━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 国立大学独立行政法人化問題週報 Weekly Reports  No.106 2003-03-01 Ver 1 http://ac-net.org/wr/wr-106.html 総目次:http://ac-net.org/wr/all.html Weekly Reports 106 2003.3.1 総目次と登録

国立大学独立行政法人化問題週報


Weekly Reports  No.106 2003.3.1 Ver 1
http://ac-net.org/wr/wr-106.html
総目次:http://ac-net.org/wr/all.html
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[106-1] 閣議決定された国立大学法人法案

「国立大学法人法案の要綱」(原文全23ページ)
  http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/030228houanyoukou3.htm

「国立大学法人法」(原文全77ページ)
  http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/030228hiuanhou2.htm

「国立大学法人法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案要綱」
(原文全5ページ)
  http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/030228houannseibi1.html

「国立大学法人法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律」
(原文全58ページ)
  http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/030228houannseibi1.html

「<国立大学法人法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律>」新旧対照表
(原文全157ページ)

「国立大学法人法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案参照条文」
(原文全80ページ)
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[106-2] 小沢弘明氏講演録2003.2.21
http://ac-net.org/home/hu-net/doc/03221-ozawa.html
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	       独立行政法人化問題を考える北大ネットワーク
		      第2回講演・シンポジウム企画

       国立大学法人化法案を巡る状況と今後の運動の方向について

		 講師 小沢弘明氏(千葉大学文学部教授)

		     日時 2003.2.21 18:00〜20:40
	       場所北海道大学高等教育機能開発総合センター
		 情報教育館3階スタジオ型多目的中講義室
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          1、法案の概要
          2、法案がめざす大学像
             ・国家的統制の強化
             ・自治から「トップダウン」の「経営」へ
          3、起こりうる事態
             ・天下りの増加と教職員の窮乏化
             ・膨大なコスト
             ・高等教育の衰退
          4、政策合理性の問題
          5、私たちの課題
          質疑・参加者の意見(略)
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小沢

ただいまご紹介に預かりました千葉大の小沢といいます。お手元にA4、3 枚のレ
ジュメがあると思いますので、それに沿ってお話をしていきたいというふうに思
います。

私の専門はヨーロッパ史、ヨーロッパの現代史なのですけれども、ここ数年は大
学問題に関わっておりまして、最近、昨年12月の岩波書店の『世界』という雑誌
の特集「大学−『改革』という名の崩壊」、そこに「『構造改革』と大学」とい
う文章を書かせていただいています。私の基本的な考え方、この問題についての
捉え方ということについては、そちらの方をご覧いただくことにしまして、本日
お話しいたしますのは、「国立大学法人法案」についてです。現在のところ公式
に公表されていますのは、「概要」(「国立大学法人法案の概要」(平成15年1 
月))というものだけでありまして、法案それ自体、法律の全文はまだ公表され
ていないわけです(28日に公表された)。もちろん、12月ごろつくられた骨子素案、
一応全文になっているものは入手しておりまして、今日はそちらの方にも少し踏
み込みながら話をしていきたい、こういうふうに思います。

最初に、法案の「概要」とその法案が目指している大学像という話をして、次に、
もしそのまま法が通った場合にどういうことが起こりうるかということ、それか
ら、この法案に対する反対運動をどういうふうに考えていくべきか、そこまで今
日はお話をしたいと思っております。

1、法案の概要

まず一番最初の「法案の概要」というところですけれども、大きく3点、特徴
というものを示しておきました。

第1点は、これは非常に不思議なシステムであるわけですけれども、現在の国
立大学を法人化して、「国立大学法人」というものをつくる。それで、そのた
めに設置された「国立大学法人」が国立大学を設置するという、ぐるぐる回っ
ているような感じであります。現行の国立大学というものと新たに設置される
国立大学というのは「国立大学法人」というものをはさんで、循環しているよ
うに見えるわけですけれども、しかし、そのあり方というのは、相当異なった
ものになる。

間に「国立大学法人」というのが挟まって、いわゆる「間接方式」というもの
になっているわけですけれども、なぜそうなったのか。現行の国立大学は国が
設置者ということになっているわけですけれども、間に「国立大学法人」とい
うものを挟みますと、新しい国立大学の設置者は国ではないんですね。設置者
は「国立大学法人」になるわけです。これはどういうことを意味するかと申し
ますと、例えば、学校教育法の第5条には設置者の経費負担という原則が書か
れていまして、国が設置者であれば国が経費を負担しなければいけないわけで
すけれども、「国立大学法人」が設置者になれば、「国立大学法人」が経費負
担の主体になる、ということになります。これは、ある種の“財政効率”とい
うか“財政規律”というものを通じて、法人が自助努力を行うということを強
制して、それを通じた統制を行う。こういうことになるわけです。

大学のしくみという観点からこれを考えてみますと、先ほどお話がありました
ように、昨年の3月に出された文部科学省の調査検討会議の最終報告において
は、「大学としての組織とは別に法人としての固有の組織は設けない」という
のが報告の文言であったわけです。つまり、「直接方式」である、設置者は国
である、ということを最終報告でいっていたわけですけれども、これを反故に
したわけです。これを反故にしますと、「国立大学法人法案」の中身をみます
と、専ら法人固有の組織の管理運営組織を規定する法案ということになってい
るわけで、そうすると実質的に大学の組織、国立大学の組織というのは何が残
るかというと、評議会だけということになるわけです。

その評議会も、当初は評議会という名前だったわけですけれども、1月末の最
新版の「概要」に基づきますと、「教育研究評議会」という名前に変えられて
おりまして、教育研究だけを考えよ、と、大学の運営を考えるのではなくて教
育研究のことだけを考えよ、というふうに権限が限定されることになっており
ます。加えて、教授会の問題というのがあるわけですけれども、「概要」にも
存在しませんし、それから12月段階の法律案にも教授会という文言は一切出て
きません。ですから教授会というものの存在の法的基礎がどうなるか非常に怪
しい状況なわけです。

それから、2番目の問題として、皆さんこれもご承知のように、1999年に時の
有馬文部大臣が「国立大学の独立行政法人化の検討の方向」という挨拶を行い
まして、それ以来、「国立大学法人」というのは独立行政法人化という文脈の
中で語られてきたわけですけれども、「国立大学法人法」という法律それ自体
が、独立行政法人通則法の構造と全く変わらないというか、むしろそれを雛型
にしたものであるという性格をもつわけです。ですから、名前は「国立大学法
人法」という名称になっていますけれども、実質的には、独立行政法人通則法
のある種の特例法という性格をもつわけです。

具体的にどの条文を見ましても、ほとんど一字一句対照可能でありまして、若干
違いというのがありますけれども、それは例えば、「国立大学法人」というのは
非公務員化されますから、通則法の中の特定独立行政法人(「公務員型」) に関
するさまざまな部分というのが適用されないとかですね、そういう違いがあるだ
けで、ほとんどの項目については一致しているわけです。これは首都圏ネットの
ホームページにその対照表(*)を載せてありますので詳しくはそちらの方をご覧
いただければと思います。
(*) http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/030209taisyouhyu.htm

では3点目として、通則法と違う点がどのぐらいあるのかということですけれど
も、実はこれは非常にわずかな部分しかありません。例えば、長の任免、学長の
任免に関する学長選考会議というのがおかれる。ここはまあ、通則法とはちょっ
と違うわけですね。通則法の場合には、文部科学大臣、主務大臣の任命というこ
とになるわけですけれども、大学の場合には「学長選考会議」というのがおかれ
る。ただし、そうはいっても、だから良くなっているというわけではありません。
これは後に述べます。

その次、中期目標について、意見聴取と配慮義務というのが謳われているという
ことですね、これも通則法と若干異なる。一部には、大学が原案を提出できると
いうふうに受け止めている向きもありますけれども、実際には、この間もう既に
中期目標・中期計画というものを国立大学はどこでも作成させられておりまして、
それを見ると、ほとんどの場合は文部科学省が作成した雛型・ワークシートとい
うものが各大学に配付されておりまして、それをモデルにしてみんな作っている
わけで、これは大学が自主的に作成できるというものではないということです。

それから、3番目の違いは、評価に独立行政法人大学評価・学位授与機構という
ものが関与するということです。しかし、大学評価・学位授与機構という組織の
あり方ということにも関わりますけれども、大学間で専門家による相互評価とい
う意味でのピア・レビューというようなことがいろんな局面で行われるわけです
けれども、これは通則法を乗り越えるものではなくて、通則法の仕組みに加えて
この大学評価・学位授与機構の評価があるということです。つまり、通則法と同
様に文部科学省におかれる国立大学法人評価委員会が評価にあたりますし、同様
に、総務省の評価委員会による評価にもさらされるということでありまして、二
重三重の評価が行われる。重要なのは、これは通則法の基本理念でありますけれ
ども、評価に基づく資源配分が行われるということであります。ですから、通則
法と異なる点は若干あるんですけれども、それらは本質的に通則法を乗り越える
のではなくて、むしろ、通則法の枠内であるということを示すと考えることがで
きます。

2、法案がめざす大学像

では2番目に移りまして、この法案が目指している大学像は何かということを、
もう少し「概要」に即して述べてみたいと思います。

○国家的統制の強化

第1の特徴は、非常に不思議なことですけれども、「不思議な」というのは、独
立行政法人という名称が示唆している「独立」という言葉とは全く異なっていま
して、国家的統制というものが強化される仕組みというのが埋め込まれている、
ということであります。

なぜ国家的統制が必要かということを申しますと、現在進められている法人化な
るものは、大学発の日本産業の再生、産業競争力強化ということが主要な関心事
となっておりますので、そのためには“国策遂行型の大学システム”というもの
をつくるということが必要だと考えられているからであります。法案は独立行政
法人通則法が基本になっていますから、大学はある種の行政の実施機能というこ
とになります。これはしばしば“頭と手足”といういい方をすることですけれど
も、行政の企画立案機能と実施機能とを分離してですね、“手足”の実施機能の
ところを効率化するというのが独立行政法人の基本的な考え方であります。つま
り、頭になるのは主務省、文部科学省になるわけですね、そして“手足”になる
のが大学ということになるわけですけれども、その実施機能に特化して、それに
対して大臣が目標を与えて、業績を評価する。これは事後評価というシステムに
なっているわけです。そこに総務省の評価委員会のことも書いてありますけれど
も、総務省の評価委員会は事業の改廃も含む勧告権をもっているわけであります。

こういう通則法の基本枠組みというものが維持されて、「国立大学法人法」によっ
てある種、目標・計画というものを、基本的には文部科学大臣が目標を示して、
法人に計画を立てさせて、それを評価して資源配分というものに直結させるとい
う、それでplan, do, seeを循環させていくという仕組みが「国立大学法人法案」
によっても維持されているわけです。また、独立行政法人通則法と同じように、
大臣によって学長の解任が可能になるという仕組みがありまして、「概要」によ
れば、その学長解任の理由の中には「業績悪化」というのが組み入れられており
ます。大学の業績の悪化というのはどういうことでしょうか、どういうふうに測
るのかはよく分かりませんが、業績悪化ということによって、学長解任が可能で
あるということが見込まれております。これはまさに通則法の基本的な考え方で
あります。

それから、これは後でもう少し詳しく述べますが、「役員会」を構成するメン
バー、監事というのは大学が任命するのではなくて、文部科学大臣が直接任命す
るシステムであります。先般、独立行政法人大学入試センターの方とお話をしま
したら、大学入試センターでは監事が文部科学省から直接任命されて、どこから
来たかというと、参議院の事務局からやってきたということです。大学入試セン
ターの業務には従来も全く関わりなかったし、監事になってからも何の関わりも
ないんだけれども年収2000万ぐらい払っているということでありました。監事は、
文部科学省だけではなくて、官僚の天下りポストとして最初から埋め込まれてい
る、そういう形になっております。

○自治から「トップダウン」の「経営」へ

大学内部ではどうかといいますと、先ほどいいましたように、この場合の「大学」
というのは、管理運営機構としての「国立大学法人」と、国立大学とを分けて考
えなければいけないわけですけれども、特に「国立大学法人」の管理運営機構を
考えてみますと、最終的な決定権限は学長と「役員会」に集中する仕組みという
ものがつくられております。とりわけ、学長権限は非常に強力でありまして、学
長は「役員会」の議長でもあり、「経営協議会」の議長でもあり、「教育研究評
議会」の議長でもある、全ての議長を学長が兼ねるということになっているわけ
です。さらに、役員の中で理事は学長が任命をするということになっております。

「12月版」(「国立大学法人法案の概要(骨子素案)」平成14年12月25日)のと
きには非常に驚いたんですけれども、「学長選考会議」に、現学長と現学長が任
命する理事が人数的に3分の1入る。しかも学長選考会議の議長は現学長だという
ふうに「12月版」には書いてあって、これはある種の世襲制、ネポティズムとい
うんですけど、縁故政治っていうんですかね、そういうものを再生産するしくみ
であります。これはさすがに批判が強かったと見えて、1月のヴァージョンでは、
学長がそこに入ることも可能であるという文言に変わっております。しかし、
「可能である」ということでそこに余地を大きく残してあるわけですから、実質
的に、次期学長の選考に現学長が直接関わるわけであって、封建制以外の何物で
もないと思うわけです。

学長は、こういう強力な権限をもっていますが、しかしその強力な学長権限とは、
先ほどいった文部科学大臣の統制下におかれますから、強力な学長権限をもって
大学の自主性が発揮されるというふうに考えるのは誤りであると思います。

もう一つの側面は、「学外者」の役割というのが非常に強い形になっています。
例えば、「役員会」や「経営協議会」に「学外者」が参加するしくみになってお
りますけれども、参加というにはおかしいぐらいであって、「経営協議会」には
「2分の1以上」となっている、「半数以上」ということです。実は、これも12月
ヴァージョンでは「2分の1を超える」というふうになっておりまして、1月ヴァー
ジョンでは「2分の1以上」、こういうふうになっています。これをもって、国大
協の法制化グループは、「2分の1以上」というところまで押し戻した、「2分の1 
以上」であれば「2分の1ずつ」ということが可能になるのであって、過半数を握
られることはない、同数になると、そこまで押し戻したと自画自賛しております。
しかし、実質的には「2分の1以上」が「2分の1ずつ」に機能することはあり得ま
せん。実質的にはおそらく「2分の1を超える」という形でそれぞれの大学で決め
られていくのではないかと思われます。

もちろん、「学外者」というのが市民の代表という意味であれば、もちろん大学
運営の市民参加というものに道を開くという点では有用ですけれども、しかし、
ここでは「経営協議会」というように名前がつけられているように、専ら大学の
経営や財務を意識しているわけで、直接的には財界や利益諸団体の代表がこの
「学外者」というものを意味するのは間違いないと思われます。

「概要」ではさらに、「学長選考会議」の構成も書かれておりますけれども、こ
こでも「経営協議会」の全メンバーが学長選考会議に入るのではなくて、「経営
協議会」の学外委員が学長選考会議に入ると明記されております。ですから、全
体の学長選考会議でいいますと最大で半数、最小でも3分の1が「学外者」である
という計算になるわけですね。最大というのは、学長と学長任命の理事が全然入
らなかった場合です。最小というのは、学長が封建制を発揮したときであります。
ですから、これは非常に不思議な形でして、封建的であることを選ぶのか、「学
外者」の過半数支配を選ぶのかという二者択一のしくみが埋め込まれているとい
うふうに考えられます。もちろん、学長任命の理事や学長自体も、「学外者」で
ある可能性は高いといえます。そして、教授会は少なくとも「国立大学法人法」
においては法的規定が行われないと考えられますし、それから、評議会も、「教
育研究評議会」というふうに名前を変えられる。同時に、12月の段階では、教育
研究組織というものが評議会の権限(審議事項)の中にあったんですけれども、
1月版ではですね、それが削られて、それは「役員会」の権限だというふうに変
わっております。つまり、いちばん教育研究に密着した大学の組織、ここから教
育研究のあり方を組織的に考える、組織のあり方自体の改変も含めて考えること
ができなくなるのであって、その権限を「役員会」が握ることになっています。

こういう形で、「国立大学法人法の概要」というもの、現行の国立大学制度とく
らべてみても、相当にトップダウンの方式が強力で、なおかつ「学外者」の支配
というのを容易にするシステムが埋め込まれているわけです。   


3、起こりうる事態

こういう法人が仮に実現した場合、どういうことが起こりうるかということを若
干まとめておきます。

○天下りの増加と教職員の窮乏化

第1は、一方では天下りが相当数増加する、と同時に、教職員は窮乏化する。例
えば、役員数、これは理事という形になるわけですけれども、共同通信の2 月13
日の記事によれば、文部科学省と総務省の間で交渉が行われて、89大学で503人
の役員を置く、各大学で4人から9人の範囲内で置くということになっています。
これは現行の国立大学のいわゆる指定職の数からみますと、2.5倍から3倍ぐらい
になっている計算になります。実は、現在すでに独立行政法人になっている組織
においても、天下り役員数が大幅に増加していることが示されております。それ
と同時に役員には役員報酬がついているわけであって、これは大学法人の予算か
ら支払われるということになります。

教職員についてはどうかというと、これも、従来のような定員管理の総定員法か
ら外れて、人事については自由になるということが言われたわけですけれども、
運営費交付金の中の人件費の割合については文部科学省が統制をするというふう
にいっております。ですから、人件費総額という形で縛りがかかるというわけで
あって、ノーベル賞クラスの人を呼べますよ、というのが謳い文句になっていま
すけれども、もちろんそういう人を呼べば、その分誰かの給料は減る、あるいは
採用ができない、という形になるわけです。

実際、この法人化というものを見越して、現在全国の国立大学では、定員外職員、
非常勤職員(時間雇用職員など)の雇い止めという形での雇用削減が急速に進行し
ております。例えば、昨年の段階でも、既に富山大学で話をしてきたときにも、
図書館の定員外職員の雇い止めということが問題になっていましたし、大阪大学
や、先月行ってきた神戸大学でも定員外職員の雇用が危惧されています。現行の
国立大学でももちろん問題があるわけで、定員外職員というのは多く物件費とい
うので給与が払われているのですが、それももちろん大きな問題があるわけです。
東京大学では全東大職員数14,076人に対し定員外職員は実に6,623名を数えてい
ます。しかし、さらに、こういう人件費総額の抑制というものを通じて、一番弱
いところに矛盾のしわ寄せがまず行われていくということです。

それから、法人の運営費交付金の総予算はどうかというと、先行独立行政法人の
事例を見てみますと、経常経費を毎年1%ずつ効率化していく(減らしていく) と
いうことが中期計画の中に一律に書き込まれていますので、おそらく、「国立大
学法人」においても、移行期については、今年度、2002年度の予算で固定し、人
件費あるいは定員についても、それを2004年の移行時にそのまま適用する。そし
て、そこから1%ずつ毎年削減していくという話になるでしょう。

○膨大なコスト

それに加えて、法人化というのは、実は膨大なコストがかかるわけです。実際、
これはもう既に行われているわけですけれども、各大学で資産評価が進められて
おりまして、法人に移行する場合には、例えば図書なんかも東京大学の場合でい
いますと、図書館設立以来の全ての図書の目録というのを整理して、資産評価を
現在職員の方々がやらされています(詳しくは、東大図書館の事例(*)をご覧下さ
い。)。資産評価にかかわる費用、あるいは測量とか登記にかかる費用というの
がありますし、法人化されますと基本的には民間法制に移行しますので、それに
伴う実験施設についても労働安全衛生法が適用されますので、それに従って再整
備しなければいけない、再設計しなければいけない、その費用がかかる。それか
ら損害保険その他の各種保険料を支払わなければいけない。既に、朝日監査法人
とか中央青山監査法人は大学職員向けのセミナーをしたり、「国立大学法人」会
計制度の会計ソフトをつくって売っておりますし、実際に法人化された場合にコ
ンサルタントとして入るということをいっております。これは私が朝日監査法人
と中央青山監査法人のセミナーに出てきましたので、詳しくその中身も聞いてお
ります。
(*)http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/021115tosyobira.html

そういう莫大なコストをかけて、こういう制度の移行というものを行うだけの意
味はあるのかといいますと、私はその意味はないと思います。この法人化という
ものが実現していく場合にですね、高等教育全体の衰退が起こっていくでしょう。

○高等教育の衰退

第1の問題は、ある種の戦後、第2次世界大戦後の日本の教育制度あるいは高等教
育制度が理念としてもっていた機会均等という理念が解体していくことになるわ
けです。例えば、学費についても、法人ごとのある種の幅を設けるということが
試算されておりまして、この幅をどのぐらいにするのかというのは、いろんな数
字が出回っておりますけれども、たとえば、1.5倍ぐらいまでは幅を認めるとい
うようなことがいわれております。奨学金は、スカラーシップという意味での奨
学金は存在しなくなるわけで、日本育英会が廃止されることに伴って、育英会が
改組された後はある種の支援組織の教育ローンという形態になると思われます。

それから、「学問分野の選別」と書きましたのは、日本の国立大学の場合は、そ
れぞれの地域に、ユニバーシティ、総合大学的なシステムをつくり上げて、学問
分野を均等にそろえていくという方向があったわけですけれども、法人化という
方向になったときには、法人全体の経費あるいは効率性というようなところから
ある種の学問分野の統合、地域を超えた統合というものが行われていくだろう。
これはまあ、現実に教員養成分野では起こりはじめておりますし、私も人文科学
系ですけれども、歴史はいちばん儲からない分野ですからどういうふうになって
しまうか分かりません。基本的にこれは日本の産業競争力強化のための改革とい
う旗印になっておりますので、産業競争力というところが最重要視されるわけで
すから、政府の科学技術基本計画の中に示されているような重点4分野、バイオ、
IT、ナノテク、環境という重点4分野に特化した資源配分が行われている。すで
に重点4分野というのは古いという話もあって、“新重点分野”とか何かを策定
することも考えられているようです。いずれにしてもそういう重点投資が産業競
争力の強化に直結する分野に行われることによって、基礎科学の分野であるとか、
人文社会分野というものが衰退していく、こういうことが考えられます。

それから、評価に基づいた資源配分というのが通則法の基本理念でもあるわけで
すけれども、この場合の評価というのは、国家による評価というものと市場とい
う評価というものと2つが同時に行われるというふうに考えられますけれども、
それに基づく資源配分を通じて地方大学の統廃合とか窮乏化が起こりうると考え
られるわけです。

4、政策合理性の問題

さて、こういう方法に政策合理性はあるのかというのが次の話の主題であります。
この独立行政法人化というものが出てきた一番最初は、97年の行政改革会議あた
りの動きからある国家公務員数の削減の話でした。当初は、国家公務員数を10%
削減するというところから20%になって、最後は25%というところまできたわけ
ですけれども、その国家公務員の25%削減という行政改革の動きと、「遠山プラ
ン」以降、非常に明確になってきた産業政策としての大学改革がある。つまり、
今般の法人化というのは、文部科学省だけが政府の主要なアクターではなくて、
経済産業省が非常に大きな役割を果たしておりますし、何よりも遠山プランとい
うのが経済財政諮問会議に提出されたプランでありますから、まさに経済財政政
策の中に組み込まれているわけです。

では、行政改革であるのか。これはあまりにもそもそもという話なのでいまさら
いってもしょうがないということもありますけれども、逆にいうと、改めて考え
てみると非常におかしいことなんですね。もともと行政改革というものの基本的
な理念は何かということを考えてみると、これは中央省庁というものの改革を通
じて権限を下方へ移譲する、この場合の下方というのは地方も含むわけですけれ
ども、地方分権であるとかあるいは権限の下方移譲というものを通じて行政改革
を行うというのが基本的な理念であった。ところが、地方分権とかですね、税源
の地方への移譲ということが、結局行われないことになったわけであって、中央
省庁の改革も、皆さんご存知のように、看板を色々書き換えた形であって、これ
も行われないということになった。ほとんど何もやれなくて、最後に残ったのが
独立行政法人化というものであったわけです。

この行政改革という話のときに必ず出てくるのが、行政改革によって「小さな政
府」を実現する、これが削減の論拠になっているわけです。しかし、日本はすで
に非常に「小さな政府」なんです。これは、国家公務員も地方公務員も含めてで
すけれども、公務労働の従事者というところを考えてみますと、日本はすでに先
進資本主義国の中では最低水準の「小さな政府」です。しかも、財政政策や景気
対策ということとも関係してきますけれども、だいたい不況のときというのは、
例えば、僕はヨーロッパ史が専門ですけれども、ヨーロッパの福祉国家であれば、
不況のときは公務労働に従事する人を増やして失業者を吸収し、それによって購
買力を高めて、消費活動を刺激する政策をとるわけですけれども、日本は逆をやっ
てですね、民間が血を流しているのだから公務員も血を流して、首を切って、と
いうようなことをやっていくからデフレスパイラルになっていくのです。

ですから、おそらく政策合理性という観点から見ると、行政改革という形にもなっ
ていない。むしろこの間示されたのは天下りが増加するということでありますし、
くわえて、「国立大学法人」になっても現行の国立大学で行われているのと同じ
ようにですね、文部科学省の幹部職員のローテーション、全国の大学を回ってい
く、こういうシステムは維持されることになっておりますので、これは行政改革
にもなっていないという批判が可能であると思います。

では、産業政策になるのかということですけれども、これもちょっと怪しいとい
うことであります。まず、現状の分析や現状に対する反省が全く欠如している。
すでに科学技術基本計画の5カ年計画の17兆円が終わって、今度は第二期の24兆
円に入っていますけれども、巨大な研究費が湯水のように特定分野には注ぎ込ま
れているわけです。研究費を使い切れなくてどうしようかといっている研究室が
一方ではあるんです。隣の研究室では、日常的な研究経費にも事を欠くという非
常に不思議なことが行われていて、そういう政策についての評価というのが行わ
れていないわけであります。例えば、核研では、だいたい研究者一人あたり年間
6000万とか7000万とかの研究費がつくと聞いたことがあります。そういう研究費
をポンと与えられたときに、研究者がどう行動するかというと一年中仕様書を書
いている、こういう器材を購入したいとか、こういうことをやりたい、最後は、
この微分方程式を解いてくれというのを民間委託するんですね(笑)。そうやっ
てお金を使う。これはある種の公共事業の別形態でありまして、重点投資という
のはこういう無意味な金の使い方を行ってきているわけです。

それがありつつ、逆に、一般的なところでは日常的な研究費というのが水光熱費
で消えてしまって、教育研究資源の不足が現実化しているという状況であります。
例えば、千葉大学では、2年前から大学院の博士課程の建物ができたんですけれ
ども、建物は公共事業だからつくってくれるんですが、維持運営費というのはつ
けてくれないわけです。そうすると研究費がその分減るというわけです。建物は
公共事業でつくるけれども、しかし、その中身、具体的な教育研究活動に従事で
きるような環境はつくられないということになります。インテリジェントビルに
するという謳い文句で高速LANの端末はここまできているんですけれども先につ
なぐものがない、そういう状況になっています。

法人化は産学連携をさらに進めるためだという謳い文句がありますけれども、こ
れも現実にはあまり関係ないわけですね。ベンチャー企業の育成とかそういうよ
うなことは法人化とは関係なくすでに北大でも行われていますし、1月に行った
神戸大学でも門を入って一等地のところにベンチャービジネス何とかセンターと
いう建物がすでにできておりまして、やっているわけであって、それ自体は法人
化とは直接の関係がないと考えられます。

いずれにしても、政策目標に応じて大学の研究を動かすということをやっても、
具体的に産業政策という観点から見れば、成果を生み出すということはできない
のであって、むしろ基礎的な分野に投資した方が、将来的には技術移転の問題で
も役立つと考えられます。

では、こういう改革によって、教育研究活動が活性化するかというと、これは活
性化しないですね。すでに、大学人はみんな疲れているわけですね(笑)。冗談
ではないほど膨大な書類と中期目標・中期計画を何度も書かされ、しかし、何度
書いても意味がない。意味がないのに書かなきゃいけないという、こういう作業
を繰り返しておりまして、知的産業にとって非常に打撃的な雰囲気というものが
蔓延しています。こういう雰囲気が蔓延していると、だいたい人は怒るか、怒っ
ている人はこういうところに来ているんですけれども、あきらめるか、つぶやく
かぐらいしかないわけですね。こういう大学という場にとって非常によくない雰
囲気がすでに蔓延している。

それから、評価についても、先行して試行されている大学評価・学位授与機構の
評価、これはいくつかをピックアップしてやっています。千葉大文学部は来年教
育部門で評価を受けることになっていますけれども、中期目標・中期計画の中で
示されたように具体的な機関評価というのは、大学評価・学位授与機構や文部科
学省の評価もそうですけれども、基本的には行い得ないんです。トップ30もそう
ですけれども、行い得ないときの評価というのは2種類しか突破口はないんです。
2種類というのは何かというと、一つはトップ30を決めた江崎玲於奈がいったよ
うに、主観的評価だと。つまり何の客観性もない主観的評価だというふうにいっ
て居直るか、あるいは定量的な数字で評価をする。論文が何本出ているかとか、
学生が何人就職しているかとか、数字で表されるものの評価というその2種類し
かおそらくはありえないわけです。こういうものを通じて、主観的評価に対して
は何をやってもムダという雰囲気が広がりますし、逆に数字を上げればよいとい
うのはそういう定型的・定量的作業というものに専念する、ひたすら数字を上げ
るための努力をするということになるわけです。

それから、大学という知的作業を行う組織ではトップダウンではなくてボトムアッ
プ型、ネットワーク型の組織構成が相応しいというふうに私は考えていますけれ
ども、そこでトップの専断が行われますと、自発性や共同性というものが萎縮し
てしまうことになります。全体として、行政や産業界が強い介入を行うことによっ
て、大学が本来持っている独創性であるとか、あるいは長期的に見た場合の社会
に対する批判性というものが失われてしまいます。

私は歴史ですから人文科学ということになっていますが、社会科学的な要素もあ
ります。例えば、その社会科学というのは何のためにあるか、ということを考え
てみると、社会科学というのは社会を評価するためにあるわけです。ところが今
のシステムでは何が行われるかというと、社会、これは産業界と等置されるので
すが、産業界が社会科学を評価するという非常におかしなシステムになっていま
す。もともと、社会科学や人文科学もそうですけれども、大学というのは、社会
的な通念であるとか、そういうものに対する批判機能を持ち続けるということが
使命なのであって、それを失ってしまったのではオルタナティブを提示すること
はできませんし、社会科学自体の存在意義も失われるわけであって、こういう大
学の独創性、批判性がなくなれば、大学のもつ公共的な機能も同時に失われるこ
とになるのです。

こういう法人化というものが、今非常に切迫した状況になっております。昨日(2
月20日)、国立大学協会の法人化特別委員会が開かれました。先程ちょっと聞い
たところによると、各大学からかなり意見が出たそうでありまして、国大協の法
制化グループが新しい文書を提出すると聞いております。まだその内容はつかめ
ておりませんけれども。それから2月24日には国大協理事会が開かれて、これが
もし了承というふうにしてしまうと、最も早くて25日に閣議がありますので、そ
こで決めちゃうんじゃないか、閣議決定をして国会提出、というふうにも見られ
ております(国大協理事会は総会で判断することを決定し、閣議決定は28日となっ
た)。


5、私たちの課題

こういう状況のもとで、どういうことを考えていけばよいかというと、まず第一
に、数年に渡る国大協の対応は本当に嫌になってしまうんですが、しかし、もと
もと国立大学協会というのは国立大学のfederationであって、学長の懇談会では
ないわけですね。ですから、学長の集まりとして国大協を捉えるのではなく、国
立大学の連合体としての国大協というものを考えなければいけないわけですし、
現在法人化特別委員会と同時に国大協のあり方の検討委員会も置かれております
けれども、やはりそれに対しても、国大協の本来もつ機能を回復する方法を働き
かけていかなくてはならない。

それから2番目に、学長というだけではなくて、様々な部局長のレベルまで降り
ていくと、部局長の中には法人化に様々な批判や不満をもっている人たちが数多
くいるわけですね。学長権限が強化されるというふうに聞いただけで舞い上がっ
てしまう人が学長にはいるようですけれども、しかし、部局長の中にはやはり真
面目に法人化の問題を考えている人たちがいるわけです。お手元に千葉大学でと
りくんだ署名活動があるんですけれども、これは先週、8人の部局長と部局長経
験者が呼びかけ人になって、「概要」に基づく法人法案に反対という方向で署名
活動をはじめました。実質的には今週の月曜日から具体的な署名運動を始めたわ
けですけれども、昨日夜までの4日間で220名の教員の賛同署名を集めております。
こういう形で、部局長の賛同があると、学長がどうであれ、学内の世論を喚起す
ることは可能であるということであります。

それから3番目として、さまざまな基礎的なところの自治機能を発揮して、教授
会とか学科とか、基礎単位のところで多様な運動を起こしていくべきであろうと
思います。

4番目として、設置形態を越えた「大学問題」という観点を持つことが必要です。
独立行政法人化問題は、国立大学の問題ということでずっと推移してきたわけで
すけれども、しかし、この間、公立大学の統廃合の問題であるとか、あるいは公
立大学の独立行政法人化の問題が表面化して、公立大学との連携を可能にするた
めの条件が存在しておりますし、それから、文部科学省の直接補助を通じた私立
大学への規制強化という動きもありまして、日本の高等教育制度全体をどうする
のかという観点から問題を見ていく必要があるだろうということです。

それから5番目として、これは今国会で恐らく出てくると思いますけれども、
「国立大学法人法」単独ではなくて、それと同時に関連する40数個の法律の改正
が同時に行われるということです。これは、学校教育法であるとか国立学校設置
法とか、そういうものも含みますけれども、それと同時に、恐らくは連休明けか
連休前に具体的に出てくるであろう教育基本法の改正、というか改悪の問題と絡
んでくることもあります。つまり、これは高等教育だけではなくて初等中等教育
を含め、戦後教育法制全体を改変するという動きでありまして、教育基本法改悪
に反対する多様な運動との連携をとっていく必要があるだろうということです。

何よりも、あきらめたり、単につぶやいているだけではなくて、積極的に文句を
いうことが大事でありまして、この間の状況を見ていきますと、文句をいって潰
されたところなんてないんですね。例えば、教員養成系の再編統合の問題で、大
体文句をいったところは止まっているわけです。できないんですね。鹿児島大学
の田中学長はこの数年一貫して文句をいってきましたけれども、それによって鹿
児島大学が不利益を受けたことはないんですね。むしろ文科省は一生懸命建物と
かをつくって懐柔に努めようとしたらしいですけれども(笑)。学長は最後まで
懐柔されなかったわけです。それと同時に、文句を言う活動として、この後、雑
誌の『世界』でもう一回特集が組まれる予定ですし、それから『現代思想』も特
集を組むそうですし、首都圏ネットではブックレットの発行を視野におさめてお
りますので、これらを通じて問題のありかを示していきたいと思っております。

また、あるべき大学像というのをわれわれの側が考えて、それを批判の論拠、批
判の基礎にすえていくことが必要だと思います。つまり、こういう運動を行って
いくと、今の国立大学が良いのかということが必ず出てくるわけですけれども、
私の考えでは、今の国立大学ではダメだということをやはり基礎にすえなければ
いけない。今の国立大学のままではダメだ、ということですね。

一つは、大学を一国の産業政策の尖兵として位置づけるというような政策ではな
くて、国際公共財として、あるいは社会的共通資本としての大学であるとか、科
学・文化ということを基礎にする必要があるだろうと。それから教員と学生の教
育研究の自由というのを基礎にすえなければいけないであろう。それから3番目
は先ほど述べた権力や社会通念の批判を通じた新たな社会像の提示がその大学の
基礎にならなければならないであろう。それから4番目に、思い返せば30数年前
には教授会の自治というのは批判される対象だったんですね、ところが現在では
教授会の自治でさえ危ういという状況になっております。

実はですね、ヨーロッパの大学では、私が知っているのはドイツ語圏の大学が主
ですけれども、1960年代までは「正教授大学」という性格をもっていたんですね。
大学の構成員というのは正教授で、正教授以外は「員外教授」というふうに呼ば
れていて、一生員外教授という場合もあるわけですけれども、教授会は正教授に
よる教授会です。ところが60年代末の学生運動を通じてドイツ語圏の大学もほと
んどはですね、こなれない言葉ですが、構成員大学、ドイツ語では
Gruppenuniversitaet英語でいうとuniversity of groupsという形になると思う
んですけれども、つまり大学の意思決定の半数が教員、4分の1が助手、4 分の1
が学生という、こういう位置づけをつくり上げたんですね。ですから、それを通
じて学生、助手が大学運営に積極的に参加すると同時に、教員の側も学生や助手
の意見というものを聞かなければ大学の運営はできないわけです。現在、日本と
同じようにそうした地域でも、機動性のある運営を、学長権限の強化を、という
話しになっておりますけれども、それはこういうシステムが基礎にあった上で、
そこでスムースな意思決定をするためにもう少し学長に権限を与えた方がいいの
ではないかという話になっているわけです。ところが日本の場合には、こういう
構成員大学というものを一度も実現したことがないところに、トップダウンの意
思決定システムをさらに強化するという非常に倒錯した状況というのが生まれて
いると思うわけです。

5番目は人によっては意見が異なると思いますけれども、国が研究評価とか予算
配分を行うということではなくて、政府から独立した機関というものが、そうい
うことを考えるというシステムをつくる必要があるのではないか、ということで
す。いずれにしても、現在の国立大学というのは全体としてみれば、封建制の支
配下にあるというふうに私は思っていて、全然近代的ではないと思うんですね。
しかし、今進められようとしている法人化というのが封建制を打破するものであ
るかというと、そうではなくて、むしろそれを温存・育成する方向に働くという
ことです。つまりトップの学長の専断の下に、その学長の意を受けた部族支配者
がそれぞれの部局長というかたちになって顔色をうかがう、こういうものが再生
産されるというふうに恐らくなるであろうと思います。ですから、それを打破す
るような方向性で大学のあり方を考えていく必要があるのではないかということ
です。これで話を終わりたいと思います。
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独立行政法人化批判サイト

独立行政法人反対首都圏ネットワーク
 http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/nettop.html

国立大学独法化阻止 全国ネットワーク
 http://www003.upp.so-net.ne.jp/znet/znet.html

大学改革を考えるアピールの会
 http://homepage2.nifty.com/~yuasaf/appeal/index.html

国立大学独立行政法人化の諸問題
 http://ac-net.org/dgh/ 
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編集発行人:辻下 徹 tjst@ac-net.org
関連ページ:http://ac-net.org/dgh/
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End of Weekly Reports 106