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Weekly Reports  No.37  2001.1.22 Ver 1.01

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/3141/wr/wr-37-01122.html 総目次:http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/3141/wr/all.html ========================目次========================================== [37-0]発行者より [37-1]文部省 調査検討会議 人事制度委員会2001.1.15 資料 [37-2]合田高等教育局大学課長「国立大学独立行政法人化のねらい」 [37-3]総合科学技術会議の諸問題のペ−ジ [37-4]岩田進午氏「大学はどこへ行くー国民のための大学をめざして」より [37-5]サイト「国立大学のあれこれの問題」 [37-6]北大学長選挙情報 [37-7]豊島耕一氏「恐れるべきは「恐れ」そのもの--最近の傾向について」 ====================================================================== [37-0]発行者より [37-0-1]1月6日に総合科学技術会議が発足した。これは、日本の学術活動全 体に采配を揮うトップダウンの会議であり、ボトムアップの日本学術会議をど う位置づけるかが最初の検討事項の一つに入っている。学術活動全体に采配を 揮うのは結構だが、最初に提案されている「研究環境整備基金」は、5年間で 1兆円だそうだが、獲得した競争的研究費の額に応じて大学に支出するそうだ。 もしも、金のかからない学術分野に重点を置いて個性を輝かそうとする大学が あっても環境整備はできないことになる。学術活動全体に「采配を揮う」こと がこのような馬鹿げたことであってはなるまい。  総合科学技術会議議員15名中の6名の学者議員が学術社会の声を的確に反 映する態勢を作り上げていくことを模索しなければならないのではないか。 ところで、行革会議の議事録で、「学術研究」には国は口出しできないが 「科学技術」なら口出しできる、という趣旨の発言が記録されているそうだ [37-4][37-0-2]文部省の合田大学課長が、第三の設置形態論は当面は議論をする必要 はないと考えている、と明言し、独法化への懸念を「論破」し、「その懸念の ほとんどは、現行設置形態のもとでも課題となっていることである。新たな制 度の導入には不安が伴うが,どういう設置形態にせよ,改革すべき課題には取 り組んでいかねばならない。」と結んでいる。文部科学省には不安はないのだ ろうか..必然性のない制度変更の要求に早々と譲歩し一国の学術教育体制を 大きなリスクに曝す責任の大きさの前に戦慄しないのか。 [37-1]文部省 調査検討会議 人事制度委員会2001.1.15 資料 http://www.hokudai.ac.jp/bureau/socho/agency/chosa-jinji.htm#l05 「大学教官の勤務の在り方に関する研究会」報告要旨 http://www.hokudai.ac.jp/bureau/socho/agency/m130117-06.htm I 大学教官の勤務の特性と勤務時間制度の現状 国立大学教官は、学生に対する教育等のほか、研究に従事し、高度の専門知 識を生かした社会貢献も求められるなど、自らの判断で時間配分をする必要が 多いという特性がある。  その一方、大学教官の勤務時間は、現在、他の国家公務員と同様、1週当た り40時間となるよう機関の長が事前に勤務時間を割り振ることとされ、それ に沿って勤務するよう求められている。 II 職務の特性にふさわしい新たな勤務時間制度 (1) 基本的考え方(裁量勤務制の導入)  このため、国立大学教官については、各教官が自ら機動的に勤務時間を配分 できるよう、その職務の特性にふさわしい勤務時間制度の特例を設けることが 適当。勤務時間は1週当たり40時間のままとするが、事前の割振りは行わず、 この時間を勤務したものとみなす。  実際に勤務する時間帯の選択は基本的に本人の判断に委ねられ、出退勤の管 理は行わない。 (2) 導入に当たり留意すべき事項  裁量勤務制の導入の際には、以下の事項について、関係者の理解を得ながら 検討を行い、措置することが必要。 i) 適切な職務遂行の担保 教官が職務を適切に遂行していることを客観的に説明できるような方策の検討。 例:  a) 職務従事状況に関する一定期間ごとの報告、教育研究年報等による公開 b) 授業計画の作成・公開、各大学での授業時間数等の基準の設定 c) 1日出勤せず、別の場所で研究する場合等の大学による所在確認 ii) 適切な業務量の担保 一方で、教官が大学から無定量に近い長時間勤務を強いられることのないよう、 適切な業務量を確保するための歯止めの検討。 III 産業界等との関わりを含めた今後の勤務の在り方  裁量勤務制の導入により、学外業務は従来よりも機動的に行い得る。  ただし、現行制度上、勤務時間外であっても制限されている業務(役員兼業 等)は、勤務時間の見直しだけでは対応できず、別途の検討が必要。 ---------------------------------------------------------------------- [37-2]■合田高等教育局大学課長「国立大学独立行政法人化のねらい」 IDE 2000.11 p13-19 より ・・・ 1. ねらいーーその1:行政のスリム化 2. ねらいーーその2:効率化 3. ねらいーーその3:大学改革 p17○「第三の設置形態」論について ■国立大学の「法人化」と「独立行政法人化」とは区別すべきであって、法人 格の取得自体には意義があるとしても、独立行政法人化には問題があり、第三 の設置形態をとるべきだ、との意見が聞かれる。この議論をするためには、そ のいろいろな意味でのインプリケ−ションを押さえることが不可欠であるが、 いずれにせよ、当面はこの議論をする必要はないと考えている。  具体的制度設計にはさまざまな重要問題があり、この検討には十分慎重を期 する必要があるが、大枠自体はそう複雑な問題ではない。国立大学といえども、 評価は必要である。あるいは、国費に依存する以上、しかるべき評価は不可欠 と言い換えてもよい。評価が成立するためには目標が必要であり、評価結果は 目標にフィ−ドバックされる必要がある。したがって、目標ー評価の枠組み自 体は、これを前提にして考えてよいだろう。あとは、国の関与(これは、国に よる財政負担と表裏の関係にある)と大学の自律性との兼ね合いであって(つ まりここがポイントなのであって)、「第三の設置形態」論は、その上で、必 要があれば、総合的な見地から検討すれば足りるのではなかろうか。 4.「独立行政法人化」をこえて ア)独立行政法人化に対する懸念 国立大学の独立行政法人化については,これまでに触れたことのほかに,具体 的な制度設計以前の問題として,いくつかの懸念が表明されてきた。本稿の射 程範囲をこえるものであるし,おおむね議論は尽くされているように思われる が,せっかくの機会であるので,要点のみ整理しておこう。 第一に,学問の自由,大学の自治に関する懸念である。これは,先に述べたよ うに,制度設計に当たっての最重要課題の一つである。黄塵はるか隔てたる象 牙の塔の中の自治,という幻想にとらわれず,むしろ,社会の中で積極的にそ の存在意義を主張する新しい自治のあり方を形成していく必要があるのではな かろうか。 次に,基礎研究が切り捨てられる結果になるのではないか,との指摘がある。 これは,目標設定と評価のあり方の問題であり、制度論ではなく制度の運用論 である。基礎研究であるから目標や評価はいらないということにはならないだ ろう。現行設置形態であれば守られるが,独立行政法人化されれば危なくなる, と判断する根拠はあまりないように思われる。 これに関連して,あらかじめ結果の見えない,独創的な学術研究が,3−5年 という期間での目標設定になじむか,このような短期的な目標に基づく無理な 効率化は,短期間に結果の出やすい類の研究への偏りを招き,本当に独創的な 研究を阻害するのではないかという問題も指摘されている。しかし,10年とか 20年の期間の目標設定ならできるというものでもないだろう。目標設定そのも のをそもそも不可能であると退けてしまっては,基礎研究に対するアカウンタ ビリティを主張することはできない。この問題は,制度設計だけでなく,具体 的.な目標設定,さらには評価の際に,十二分に配慮すべき事柄である。 第三に,地方国立大学にとって不利ではないか,との指摘がある。この指摘に は,基礎研究についての懸念と共通する面がある。独立行政法人化は,独立採 算でもなければ,単純な市場原理を持ち込もうというものでもない。そうは言っ ても,研究評価や外部資金に関する最近の風潮を考えれば,事実上不利になる, と予想するのであれば,それは,現行設置形態のもとで評価に基づく資源配分 を進めても,同様ではなかろうか。一元的な評価尺度で評価をすれば,いずれ にせよどこかにひずみが出る。設置形態がどうなるにせよ,よる適切な評価方 法を編み出していくことが,唯一の解決策なのではなかろうか。 第四に,独立行政法人化は,国立大学の統廃合につながるのではないか,との 指摘がある。これも,設置形態とは直接の関連はないと考えている。欧米の状 況と比較して,現在の日本の国立大学の数が多すぎるとする根拠はあまりない ように思われる。もっとも,設置当時のさまざまな理由から単科大学として設 置されているが,現時点で考えるなら,単科大学としては設置しないだろうと 思われるものもある。今後の各大学の将来戦格を考えるにしても,各大学の枠 内で構想するより,その枠を組み替えることをふくめて考えれば,より多様な 選択肢が見つかるだろう。とくに,今後の国立大学の使命として地域貢献を重 視するとすれば,地域の側から見れば,それぞれの地域の国立大学が,全体と して将来のあり方を考えることは当然,期待されるであろう。「行政改革」や, 「効率化」の観点から考えても,それは現行の設置形態のもとでも,努力が必 要であることにはかわりがない。 最後に,国立大学が独立行政法人化され,各大学の自律性が高まるなかで、わ が国全体としてバランスのとれた大学のあり方を考える場が必要ではないか, との指摘がある。これについては,本年9月,文部省に「21世紀の大学を考え る懇談会」が設置されたが,このような場をふくめ,今後の対応を考えていく 必要があると考えている。 (イ)設置形態輪をこえて 以上のように,独立行政法人化のねらいと、それについて表明されている懸念 を整理してみると,その懸念のほとんどは、現行設置形態のもとでも課題となっ ていることである。新たな制度の導入には不安が伴うが,どういう設置形態に せよ,改革すべき課題には取り組んでいかねばならない。 独立行政法人という道具を使って,いかに現在抱えている課題に取り組んでい けるかについては,具体的な制度設計を十分注意して行なう必要があり,現在, 文部省において,国立大学関係者や各界の有識者の協力を得て検討中である。 しかし,つまるところ,重要なことは,設置形態がどうであれ.各大学が社会 の期待に応える大学として高い評価が得られる教育研究,あるいは社会貢献活 動を推進していくことであり,文部省がこれに対して具体的な支援策を講じて いくことである。今後の取組みが注目される。」 --------------------------- [37-3]総合科学技術会議の諸問題のペ−ジ http://www.ac-net.org/go/cstp/index.html [37-3-1]総合科学技術会議ホ−ムペ−ジ http://cstp.jst.go.jp/main.html [37-3-2]2001.1.6 に廃止された科学技術会議との比較 http://cstp.jst.go.jp/hikaku.html [37-3-3]日経新聞2001年1月15日朝刊より [37-3-3-1]■「大学の競争促進へ基金」より http://www.ac-net.org/doc/01/115-nikkei.html 研究成果で配分 施設拡充、5年間で1兆円 六日発足した総合科学技術会議(議長・森喜朗首相)は、大学などの研究施 設を拡充するため大規模な「研究環境整備基金」(仮称)を創設する検討に乗 り出す。資金は各大学一律に配分するのではなく、研究活動の活発さに応じて 割り当てる方式を導入、各大学が競争して優秀な研究者を採用するよう誘導す る効果も持たせる。来年度からの第二期科学技術基本計画の目玉施策とし、五 年間で1兆円を超える資金を同基金を通じ配分したい考えだ。 新設する基金は一般会計を財源とし、大学の研究活動の実績に応じて毎年配 分額を決める。具体的には、研究テーマを公募する競争的研究資金をどれだけ 獲得したかに応じで、研究者が所属する機関に施設整備費を支出する。国立大、 私立大のほか公的研究機関なども対象となる。これにより、多額の研究費を獲 得できる研究者を抱える大学、研究機関の施設整備が優先的に進む。備設整備 というインセンティブによって、各大学が国内外から優秀な研究者を迎え、大 学同士の競争を通じて研究の水準が底上げされることを狙う。井村氏は「優秀 な研究者を確保するために投資するという考え方を日本の大学に根付かせたい」 としている。 従来は大学研究室の面積は教授の既得権になっており、多くの研究スタッフ を抱えて成果を上げているところほど、施設が過密で研究環境が悪いという事 態も生じている。 第二期科学技術基本計画案は1100万平方メ−トルの研究施設拡充を打ち 出しており、このためには約3兆円の資金が必要とみられている。 千億円規模の現行の国立大学施設整備費などで賄うのが難しいため、総合料 学技術会議は今回の基金構想を軸に新しい枠組みを設ける方向で検討を進める。 [37-3-3-2]第2期科学技術基本計画の政策 ・日本学術会護の位置付けを検討 ・ポストゲノム研究の基本方針作り ・ナノテクノロジー研究の基本方針作成 ・ヒト胚(はい)の取り扱い指針作り ・胚性幹細胞(ES細胞)の研究指針作り [37-3-3-3]有識者議員桑原洋氏(元日立製作所副会長)のインタビュ−より Q:産業界の代表として何を訴えていくのか。 A:「これまで、国が研究開発活動に資金を投人しても必ずしも期待通りの成 果を得られなかった。税金を研究開発活動に投じることで産業が発展し、企業 の利益が伸び、税収増につながる。こんな好循環を目指したい」 ・・・ A:「国はITの強化策として電子政府の計画を打ちだし、戸籍情報などの電 子化を進めているが、官民がばらばらに動くのではなく、官民がネットで結ば れる eソサエティー(社会)を目指すべきだ。そうした基盤がができれば電 子商取引も普及しやすい。企業はそれぞれネット調達市場の創設に動き始めて いるが個々の対応では限界がある。最低限必要な部分では日立も東芝も三菱電 機も協力して進めればいい」。 #官民をネットで結び戸籍情報も企業が使えるようにすべきだと主張している #のだろうか。 ---------------------------------------------------------------------- [37-3-4]■毎日新聞社説「科学技術計画 研究投資増えても喜べない」2001.1.11 http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/nethe1573.html ・・・  新基本計画案では01年度からの5年間で総額24兆円にするというが、基 準があやふやではあまり意味がない。総合科学技術会議が指導力を発揮して予 算配分にまでタッチするという仕組みにもなっていない。  第1期基本計画では基礎研究を担う大学の施設設備の充実を掲げたものの、 国立大の老朽化して狭い施設はそのまま残った。新基本計画案では施設の充実 を最重要課題と位置付け、施設整備計画を作って実施に移すという。だが、施 設整備費を出す国立学校特別会計をどう見直すかという具体策がない。 ・・・  新基本計画案は「知の創造と活用により世界に貢献できる国」など目指す国 の姿を示した。重点分野としてライフサイエンス、情報通信、環境、ナノテク ノロジー(微細技術)・材料の四つを挙げた。競争的研究資金の倍増、研究機 関や研究課題の評価システムの改革もうたった。  より具体的にはなっても全体的にまだあいまいな点が多い。それでいて「ノー ベル賞受賞者を50年間で30人」という目標を掲げたため研究者からは疑問 の声が上がる。  科学技術庁に事務局を置く科学技術会議の廃止直前の仕事で限界があった。 総合科学技術会議はノーベル賞受賞の白川英樹さんが議員になるなど陣容が大 幅に入れ替わり、70人以上の独立事務局を持つ。そこが改めて新基本計画案 を検討し、明確な方向性を打ち出すべきだ。  今後は縦割り行政の排除が大きな課題である。総合科学技術会議は、抱える 研究者の数が多い文部科学省にどんどん注文を付けてほしい。 ・・・ ---------------------------------------------------------------------- [37-4]■岩田進午氏「大学はどこへ行くー国民のための大学をめざして」より (1998.6 地学団体研究会ブックレットシリ−ズ9) http://www.ac-net.org/doc/01/119-iwata.html そこ(行革会議の議事録)では「基本法」にいう科学技術(科学・技術ではな い)を次のように定義しています。委員の質問に事務局が答えたものです。 「学術研究・教育は特定の政策目的とは結びつかないが、科学技術は特定の政 策目的と結びつくとの趣旨だとの説明があつた。また、関連して現在は産学協 固が盛んになつてはいるものの、学術研究は国からやれといわれても動かない という体質があり、そういう自由度が必要な分野であるが、他方、国が行わな ければならない開発研究はトツプダウンで行う必要があるとの発言があつた。」 ・・・ ここで、ちょっと脇道にそれるようですが、わたしが驚かされた話をします。 地球温暖化防止予算のはなしです。わが国の1995年度の予算総額は71兆 円。そのうち、地球温暖化防止予算は12兆円にものぼつており、政府も温暖 化を真剣に考えているなと思いがちです。でも、予算の中身をみたら、開いた 口が塞がりませんん。すなわち、道路整備推進費が約七割を占め、8兆353 8億円。高速道路などの道路建設が、渋滞を減らし、無駄なエネルギー消費と 一酸化炭素排出量を減少させるという訳です。...ついで、国有林整備費が 6054億円、原子力開発利用関係3922億円となっています。温暖化防止 という美名のもとに、ここでもゼネコン、原子力関係企業中心の予算が組まれ ているのです。 ・・・ 5.終りに しかし、別の視点からみると、大学は大きく質的に変化しつつあります。国立 研に籍を置き、20数年ぶりに大学にもどってきたわたしが感したことは、大 学の変質が確実に進行しつつあるということです。多くの教員がいつも忙しそ うにキャンパス内を動き回つています。夢のある、スケールの大きい研究を楽 しんでやっている人がめっきり少なくなりました。良い悪いは別にして、脱イ デオロギ−化が顕著です。企業からの委託金武・奨学金が、教授会の度ごとに 報告されます。経常的研究費が研究費全体に占める割合が大きく低下していま す。そして、何より驚いたことは、文部省の大学への支配力が著しく強められ ていることです。それなのに、多くの教員は、その変化にあまり気づいていな ようです。変質が、じわじわと緩やかに進んだことによるのかも知れません。 ---------------------------------------------------------------------- [37-5]サイト「国立大学のあれこれの問題」 (京都大学職員組合「いちょう」掲載記事集) http://members.aol.com/mirokubutu/kokudai.htm 「京都大学の理学部のさる友人に頼まれて、労働組合関係の文書(といっても かなり一般向けのもの)を、小生のホームページに置くことにしました。  文書の中にでてくる「いちょう」というのは、京大理学部労働組合の機関紙 の名前です。...  当初オープンにすると問題のある文書もあるようで、リンクはお断りしてい たのですが、解禁になったそう自由にでリンクを張っていただいて結構です。 (2000.6.17)」 #2000.6.14の国立大学協会総会で独立行政法人化が「決まった」ので解禁にな #った、というように聞こえる。 ---------------------------------------------------------------------- [37-5-1]国立大学の独立行政法人化の現局面(2000.4.27) http://members.aol.com/mirokubutu/dokuhoy.htm 「自民党の高等教育研究グループ提言は、「国立大学法人」を持ち出したりし て苦しい言い回しをしていますが、基本的には独立行政法人通則法と特例法を セットにしたものの推進を謳っているといってよいでしょう。そしてその理念 は、前号の吉村(洋)さんのコメント にもあったように、大学審議会の98答申 (「21世紀の大学像」)と行政改革ラインの結合です。これまで「行政改革」⇒ 「独立行政法人化」だったので、大学の先生方に評判が悪かった。だから「高 等教育政策」⇒「独立行政法人化」といった線で攻めましょう・・・という風 にも読めます。」 ---------------------------------------------------------------------- [37-6]北大学長選挙情報 [37-6-1]北大ネットアンケ−トへの回答 2001.1.17 http://www.ac-net.org/home/hokudai/ [37-6-2]「いま、北大は何を選択すべきか!――第24回北大を語る会――」2001.1.17 http://www.ac-net.org/home/hokudai/doc/010110-hu-katarukai.html 「この総長選挙は、長期的には、21世紀において 北大は何を選択すべきか を、中期的には、独法化をどう迎えうつかを、全学的に考えるチャンスであり ます。誰が選ばれたとしても、選挙の後には、一致協力の態勢が不可避になり ます。それゆえ、どこまでが共通点か、どこが対立点かを、討論したいと考え ました。下記の要領で会合を持ちますので、ご参集いただければ幸いです。」 [37-6-3]発行者から北大学長候補者への公開質問状2001.1.19 http://fcs.math.sci.hokudai.ac.jp/doc/1/hu-senkyo/query.html 質問(1) 大学が直面しているのはル−ルの戦いであることに関して (1-a)今回の学長選の核心となるべき論点は、決められたル−ルの下での戦い 方ではなく、ル−ルそのもの戦い方です。 独立行政法人化しようがしまいが、大学はやるべきことをやっていればよい という主張がよく聞かれますし、一昨日の「語る会」でも多くの候補者がそれ を前提としたかのような話をされていましたが、「大学がやるべきこと」の意 味まで変えてしまいかねないル−ル変更の作業が、大学を理解していない人た ちや大学を利用しようとしている人たちが中心となって進行しているのです。 少数の方を除き、候補者の多くの方が独立行政法人制度のル−ルでいかに戦 うかという発想としか思えない内容に終始されていたことに不安を感じます。 クリティカルな時期に、しかもル−ル変更の行く末に大きな影響力を持つ北大 学長が、ル−ルの戦いの重要性の認識を欠いていては困ると思います。 ル−ルの戦いについて、どのように考えておられるかをお聞かせください。 (1-b)大学の営みに適した「教育・研究の自由」という ル−ルは、長い年月を 通して「管理下の競争」というル−ルへと変質を続けてきました。 現政府が種々の方法で導入しつつある「競争的環境」での「競争」とは、人々 の知恵を増し心を豊かにし社会を良くする「競争」(協力しつつ同じ目的に向 かって走る競走)でもなく、真理を見いだす「競争」でもなく、社会のリ−ダ −となったとき日本を正しく導ける人を育てる「競争」でもないのです。単に、 主務省の官僚の転勤のサイクルに合った期間での成果に、身分や研究費を連動 させるという競争です。このような大学の本性に反するもので大学が活性化す るはずはありません。「管理下の競争」を学内でもミニチュア版で行うことが 全国の大学で進展しています。このようなことが大学を活性化するとお考えで しょうか。 質問(2) 社会への説明責任の原点に関して (2-b) クリティカルな時期は、昨年6月に調査検討会議へ参加を国立大学協会 が決定したこと終わったわけではありません。このまま、独立行政法人化問題 を大学人の大半が座視し続けるとすれば、小手先の「説明責任」を果たす努力 をいくら積み重ねても拭えぬほどの深い不信感を、大学は社会に植え付けるこ とになると私は懸念しています。 社会の人たちは今は気付いていませんが、大学が見て見て振りをして独立行 政法人化を無抵抗に受け入れてしまったことは早晩周知のこととなります。そ のとき失う信頼を大学が回復するまでには、運良く大学が存続するとしても、 多くの年月が必要なのではないでしょうか、 北大学長になられた場合、社会に向かって自ら独立行政法人化について御自 身の見解を述べ、それを政府に断念させるよう社会に協力を訴える努力をして 頂けるでしょうか。 質問(3) 独立行政法人化の現状をどう認識しておられるか 昨年春に、大学の反発を招いた<「行政改革」⇒「独立行政法人化」>なる 議論が、<「高等教育政策」⇒「独立行政法人化」>に変更されたところ、内 容は同じなのに国立大学協会はあっさりと説得されてしまったことは実に残念 です。それに勇気付けられてか、文部省は日本の教育システム全体への干渉を 一斉に開始したことは、大学の責任がいかに大きいものであるかを明確に示し ています。 独立行政法人化への歯車が回り始め次第に加速しており、情勢は次第に危機 的な段階を迎えつつあります。「独立行政法人化」ではなくなったので危機は 回避されたという趣旨の発言が多いようですが、それは現状認識の欠如でない とすれば現状を糊塗する詭弁であり、このような詭弁の横行自身も大学が信用 を失う大きな要因となると思います。そこで現状についての御認識を確認した いと思います。 (3-a) 独立行政法人制度を骨格としない法人化の可能性は、民営化以外にはな い、と文部科学省を始め多くの人が指摘しています。 この点について、どのように認識されておられるのでしょうか。 (3-b) 独立行政法人制度の骨格は、中期目標・中期計画に従って(教職員給与 もすべてこめた)運営交付金の交付をうけ自由に運営し、期末評価に基づいて 改廃・改組・次期交付金の増減等の措置を受ける、というものです。調整法に よって、学長を大学が選出、中期目標・中期計画を大学が決定できるようになっ ても、行政指導のための大きな把手は、中期目標の承認(文部科学省)・運営 交付金の折衝(財務省)・期末評価(文部科学賞・総務省)などと、格段に増 え、大学は何の自由もない奴隷のようになることは自明なことだと思います。 この点について、どのようにお考えでしょうか。 質問(4) 北大だけよくなればよいのか 質問(5) 北大構成員の意見を直接聞く方策を検討されるか 質問(6) 最後に:北大が模索すべき新しいル−ルは何か 政府が、大学を根底から変質させるル−ルを大学に強く迫っている現在、大学 独自の新しいル−ルを日本社会に呈示すること、それが創立の原点に立ち戻る ときに強く意識される北海道大学の使命だと思います。 1998年のユネスコ高等教育に関する世界会議では21世紀の大学の使命 に関して国際的合意がありました。それを基盤とすることは「国際水準」の大 学運営の最低条件ではないでしょうか。 この「21世紀の大学の使命」の中で日本の大学に全く欠けているものが少 なくありません。それを改善するためには次のようなことが必要です。それを 北大が目指すことが、日本の大学全体に粗悪なル−ルが強制されることを防ぐ 契機となると思います。 (6-a) 大学教育の目的を、有能で従順な人材製造ではなく、有能な独立した市民育成 とする。 (6-b) 教育・研究を劣化させる「管理下の競争」強化路線を退け、自由で自発的な協 働原理により大学を活性化させる方向を模索する。 (そのために北大は国立大学に留まり、大学の本性を捨てて独立行政法人化す る大学とル−ルにおいて競い、社会からの直接の支援を求める。) (6-c) 全構成員の、適切な運営参加によって、大学の志気を高め活性化させる。 (若手教官・事務職員・学生・院生の大学運営に関しての公的直接の発言の場 がないために、学内が本当に必要とすることを大学当局は認識せず、また、学 内の新鮮な知恵を活かせず、単に文部省対策的運営に終始して結果的に大学内 部の活力を殺いでいる。) (6-d) 運営(人事・財政)を透明にする。 (特に財政関係は、配分の根拠等も含め、完全公開。) (6-e) 「アカデミックハラスメント」について学内での公平な「審判」を行う場を設 ける。 ---------------------------------------------------------------------- [37-7]■豊島耕一氏「恐れるべきは「恐れ」そのもの--最近の傾向について」 http://pegasus.phys.saga-u.ac.jp/UniversityIssues/d0121.html       「恐れるべきは『恐れ』そのもの」            (Ver.1.0)                  佐賀大学理工学部 豊島耕一 1. 独立行政法人化をめぐる情況 国立大学を「独立」行政法人に変えるという方針に文部省(現在の文部科学省) は従来反対していましたが,一昨年この受け入れに「変節」しました.それ以 来大学首脳部は腰抜け状態となっています.口では「反対」と言って態度が変 わっていないかのように見せかけながら,実はこの社会のどこにでも見られる 「構造的脅し」にすっかり金縛り状態となって,「もはや避けられない」とあ きらめ状態になっています. しかしこれは,我が国の教育と研究に責任を持つべき職業集団の態度としては 許されないものです.なぜならこの制度変更に根拠を与えるべき法律の骨子さ えも作られておらず,したがって国会はこのことを何も知らないのですから, この段階で批判や反対を諦めるというのは,国会無視だけでなく国民への「説 明責任」の放棄でもあるからです. 2. 独法化とは何か 国立大学の独法化がなぜ誤りであるのかということはすでに多くの人によって 論じ尽くされていますが,やはり憲法や教育基本法に照らしての,その違法性 については繰り返し強調しておくべきでしょう.すなわちこの制度が大学に適 用されれば憲法23条(学問の自由)と教育基本法10条(不当な支配の排除)に 違反することは明白なのです.これは独立行政法人を定義した「中央省庁等改 革基本法」のいくつかの条文を見れば分かります.つまりこれは,教育基本法 改悪の先行実施であり,明文改悪の重要な地ならしなのです. この制度は「独立」の接頭語とは正反対に,これまで曲がりなりにも政府から 独立していた国立大学を文部科学省の地方出張所に変えるものです. 3. 国大協,組合の対応の問題点 ことがらがこのような原理的な問題を含むにもかかわらず,国大協や各大学首 脳部の多くはあまりにもおざなりな態度をとっています.その現れの最大のも のが,文部科学省に設置された「調査検討会議」への国大協の参加です.この 会議が独法化を前提にしてその具体案を作るためのものであるにもかかわらず, 「反対」の国大協がこれに「積極的に参加」するというのですから,精神分裂 病でなければ「反対」はポーズだけということになるでしょう. 参加を正当化する人の中には,会議に参加する中で本質的な変更をさせうると 考えているかも知れませんが,それは脳天気な自己過信です.逆に,今の段階 ではもはや「条件闘争」しかないと判断するのは運動の自主規制ないし自主撤 退に他なりません. 大学当局だけでなく組合の態度にも最近は「二重姿勢」の傾向が感じられます. つまり表向き反対だが実は独法化を前提にしての対応準備に重点を移すという 態度が見られるのです.例えば組合のビラで「独法化反対」の文章のすぐ後に 密接して「独法化されたら組合の役割は一層強まる」という言葉が無神経に並 べられたりしているところに,それが現れているように思われます. 4. 国大協とは何か 国大協というものは大学の内外に大きな影響力を持つようですが,しかしこの ような重大な問題についてこの組織に国立大学全体を代表する資格があるかと うかと言うことが問題です.会則の4条は国大協の目的を次のように規定して います.  協会は、国立大学相互の緊密な連絡と協力をはかることにより、  その振興に寄与することを目的とする。 この目的条項からして,国大協が国立大学を国立大学でなくすような決定や活 動に関わることはできないはずです.他に代わるものがない,という理由で, この学長だけからなる非民主的な組織にかりに発言権を認めるとしても,それ は何ら絶対的なものではなく各方面からの批判に晒されて然るべきです.(注 1) しかし大学の組合だけでなく一般の組合や政党,進歩的世論も,国大協をいわ ば「聖域」化して公然と批判しようとしません.これでは国大協の誤りが訂正 される機会が失われてしまいます.これは是非とも避けなければなりません. 5. 「闘い」の回避という精神状況 このような態度の背景には,「闘い」からの逃避という傾向が広がりさらに覆 い尽くしているという情況があるのではないか,原理原則に正直であるという ことを軽んじる,あるいは嘲るようなシニシズムの蔓延があるのではないかと 思います.そのような精神的荒廃を「力関係」だの「条件闘争」などといった, およそ「闘う」人しか使うはずのない言葉で誤魔化しているのではないでしょ うか.「負ける」事をどうしても回避したいという傾向が強く感じられます. 「勝ち組・負け組」イデオロギーの影響もあるでしょう.しかし「負け」の可 能性ゼロの「闘い」は闘いではないのです. 「条件闘争」派はおそらく,「調査検討会議に代表を出してギリギリの線まで われわれの主張を入れさせた」などという説を広めることになるのでしょう. しかしこれは,「母屋は取られたが厩舎に住むのを許された」と言って喜ぶよ うなものです. 6. 恐れるべきは「恐れ」 上に述べた「構造的脅し」,あるいは「構造的恐怖」の一例は,「文部科学省 に逆らうと,実際に独法化されるときに自分の大学が不利な扱いを受けるので はないか」という自己暗示です.これを信じる同僚,あるいはこれを「理解」 してしまう世間の方々は,是非とも次のフランクリン・D・ルーズベルトの大 統領就任演説での言葉の意味について考えていただきたいと思います.「格言」 として認める人もあるようですから.  「そこでまず初めに,私の信念を述べさせて下さい.我々が恐れ  なければならない唯一のものは恐れそのものです.それが何かも  言えず,理屈にも合わず,理不尽な恐れ,後退を前進に変えるの  に必要な努力を麻痺させる恐れです.」(筆者訳,注2) 闘う前に「敗北」を選ぶのは不健全な精神状態の結果であり,またその後の精 神衛生にも悪いのです. ----------- (注1) 例えば,この30年で数十倍にもなった国立大学の授業料値上げに対し て,この団体は,一片の「申し入れ」以外に,これを阻止すべく何か有効な行 動を行ったでしょうか(不作為の責任).また偏差値競争の一元化に寄与した 共通一次導入に対して,何かの「総括」を行ったでしょうか(自己点検・評価 の欠如). (注2)http://www.re-quest.net/history/inaugurals/fdr/index.htm --------------------------------------------------------------------------- ■■■国立大学協会への署名運動(第4次締め切り:2001.1.31)■■■ http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/3141/kdk-shomei --------------------------------------------------------------------------- 発行者: 辻下 徹 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/3141/dgh/ e-mail: tujisita@geocities.co.jp 発行部数 1117 (2001.1.21現在) Mag2:639|CocodeMail:346|Pubzine:57|Macky!:39|emaga:21|melma:15 --------------------------------------------------------------------------- End of Weekly Reports 37 ============================================================================