香田証生さんを偲ぶメッセージ集
香田証生さんの御両親からメッセージを2005年9月27日にいただきましたので ご紹介します。
アクセスして下さっている皆様へ

もうすぐ1回目の彼岸(悲願)の時を迎えます。何も出来ない1年でした。し かし、多くの方々に支えられている事の実感できた1年でした。ここにアクセ スしてくださり、励まして下さった方々に感謝です。 「証生君安らかに眠るな」と励ましてくださった135番の方へ、証生は眠っていないようです。まだ、多くの方々の所へ遊びに行き、色々なお友達を我が家へと招いています。

東京の和光中学の生徒だった方、今は高校生になり、7月18日に高校生反戦 ネットワークを立ち上げ活動を開始されています。遠いため支援のメッセージ くらいしか送って手伝う事が出来ませんが、小さなうねりの1波が起こっています。

又昨日は、沖縄からイラクの写真を撮っていたカメラマンの方が訪ねて下さいました。イラクの現状は、本当に悲惨であり、テレビでしか情報を知らない私達は、本当の事を知らされていない事に、改めて気付かされています。イラクで子供さんを爆撃で亡くされたお父さんが、この子の写真を撮ってくれと頼まれ、この写真を日本の人々に見せて、現実を・真実を・伝えて欲しいと頼まれたそうです。しかし、写真展を開いても、その写真が余りにもむごくて、見る人の気持ち、それを並べる自分との葛藤、その後の反響など色々な悩みの中で、未だお父さんとの約束を果たせないでいる事への葛藤などを、お聞きしました。本当に聞くだけしか出来ずに、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

137番の方へ、私たちの気持ちを理解してくださり有難うございます。ただ私達は出来るだけ、証生の気持ちに成り代り行動したいと考えています。今もまだ証生は、私達に何かしてくれとは、云ってきません。色々な処で色々な人に話し掛け、素敵な歌になったり、歌詞になったり、絵になったりしているようです。

2005年8月14日に若松浜ノ町教会で行なわれた証生さんを追悼する海老原美恵さんのライブ「Yoshie Live in 北九州」がありました。このライブにはご両親も出席されたそうです。ライブを収録したCD二枚がご両親からのお手紙には同封されていました。

海老原さんの歌は天から降りてくるそうです。天から降りてきた証生君の歌をここで歌えてよかったと前置きされ歌われた「生きる証」の歌詞を紹介します。「この歌を歌うとき悲しみより怒りが前に出るのだけど、きょうは祈りとして歌いたい」とも前置きされていました。

なぜだろう 悲しいできごとが 耳にはいる
心が痛むできごとが 続いている
わたしに 何を伝えようと しているのか

せめて自分の気持ちを 言葉にする
ここで見るもの ここで触れるもの
わたしにかかわること

何を選んで 何を伝えるのか
わたしとしてはわたしらしく

われらは残そうじゃないか
生きた証を
われらは生きようじゃないか
平和を求める民として


命をもてあそぶように 生きるのなら
私は違う道を 選んで行く
それぞれの命それぞれに 同じように
ここに生まれ生きぬくと 誓ったのに

誰か一人の心の中に
受けつがれていく意思は
誰か一人の生き方さえも
変えゆく力がある

われらは残そうじゃないか
生きた証を
われらは生きようじゃないか
平和を求める民として

共に歩き出さないか
愛の力 柱として
この歌のあとで「本当にやさしい子だった」というおとうさんの言葉を紹介さ れています。

CD"Yoshie Live in 北九州" の売り上げは海老原さんを通し イラクの子どもたちの支援に用いられるそうです。
お手紙の最後の方で、137番のメッセージの中で「付き添っていた神父さん」について書かれていることが実際とは少し違っていることを指摘されています。その神父さんとは初対面であったことと、初対面の方に「息子さんが死んで良かったですね。死んで100倍の実を結ぶのですから」言われたとき、「24年間の証生との思い出や、証生の考えていたこと、現実の受け止め方、色々な思いの中で一粒の麦の喩えは頭の中に有る事はあった」が、強い違和感を感じられたことを記しておられました。
サイト管理者 2005.9.29記