ところで、それでは京大としての公式見解、というものが本当に責任と権限のある場所で議論されて決まっているか、ということに関してははなはだ危惧の念を抱かざるを得ません。といいますのは、京大の場合、全ての責任は最終的には各部局にある、という発想をするからです。京大全体に対して責任を持つ様ないわば「総長部局」というスーパー部局を絶対に認めようとしないようです(法学部の「大学自治=学部自治」論だと思いますが)。 このように、京大の「意思」というものがあるのかどうか、さえよくわかりませんが、現実問題として総長、副学長、総長補佐のいわゆる執行部が独立行政法人化を前提とした将来計画を考えていることは疑う余地がありません。問題はそのような現状に対してすら学内での盛り上がりや議論(賛成にしろ、反対にしろ)もない、ということです。独立法人化に関するシンポジウムも何度か学内で開かれましたが、回を重ねる毎にむしろ参加者が減ったように思われます。これがかって、「産学協同反対」で盛り上がった同じ京大か、と感じるのはもう旧守派の感傷なのでしょうか。 このような現状では、「了承された」のか、「いや、それは違う」という論争が果たして意味があるのかどうか、さえ疑わしくなってきます。しかし、些細な現状追認が結局今日の事態を招いたことを考えると、京大総長の挨拶の中の「国立大学法人化の検討状況」というのはあるいは意図的な文章ではないか、とも考えられます。この4月から広報委員会が改組されて、このような京大全体に関わる広報に関しては、広報担当の総長補佐が対外的な窓口になることが決まったのですから、是非初仕事として総長とともに真剣に対応して頂きたいものです。それが、京大構成員に対しても、また国大協の会長校として全国の国立大学に対しても一定の責任を負っている京大の責務ではないでしょうか。「京大の責務」という場合は、京大の構成員である私自身の責務、というものもあると考えますが、それがどのようなものであるべきか、という明確な確信はないまま、試行錯誤しております。以上 (7月19日)」 |