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2001.7.18
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Weekly Reports No 61 コラム:大学を考える

大学やその行政についての雑感

2001.7.18

「一つは権力・影響力の強い組織・機構は、同一機能に対して、複数の組織が競いあって一般人の直接の選択下にあるべきで、その働き方に時間軸的な平等があることが必要と痛感します。例えば、裁量の大きい官庁は課長以上は5年程度で全て交替すべきで、その母体は異なっていて、対一般人に対してサービスの向上を競う競合関係にあるべきだと。**氏は、官僚が悪いのでは無くそれを使えない政治家が悪いと言いますが、それは政治家個人の問題でも、官僚個人の問題でもなく、現行の官僚制度がそうさせています。官僚機構を主権者の主権遂行が直接とどかない、もどかしくも歯がゆい制度です。

こう書くと米国の制度や##氏の主張と一致するのかもしれません。それが良いとは言い切れませんが、それを主軸にして、問題点を修正するのが、主権=一般人という民主主義の原理に叶った制度だと思います。いいかえれば、現行は民主主義の殻を被った官主主義なのでしょう。

教育という点だと、最も気になるのは、(昔からそうなのですが)教育機会均等性の崩壊です。指導要領をやさしくして「下限」といい、それにそった教科書しか配らないというのは、ハナから、塾に行って情報を集めろと言っているわけで、機会は均等ではないことの象徴です。下限を下げるのは多様性の点で良いとしても、教育費追加や「引っ越し」せずにいくらでもレベルを上げられるようにすべきです。分厚い教科書を配るべきなのです。文部省は一体何をやってるのかと思います。

もっとも、教育に選抜があること自体が今日では機会均等と真向から矛盾するものだと思います。情報配布にコストがかかった時代は、その観点から選抜するというのはreasonableですが、現今の技術をもってすれば、実験系以外は、望む人全員にいくらでも高級な知識を極めて廉価でアクセス可能にできるはずです。高速通信網が行き渡るのは、いますこし時間がかかるとして、また、内容の善し悪しはあるとしても、たとえば放送大学の放送でも、関西では通常電波でみれません。

最近****のビデオを使い始めましたが、ハードディスクビデオの利便性と近将来的な低価格可能性をもってすれば、教育の機会均等性は著しい前進が可能と思います。

高等教育では機会均等が第一ではなく、エリート(官僚)養成のための環境作りが第一だという意見があります。もしそうなら、そう明言して、その政策の是非を一般人の選択に任せるのが民主主義だと思います。

勿論、機会がいくらあっても本人の「やる気」が一番問題なのだとおもいます。そのためには、自分の(楽しい)将来イメージ・夢が持てる開かれた社会を作ってゆくのが私達(大人)の責務で、それが夢物語ではなくリアリティをもってくる方法が体得できるようにする(希望を自ら創り出せる力を授ける)のが教育の目標ではないでしょうか?」

週報読者より