「朝生」番組製作者との懇談と日下氏所感についての世話人会見解「朝まで生テレビ!」プロデューサー日下雄一氏の 「『イラクから帰国された5人をサポートする会』(代表世話人:醍醐聰)との懇談を終えて」について2004年7月29日イラクから帰国された5人をサポートする会・世話人会 テレビ朝日「朝まで生テレビ!」番組プロデューサーの日下雄一氏より、6 月17日の懇談の際のお約束のとおり、所感を記した文書が示されました。内容的には、わたしたちの公開書簡(5月31日付「イラク人質事件に関する貴局のご回答に関する私達の見解」)の第1項(「人質とその家族に対するバッシングをどう思いますか」という設問自体の問題性について)に対する見解のみに限定されていますが、このようにして、わたしたちとの間に応答関係を保っていただいた点に、まず謝意を表します。 この第1項については、6月17日の懇談においても、また、それ以前のわたしたちの質問状や公開書簡においても、さんざん説明してきたのですが、今回の日下氏の文書でも、「人質とその家族に対するバッシングをどう思いますか」という設問の問題性については「根本的認識の違い」あるいは「理解の差」として、わたしたちの指摘を退けているのは、たいへん残念なことです。 日下氏が主張したいのは、要するに、「“バッシング”が既に大きな社会問題となっていた」から、その是非をめぐる意見分布を量って、討論番組に反映させたのであって、番組制作者としてバッシングに加担したり、それを助長したりする意図はまったくなかったということです。もし、そうした意図に基づいて番組が制作されていたのなら、それはまた別に問題とすべきことでしょうが、ここでわたしたちが問題にしてきたのは、「バッシングが既になされていたからその是非を広く視聴者に問うた」ことの影響力や効果なのです。 そうした問いを投げ掛けることは、犯罪被害者とその家族に対して誹謗中傷や嫌がらせが現になされていたのでそれが当然か否かを質問するのと同じことであると、6月17日の懇談においてわたしたちは主張したのですが、日下氏は3時間近くにおよぶ議論にも関わらず一貫して、そのことを認めようとしませんでした。 現になされているのだから、それが何であれ、その是非を尋ねるのは、多数の国民に問いかけるテレビメディアの役割からして妥当であるとの見解なのですが、そうだとすると、殺人が現に横行しているなら「殺人は是か非か」という問いもテレビは発することができるということになるでしょう。そこには「現状」へ擦り寄る姿勢はあっても、譲ってはならない規範や倫理への配慮はありません。テレビメディアが、いかなる規範や倫理からも中立・自由に、何でも広く問い掛けることができるのだとしたら、それは恐ろしいことです。メディアの不偏不党原則とは、そういうことではないはずです。なぜ恐ろしいかといえば、是非を問うということは、是という答えもありうることを問う側が予定しているがゆえに、問われた側やその問いに接した者に、「バッシングは[あるいは殺人は、公約無視は、公金横領は]ありなんだ」と思わせる効果をもつからです。テレビ局が規範や倫理への配慮を欠くことによって、規範や倫理はすり減らされていくのです。 現にあるのだから、それについてどんな問いでも投げ掛けて議論するというのは、個人の資格においてはありうることかもしれません。問いに接した者は、その問い方から問う者を評価・判断できるし、問い方の問題性を直ちに投げ返すことができるからです。しかし、テレビがそれをしたなら、あまりにも最低限の資質を欠き、無責任なふるまいといわなければならないでしょう。たとえ討論を呼び起こすためであっても、「非難は当然である」という選択肢を設けて、「人質とその家族に対するバッシングをどう思いますか」と尋ねることは、妥当性を欠くといわざるをえません。こうした問いに接して誰もが「バッシングは当然だ」と考えるわけではないでしょうが、「やはりバッシングは当然だったのだ」と思う人を確実に発生させることによって、バッシングを助長することになるからです。「朝生」の制作者は、自分たちの意図は語るが、その社会的責任や影響力を語ろうとしません。また彼らは、問うことの意味について実に素朴な考えしかもっていません。問いによって相手をさまざまな方向に誘導してしまうがゆえに、視聴者に広く問い掛けるテレビメディアは特に問い方に配慮しなければならないということを理解していません。 自己の影響力を把握できず、譲ってはならない規範も考慮しないで、大きな危険を犯す恐れのある巨大な力を持ったテレビメデイアが正常な機能を発揮できるように軌道修正させてゆくのは、私たち視聴者の役割ですが、他方で、その無責任性を突かれて公権力が報道を統制しこれに介入してもよいのだという論調を防止するのも、私たちの役割だと認識しています。両面の、決して軽くはない役割を確認できたことが、今回の一連のやりとりの成果です。 日下氏の文書にある「今回の経験を奇貨とし、今後も多様な問題を取り上げ、率直な論争の場を作ることに邁進したい」との見解を多とし、その実施を大いに期待したいと思います。 |