宮本氏は厚生省を1995年2月に懲戒免職になった後、種々な場で広く発言を続けていたが、厚生大臣を相手どった訴訟が昨年3月に敗訴。7月にパリで病死された。残念である。トロント在住の辻好文氏の弔文「宮本政於さんの死去に思う」がある。
この中で国立大学協会が調査検討会議に参加する際に参考になることもある。「先輩」と著者「私」の形式で審議会を官庁がどのように「活用」しているかを説明している箇所があるので一部紹介する。
「お役所の御法度」p250 |
「先輩:審議会の神髄を教える前に、君が理解している審議会をちょっと聞いてみたい。
私:そうですね。大臣がある特定の事柄を政策として反映したい。そこで行政組織から独立している審議会で議論をしてもらう。そのために大臣は諮間という手続きをとり、各界から集まつた経験豊富な人たちに深い見識と洞察力に富んだ内容の結論を導き出してもらう。これを答申とか具申という形態で大臣に報告する。答申や具申を受けた大臣はその内容を政策として生かすべく、部下である幹部に指示する。まあ、こんなところではないですか。 先輩:君の話を間くと審議会は役所から独立した組織のように間こえるぞ。 私:そう思っていたのですが。 先輩:ところがそうではない。審議会は役人が新しい政策を行うための隠れ蓑、というよりは役所と一心同体なのだ。だから独立は錯覚にしかすぎない。考えてもみろ、新しい政策には常にリスクがつきものだ。ところが役人はリスクを嫌う。でも国のため国民のためを考えればリスクなしの政策の上にあぐらをかいているわけにばいかない。そこで審議会の出番となり、内容のお膳立てはみんな役人がする。でも表面的には審議会の先生方が審議をつくした結果にすれば、万が一新しい政策がうまくいかなくても「あれは審議会の答申が出たためそれに従つただけだ。私は決して内容が正しいと思つていなかつた」と責任逃れができるだろう。 私:ふ−ん、審議会とは、役人が出世をするための保倹みたいなものだく考えることもできるわけですね。」 |
「お役所の御法度」p254-255
「シナリ才作りの隠れたポイントは、肥大した自尊心を持つ審議会の先生たちをいかに上手に操るかにあった。なにしろその世界のボス的存在であり社会的影響力もあるため、ほとんど批判を受けるようなことがない。だから必要以上に傷つきやすくなつている。この部分は国会の先生たちとうりふたうだ。対応を間違えると役人がやけどしかねない。.. 審議会では当然のことながら委員の発言がある。だが好き勝手なことをいわれては困る。とはいうものの不自然さがあっても困る。 そこで役人もこのときだけはお役人から脚本家へと変身し、審議会の先生たちが役者となる。 しかし建て前だけは自主性を重んじる先生たちである。あからさまに、役人が後ろで糸を引いているのが見え見えだと、彼らもヘソを曲げる。 そこでシナリオの段取りは、反対意見も含んだいろいろな議論がされた形態を保つようにしなけれならない。 そのためには、さくらを用意する。彼らに反対意見を述べてもらうのだ。 審議会には必ずといつてよいほど役人のOBがメンバーとして顔を並ぺている。彼らは議事進行を円滑にするためには不可欠な人材なのである。 ◆「振り付け」と「根回し」 それでは、具体的にどのようなシナリオがあるのかその一部を紹介しよう。 K委員:Y委員が意見を述べた後に「賛成」と発言 D委員:反対意見を延べてもらう T委員:D委員に賛成しつつも最終的には攻府案をサポートするように話を持つていく または、 議長:「どなたか御意見はございませんか」 A教授「異義なし」 などこうした台本作りに励むわけだ。 このような過程を業界用語で振り付けという。さて、各委員の発言内容が決まった後は、シナリオどおりに蕃議会が進行するための根回しが始まる。しかし、委員全員に根回しをするのではない。なぜなら委員全員がシナリオの内容を知らされるわけではないからだ。おとなしい委員などはシナリオの存在さえ知らされない。 だが一癖も二癖もあり、自分が無視されたと知ると大騒ぎしそうな委員とか、重鎮であり役所との力関係から見ても同等な委員などには、役人はとても気を遣う。... これだけ綿密に計算されつくした会議だから、いったん本番ともなればとてもスムーズに運ぶ・株式総会と似たようなものだ。」 |