国立大学独立行政法人化の諸問題国会情報
第155回国会 参議院文教科学委員会 第5号平成14年11月21日(木曜日)
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kaigirok/daily/select0107/155/15511210061005c.html
(http://ac-net.org/dgh/kokkai/02/b21-san-bunkyoukagaku.html)

「○参考人(市川昭午君) 私は、先ほど来申し上げましたように、大学評価は必要ではございますが、これは今まで評価されていない、競争がないというのはうそでございまして、昔から大学は様々な面で評価されてきたわけです。学生さんからも評価されましたし、同僚からも評価されましたし、外国からも評価されましたし、マスコミからも評価されている。評価されているんです。それからまた、競争もありました。大学間の競争もあれば、教員の間の競争も結構激しいものであったわけでございます。

 ただ、そういった競争からある意味では脱落しているというか、そういう大学や大学教員もいたわけでございまして、それが今までは需要が供給を上回っておりましたので存続していたということであろうと思いますが、これからは十八歳人口の減少に伴いましてこれまでと需給関係が逆転しますので、おのずから努力しない大学、努力しない教員は淘汰されていくことになろうかと思います。ですから、必ずしも制度的に評価をしなくても、そういう非制度的な評価というのは、今までどおりあるいは今まで以上に強く作用すると思いますので、その間でおのずから淘汰は行われていくんだろうと思います。

 それで、それだけでは不十分だというお考えからこの評価の制度化ということが、政府中枢でございますね、内閣府に置かれておりますいろんな何々会議と申すところから強い要請があって行われるようになったかと思いますけれども、規制緩和と申しますけれども、本当に規制が緩和されるのだろうかと。事後評価というものが常にちらちらしているわけでございまして、必ずしも評価を受ける側は自由になったとは思えないんじゃないかというふうに思います。

 それで、評価というのは今までもやられているわけですから、それを適正なものにするために、各大学がそれぞれ集まって自主的に認証機関を作って評価するということは、これは非常に結構なことだと思いますが、ただ、先ほど来申しましたように、評価というのは実際は非常に大変なことでございまして、お金も掛かれば時間も掛かればエネルギーも要するわけであります。それですから、これを完璧にやり抜くということは極めて困難なことであろうと。

 そこで私は、やはり評価は大事で望ましいことだけれども、やはり費用効果ということを考えていかなきゃならない。ですから、必ずしも事前規制が悪であって事後評価が絶対にベターであるとは言えないと思うんでございます。ですから、今回やるにいたしましても、一定期間、例えば十年たったら見直すというようなことが必要かと思います。

 それからまた、すべての大学に評価を受けることを義務付けるという必要もないだろうと思うんでございます。それは、先ほど来申しておりますように、結局ユーザーである学生が市場評価をするわけでございますから、それでやはりその目にかなわなかったものは淘汰されていきますから、むしろ私は大学側には情報公開を義務付けるということが大事だと思います。それによって、学生が、あるいは保護者が、あるいは企業が大学を適確に評価できるような、そういうシステムが望ましいんじゃないかと、こう考えております。」




○委員長(大野つや子君) 学校教育法の一部を改正する法律案を議題といた
します。

 本日は、本案の審査のため、参考人として慶應義塾学事顧問・日本私立学校
振興・共済事業団理事長鳥居泰彦君、青山学院大学大学院国際マネジメント研
究科長伊藤文雄君及び国立教育政策研究所名誉所員・国立学校財務センター名
誉教授市川昭午君の三名の方に御出席をいただいております。

○委員長(大野つや子君)次に、市川参考人にお願いいたします。市川参考人。

○参考人(市川昭午君) 市川でございます。

 私は、専門職大学院制度の創設及び第三者評価制度の導入について私見を述
べさせていただきます。

 専門職大学院制度の創設に関しまして、第一に申し上げたいことは、今まで
の大学院教育が社会ニーズとの間でミスマッチを起こしていたのではないかと
いうことでございます。

 一九九一年、平成三年の大学審議会答申「大学院の量的整備について」は、
十年間で大学院の規模を二倍にするという数値目標を明示いたしました。これ
は大変珍しいことでありまして、大変に急速な拡充政策を打ち出したわけであ
ります。その結果、近年、大学院の量的拡充は目覚ましいものがあります。大
学院学生は一九九〇年から本年度までの間に九万人から二十二万四千人に、実
に二・五倍になりました。しかし、この大学院の量的整備に伴うべき大学院の
教育内容の質的な転換がなされてこなかったと思います。その結果、九〇年代
の長期不況の影響もありますけれども、大学院修士課程及び博士課程の卒業生
の就職率が一〇%ポイント以上低下いたしまして、その反面で無業者が大変に
増えております。

 それからまた、現在の大学院は、修士課程はもちろんでございますが、博士
課程もまた研究者になる人というのは今やマイノリティーでございまして、マ
ジョリティーは研究者にはなっておりません。しかも、研究者になる割合は、
大学院創設以来低下の一途をたどっているわけでございます。つまり、大学院
修了者のマジョリティーが研究者じゃなくてそれ以外の職業人になるという現
実の変化にもかかわらず、半世紀の間、我が国の大学院はいわゆる研究大学院
であり続けたわけでございます。マジョリティーが研究者にならないのにほと
んどの大学院が研究大学院であるということは、大きな矛盾と言わなければな
らないと思います。

 これは、大学院の拡充が大学の経営者や大学の教職員のために行われていた
のではないかと疑われても仕方がないと思います。高等教育大衆化の状況の下
におきまして、高度職業人教育の必要性が認められるというだけでなくて、そ
れ以上に私は、大学院の急激な拡充が高等遊民を生まないためにも、大学院教
育の改革、特に専門職業教育への転換が望ましいと考えております。

 そういう点では伊藤先生と同じく賛成でございますが、ただ、一つだけ遺憾
に思うことがございます。それは、今回の大学院制度の改革が司法制度改革の
一環としての、教育界の外から突き付けられた改革となったことでございます。

 「法科大学院の設置基準等について」と題する中央教育審議会答申、これは
先ほど鳥居先生がお話しございましたが、これを読んでみますと、失礼ではご
ざいますが、司法制度改革審議会の意見のコピーではないかと思うようなとこ
ろがあるわけでございます。無論、司法制度改革の一環として法曹教育の改革
がなされた場合、それに伴って大学院教育の改正が必要になることは当然でご
ざいます。しかしながら、大学院における専門職業人教育のシステムが確立し
ておりまするならば、それほど大きな改革は必要とせず、部分的な対応で済ん
だのではないかと思います。

 昭和二十四年、一九四九年にアメリカ占領軍の指導を受けて大学基準協会が
大学院基準というのを制定しております。それを見ますと、その附則で専門職
業人に関する基準は別に定めるというふうに書いてあるわけでございます。に
もかかわらず、その後半世紀にわたりまして専門職業人に関する大学院基準と
いうのは作られなかった。ようやく平成十年になりまして大学審議会答申「二
十一世紀の大学像と今後の改革方策について」で、高度専門職業人養成に特化
した実践的な教育を行う大学院の設置促進という方針を打ち出しました。その
翌年に専門大学院が制度化されたわけでございます。しかし、これは法改正に
よるものではございませんで、設置基準の改正によって行われましたし、した
がいまして大学院の目的変更には至っておりません。

 先ほど伊藤先生からも御説明ありましたように、従来の修士課程の枠内でな
されたわけでありますし、そもそも専門大学院という名称からしてあいまいな
ところがございます。大学院ともなればあらゆるものがすべて専門化している
わけでございまして、専門大学院というのは何じゃいなということになるわけ
でございます。そういう点で、従来の大学院との違いが必ずしも明確ではなかっ
たわけでございます。このように、四年前の改革は極めて不徹底なものであっ
たために今日、法改正を迫られることになったと思います。

 外部からの改革要求がなければ本格的な改革ができないというのは、これは
大学関係者の体質がその背景にあるのではないかと思いますけれども、専門職
業人の養成に関しましては、今後ほかの省庁から様々な介入が予想されます。
例えば、金融庁が公認会計士の大幅な増員を目的に公認会計士養成のための専
門職大学院を検討しているという話も伝わってきておりますが、こうした情勢
から、これまでの大学院制度との早急な調整が不可欠となっているだけではご
ざいませんで、先ほど鳥居先生から御紹介ありましたように、高等教育のグラ
ンドデザインを策定すること、それから高等教育政策における文部科学省の主
体性を回復することが緊急の課題だと思います。

 それから、残された政策課題といたしましては、三つばかり挙げたいと思い
ますが、一つは、既存の大学院の少なくない部分を職業大学院に移行させるこ
とであります。経営管理とか公衆衛生などの既存の専門大学院は専門職大学院
に移行することとなっているそうでありますが、既存の大学院でも様々な専門
職を養成しているわけでございまして、そういった専門職を養成している大学
院あるいは学部というようなものをできるだけ早く専門職大学院に移行させる
ということが望ましいと思います。もちろん、各専門分野それから各研究科に
よって様々な事情がありますので一律にはいかないと思いますけれども、なる
べくそうした方向に向けて改革を進めていくことが大事であろうと思います。

 次は、教員の確保であります。

 適材の教員を確保するということは非常に大事でございますが、専門職業人
を養成する大学院の教員には、これまでのような研究に専念しがちだった大学
教員では不適当であることは無論でありますけれども、かといって専門職業の
実務経験者をそのまま充てればいいというものではありません。どちらからコ
ンバートするにしましてもある程度の準備期間が必要でありましょうし、教員
であれば実務経験、実務家であれば教育経験、あるいはその双方による共同研
究などが必要になろうかと思います。

 それから三番目は、就学機会の確保であります。

 専門大学院には、大学からストレートに進学する従来型の学生のほかに、い
わゆる社会人の再教育需要がこれまでの研究大学院以上に大きいと思います。
したがって、社会人、特に勤労者の就学機会を確保する、そのための就学支援
が必要になろうかと思います。それは、例えば修学の場が企業が集中しており
ます都心にあるということ、それとはまた逆に全国的な適正配置、夜間や通信
制の大学院などが必要になってくると思います。

 また、奨学制度にしましても、ストレート進学の場合とは違いまして、単に
奨学金制度ということではなく、教育休暇や就学休業といったような制度を併
せて考える必要があろうかと存じます。

 次に、二番目の第三者評価制度の導入ということでございますが、まず、政
府の主導によりまして評価機関を設置者別に設置することについては検討の余
地があろうかと思います。各認証機関が独自の基準で認証することでは共通の
水準を保つことは難しいわけですし、かといいまして基準の共通化を指導した
のでは複数の認証評価機関を置く意味が乏しくなると思います。

 また、大学評価は大学が自己改善のための目的で自ら行うものだとすれば、
それは関係団体が自主的に行うべきだということになります。したがって、政
府によって強制されることではなく自主的に行うことになろうかと思いますが、
御案内のように、我が国がモデルとしておりますアメリカの大学評価は民間団
体によって自前で行われております。そこまでは我が国の現状から望めないと
しましても、すべての大学に評価を国が義務付け、受けなければ是正措置の対
象とするというのは疑問であります。特に、市場原理で成り立っている私立大
学などでは、評価を受けるのは各大学の任意でよいのではないかとも思われま
す。ただし、職業資格と直結する専門職学位を授与する場合には義務付けが必
要かと存じます。

 評価機関は、多様であると同時に政府から独立していることが望ましいわけ
であります。したがって、多様な複数の民間機関によって実施すべきであろう
と思いますけれども、実際には評価には膨大なスタッフと巨額な費用を必要と
するわけでありまして、そうなりますとどうしても評価機関は国の支援を望む
ようになろうかと思います。しかし、評価機関が国の財政援助を受けることに
なりますと、その対象は国が認証した評価機関に限られざるを得ません。それ
に、財政支援を受けることは大学評価が行政の下請の仕事だという印象を与え
がちになります。そこでその評価機関の自律性が疑われるというようなことで、
必ずしも好ましいと言えません。ここにジレンマがあろうかと思います。

 次に、評価の目的は何であるのか、その結果をどう利用しようとするのかに
よって評価の性格及び内容が大きく変わってきます。教育研究の内容、方法の
改善など大学における教育研究を活性化しようとするための手段であるとする
ならば、審査は教育研究の内容、方法の適否を判定することで足りるわけであ
りますが、資金配分の基準とするのが目的であります場合には相対評価とかラ
ンク付けが不可欠となってまいります。

 現在、大学評価・学位授与機構が行っておりますのは教育研究活性化のため
の評価でありますが、国立学校法人化後に求められているのは、運営交付金の
算定などに反映させることが可能な評価であります。となりますと、機構が行っ
ております評価内容、方法の革新が求められることになりますけれども、研究
評価に関してはともかく、教育評価につきましては、これが極めて困難であり
ます。

 と申しますのも、改めて申し上げるまでもなく、研究とは違い、教育の効果
は学習する側との共同作業であります。したがって、教育する側の意欲と能力
がどれだけあっても、それだけでは決まるものではございません。それに、研
究評価と違いまして、教育評価は各大学独自の教育目標についてその達成度を
測るものでありますから、原理的に言って相対評価が不可能であります。とな
りますと、よほど傑出した教育成果を示した大学だとか、あるいは余りにもひ
どい教育をやっている大学だとか、そういった極端な例外的なケースを除きま
すと、基本的に教育に対する交付金の算定は、教育費に関する限りやはり学生
数を基本とするほかはないんじゃないかと、こういうふうに考えます。

 いずれにしましても、大学評価は大学の地位や威信を大きく左右する可能性
があるだけに、信頼性、公平性、透明性、客観性などをどう確保するかが大事
だと思います。

 しかし、これらを徹底的にやろうとすればいよいよ作業が繁雑となり、評価
する側も評価される側も時間とエネルギーを消耗して、いわゆるエバリュエー
ションファティーグという言葉がありますけれども、評価疲れになるというジ
レンマがございます。

 大学は昔から様々な形で評価されてきたわけでありますが、制度的な大学評
価は平成三年の大学設置基準大綱化による規制緩和との引換えとして生まれ、
以後、規制緩和が進むのに並行して次第に評価も強化されてきたわけでござい
ますが、事前の規制が緩和される以上、事後評価はやむを得ないことでありま
す。事前規制から事後チェックへの移行という総合規制改革会議の主張にも一
理はあります。しかし、事後評価はしばしば事前規制以上に時間とコストを要
するものであります。また、総合規制改革会議は大学の改廃の弾力化とおっしゃ
いますけれども、学生の教育などは事後評価では救われないという問題もござ
います。

 このように、大学評価は莫大な時間と費用、エネルギーを必要とするわけで
ありますが、それに値するだけの効果を生んでいるかどうか常にチェックする
ことが肝心であります。大学評価はあくまでも大学改革のための手段であって
目的ではございません。評価に要する作業のために研究教育活動への取組がお
ろそかになるというのは本末転倒でございます。したがいまして、根本的には
一定の期間を経た後に事前評価と事後評価の関係を改めて見直していく必要が
あります。当面は、評価の客観性を保ちながら、評価内容の重点化、評価作業
の簡素化を図っていくことが必要かと存じます。

 以上で終わらせていただきます。(拍手)

○参考人(市川昭午君) おっしゃるとおりでございまして、やはり鳥居先生 もおっしゃいましたように、授業料の単価を高くするということが必要になろ うかと思います。したがいまして、先ほど申し上げましたように、学生に対す る経済援助をどうするかということが課題になっております。  それからもう一つは、先生御指摘のように内部補助でございます。我が国の 私立大学は戦前、学部学生というのは大変少なくて、専門部というのがありま して、これが大変数が多かったわけで、この専門部の収入で学部の収入を補っ てきたわけでございます。戦後は人文科学、社会科学系の収入に、いわゆるマ スプロでございますので、その収入で理工系や医系の費用をカバーしてきたと ころがあろうかと思います。  それで、これにつきましては、アメリカの教育経済学の本にもいろんなこと が書いてございまして、そういう内部補助、アメリカでも大学院は結局学部の 収入で内部補助をしているようでございますが、しからば、そういう大学、規 模の大きい研究大学へ行くのは不利かどうかと。そうすると、やはり必ずしも 不利じゃないという説もあるんですね。経済的に見ますと、自分たちの納付金 の一部が大学院に使われているわけでございますけれども、その結果、大学が 非常に研究的に高いレベルになるとか、教育活動が活性化するとか、あるいは 研究室や図書館などが充実するとか、いろんなことがありますので、必ずしも そうでないという説もございます。  それからまた、そういう内部補助は学部学生を搾取することになるので良く ないという説もございまして、これは見方によって異なるようでございます。
○参考人(市川昭午君) 私は、大学というのはいろいろ多様でございますの で、それから評価というのは非常に難しいものでございまして、どういう視点 から見るかによって評価結果が変わってまいります。  ですから、幾ら客観性、公平性に努めましても、人間のやることですから、 必ず何らかのバイアスは免れないと思うのでございます。そうすると、研究費 に対する助成でもそうでございますけれども、こちらの審査機関では落とされ たけれどもこちらでは拾ってもらったと、いろいろなことがございますから、 評価機関はやっぱり一つではなくて複数あった方がいいんじゃないかと、こう 思っているわけでございます。  それで、ただ、おっしゃるように、少なくとも公費の助成に係るようなこと につきましてはある程度最低限の共通性みたいなものは必要かと思いますけれ ども、しかし、客観性、公平性ということには限界がございますから、それを 是正するためにはやはり複数の評価機関が望ましいのではないかと、こんなふ うに考えております。
○参考人(市川昭午君) ただいまお尋ねのグランドデザインでございますが、 グランドデザインとは何かということが法律で定まっているわけではございま せん。したがいまして、平成十年の大学審議会答申を高等教育のグランドデザ インと称して悪いというわけではございません。  しかし、先ほど鳥居先生もグランドデザインをこれから作るんだ、今着手し たところだとおっしゃっていますし、それからまた、国立学校の法人化に関し まして文部科学省が設置しました調査検討会議も、国としての長期的な高等教 育、学術研究施策のグランドデザインの策定が必要だということを提言してお ります。  それからまた、今回の大学改革につきまして審議しました中央教育審議会の 答申の大学の質の保証に係る新たなシステムの構築につきましてのその末尾に、 高等教育の今後の在り方や全体規模などについて、高等教育のグランドデザイ ンの一環として検討するとございます。  答申概要の末尾にあるように、今後検討するということでございますから、 ということは、まだグランドデザインはできていないというふうに政府自ら考 えておられるのではないかと、こんなふうに思います。  仮にグランドデザインが存在すれば、それはポジではなくてネガの形である かもしれません。文部省の幹部の方がそういうのを持っていらっしゃるかもし れませんけれども、それはあくまでもネガでございまして、ポジになっており ませんので我々からは見えないわけでございまして、したがいまして社会的に は存在しないと同じじゃないかと、こう思うわけでございます。
○参考人(市川昭午君) 今まで法曹の養成というのは、法務省の司法試験と、 それから最高裁の司法研修所によって行われてきたわけでございます。したが いまして、文部科学省の所管します大学の法学部というのは余り関係がなかっ たわけでございますけれども、今後は今までの点としての養成からプロセスと しての養成になるということでございますので、そのプロセスにおける法科大 学院が中核に本当になれるようにしていただきたい。  それで、文部科学大臣と法務大臣の協議、あるいは法務大臣からの意見の申 出というのがございますけれども、それとは逆に、法科大学院が本当に法曹養 成の中核になれるように、文部科学大臣から法務大臣に意見を言っていただく というようなこともお願いしたいと思っております。
○参考人(市川昭午君) アメリカのように、メディカルスクールやロースクー ルの学費が大変高くて、その代わり卒業してから高い収入を得るということが 期待されるということでございますが、そうなりますとどうしても医療費も高 くなりますし、それから訴訟費用も高くなります。それですから、やはり私費 負担だけでやるんじゃなくて専門職養成にはもっと公共のお金をつぎ込む、そ の代わりその卒業生が法外な所得を得るということもチェックするというよう な方向がよろしいんではないかと、こう考えております。
○参考人(市川昭午君) 学生は高等教育のユーザーでございますから、その 評価は市場評価の一種ではないかと思います。したがいまして、第三者評価に はなじまないと考えられるわけでございます。  そうは申しましても、学生による評価は大学の教育や運営におきまして大変 大事なことでございますので、学生評価を実施しているか否か、どんな内容で やっているかといったようなことを第三者評価機関が大学を評価する場合の重 要な資料とするということが望ましいと思います。  それから、単に学生だけじゃなくて、保護者とか雇用主とか地域社会など、 いろんなステークホルダーがいるわけでございますから、そういった広範な意 見も反映されるような、反映するようにしている大学を第三者機関が高く評価 するというような、間接的な形で学生評価というものを入れていくべきだと、 こう考えます。
○参考人(市川昭午君) 大学の在り方は様々であってよいと思いますので、 私は基本的に、職業資格などに直結する場合は別としまして、必ずしも評価を 受けなくてもいいんじゃないか、評価を受けない大学があってもいいと。基本 的には消費者である学生あるいは保護者が選択すべき問題であります。ただ、 御案内のように、情報の不対称と申しますか、消費者は十分な大学の内容につ いて情報を持っておりませんので、そういった点を補う意味におきまして第三 者評価というのは存在理由があるんじゃないかと思います。  したがいまして、評価の結果が悪くても、行政処分とは別個の問題で、あく までも行政処分は不法行為、不法状態に対する処分であるべきであって、大学 の教育研究内容に関してはそういったことをしなくてもよろしいんじゃないか と、こう考えております。
○参考人(市川昭午君) 我が国の大学の欠陥は、高等教育が構造化されてい ないことだと思います。  本来、高等教育は、短期の高等教育機関、それから四年制の大学、さらに研 究大学院や職業大学院というようなことで構成されるんだと思いますが、我が 国の場合、元々、大学院も発達せず、短期大学も発達せず、四年制大学に集中 したのでございますが、最近はますますこの傾向が強くなりまして、今日、高 等教育に在学する学生の九割は四年制大学にいるわけでございます。本来から いえば、もっと短期大学、高等専門学校などが発展すべきですし、それからま た大学院も発展すべきであります。それからまた、大学院におきましても、研 究大学院に偏ることなく、専門大学院、職業大学院といったものがもう少し力 を持ってくる、そういうバランスの取れた、バランスのある構造を持った高等 教育というものが望ましいと、こう思っております。
○参考人(市川昭午君) 私は、先ほど来申し上げましたように、大学評価は 必要ではございますが、これは今まで評価されていない、競争がないというの はうそでございまして、昔から大学は様々な面で評価されてきたわけです。学 生さんからも評価されましたし、同僚からも評価されましたし、外国からも評 価されましたし、マスコミからも評価されている。評価されているんです。そ れからまた、競争もありました。大学間の競争もあれば、教員の間の競争も結 構激しいものであったわけでございます。  ただ、そういった競争からある意味では脱落しているというか、そういう大 学や大学教員もいたわけでございまして、それが今までは需要が供給を上回っ ておりましたので存続していたということであろうと思いますが、これからは 十八歳人口の減少に伴いましてこれまでと需給関係が逆転しますので、おのず から努力しない大学、努力しない教員は淘汰されていくことになろうかと思い ます。ですから、必ずしも制度的に評価をしなくても、そういう非制度的な評 価というのは、今までどおりあるいは今まで以上に強く作用すると思いますの で、その間でおのずから淘汰は行われていくんだろうと思います。  それで、それだけでは不十分だというお考えからこの評価の制度化というこ とが、政府中枢でございますね、内閣府に置かれておりますいろんな何々会議 と申すところから強い要請があって行われるようになったかと思いますけれど も、規制緩和と申しますけれども、本当に規制が緩和されるのだろうかと。事 後評価というものが常にちらちらしているわけでございまして、必ずしも評価 を受ける側は自由になったとは思えないんじゃないかというふうに思います。  それで、評価というのは今までもやられているわけですから、それを適正な ものにするために、各大学がそれぞれ集まって自主的に認証機関を作って評価 するということは、これは非常に結構なことだと思いますが、ただ、先ほど来 申しましたように、評価というのは実際は非常に大変なことでございまして、 お金も掛かれば時間も掛かればエネルギーも要するわけであります。それです から、これを完璧にやり抜くということは極めて困難なことであろうと。  そこで私は、やはり評価は大事で望ましいことだけれども、やはり費用効果 ということを考えていかなきゃならない。ですから、必ずしも事前規制が悪で あって事後評価が絶対にベターであるとは言えないと思うんでございます。で すから、今回やるにいたしましても、一定期間、例えば十年たったら見直すと いうようなことが必要かと思います。  それからまた、すべての大学に評価を受けることを義務付けるという必要も ないだろうと思うんでございます。それは、先ほど来申しておりますように、 結局ユーザーである学生が市場評価をするわけでございますから、それでやは りその目にかなわなかったものは淘汰されていきますから、むしろ私は大学側 には情報公開を義務付けるということが大事だと思います。それによって、学 生が、あるいは保護者が、あるいは企業が大学を適確に評価できるような、そ ういうシステムが望ましいんじゃないかと、こう考えております。
○参考人(市川昭午君) それは、評価がどのように行われるか、それからま たそれがどのように使われるかということによって違ってくると思いますけれ ども。本当に評価が公平かつ客観的に行われ、それが透明性を持ってだれも納 得できるというようなものである、それからまた専門的な評価機関による評価 がそのまま評価の基準に、配分基準に使われるというようなことでありますと、 それほど心配もないかと思いますけれども、そうでなかった場合、そういう先 生が御指摘のような心配も出てくることもあろうかと思うんです。  それで、やはり何と申しましても人間がやることですから、必ずバイアスは あり得るということだと思います。ですから、評価と申しましても、要するに 教育研究の内容、方法の改善のためのフィードバックの評価というものは、こ れは必要だと思うんですね。それで、ただ、これが予算の配分ということに結 び付きますと一種の権力性を持ってまいりますから、これが教育、研究の自由 を脅かすというおそれなしとしないと。これは大学人が毅然としていればある 程度防げることでございますけれども、必ずしも現在の我が国の大学人がその ような高い自主性を持っているとも思えませんので、心配はございます。
○参考人(市川昭午君) 私も、戦争中は陸軍の学校、戦後は旧制高校で学んだ 経験がございますので、いずれも大変に良い学校だったと思っております。しか し、なぜ良い学校だったのかと。それはもう大変一人当たりの教官の配置、掛け る費用その他充実したものであったからだと思います。  しかし、そういう点では旧制の学校に学んだ人は恵まれていたと思いますが、 その一番の欠点は、大多数の国民は教育を受けられなかったということだろうと 思うんですね。それで、やはり戦後の教育のいいところは、大多数の国民に、中 等教育はおろか高等教育まで教育機会を拡張したところにあろうかと思います。  ただ、残念なのは、それに伴うだけのコスト負担を国民がしようとしなかった ということでございます。これは、国や地方財政の支出、それからまた寄附金そ の他あらゆる面におきまして、戦前の日本は富国強兵と言われましたけれども、 世界のほかの先進諸国と比べまして異常に教育費に国民所得の多くの部分を割い たわけでございまして、歴史的な統計分析がございますけれども、日本だけはほ かの国とは懸け離れた、国民所得水準に比べて懸け離れた教育支出をしてきたわ けです。  ところが、戦後は文化国家になったはずでございますけれども、教育費に関し ましては逆でございまして、要するに、減ったというわけじゃございませんが、 ほかの先進諸国、中進諸国が大変に教育を重視するようになりましたので、今日、 高等教育の関係者はもちろん、いろんな方がおっしゃっていますけれども、大変 に教育支出の国民所得に占める割合が小さい。  しかも、我が国は戦前から初等中等教育、殊に義務教育重視でございまして、 国の予算のほとんどが義務教育に使われてきたわけです。これはこれで非常に達 見であったと私は思うんでございますが、一部の発展途上国のように、何か国の メンツのために一つだけの大学を飾り立てるというよりもよっぽどいい政策だと 思いますが、ただ、初等中等教育に比べまして高等教育が非常に貧弱であると。 これはもう施設一つ取ってみましてもそうでございまして、そういう点で、やは り教育の構造が昔のように小学校にほとんどの人間が行っていた時代とは違いま すので、やはりGDPにおける教育支出の割合を増やすと同時に、教育内部にお ける教育支出の構造的な配分を再検討する必要があると、こう考えております。