「稚拙なアンケートですが、このようなものには国民の皆さんどう答えるので しょう。
私にとっては、競争原理導入を主張する人々が本当に競争原理導入を求めて いるかどうかが疑問なのです。少なくとも私個人は、競争社会に辟易としてい ます。くたびれ果てています。その性向の半分は教育課程で形成されました。 (第二次ベビーブーマーであるが故競争が激しかったこともあると思う)。残 り半分は社会のなかで、でしょうか。 人類史的に言えば無制限競争がもたらす破綻は既にケインズの時点で明らか になったんだと勝手に解釈してました。Marxist たちに言わせればもっと前か ら明らかなのだろうけれど、それまで割合鈍感だった人たちの代表であるかの ような米が明確に意識して、これはなんらか調整が必要だなと意識をもったの がこの前後だったんだろうなとおもうのです。 車の車検という制度が車と言う製品の需要維持の、したがって販売量維持の、 価格維持のための制度だ、ということを、経営者は明確に意識しています。彼 等は無制限競争が何をもたらすか知っています。 ここ一年位のところに近視眼的になれば、たとえば半導体メモリの価格が、 いよいよ、 256 Mbyte 一万円/一年前、ぐらいから三千円/最近、切るくらい まで下落しました(*1)。これなんか競争原理がもたらした破局の典型例で、私 の知る相当鈍感な人間でもこれはさすがにヤバイと感じているようです。 しかし、このままではまずいなと感じても、決してそのことを、公に主張し ようとはしない。理由は複数あるでしょう。1.主張をはじめても押し通すだ けの力がない(あるいは権力がない、ポジションに居ない)、2.他の道があ るのかと問われても思い当たらない、3.団塊の世代の結果のように最後は強 権が発動すればどうにもならない、4.いまどきはやらない、5.団体行動は もともと嫌いだ。... 私もそれはかなり嫌いだ。 競争原理を導入せよと言う主張の根底にあるもの。二パターンを感じます。 (1)「競争をしてなさそうに見えるあなたたちずるいでしょ。あなたも競争 しなさいよ。わたしはこんなに走らされてるんだから。」 もうひとつ。私の知る経営者は経営に大抵苦しんでます。 (2)「競争は確かにあまりよろしくないものかもしれないが、しょうがない じゃないか。だってほっとくと働いてくれないんだもの。」 競争原理とは違った道を、だれかが言い出してくれないか、特に、社会的に 重要と思われるポジション、例えば、政治家や、大学の先生なんかに対してそ んな思いを抱いている人少なくないのではないでしょうか。」
*1) http://www2s.biglobe.ne.jp/‾sakharov/research/mem133a.png
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馬場理 Tel. 047-479-5740
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