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2001.7.26
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Weekly Reports No 62 コラム:大学を考える

京大内部から見えたこと

河野 敬雄

2001.7.19
「数日前に京都大学のホームページの総長室、総長式辞集のページの中に、6月18日創立記念式典における総長挨拶の全文が載っていることに気づき、中身を読んで驚愕しました。その中で、総長はつい1週間前に開催された国大協総会において、「自主性、自律性をもった法人としてのありうる枠組を国立大学協会総会に報告し、了承されました」とあったからです。報告が了承されたか否かに関して異論があることは予め承知しておりましたから、京大の広報担当の責任者である森本総長補佐に問いただしたところ、自分は6月18日の式典に欠席していたため、本当にそのような挨拶をしたかどうか知らない、ということと、問題の個所に関して、広報担当者が勝手に修正することは出来ない、旨の返答がありました。私自身、この件に関してはまったく1次情報を持たないわけですから、是非、直接の当事者どうしで、事実を明確にしていただきたいものです。この京大総長の挨拶の内容がどこまで、いわゆる京大の執行部で検討の上なされたかははなはだ疑問ですが(多分、していないと想像されますが)京大のトップが公開の席上で予め準備した原稿を読み上げて、ご丁寧にそれを京大のホームページで公開する以上対外的にこれが京大の公式見解である、と理解されるのが当然です。また、京大の学内においてもいくら他大学の人が異論を唱えている、と主張してみても自分の大学の学長の見解が優先するのも当然といえば当然でしょう。

 ところで、それでは京大としての公式見解、というものが本当に責任と権限のある場所で議論されて決まっているか、ということに関してははなはだ危惧の念を抱かざるを得ません。といいますのは、京大の場合、全ての責任は最終的には各部局にある、という発想をするからです。京大全体に対して責任を持つ様ないわば「総長部局」というスーパー部局を絶対に認めようとしないようです(法学部の「大学自治=学部自治」論だと思いますが)。

 このように、京大の「意思」というものがあるのかどうか、さえよくわかりませんが、現実問題として総長、副学長、総長補佐のいわゆる執行部が独立行政法人化を前提とした将来計画を考えていることは疑う余地がありません。問題はそのような現状に対してすら学内での盛り上がりや議論(賛成にしろ、反対にしろ)もない、ということです。独立法人化に関するシンポジウムも何度か学内で開かれましたが、回を重ねる毎にむしろ参加者が減ったように思われます。これがかって、「産学協同反対」で盛り上がった同じ京大か、と感じるのはもう旧守派の感傷なのでしょうか。

 このような現状では、「了承された」のか、「いや、それは違う」という論争が果たして意味があるのかどうか、さえ疑わしくなってきます。しかし、些細な現状追認が結局今日の事態を招いたことを考えると、京大総長の挨拶の中の「国立大学法人化の検討状況」というのはあるいは意図的な文章ではないか、とも考えられます。この4月から広報委員会が改組されて、このような京大全体に関わる広報に関しては、広報担当の総長補佐が対外的な窓口になることが決まったのですから、是非初仕事として総長とともに真剣に対応して頂きたいものです。それが、京大構成員に対しても、また国大協の会長校として全国の国立大学に対しても一定の責任を負っている京大の責務ではないでしょうか。「京大の責務」という場合は、京大の構成員である私自身の責務、というものもあると考えますが、それがどのようなものであるべきか、という明確な確信はないまま、試行錯誤しております。以上     (7月19日)」