はじめに
6月30日の常任理事会ならびに7月1日の部次長会議において、私の「ゼネコン4 社からの出向者受け入れをただちに止めるべきであることを進言します」(以下、「提言」)に対して担当者の方からコメントがあり、それをめぐって出席者から様々な意見が寄せられたようです。
間接に聞く限りでは、内容的には私が提起した問題を超える新たな論点は基本的に無かったようです。しかしいずれの会議においても再度まとめ直して報告するとされている。
****常務等は、今回の行為を弁護するためにまとめる作業を行うと予測されるが、学部長理事や、一般の部次長は、自らが直接責任を負う課題ではないので討議を踏まえた論点整理を行うわけではない。そこで問題提起者の私としては、一方的な弁護論の野放しを認めるわけにはいかないので、間接に聞いた範囲ではあるが、私なりに論点を整理してみましたので参考にしてください。
(1)「問題がない」とする論の中心点は「法的に問題がない」「他でも広く社会的に行われている」の二点である。しかし、この二点は私の提言においても(出向者受け入れだけを取り出せば)「絶対に違法であるとは言えない」「NTTなどで行われてきた」ことをきちんと書いている。 問題の焦点はそこではない。①社会的趨勢として、それは「良くない」ということで止める方向で進んでいるのか、今日も改めて良いこととして進んでいるか。②このようなやり方をした方が癒着・腐敗ならびに談合の可能性が高くなるのか、低くなるのか、ということである。 社会的に見た場合、批判が高まり、止める方向で進んでいる。だからこそ説明者が例として取り上げた私学事業団への加盟私学からの派遣も批判されたのである。またNTTデーターと特許庁の間での癒着・買収が明るみに出て逮捕者まで出ていることを紹介したのである。
今日まで、こうしたことを行っていなかった立命館が、今、あえて社会の趨勢と逆方向で、新たに実施しなければならない積極的理由は述べられず「法的に問題はない」「他でも行われている
という消極的弁護論だけが展開された。
議論の中で、「法的に問題がないにもかかわらず、社会常識云々を持ち出されても困る」との意見も出された。「釈迦に説法」で申し訳ないが、法律はその時代の社会構造からの必要性と、それを反映した社会規範から制定されるが、社会や規範が変わり法律と実情の間に齟齬が生じた場合は、新法が制定されたり、改定されたり、解釈が変更されたりする。今回のような発注者と受注者の関係については、近年明らかに変化が起こっているのである。そうした時、学部長などが語る「世間の常識から言えばおかしい」との意見を「法律的には問題がない」との一刀両断に否定するのではなく、世間の常識を踏まえた振る舞いが必要なのである。
なお**監事と**コンプライアンス室室長は「総務からこれは法的に見てどうですか」との質問を受けたが「法的には問題がないでしょうと答えた」と言っている。これは**の独特のやり方である。社会的動向を抜きに「出向受け入れが」「適法か違法か」と質問すれば、法律家は「法律的には違法とは言えない」と答えるのは当たり前である。この答えを自分の都合のよいように金科玉条に使っているのである。今大切な判断基準は、現在の社会の趨勢に照らして公益法人である学校法人はどのようにふるまうのが社会から支持されるのかということである。
(2)今回の措置について弁護する発言を行った人から誰ひとりとして、私が指摘したもう一つの重要な論点である「手続き問題については言及されていない。このような新しい仕組みを導入するに当たって、常任理事会はおろか常務会においてさえも審議されないで、**常務と**財部付部長による**理事長への説得によって稟議書だけで決済し、**理事長名で契約(覚書)が署名されている。手続的に厳密である大学においてこれは異常なことである。さすがに弁護者もこのことについては合理化発言はなされなかった。
かつて戦争中の苦い体験もあり、産学協同が否定的に扱われていた当時、立命館で産学協同を導入するに当たって、当時の常任理事会運営委員会、常任理事会、部次長会議、全学協で激論が交わされ、手続き規定とともに倫理綱領まで作られて実施された。
今回、理事長に提案し決裁を受け、理事長を契約者とした**常務は、いかなる機関にも諮らず稟議書だけで実施した理由を明確にすべきである。常任理事会においてそのことについて言及しなかった彼も、部次長会議においてその点についての質問がだされると、彼は「今でも、常務会や常任理事会に報告提案しなければならないとは考えていないし、思っていない」と居直り「契約職員、専門職員の採用の手続きにそってやっている」と答えている。
「契約職員、専門職員の採用の手続きにそってやっています」が焦点ではない、このような仕組み・制度を採用するのかどうかが問題なのである。仕組み・制度を作るという点で合意ができれば、次に現行の採用手続きなどを使って採用するのである。
現在社会で大きな問題となっている発注者と受注者の関係について、立命館において新しい仕組みや制度を作るに当たって「常務会や常任理事会に報告提案しなければならないとは考えていないし、思っていないなどと言うのは、大学人としての基本的資質に欠けるものであり、機関運営のなんたるかを分かっていない者が言うことである。そうでなければ立命館の運営は、自分でどうにでもなるとの傲岸不遜の思い上がりである。総務担当常務理事にそのような大学運営の権限は与えられていない。
決済し契約者として署名している****理事長は「**********************************************」(転載者註:自分は素人だからわからないのでよく議論してほしい、という趣旨)と発言している。常務会や常任理事会に総務や財務から提案があった時に、このように発言するならまだ許容される。しかしそのような機関審議をへず**常務と**財務部付部長からの説得で稟議書を決済し、自ら契約書(覚書)に署名し、既に6月1日から4名が配置されているのである。
手形の裏書きや連帯保証に署名しておいて、支払いが求められてから「私は素人でよく分かりませんでした」などと言っても支払責任は免れないと同じである。学校法人の理事長や総長は必ずしもこうした分野の専門家ではない。私も「理事長は専門家でなければならないとは思わない。たがらこそ、こうした決定を行うに当たっては、一般的な機関運営の原則からだけではなく、素人が理事長として法的責任を負う契約者になるのであるからこそ、一層、機関運営において集団的運営が必要なのである。常務会や常任理事会での審議を経ていないので、問題が表面化した時には、いかなる機関も責任を負えず、**理事長と**常務しか責任を負えない深刻な問題になるから、ただちにやめるべきであると進言したのである。
(3)さて幾人から「なにを問題にしているか分からない」との発言がなされている。
立命館はここ数年の間に、立命館高校の移転、衣笠再整備計画などを推進する予定となっている。その時、発注する側の立命館に受注する対象となる特定のゼネコンから立命館に対して毎年1年単位で出向者を迎え入れ、調査と企画をやってもらって良いのかという問題である。
私は癒着・腐敗と談合の温床となる危険性があるということも指摘したが、それを受けて何人かが「法的には問題がないが、癒着・腐敗、談合が明らかなった時は、また別の問題だとの発言がなされている。当然のことである、癒着・腐敗や談合が明らかになれば刑事罰の対象である。しかしそのようなことが判明されなくても、提案書に「出向復帰後、より有効な各種施設関係の提案を期待すること」と記している、このように特定のゼネコンにとって有利な仕組みを作ること自体が間違いであると指摘しているのである。これを知った他の会社から「これ自体が談合組織ではないか」と言われる可能性もある。
また「立命館は派遣元のゼネコンに対して専門契約職の給与に該当する月額25万円を支払い、その差額をゼネコン側が負担して給与を支払う、これはある種の便宜供与である」と指摘したのに対して善意からであると思うが「便宜供与の疑いがもたれないようにするためには、全額を立命館が支払ったほうがよいのではないか」との発言があったそうである。全額を立命館が支払へば狭い意味での「ゼネコン側からの便宜供与」ではなくなる。しかしそこが中心点ではない。
問題の焦点は、先ほどから言っているように「発注側に受注側の特定業者を出向者として受け入れ調査企画してもらうことであり、そして出向終了後に立命館に対して企画提案をしてもらうことを期待しており、派遣会社が頼り有利な位置に立つ」ことである。立命館が全額支払ってもこの根本問題は解決されない。志方担当部長は、導入する理由として「国際寮、長岡天神キャンパスなど多くの案件を同時に並行しているので・・」専門家が足りない為と言ったばかりにもかかわらず、「心配なさっているこの4社が受けるような大きな仕事はないですよ」なとど語っている。
しかし、少なくとも当面、立命館が直面する建設・施設整備は数十億円から、数百億円の発注である。すでに衣笠の第二体育館はこの4社のうちの竹中工務店に発注されている。これが「大きな仕事はないですよ」と言えるのか。なおこの第二体育館建設工事を巡っては竹中工務店が他より安い値段で提案したこともあって落札している。しかしその後「住民の要望」ともかかわって場所と工法を変更し、当初の値段より上がり、当初に他のゼネコンが提案した値段と変わらない価格になっている。いずれにしても、少なくとも常任理事会では経過が報告され、情報が共有された下で判断できるようにしなければならない。
なお衣笠キャンパス整備計画に続いて進められようとしている立命館高校移転計画の財政的見通しや、いまだに一度も公式には議論されていない「大阪キャンパス」問題についても私は**理事長に意見を申し上げてきたが、顧みられていない。これは別途意見を述べることにする。
今回の措置は、やめるか継続するかしかないのである。沢山の事業があり人手が足りないのであれば、調査や企画についても、それ自体を公募したら良いのであって発注側の立命館が受注者側の特定ゼネコンから1年単位の出向者など受け入れる必要はない。また企画書や工事の良し悪しなどを検査・審議する専門家が必要と言うなら、受注者とならない会社、事務所、個人と契約して検査・審査してもらえば良いのである。
しかしいずれにしても、いかなる機関でも審議せず、大半の常務理事も知らないままに進行していた事が、私の問題提起がきっかけとなって、ようやく常任理事会構成員の前に判明し論議になり、なにが問題なのかが共有されつつある。
今、議論の中で出てきた、これらの社会常識に基づく意見や批判を、あえてあれこれの弁護論で封殺してまでして押し切るような問題ではない。そんなことをすればよけいに、なぜそこまでこだわり強行するのかという疑問を広げるだけである。
癒着・腐敗、談合発生の危険性は私の提言を契機とした討論の結果、しばらくは表面化しない可能性が高くなった。しかしこのような仕組みを温存する限り、しないより起こる可能性は高まる。それよりも先に社会的批判にさらされるであろう。その時は理事長が矢面に立たざるを得ないのであるから、そんなことになる前に止めておくべきであることを進言しておきます。
さいごに
以前にも記したことであるが、私は日本ジャーナリスト会議の会員であり、「歪んだ同和行政」を批判する論文を、実名で新聞紙上で連載したり、ブックレットを出版し、同和行政終結の一翼を担ったと思っている。
一時金、慰労金、評議員選挙、社会連携部問題など、この間、立命館を混乱させた問題を是正すべく、私は**理事に対して進言してきたが適切に対応されてこなかった。しかし立命館に所属している間、私は組織の一員としてそれらを公表することはしなかったし、今もしていない。
私は退職を期に、これらここ数年立命館の混乱の原因となった問題について私の反省も含めて書いておこうと思って準備作業を進めていた。そこへ私も全く知らなかった「足羽問題が」浮上した。いろいろな事実がわかるにつけ「これは公益法人である私学法の趣旨から止めなければならない」と考え****理事長に進言した。その後の経緯はすべてに報告しているとおりである。そうした時、立命館の資料において今回の「ゼネコンからの出向者受け入れ」を知り、「止めるべきである」と提言した。
この二点は当初私が「立命館のこの間の混乱の原因と教訓」についてまとめようと構想したときには予測していなかった問題である。しかしことの真相を知るに従って、この二つには今日の立命館の重大な問題、すなわち一部の人間による非民主的学園運営と学園私物化の姿を見、正す必要を感じたので、元々構想していたことを書く前にまず、この二つについてやめさなければならないと決意をしたしだいである。
私は今は事実にもとづいて自由に書ける身である。しかし私は立命館を愛する校友の一人として、立命館が社会から批判にさらされて是正せざるを得ないことは避けたいと思っている。しかしこの間の経験から**理事長に面談を申し入れて進言しても無駄であることも分かっている。そこで対外的発表と**理事長への進言の中間をとって、決定機関である常任理事会の構成員の皆さんに進言し、自主的に問題を解決されることを願っているのである
この私の配慮ある行動に対しても「立命館を退職した鈴木が・・」とか「これ以上続くなら法的手段も」とか、言論人や社会人や校友が事実に基づいて立命館に対して物を言うこと自体が問題であるかの発言を行っている。いったいこの人たちは言論の自由や批判の自由をどのように考えているのであろうか。
私や常任理事会、部次長会議で皆さんが指摘していることが社会常識にもとづく正論である。これらの正論に従って、今回の措置は取りやめるべきであることを重ねて進言しておきます。