エミールボレル「到達不能数」の紹介

=> 素訳

この本は前世紀の半ばにエミール・ボレル(1871-1956)が80歳のときに出版したも のです。ボレルは近代解析学の設立に大きな寄与をした人ですが、その過程で、 過去現在未来に人々が現実に具体的に把握できる自然数より、そうでない自然数 の方が遥かに多いとしか言えないことをどう理解すれば良いかということについ て長年にわたって繰り返し思いを巡らせました。明確なビジョンが得られないま ま、これからの数学者に晩年のボレルが、研究をバトンタッチしようとしたもの と言えます。

問題が根本的なものであるだけに、難しい数学理論を用いるようなテーマではな いので、関心のある高校生でも理解ができる部分がほとんどです。しかし、現代 数学は、ボレルの問題意識を共有できない方向に流れてしまい、他の言語に訳さ れないまま60年近くの時が流れました。現代数学は、この本の主題である巨大 数という概念そのものを否定するところに成立していると言っても過言ではなく、 この本は忘れ去られたのは仕方のないことであったというべきでしょう。

しかし、前世紀後半になると自然数の質的多様性を意識した数学者が、数はわず かですが現れるようになりました。イェッセニン・ヴォルピンが自然数列の複数 性について独創的な考察を展開したのは1960年で、ボレルの本の何らかの影響が あったとしてもおかしくない時期と感じられます。1964年にはロビンソンが超準 解析を発見しました。数理論理学の発展に支えられた現代数学内の精緻な理論で すが、これによって、普通の数とは質的に異なる巨大数が数学的に精密に使える ようになり、それと同時にゼロではない無限小も利用できるようになりました。 この理論を、解析学におけるニュートン以来の進歩であるとゲーデルは絶賛した ことが知られています。

この理論の原点は前世紀初頭に人々を困惑させたスコーレムの逆理と呼ばれるも のです。数学の理論は「一階の理論」と呼ばれる種類の枠組みで公理化できると 言っても良いのですが、この枠組みの理論では数学的存在を唯一には特定できな いという定理です。群や環のように種々の存在があることが重要な理論とは違い、 自然数や集合のように一意的に意味が決まって欲しい数学的対象についても、一 階の理論では特定できないということがわかったのです。しかし、唯一には特定 できないことを逆用し、異なる「自然数モデル」を利用することで、「巨大数」 を扱えるようになったわけです。

また、たとえ自然数という概念が確定したものだとしても、それについて成り立 つ事実を公理的な方法で確定することもできないことは、ゲーデルの不完全性定 理によって明らかになったと言えます。

この二つの定理によって、自然数集合と呼ばれ N と書かれている、最小の無 限集合の存在や整合性については、宙に浮いたまま、これを基礎にして現代数学 は進化してきました。

ボレル自身は、可算集合 N については疑義は持っていませんでしたが、自然 数が質的に一様であるとは考えられないと考え、そのことについて、種々の考え を展開しました。この本でも、可算確率論との関係で、そのことを詳しく説明し ています。

また、現代数学の基盤の一つである選択公理については、ボレルは、一貫して批 判的でした。バナッハ・タルスキーの逆理は志賀浩二著「無限からの光芒」で日 本で広く知られるようになりましたが、ボレルは、その原点であるハウスドルフ の逆理を取り上げ、選択公理を使うことの危うさを描出しています。

20世紀後半の数学の爆発的な発展の前にボレルの問題意識は無に等しいものに 見えるかも知れません。しかし、現代数学が無限を無限集合として取り入れると きに無限のもつ柔らかさを切り捨てたことは、現代数学と生命科学との関係を皮 相的なものにしてしまっているようにも思えるのです。この本でボレルの問題意 識に接し、高度に発展した現代数学が置き去りにした数学があることを感じる読 者がいることを願っています。その中から、柔らかい無限を取り入れた数学を発 展させ、生命科学と数学との深い結びつきを可能にする人たちが出てくるのでは ないでしょうか。

2008.3.28