)「独立行政法人化しても全体としては「定員削減25%(あるいはそ
        れ以上)」に相当する事態は避けられないのは当然」
という認識は共有されるようになった。しかし、
(C-3)「独立行政法人化しても<定員削減>が起こるから独立行政法人化す
        る必要はない」
という考えは肝心な点を見過ごしているため、独立行政法人化反対の意見とし
ては効力をもたない。肝心な点とは、国立大学制度の中での定員削減は「ほぼ
一様」にしか進められないのに対して、
(C-4)「独立行政法人制度では運営交付金の調整で<定員削減>に大きな濃淡
       がつけられる」
という点であり、これが「強い立場の大学・部局・個人」にとっての独立行政法人化
推進の動機の一つとなっている。(以上C-1,2,3,4 は前回でも触れたことですが繰り
返しまた)

以上の論点では
(C-5)「25%公務員定員削減は「政争の具」として出てきた不当なものである」
ことは共通認識となっているが、この共通認識から
(C-6)「国立大学の独立行政法人化は政治的に決まっている」
という結論を出す人もいる。しかし、文部省は、国立大学が独立行政法人化し
なければ内閣は潰れると言っていることからわかるように、(C-5)は誤認識で
ある。しかし一方
(C-7)「国立大学が反対すれば独立行政法人化は実現しないことは確かだが、
      そうすべきかどうか」
という点で意見が割れている。

以上は、政治家の強い動機しか念頭においていないが、
(C-8)「国立大学25%定員削減といった要請は、時代の背景から出たも
        ので正当なものである」
ということを前提としている。しかし、この前提は正当化できない。「国家財
政危機」のために公務員の定員削減をしているわけではないことは国立大学全
体の予算1兆5千億の十倍を越す膨大な公共投資については削減どころか増え
続けているという点からもわかる。1996年度にから5年間に17兆円の国家予
算を科学技術に投入する閣議決定があり、過去3年間に10兆円が投入され、
残りの2年間に7兆円が投入されることも決まっている。このことから、
(C-9)「学術的予算を国家が投入したい所だけに投入するシステムを完成させ
        るのが国立大学の独立行政法人化である」
という点が明らかになる。これは別の言葉でいえば
(C-10)「国立大学の独立行政法人化の目的は挙国一致体制に大学を組み込む
    ことにある」
といえよう。このような政策の背景には、前回に言及した、アメリカ一人勝
ちの「グローバリゼーション」という世界的な流れがあります。その流れで日
本は敗者になる危険が大きいが、それを回避するにとどまらず勝者になろうと
する欲望ゆえに、挙国一致体制を叫んでいると私には思われます。戦前と精神
構造は同じではないかとさえ思われます。こういう状況下で大学は岐路に立た
されています:巨額の研究費の魅力に負けその体制に組み込まれ挙国一致体制
を強力に推進する役割を担うことに埋没するか、そういう役割を担だけでなく
日本の行く末について醒めた分析を行い警告を発し続けるか、という岐路です。
(C-11)「国立大学独立行政法人化の目的の一つは大学から棘を抜くことである」
こうして、政府にとっての最後の棘、大学にある批判精神、が大学から抜け落ち
て、日本は政府の意図がそのまま実現する実に効率のよい国家になる、という筋
書きです。

(D)【国立大学が独立行政法人化で失うものは何か。】

9月20日の文部省案は大学と同じことを言っていると政府は9月21日の
行革推進本部で強調し、
(D-1)「9月20日の文部省提案は国立大学協会の提言を丸呑みしたもの」
と多くの人に思わせることに成功しています。しかし、本当は
(D-2)「9月20日の文部省提案は行革推進本部の意図と全く同じである」
という見方の方が適切です。繰り返しますが、政府にとっての独立行政法人
制度の魅力は、その「不安定性」です。職員の身分だけでなく法人の存在自身
が不安定であるという徹底した不安定さを伴う制度であることが政府にとって
の重要な点です。不安定性は、統廃合・民営化を背にした背水陣に独立行政法
人を置くことで、法人職員の心の安らぎを奪って真剣に働かせようというもの
ですが、そのような環境は知的創造には最悪のものですから、他に転出できる
人はみな転出することでしょう。
(D-3a)「不安定な環境は知的作業とは両立しない」
これに対しては、
(D-3b)「世界全体が不安定な状況に置かれている現在、大学だけ安定でありたい
 などという主張は通用しない」
という人が学内にも多いようですが、これは、知的作業の専門家の使命を忘れて、
世間に迎合する意見であると思われます。単に安定さを求めるのではなく
(D-3c)「不安定になるということは大学の使命を果たす基盤を失うことだ」
という点が肝心である。しかし
(D-3d)「それは単に国大教官が特権階級であることを主張しているだけ」
という反論も聞きます。どの職業にもそれ自身の生理的な必要条件というもの
があります。大学から安定性を奪えば、成功した研究の後追い・方法が確立した
研究等が優先し、前人未踏の研究に挑戦するなどという無謀なことは問題外の
ことなるのではないか。やはり
(D-4)「大学が社会に対して自己の特殊な使命を明確に説明することを怠ってい
た、早急にそれに取り組み始めなければならない」
という点が重要であり、この点は共通認識になっているとおもいます。

10月18日の国大協会長が「国立大学の独立行政法人化が「結局は何も変えず
におくため」の口実として機能してしまう」と発言し、
(D-4)「国立大学制度でも独立行政法人制度でも大学にとっては大差ない」
という印象を植え付けようとしています。しかし、制度の違いは余りに大きいの
で、この主張は制度は運用次第という楽観(A-3)が暗黙のうちに前提とされてい
ると考えられます。

なお、文部省は、「通則法だけの場合には国立大学制度に留まる」という言い
方で、
(D-5)「国立大学制度の方が、文部省案の独立行政法人制度よりも悪い選択である」
かのような宣伝をしています。しかし、国立大学制度の方が悪い、という主張で
はなく、国立大学に留まるならば制裁を受けるぞ、という主張です。長年の文部
省の支配により、国立大学はこの制裁の脅しに対する抵抗力を失ってしまってい
るように思われます。

(E)【教育と研究の関係】
この問題は、大学の存在の根底にかかわるもので、アメリカでは大学院大学が
できた100年前頃から問題となり始めましたが、単純な解決があるような類
の問題ではありません。政府が望んでいるように、教育と研究とを制度的に分
離し教育・研究の固定的分業化することは避けるべきです。独立行政法人化に
より研究に専念できる組織に属することを期待している人は国立研究所が独立
行政法人化でどう変化することになったかを念頭におくべきです。研究所の目
標にそぐわない研究は「禁止」同然となり研究費をもらってもいけない、とい
うことになったのです。研究教育の人的分離を避け、サバティカル制度の根底
にあるアイディアを発展させて、各人が、教育に没頭する時期と研究に没頭す
る時期とを適切に配分することができるような方向を検討すべきです。

辻下 徹
理学研究科・数学専攻