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Weekly Reports  No.45  2001.3.26 Ver 1

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/3141/wr/wr-45-01326.html 総目次:http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/3141/wr/all.html ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ [45-0]発行者より [45-1]第三回総合科学技術会議 [45-2]独立行政法人化直前の国立研究所をめぐって [45-2-1][国立研究機関]「独立法人化を科学立国に生かせ」(読売新聞社説3/18) [45-2-2]国立環境研究所(環境省) [45-2-3]総合産業経済研究所(産業経済省) [45-2-4]森林総合研究所(農水省林野庁) [45-2-5]国立近代美術館(文部科学省) [45-2-6]無機材質研究所(文部科学省)2001.3 [45-3]第10回設置形態検討特別委員会2001.2.22資料 [45-4]首都圏ネットアピール「4・2国大協特別委員会で「長尾試案」の再検討を」 [45-4-1]第10回設置形態検討特別委員会2001.2.22議事概要より、長尾試案関係 [45-4-2]国立大学法人の枠組に関する試案(長尾試案) [45-5]全大教第23回臨時大会特別決議 [45-6]「国大協への要望書」世話人から国会議員427名へのメール 2001.2.24 [45-7]豊島耕一「法人格の議論は「独法化粉砕」が前提」 [45-8]渡辺勇一(新潟大)「学生による授業評価をどう見るか」 [45-9]論説・意見・資料など [45-9-1]宮脇 淳「独立行政法人化の実態と課題」(於北大 2001.2.28) [45-9-2]藤田宙靖「高等教育システムの変動と大学の戦略的経営」2000.11.17 [45-9-3]高木宏明「独立行政法人国立環境研究所に向けて」(2000.8) [45-9-4]「無機材質研究所の独立行政法人化と研究所の改革に関する提言と行動の記録」 [45-9-5]「成果主義人事8年の成果」 [45-9-6]省庁再編および独立行政法人化に伴う国立研究所等の一覧(裳華房) [45-10]読者からの投書  発行の趣旨 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ [45-0]発行者より [45-0-1]長尾試案をめぐって 現在、国大協は各大学からの法人化に関する提言を求める一方、長尾試案の肉 付け作業を行っている[45-4-1]。独法化反対首都圏ネットワークが指摘[45-4] したように、試案が委員長の名で出されているために、各大学で余り真剣に受 け取っていないようだが、この試案は実質的には国大協案であることを認識す べきである。 4月2日の設置形態検討特別委員会で長尾試案を下敷きにした国大協側の大綱 案が練られる可能性も少なくない。独立行政法人化について意見を表明した一 橋大学社会学研究科教授会に続くところが出ることが望まれる。 しかし、なぜ、国大協は実質的独立行政法人化としか言いようがない長尾試案 に向けて議論を収束させようとしているのだろうか。その理由の一端は昨年1 1月に広島大学で行った藤田宙靖氏の講演記録[45-9-2]から伺える。 藤田氏は、大学の自主性などを余り強調した特例法を作れば、独立行政法人化 とはみなされず、民営化になってしまう危険性が極めて高いことを強調してい る。藤田氏の議論には、意図してかどうかは不明だが、2つの重大な問題が議 論されていない(これは、氏の論説にしばしば見られる特性だが)。  一つは独立行政法人化は民営化の移行措置と考えている政治家や官僚が少な くないこと。これはは、国会の議論や議員のホームページなどからわかる。国 立大学の直接的民営化は大学からの強い反対が予想され中々実現できないが、 独立行政法人化ならば、民営化とは違うこと強調すれば、大学に受け入れさせ ることはできるだろう、その後の民営化[45-9-1]では大学はもはや何も言える 立場にはない、という読みもあるだろう。  もう一つは、独立行政法人化は本当に私学化より良いのか、という問題であ る。国立大学ではこの問題には目を閉じている。米国の大学のような、多様な 財源を持つ、という意味での民営化ならば、大学の真の自立のための手段とな るだろう。この点を吟味もせずに、ただ民営化は困る、という態度をとれば、 民営化の脅しの前に通則法に限りなく近い法人化を受け入れるしかなくなるだ ろう。もしも、真の自立性を強調したために、行革派が国立大学民営化に議論 を進めるならば、受けて立てばよい。大学社会全体が関係する問題となるだけ でなく、問題はわかりやすくなり国民的議論にもなり、大学と社会の間が一気 に縮まるだろう。 [45-0-2]来週、独立行政法人としてスタートする国家機関から転出する人が少 なくないらしい[45-2]。転出は大きな変化だから、大きな変化を厭って転出す るわけではなかろう。独立行政法人制度を嫌って転出すると考えるのが自然だ と思うのだが。 [45-0-3]学生による授業評価についての広汎な論考[45-8]が出た。安易な授業 評価が横行していることを危惧し、あるべき姿を広く深く考察している。 [45-0-4]富士通が1993年に導入した成果主義人事が失敗であったことを発 表した[45-9-5]。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ [45-1]第三回総合科学技術会議 [45-1-1]官邸サイト http://www.kantei.go.jp/jp/moriphoto/2001/03/22sogokagaku.html [45-1-2]読売新聞3/22より http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/nethe1747.htm ◆科学技術基本計画骨子◆ 【基本的理念】科学を通じた世界貢献、国際競争力の維持、安心・安全で質 の高い生活 【政府の研究開発投資】五年間で二十四兆円 【特に重点を置く四分野】生命科学、情報通信、環境、ナノテクノロジー・材料 【科学技術システムの改革】競争的研究資金の拡充と間接経費の導入、任期 制の普及による人材の流動性向上、研究評価体制の整備、産学官連携の促進 【総合科学技術会議の指命】政策推進の司令塔として、省庁間の縦割りを排し、 先見性と機動性を持って運営。重要分野の推進戦略を作り、研究予算配分の方 針を示す ---------------------------------------------------------------------- [45-2]独立行政法人化直前の国立研究所をめぐって [45-2-1]■[国立研究機関]「独立法人化を科学立国に生かせ」(読売新聞社説3/18) http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/nethe1733.htm 「・・・・  経済産業省では「世界に通用する研究所」を旗印に、旧工業技術院に属する 十五機関を「産業技術総合研究所」に一本化する。海外へ頭脳流出している優 秀な人材を呼び戻して研究リーダーを任せたり、大学から多数の若手を招くな ど、積極的に人材の流動化を図る。  ・・・・  「施設・設備」「体制」「人」という研究開発を支える三本柱のうち、前二 者は整いつつある。あとは「人」だ。研究所トップや一線研究者がいかに意識 改革を進め、科学技術創造立国の先頭に立つかが、問われている。」 ---------------------------------------------------------------------- ♯発行者のコメント 『あとは「人」だ』というところが面白い。学術月報に毎月掲載されている某 人材派遣会社の広告「さあ科研費は用意できた!次は人材をどーしよう。そう だ、研究者の派遣会社を利用しよう。」を連想しておかしかった。  現実には、所轄省庁による国立研究所・試験機関の囲い込みが露骨になった 段階で、「こんなはずではなかった」という人が増え志気が落ちたと色々なと ころで聞くし、大学に転出する人も少なくないという。オンライン化された情 報だけでも以下のような転出例がある。独立行政法人化を選択した所長自身が 転出する例もある。  所員の志気を殺ぐ制度変革をして研究所がどうして機能すると思うのか理解 できない。しかし、国立研究所・試験機関がたどったと同じ道を国立大学は今、 粛々と歩みつつある。 ---------------------------------------------------------------------- [45-2-2]国立環境研究所(環境省) http://www.math.tohoku.ac.jp/‾kojihas/2001/0309kyoto 2001.3.9「独法化しなければ行政対応型の試験場化するしかない、という思い や、自分のところ以外だったら、というような対応の仕方によって、今や独法 化が規定路線になってしまった。「省庁を越えた統廃合」のメリットはあるは ずだったのに、これも逆に定員の囲いこみで前よりカベが高くなってしまった。」 2000.8 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/3141/dgh/01/321-nies.html ---------------------------------------------------------------------- [45-2-3]総合産業経済研究所(産業経済省) 2001.3.12 http://ha4.seikyou.ne.jp/home/kumiai/htm/2000/gakusyukai0312.html 1999.9 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/3141/dgh/99b04-fujimoto.html ---------------------------------------------------------------------- [45-2-4]森林総合研究所(農水省林野庁) http://www2s.biglobe.ne.jp/‾ryokuyu/tok0127.htm ---------------------------------------------------------------------- [45-2-5]国立近代美術館(文部科学省) 朝日新聞2001.3.21「迫る独立行政法人化 欧米の美術館・博物館と比較して」より http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/nethe1745.htm  「あいまいさや、関係者の不満を残しながらも実施に進む独法化について、 この春、二十五年六カ月勤めた東京国立近代美術館の主任研究官を辞して、中 部大学教授になる美術評論家の千葉成夫氏(五四)は「独立行政法人になると、 予算の繰り越しができるのがメリットといわれるけれど、実際の手続きは複雑 で、うまくできるかどうか疑問だ。結果的に、研究機関の機能は縮小し、展覧 会屋さんになるのではないか。文化が精神的なものであるということが薄れ、 商品としてだけ位置づけていくことになり、長期的には創造的でなくなる」と 危惧する。 ♯独立行政法人化する国家機関から大学に出る例がここにもあった。 ---------------------------------------------------------------------- [45-2-6]無機材質研究所(文部科学省)2001.3 (2001.3) http://www.geocities.co.jp/NatureLand/5014/nirim.html 3年毎の所長交代は慣例、「新しい革袋には新しい酒を」と所長が辞任。 ---------------------------------------------------------------------- [45-3]第10回設置形態検討特別委員会2001.2.22資料 http://www.hokudai.ac.jp/bureau/socho/agency/setti-iinkai.htm#l10 ---------------------------------------------------------------------- [45-4]■首都圏ネットアピール「4・2国大協特別委員会で「長尾試案」の再検討を」 http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/nethe1749.htm ...「長尾試案」は、国大協設置形態検討特別委員会としてのまとまった 「試案」でなく、あくまでもひとつの「試案」に過ぎないとして、「長尾試案」 に対する意見集約を行っていません。このことが、多くの大学での議論をなく しています。「長尾試案」に焦点をしぼって、各大学当局(評議会、教授会) で議論し、その意見を国大協に集約すべきだと思います。また、組合や個人も 「長尾試案」に焦点をあてた議論を MLやHPなども活用して展開すべきである と考えます。 ---------------------------------------------------------------------- [45-4-1]■第10回設置形態検討特別委員会2001.2.22議事概要より、長尾試案関係 http://www.hokudai.ac.jp/bureau/socho/agency/j130319-23.pdf 日時平成13年2月22日(木)9:30〜12:00 場所学士会分館(本郷)6号室 出席者 長尾委員長 中嶋 副委員長 海妻,阿部,北原,鈴木,梶井,内藤,石,松尾,鮎川,杉岡,江口, 田中委員 馬渡,小早川,森田,若杉,奥野,浦部,内田各専門委員 (大学共同利用機関)堀田凱樹国立遺伝学研究所長 2 .国立大学法人の枠組についての試案について 委員長より,前回の本特別委員会開催以降の,標記に関する経過について,次 のような報告があった。 1月24日開催の第9回設置形態検討特別委員会において「国立大学法人の枠 組についての試案」(枠組試案)を審議いただいたが,時間的な制限もあり取 りまとめるに至らなかったため,更に意見のある場合は1月26日(金)まで に意見を提出することとした。そして翌週の火曜日まで待ち,提出された意見 を整理して修正案を作成し,特に意見がある場合は2月2日(金)まで提出 願いたい旨を記し,1月30日(火)に設置形態検討特別委員会の全メンバー に送付した。 その後,種々ご意見が寄せられたので,急遽,第3回専門委員会座長連絡会 議を開催し,寄せられた意見について検討し,資料5の通りの試案を修正し た上,再度,各座長に送付し確認を得て,2月13日(火),全国立大学長に送 付した(一個所修正漏れがあったため14日に修正文を送付)。 このような形で,現時点における本特別委員会の議論を整理し,各国立大学 における議論の参考として送付した次第である。 以上の説明に関して,次のような要望・意見があった。 ○「枠組試案」のような重要な部分の取りまとめに際しては,本特別委員会の 審議を経る等,手続き的に慎重な配慮をお願いしたい。 ○今回初めて本特別委員会に参加したが,「枠組試案」を受け取った時の印 象を申し上げたい。第一に,3項に「独立行政法人の基本的枠組を参考にし て作る」とあるが,この“基本的枠組”というのは,例えば企画部門と実施部 門の切り離し等と理解するが,その点の理解をどのように考えたらよいかお教 え願いたい。また,9項に「大学の中期的な活動の目標とその目的達成のた めの具体的な計画は,数年の期間について,主務省と協議して大学が決定する」 とあるが,主務省と協議した結果,大学の考えが入れられなかった場合,どう したらよいか,という議論が大学であったので,その辺の考え方も整理してい ただきたい。 以上の発言に関して,委員長より次のように述べられた。 只今指摘のことに関しては,各専門委員会で議論していただくようお願いし たい。また,重要な問題の取扱いに関しても,時間の許す限り,努力させてい ただく。次に,委員長より,「独立法人反対首都圏ネットワーク」からの反 対意見の紹介があった後,本日席上配付の「東京大学が法人格をもつとした場 合に満たされるべき基本的な条件」について,森田専門委員より説明願いたい 旨の依頼があった。引き続き,森田専門委員より,次のような前置きがあっ た後,その内容の詳細な説明があった。このペーパーは「東京大学21世紀学 術経営戦略会議」(UT21会議)の下に設置された「法人化小委員会」が作成 したもので,親委員会及び評議会の承認を経て,2月20日に記者発表された ものである。 3.今後の議論の進め方について このことについて委員長より,次のように述べられた。 今後の検討の進め方について,まず「枠組試案」を参考にしていただき,各 専門委員会で具体的に詳細を議論いただき,早急に詰めていただき,各専門委 員会から詳しいものを提出いただきたい。文部科学省は5月連休前後に,取 りまとめの原案的なものを出したい意向であるということを,色々なところか ら聞いている。出来れば,それまでに国大協側の考え方を共通的に合意できる 範囲で,文部科学省側に示すことが必要と思う。これを含めて,今後の進め方 について,委員各位のお考えを伺いたい。 委員長の発言を受けて,次のような提案があった。 委員長の提案に賛成である。各専門委員会で早急に議論を煮詰めて,国大協の 意見をまとめる必要がある。また同時に,各国立大学でも枠組みを作り,学内 で議論が進んでいると思うので,大学の意見を吸い上げることも必要と思う。 大学では賛成派・反対派がいるが,それら意見を反映させる正式ルートは現在 のところ学長ルートしかないので,学長を通じて,各大学の意向を聞いてはど うか。 この提案について協議の結果,各国立大学で検討が進んでいて,ある程度, 意見の取りまとめ等も出来ていて,本特別委員会に出せると判断される大学が あれば,例えば国立大学の法人化に際しての問題点を数項目挙げてもらう等も 併せてお願いして,各国立大学の意見を積極的に提出していただくことをお願 いすることとなった。以上をもって本日の議事を終了した。 〔備考〕 第11回:平成13年3月7日(水)10:00〜12:00(学士会分館6号室) 第12回:平成13年4月2日(月)15:00〜17:30(学士会分館6号室) ---------------------------------------------------------------------- [45-4-2]国立大学法人の枠組に関する試案(長尾試案) http://www.hokudai.ac.jp/bureau/socho/agency/j130319-17.pdf http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/nagaosian.html ---------------------------------------------------------------------- [45-5]全大教第23回臨時大会特別決議 http://zendaikyo.or.jp/dokuhouka/zendaikyo/01-3taikaiketugi.htm ---------------------------------------------------------------------- [45-6]「国大協への要望書」世話人から国会議員427名へのメール 2001.2.24 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/3141/kdk-shomei/01224-to-giin.html 国会議員のみなさま             「国大協への要望書」世話人 拝啓 私どもは,国立大学の独立行政法人化(独法化)問題を憂慮し,この不当性を 指摘し続けている国立大学教員有志です.議員の皆様に最近の事態についてご 理解いただき,この問題がフェアーで幅広い国民的議論に付されますように皆 様のご協力をいただきたく,メールを差し上げます. 今,緊迫した政局の陰に隠れて、この問題をめぐって学長らと文部科学省との 間での「談合」が進行しています.国立大学協会*は表向き独法化反対と言い ながら,実は国立大学の構成員の多くの意にも反して独法化案を文部科学省と 一体となって作っているのです。本来このような重要な問題は,国会の場,す なわち議員の皆さんの前で双方の考えの違いが明確にされ,それを通じて全国 民によって吟味されるべきであるのに,いわば事前談合によって本質的な問題 が闇に隠されようとしているのです。すなわち「長尾試案」と称する「国立大 学法人」案が独立行政法人の別名として,両者の間で合意が図られようとして います. そもそも国立大学の独法化とは,「独立」の接頭語とは正反対に,これまで曲 がりなりにも政府から独立していた国立大学を文部科学省の地方出張所に変え るものです.これは,学問の自由と教育への「不当な支配」の禁止を定めた憲 法と教育基本法に反する違法なものです. 現在の大学に様々の問題があることは当事者として十分承知していますが,独 法化はそれらへの解決になるどころか,逆に大学の最も本質的な役割である批 判的な機能を麻痺させるものです.国家はその重要な安全装置,警報装置の一 つを失うでしょう. 私ども「国大協への要望書」のグループは,国大協が独法化を前提とした文部 科学省の「調査検討会議」に加わったことが根本的な誤りだとして,これから の離脱し、国民に向けて直接意思表明することを求める署名を続けてきました. そしてこれまでに69大学818名の教職員の方々がこれに賛同しています. さらに,多くの著名人を含む国立大学以外の方々からもこの運動への支持が寄 せられています. このほど世話人の連名で,同要望書の最新の賛同者名簿,国立大学以外からの 支持者名簿**と,「長尾試案***」への批判文書とを国立大学の全学長に送り ました.「長尾試案にとらわれることなく,大学の本質に立ち戻って議論され るように」との手紙を添えています. どうか,この問題が、「当事者間で合意がある」とされて、国会の場での本質 的議論を俟たずに事実上「決着」する、というような筋書きが進行することの ないよう,議員の皆様におかれましては事態を注視していただきたく存じます. また,署名と支持の依頼は続けていますので,独法化(ないし名前を変えた独 法化)への懸念を共有される方々のご賛同,ご支持をお願い申し上げます. 以下, (1) 国立大学協会への要望書  (2) 国立大学以外からの支持者名簿  (3) 「長尾試案」への批判文書  (4) 学長への手紙 * 国立大学協会:99の全国立大学長が参加する任意団体。文部科学省は国立 大学の代表機関とみなしており「業界団体」に近い役割を果たしている。 ** 賛同者69大学715名および国立大学以外からの支持者の名簿は次をご 覧下さい. http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/3141/kdk-shomei/meibo.html ---------------------------------------------------------------------- [45-7] 豊島耕一「法人格の議論は「独法化粉砕」が前提」   国立大学の法人格の議論は独立行政法人化「粉砕」が前提                      佐賀大学理工学部 豊島耕一             又学問者は,才智・弁口にて本体の臆病・欲心などを             仕隠すもの也。人の見誤る所也。(葉隠,聞書第一)  「長尾試案」に代表されるような,「独立行政法人」を雛形にした,あるいは そのイデオロギーに引きずられた「法人化」案が出されていますし,今後も同じ 種類のものが出てくると思われます.しかしこのような中途半端な態度は,最善 の場合でも新制度に独法化の骨格と思考方法を引き写すことになるでしょうし, また独法化へのカウンターバランスとしても軽すぎるため,むしろ純正の独立行 政法人の動きを助けることになる可能性が大きいと思います.したがって,国立 大学の法人格の議論は「独立行政法人」の完全な否定の上になされなければなり ません.あえて'60-'70年代の用語を使って「独法化粉砕」が前提,と表現した いと思います.  法人格の問題を議論する際に文部省の元高等教育局長,大崎仁氏のスピーチ (注1)の内容がたいへん参考になると思います.「国立大学法人化への国際的視 点」と題して昨年7月21日に学士会午餐会で行われたこの講演は,言葉の上では 独法化を肯定していますが,実はむしろこれに対する原則的な批判になっている のです.(それだけでなく文部行政全般への批判もかなりあります.例えば高額 の授業料批判など.別便でもっと広範な抜き書きを送ります.)いくつか引用し ますと,   「大学が法人格を持つことが、その国立機関性を失わせるものでないこ   とは、各国の状況を見れば極めて明白です。」   「国立大学が法人格を持つということは、国立大学の自治的な運営を保   障し強化するためのいわば法技術的な配慮であって、法人となることに   よって国家機関でなくなるといったような発想は、ヨーロッパ諸国には   ありません。」   「例えば、カリフォルニア大学は、州憲法で設立され、法人格を付与さ   れている憲法上の機関です。」  このような「国立大学でかつ法人格を持つ」先例が諸外国にあるのですから, もし参考にするとすればこの制度こそまず学ぶべきでしょう.しかしその方面で の本格的な検討は見たことがありません.私は以前に,国立学校設置法に「国立 大学は法人格を有する」という一条を付け加え,その法人格の権利範囲と義務は 別の法律で定める,というやり方がどうしてダメなのかと質問を出しました.法 改正の「量」という意味ではいわば「ミニマル」な方法,つまり最も経済的な方 法だと思うのですが,これへの有力な反論を受け取ったとは思えません.もちろ んその「別の法律」に問題を先送りするだけの事かも知れませんが,現在の潮流, つまり独立行政法人制度を雛形にすることがないので,このイデオロギーから自 由になれると思うのです.  いわゆる「行革」という言葉,P. ブルデューの言うところの象徴権力がこの 問題と関連して幅を利かせる事が予想されます.しかし独立行政法人制度が規定 する行政による大学支配は「行革」とは何の関係もなく,これに何の役にも立た ないことを強調すべきです.国の職員の25%削減が言われますが,百歩譲って もしこれがやむを得ないことで,しかもその相当部分を国立大学に当てなければ ならないとしても,これと独法化流の制度改変とを結びつける理由など全くあり ません.(因みに「25%削減」はどの法律に書いてあるのでしょうか.法律に は10%の数字しかありません.また閣議決定は法律ではありません.)最近あ まり言われなくなりましたが,もし,「独法化すれば25%削減を免れる」など という子供だましに踊らされたならば,21世紀初頭の日本の国立大学の人間は 歴史の笑いものとして永遠に記憶されるでしょう(注2).「生き残り」論も同様 です.  「独法化」問題での攻防はまだ緒についたばかりです.この制度の本質が多く の人に知られれば,これが憲法23条と教育基本法10条に反する違法なものであ り,それへの準備行為はいわば「予備罪」と言うべきものだということが理解さ れるでしょう.そのことは,「調査検討会議」への国大協の参加に反対する署名 に対して,わずか1月余りで多くの著名人,国立大学OBの支持が集まったことか らも明かです(この名簿は次をご覧下さい.  http://pegasus.phys.saga-u.ac.jp/UniversityIssues/shiji.html)  最近出版された中村忠一氏の国立大学と私立大学との「効率の数値比較」(注 3)は,”国立大学は非効率”という風説へのよい反論材料を提供しています. このスタイルでの議論は,私大対国立大という「内輪もめ」にならないよう注意 すべきですが,風説を排して客観的な認識を広めることは重要です.  大学や学会は組織として有明海の惨事を警告できませんでした.このような大 学の批判的な機能を強化するような改革をこそ目指すべきです.まさにユネスコ の「高等教育世界宣言」が指摘するように,です.独法化はこの正反対であり, 大学が行政に従属すれば,教員個人レベルでの批判の能力までも殺がれて行くで しょう.日本人であるユネスコの事務総長も独法化問題に無関心であって欲しく ないと思います. (注1) 全文は次です. http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/3141/dgh/00c/29-oosaki.html (注2) 「独法化を拒否して25%削減を甘んじて受ける」というのも騙され方の バリエーションの一つ. (注3) 中村忠一,「国立大学民営化で300の私大が潰れる」,エール出版, 2001年. 豊島耕一 http://pegasus.phys.saga-u.ac.jp ---------------------------------------------------------------------- [45-8]■渡辺勇一(新潟大)「学生による授業評価をどう見るか」 生物科学(2001)近刊より (発行者より)各大学で始まっている学生による授業評価について広汎な考察 と提言を行っている論説で、授業評価を実施する方々には是非読んで頂きたい し、大学教員も一度は目を通して欲しい文献である。間も無く発行されるため 全文紹介はできないので、ぜひ図書館等で全文を見て頂きたい。 ---------------------------------------------------------------------- 学生による授業評価をどう見るか 渡 辺 勇 一 「大学改革の一つの傾向として、学生による授業評価が、特に国立大学で急速 に広まりつつあり、この評価作業を請け負う業者までが出現した。本論文では、 大学の授業評価に対する姿勢、学生による評価活動そのものの意義と限界、多 項目アンケート形式による評価項目の設定、また評価結果の扱い方、学生や教 員の授業評価についての意識などを取り上げ分析して、現状の問題点を探る。 キーワード:大学の授業、学生による授業評価、日本の大学改革 ◇はじめに  我が国では、教える側のいわゆる「師」が、教えられる側から評価されると いう発想は存在し得なかった。この中で欧米の授業評価のあり方を、いち早く 取り入れたのは、ICUや東海大、多摩大、などの私立大学であった。・・・大 綱化直後に安岡と堀地(1992)が、一般教育学会に所属する教員を調べて、ま とめたアンケートによれば、自己評価(この中には授業評価の比重が高い)を 組織的に検討し始めた国立大学は、69%で、私立の34%を大きく上回っている。 学生による授業評価は、改革のポイントの大きな目玉として、次々と多くの大 学に取り入れられ、最近になって授業評価を請け負う専門の業者が、高等教育 関係の雑誌に公然と宣伝を行う事態になってきている。  下記の文は、ある大学の公式の頁に1995年に書かれたものであるが、評価制 度そのものの広がり方について、多くの大学教員の本音をかなり良く表してい るように思われる。なお、この大学では、他大学より早く学生による授業評価 を取り入れている。       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「近年、自己点検・評価という言葉が大学関係者の間で流行病のように広が  っている。自己点検・評価という言葉に象徴される国立大学の大学改革は、  予算の配分権を握られている文部省の音頭もあり、どこの大学でもバスに  乗り遅れまいと一所懸命である。しかし、はっきりしているのは、大学は  もはや社会とは隔絶されたところで超然としている存在ではなく、社会の  大きな期待に応えるべく社会のニ−ズの変化に的確に対応していかねばな  らないということである。授業評価は、学生が教官の授業内容等について  評価を行うもので、米国では多くの大学で実施されているものの、我が国  において全学レベルで実施しているのは、あまり例がないと思われる。       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  自国以外の制度を取り入れる場合には、そこに様々な変質が起こっても、取 り入れた側には余り気づかれない場合が多い。学生による授業評価と同じ様な 事情で、我が国の大学に「外来ものとして」導入された、シラバスについて比 較してみても日米の根本的な違いが存在する。  米国で教鞭を取った苅谷(1992)は、シラバスを以下の様に定義している。 「このように見てくると、シラバスは単なる大学の授業紹介ではないことが分 かる。シラバスは、授業内容をあらかじめ学生たちに知らせるだけにとどまら ない。シラバスはその授業が学生たちに、いつ、何をどのように要求するか、 その要求にもとづく学生たちの学習の成果をどの様に評価するのかについて、 教師と学生との間で口頭によるのではなく、文書を通じて明示的に確認しあう ための文書である」  日本のシラバスを調べていて、このような内容が盛り込まれたものを見るこ とは希有と言って良い。そもそも授業の形態が違い過ぎるのである。学生が何 の授業準備もせずに教室に出向き、教員が時間いっぱい一方的に話し続けるタ イプの日本の授業では、シラバスが、単なる進行予定を示すものに堕してしま うのは、当然かも知れない。これに対して米国では、授業のために予め読んで おかなければいけない、文献の所在、あるいは入手方法までがシラバスに書か れている事から分かるように、学生の課題が先行してそこに書かれている指針 書となっているのである。  それでは学生による授業評価については、どうであろうか。冒頭の引用記事 に示されるように、また筆者の大学における推移をみていて感ずるのは、多く の大学の「学生による授業評価」導入のあり方は、バスに乗り遅れまいとして ともかく実施するまでは良いが、結果を出して一安心という傾向が見られる。 対外的にまとめられた評価報告書の完成は、飽くまでも出発点でしかない。ア ンケートで問題にされた講義の欠点をいかに改善するかという、具体的な踏み 込みが充分果たされているであろうか。 本稿では、現在多くの大学で実施さ れている評価についての問題点を指摘し、よりよい授業を実現するための今後 の方策に役立てたいと考える。 ◇日本の大学における授業評価の必要性  ・・・・ ◇授業評価を阻む声  ・・・・  しかしながら、学生による授業評価を完全に全能とする考えは、楽天的過ぎ るであろう。絹川(1997)は、エルトンの言葉を引用しながら、「良い」授業を 類型化する危険を指摘している。また授業内容の適切さや、教員の知識と専門 性のレベルについて、学生にコメントさせてはならないと警告している(絹川 1992)。藍谷ら(1993)も、アンケートの項目作成の際に、意識的に授業内容そ のものを問う設問を排除している。圧倒的に長い経験を有する教員が「創り出 す」授業を、全く経験に乏しい学生が評価を下す行為については、一面的に裁 断を下すのではなく、複眼的な配慮が不可欠であろう。・・・・ ◇授業評価の設問のありかた  評価の設問には、全く自由に感想を記述させる方式と、あらかじめ細かな項 目を個別に答えて行く様式とがある。後者については更に、3−5段階の肯定 →否定の度合いを選択させるInventory様式と、対立した2つの単語を並列さ せて、感じる程度を選択させるSemantic Differential(SD)様式とに分けられ る(梶田 1997)。  ・・・・時間的余裕の少ない状況で、設問項目が余り多くすると、マーク作 業に時間をとられ、自由意見の汲み上げが弱まってしまう恐れがある。特に5 段階にも回答マークが分かれた設問が多数並ぶと、評価する側の学生は、いち いち厳密な符合でマークしてゆくことに、かなりの迷いを覚えるのではないか と思う。・・・・  ・・・・  「流行病の様に拡がって」という表現を含む文章を、筆者が冒頭で引用した のは、それなりの意味があることであって、実際に授業評価のアンケート項目 についていくつかの大学の事例を調べてみると(岡山大学1997,宇都宮大学 1997,名古屋大学1998,徳島大学1998,奈良女子大学1999,和歌山大学1999,香川 大学1999)、「講義はシラバス通りだったか、板書、視聴覚教材の使い方の善 し悪し、声の大きさ、教員の熱意、学生の反応の確認の有無、学生側の出席状 況」などのように、どちらかと言えば寸断された項目について、,+,0,-,--, 等の記号を選択する様式が多いようである。  問題は、このような多項目の問を次々に設定してゆく作業の前に、評価を実 施する側での授業についての理想像について、どの程度議論が交わされている かである。・・・・板書の善し悪しと双方向的授業かの両方が、設問として同 居していることも珍しくない。・・・・アメリカの双方向的な生物学授業の典 型を表した本として、「ファーンズワース教授の講義ノート」(ヘプナー 1991)があるが、このように完全に双方向的な授業を実現したとすると、板書 の比率は極めて低くなるのではないだろうか。少なくとも、苅谷(1992)が示 している、2例の授業評価項目表の中には、板書の善し悪しという項目は出現 しないのである。その代わり、効果的なコミュニケーションや、討議の促進が 問われている。全てを米国式に模倣する必要はないが、我が国での大学に於け る授業の「理想像」が、未だ充分に描けていないままに、アンケート設問の設 定が行われると言う、弱点が露呈しているのではないだろうか。  評価の際に、教員が重視して欲しいことと、学生が満足を覚える項目とは、 必ずしも一致するとは限らない。この点に注目した研究は余り多くはない。片 岡と八並(1997)は、国立大学、公立大学、私立大学2校ずつの学生について、 過去の良い授業を想起させ、この良い授業に含まれる因子を41項目の設問を 用いて探った。その結果、学生の評価の最重点は、教師のパーソナリテイ(教 師の独創性、人間的魅力など)と、授業設計(教科書中心に進める)の2因子 にあったとのことである。・・・しかし、広島大学の教員の調査では、教科書 中心であるか否かは、教員にとっては全く重視されない(安岡ら1993)。その他 にも、学生と教員の評価項目には食い違いがある可能性がある。  ・・・・ ◇評価の結果をどう生かすか  ・・・・ この点で、前述の教養教育実施組織代表者会議で報告された、熊 本大学の授業評価プランは、かなり考え抜かれたものであったと言えよう。・・・ ここでは、現実に受けている授業から、学生が面白かったと考える授業を数科 目選ばせ、何故それが良かったのかについて答えさせ、また悪いサンプルとし ても同様に科目を選ばせ、その理由を答えさせるのであるから、その結果が教 員達に及ぼす影響は大きい。  ・・・・  大槻(1993)は、大学教員の授業評価に対する反応を、通常、過小、過剰の 3群に分類している。通常反応を示す教員は、評価で指摘された点を少しずつ 改良する面を持つが、何を言われても我が道をゆく過小反応群、評価自体に難 癖をつけて結果を受け入れない過剰反応群の教員が、大槻氏の属する多摩大学 では、一体どれほどの比率で存在していたのか、知りたいところである。   ・・・・  授業評価の結果を真に生かすのは、それを公開するか否かの点に拘るより、 その結果の教員による討議、特にヴェテラン教員との話し合いを行う(ローマ ン1987)等が有効な方法であり、教員が評価結果を孤立したままで受け取って 終わらぬような組織的な運動や配慮が必要である。教員評価のためのデータと して、学生評価の結果だけを用いるような方策を強化することは、学生の我が ままを許してしまう誤った方向への圧力を生む可能性がある。この様な誤りを 防ぐために、教員相互のFD活動を活発にすると共に、我が国ではまだ余り取り 入れられていない、同僚評価を考慮してゆく必要がある。 ◇我が国の大学教育の問題点と授業評価の意義  ・・・・  上記の事にやや反する事を書くことになるが、双方向の授業については、日 本の学生の特性についても注意しなくてはいけない。筆者自身が1994年に、新 潟大学の125名の教養科目受講生に対して実施したアンケートの結果を以下に 示す。 (問い)学生の発言を基礎にして大学での授業を進めるという方向について  1)大賛成。自分は積極的に発言して参加(11.2)  2)賛成だが、自分は当てられたくない(20)  3)紙面を通しての発表なら賛成   (45.6)  4)好きではない。教員の話だけでよい(12.8)  5)反対。一方的な講義でも良い   (5.6)     無記入            (4.8)  このように積極的な学生と、消極的な学生が両極に存在し、控えめな意見発 表なら良いという学生が多数を占めるのが現実であって、よく紹介されるアメ リカの授業風景の様に教員と学生が、丁々発止と意見を交わしてゆく授業を実 現することには、相当困難がありそうである。藍谷ら(1993)の東大での調査で も、双方向形式の授業を教官が望んでも、学生の態度は、かならずしも教員の 意志に答えるものとなってはいない。筆者は上記の調査結果にもとづき、学生 による頻回の課題提出内容を、教員側がまとめて授業時に印刷配布し、その内 容を講義に立体的に組み込む方式を取っている。授業後の学生のアンケートで は、必ずしも口頭による発表でなくても、教員と学生のコミュニケーションが 成立していたと感想を述べる声が多かった。 ◇受動的なモニターから、積極的な参画者としての学生の役割変化  授業評価を既に取り入れている大学では、学生は初年度から繰り返し評価を 体験することになる。この期間の間に学生が評価そのものに対して持つ考えは どのように変わるのであろうか。この点について調べた調査は余り多くない。・・・ 藍谷ら(1993)の東大での調査でも、授業評価で学生の声が講義に反映されると する者は、45であったというから、学生は評価の結果がいかに有効に機能す るかについては、現状での「評価活動」単独実施の限界を冷静に見抜いている と言えるかも知れない。  学生の期待度に大きな影響を与えるのが、評価設問のアンケート実施時期で あり、全てのスケジュールが終了する時点での評価結果に対する、学生の期待 度は低くなる傾向がある。・・・・現状ではこのように学期末の時点で評価ア ンケートをとる大学が多いが、学生が回答する際に持つであろう、フィードバッ ク効果を最大にするためには、梶原(1997)が指摘するように、学期中間期に 行うのが望ましいであろう。  学生による授業評価は、教師へのフィードバックのみに終わらせるのでなく、 学生の授業への関わりの意識をある程度強めるプロセスとして使いたいもので ある。・・・林(1992)は、授業の計画・立案のプロセスにも学生を「参画」さ せるべきであると、実践を交えた授業論を展開している。  また、千葉大学では「普遍教育学生会議」(南塚2000)という組織が、単に個 別の授業のみならず、カリキュラムや成績評価までをも含む、教育システム全 体への学生の声を、「常時」汲みあげる目的として作られている。本稿では学 生の授業評価について、様々な角度から既に相当記述してきたので、授業評価 が学生参加の終着点ではないという点を強調して文を終えることとする。 [文献] 略   渡辺 勇一 Yuichi G. Watanabe 〒950-2181 新潟市五十嵐二の町 8050 新潟大学 理学部 生物学科 ---------------------------------------------------------------------- [45-9]論説・意見・資料など [45-9-1]宮脇 淳「独立行政法人化の実態と課題」(於北大 2001.2.28) http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/nethe1696.htm  ・・・・  大学の資産を確定する場合、土地も図書館の蔵書も対象になる。土地のなか で演習林の土地はそれほどの資産ではないと思うが、大学全体の資産評価は大 変だ。例えば図書館にある数十万冊の蔵書に一冊一冊、値段をつけなければな らない。  ・・・・  独法に移行したあと、第1期の中期計画期間内は、資産を除いて現在の国立 大学の姿とほとんど同じだが、問題は第1期、第2期の中期計画が終わるとき である。中期計画の終わるときに厳しい評価を受けるので、独法に移行して5 年後、10年後には大きくさまがわりする。5年後、10年後に向けて体力をつけ ておく必要がある。  ・・・・  この4月に58の独法機関が誕生するが、これは通則法による。国立大学は通 則法では無理であるという解釈が政府部内にあるので、すでに政府部内では第 2独立行政法人(仮称)の法律策定作業に入りつつある。第2独法の枠組みに よって国立大学の法人化を検討しようというものだ。  そもそも独法化の議論が始まったとき、国立大学を対象にしようということ ではなかった。総務省も国立大学を通則法にあてはめるのは無理だと考えてい る。しかし、それ以上にいまは大きな政治的うねりがあり、国立大学関係者が 独法化問題について良いか悪いかという議論を繰り返しているうちに、外堀が どんどん埋められてしまっている。  国大協ではすでに3年間、検討を重ねてきた。国立大学が独法に移行するの か、独法ではない法人になるのか、あるいは国立のままか、選択はその3つだ が、議論はそこから先に進んでいない。それは、99国立大学の性格も立地の場 所も違うので、利害が全く一致しないからだ。最後まで利害が一致しない場合、 現在の国立のままという選択肢もある。だが2001年度に入り、国大協の対応が 変わってくると思われる。なぜなら国立のままというのは説得力がないからで ある。  文部科学省の調査検討会議は5月の連休明けに中間報告を出すだろう。予定 よりも少し早まることになるが、それは橋本龍太郎大臣のもとにおける行革推 進本部の動きとの関連だ。しかし連休明けに出される調査検討会議の中間報告 は、内容的には具体的に詰められているものの、実際は抽象的な表現になる。 それは、夏に参議院選挙があるからだ。そして9月か10月には具体的な表現の 報告が出てくる。だが、9月(か10月)の報告は参議院選挙の結果に左右され ることはない。国会では与野党が行革に合意しているため、大きな流れは変え ようがないからだ。いま国立大学の応援団はほとんどいないといえる。  いずれにしても、この1年間で国立大学の独法化に関する枠組みが決まる。 それに較べると、いままで2年間の経過はよくわからないものだった。 (質問に答えて)国立大学の存在意義を強調する場合、何よりもそれを国民に 訴えることが大切だ。国立大学内部で強調していても効果はない。また各大学 はそれぞれ地域と密接な関係をもつことが重要だ。 ---------------------------------------------------------------------- [45-9-2]■藤田宙靖「高等教育システムの変動と大学の戦略的経営」2000.11.17 http://www.law.tohoku.ac.jp/‾fujita/hiroshima-20001117.html 「・・・・ 二 国立大学の改革と高等教育 ・・現在では、概ね、大学が独立の法人格を持つこと自体については、これ を肯定するものの、その間成立した「独立行政法人通則法」が定めているとこ ろをそのままに適用するような形での独立行政法人への移行は、大学における 研究・教育にとって適当ではない、という考え方が、政・官・学界において、 ほぼ共通する認識となりつつあるように思われるのである。そしてこのような 状況の下、現在、国立大学協会を中心とし、各方面で、それでは、大学にふさ わしい独立の法人とはどのようなものかについての、具体的な制度設計が進め られつつあるところである。  ところで、このような制度設計が、独立行政法人通則法に対してどのような 特例を定めるものとなるにしても、いずれにせよそれが「独立行政法人」とい う制度の枠内で行われものである限りは、この制度の根幹を否定するような形 のものとはなり得ない。つまり、大学の自治、大学の自主性・自律性を強調す るあまりに、国の行政庁(主務大臣)からの一切の介入を否定する、というこ とになるならば、政治的には当然、それならば、国からの財政支出を前提とす る独立行政法人に止まるのではなく、民営化しろ、という話になるからである。 そして、こういった反応は、単に政権党である自民党がそう考えるということ ではなく、今日、納税者である国民の多数がまた採るであろう反応であること も、充分に認識しておかなければならない。・・・・  まず、国立大学が独立行政法人になるということは、民営化する、というこ ととは全く意味が異なる。・・・・従って例えば、独立行政法人化されれば、 地方国立大学の中には倒産するものが出てくるのではないか、といった疑念が 述べられることがあるが、右に述べたような意味において、独立行政法人には、 そもそも「倒産」ということはあり得ない。また、・・・「赤字が続く」とい うこと自体が、当然に廃止の理由となるものではない。・・・・しかし、先に も述べたように、問題はあくまでも、「大学」としての存在意義を明確にアピー ルできるか否かにこそ掛かるのであって、「赤字」の問題は、あくまでも、間 接的なものでしかない。むしろ、逆に、余りにも黒字経営に囚われるあまり、 商売上手で金が溜まり過ぎるといったことがあるならば、今度は、「民間の主 体に委ねた場合には必ずしも実施されないおそれがある」という要件をクリアー しないものとして、独立行政法人としての特権を失い、民営化の道を辿らされ るということすら、あり得ないではないのである。例えば、経営赤字を怖れる あまりに、ともかくも多数の学生を入学させることを第一義とし、徹底的にレ ジャーランド化した大学経営が行われるようなことになったとしたならば、そ れが、事業としては如何に大当たりしたとしても、それを民営化せず、依然と して独立行政法人として国の財政支出を続けるということの意味は、甚だ疑わ しいものと評価されることになるであろう。そして、こういったことこそが、 独立行政法人に対し、主務大臣が「中期目標」を定め、その達成度を評価しつ つ法人の存廃についても検討する、という独立行政法人の根幹的システムが持っ ている本来の意味なのである。 三 地方国立大学の問題 …… 地方分権推進との関係について ・・・・ 国立大学の独立行政法人化の動きに対しては、地方国立大学の中から、独立 行政法人化すると経営が困難となり、潰れるおそれがある、ということを前提 として、「地域に密接した高等教育機関は是非とも必要である」ということを 理由に、反対の声が挙がっている。また例えば、平成12年5月11日付の自 民党政務調査会「提言 これからの国立大学の在り方について」では、「国立 大学を「国立大学法人」に移行した後も、国土の均衡ある発展の観点から、地 方の国立大学が地域の産業、文化の振興などに果たして来た役割を十分評価し、 その維持強化を図るべきである」と述べられている(同8頁)。しかし、この 理由付けは、少なくとも理論的には、論者の意図とは逆に、地方国立大学不要 論に繋がることにもなりかねないように思われる。それはつまり、「地域に密 接した高等教育機関が是非とも必要」であるのならば、それは、公立大学のよ り一層の充足によって果たされるべきなのであって、それと並んで同一地域に 国立大学が存在する必要性はない、という議論をも招きうるからである。 ・・・・  ところで、従前のように、地方国立大学が、文部省という国の行政組織の一 部として、少なくとも建前の上では、国の統一的な高等教育政策を直接に担う ものとして位置付けられていた限りにおいては、恐らくは、右の基準の中の 「全国的な規模で若しくは全国的な視点に立って行わなければならない施策及 び事業の実施」の一環として、その存在意義が根拠付けられることになろう。 しかし今や、各国立大学が独立の法人として、その自主的な才覚によってそれ ぞれ固有の経営を行うこととなり、しかも、その存在意義が、地域に密接した 高等教育ということに置かれることになるとすると、公立大学と比較した場合 の使命・その必要性は、少なくともかなり不明確なものとなる。つまり、それ がどうしても国の出費によって行われなければならない事務・事業である、と いうことの説明は、それだけ困難となるからである。  尤もこのことは、仮に独立行政法人化せず、文部科学省の組織の一部として 残ったとしても、基本的に同じことである。・・・・  いずれにせよ、今後の地方国立大学の戦略的経営は、こういった状況を踏ま えて行われなければならないものとなることは、明らかである。つまり、その 独自の存在意義を主張しようとするならば、それは、地域密着性とは別の、教 育・研究内容自体の固有性と、そして、それが国全体の見地からして不可欠な ものであることを、各大学毎に、明確に主張するものでなければならないので ある。 四 公立大学及び私立大学の場合 1.公立大学の場合には、問題はいわば、右に見た地方国立大学の場合と裏腹 を成すものであるように思われる。  ・・・  そこで恐らく、地方国立大学及び公立大学について共通に言えることは、将 来において、何らかの形での両者の協力関係ないし提携関係(いわゆる「棲み 分け」も含めて)を、明確に確立することであろう。 2.私立大学の場合については、何よりも、国立大学(及び、場合によっては 公立大学も)の独立行政法人化によって、経営上の強力なライヴァルが登場す ることになる点が、深刻な問題である。・・・・仮に独立行政法人化が、その 狙い通りに成功した場合を考えるならば、一方ではこういった意味での機敏性 を備え、他方では、経営の基盤を確実に持った、まさに強力な競争相手が、ほ ぼ同質の平面ないし空間において登場することになるのである。もとより、先 にも見たように、独立行政法人化は民営化とは異なるから、そのことに伴う行 動の制限は、依然として無くなるわけではない。しかし、少なくとも、従来の 国直営の場合に比べれば、格段にその経営上の自由度が増すことは、否定でき ないのである。 五 将来の展望  さて、国立大学の独立行政法人化問題を機縁として生ずる以上のような状況 は、高等教育システムの在り方について、理論的に何を意味するか、を、再度 総合的に考えてみることとしよう。  何よりも明らかであることは、国立・公立・私立という三類型の相対化とい うことである。・・・・・国立大学を独立行政法人化するということは、言葉 を換えて言えば、高等教育は、公共上の見地から確実に実施されなければなら ない事業であるとしても、だからといって国が自らこれを行う必要はなく、国 は、必要に応じ、援助をすればよい、という発想に立つことである。・・・ おわりに  以上、現在進行しつつある国の行政改革、とりわけ、国立大学の独立行政法 人化ということを機縁として、大学の運営ないし経営に関しどのような課題が 生じているか、ということにつき、真に大雑把ではあるが、私なりの概観を行っ てみた。このようなお話で、本日の研修会で私に与えられた役割を充分に果た し得たのかどうかは、甚だ心許ないものがあるのであるが、ともかくも、これ でひとまず私の話を終えさせていただくこととしたい。 ---------------------------------------------------------------------- (発行者のコメント) 藤田氏は、独立行政法人化が、現在の政治状況で国大にとって唯一被害が少な い選択肢である、というこれまでの主張を現在の状況に則して繰り返すと共に、 独立行政法人化後に独立行政法人として生き残るための大学経営のアドバイス をしている。  論点の一つは、民営化ではない法人化は独立行政法人化だけだ、というこれ までの主張だが、独立行政法人化後に民営化が簡単に出来る点には触れていな いし、また、吉田氏[44-10-3]の言うような交付国債等の別形式による国家に よる財源保証の可能性についても言及していない。ただ、独立行政法人化後に は黒字なら民営化となるため、独立行政法人大学の経営が至難であることを指 摘している点は重要であろう。 なお、地方国立大学の地方移管の論理は、独立行政法人化するかどうかにか かわらず拒み難いことを説いているが、結局、地方移管を望む政治家にそうい う論理を用意していることにならないのだろうか。 ---------------------------------------------------------------------- [45-9-3]高木宏明「独立行政法人国立環境研究所に向けて」(2000.8) http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/3141/dgh/01/321-nies-1.html ---------------------------------------------------------------------- [45-9-4]「無機材質研究所の独立行政法人化と研究所の改革に関する提言と行動の記録」 http://www.geocities.co.jp/NatureLand/5014/nirim.html ---------------------------------------------------------------------- [45-9-5]■Yahoo 掲示板「国大独法化!」より「成果主義人事8年の成果」 2001年3月22日 午前 8時54分 http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=ED&action=m&board=1086166&tid=9qna9bga4nfhna99tc0afka1bfm2bda1aa&sid=1086166&mid=2650 朝日新聞(01年3月19日)より http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/010321fujituu.htm ‾‾‾‾‾‾‾ 「富士通が「社員のやる気を引き出し、競争力を強化する」とうたって、管理 職に成果主義を導入したのは1993年。その後、全社員にまで制度を広げ、 年功序列の要素を全廃した。  半年ごとに社員一人一人が目標を決め、その達成度を上司が5段階評価し、 賞与や給与、昇格に反映させるようにした。また、約5割の社員につけられる とされる「B評価(目標を下回った)」が2年間続くと、降格になる仕組みに した。...  しかしここ数年、富士通社内から、賃金制度の弊害を問う声が出てきた。  失敗を恐れるあまり長期間にわたる高い目標に挑戦しなくなったため、ヒッ ト商品が生まれなくなった▽納入した商品のアフターケアなどの地味な通常業 務がおろそかになり、トラブルが頻発して顧客に逃げられる▽以前は仲間で仕 事をカバーし合っていたが、自分の目標達成で手いっぱいになり、問題が起き ても他人におしつけようとするーー。...  今回の見直しでは、短期的な成果だけを評価の対象とすることをやめる。長 期的なプロジェクトや、結果的に失敗に終わった業務でも、どれだけ熱意をもっ て取り組んだかも考慮に入れるなどプロセスを重視した仕組みを取り入れる。  また、目標を達成した社員だから昇格させるのではなく、そのポストに適任 かどうかの資質も昇格の判断材料にするように改める。... 秋草直之・富士通社長の話  成果主義は1つの文化で、アメリカのような社会ならともかく、日本社会で 根付かせるのは難しかった。導入以来、試行錯誤の連続で部署によっては非常 にうまく機能しているが、現場では運用がうまくいかない面があった。評価の 仕組みをそれぞれの部署の実情に合わせ、日本型成果主義を定着させたい。年 功制に逆戻りすることは絶対にあり得ない。 ‾‾‾‾‾‾‾ 新しいことに試行錯誤は避けられない。富士通の努力は貴重だ。しかし、富士 通の苦い経験のもたらした知見はすべてが共有すべきことだ。人事院も文部科 学省も大学評価機構も諸大学長もよく富士通の社員・幹部等を交えて「日本型 成果主義」を模索すべきであろう。 」 ---------------------------------------------------------------------- [45-9-6]省庁再編および独立行政法人化に伴う国立研究所等の一覧(裳華房) http://www.shokabo.co.jp/keyword/labolist.html ---------------------------------------------------------------------- [45-10]■読者からの投書 広島大学の教官より(匿名希望) http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/3141/dgh/01/320-dgh-iken.html 「日頃の先生のご努力に対する敬意と、配信される情報への期待を表明させて いただきます。とくに、後者はいつも熟読しております。  現在、政府筋から推進されようとしている国立大学の独立行政法人化構想は、 当初は国家公務員の定員削減という行政のスリム化が引き金となって提起され ましたが、一方で大学への国家・産業界からの底深い要求が根底にもあり、マ スコミも巻き込んで、その流れは押しとどめられないかの如くです。しかし、 それらは一言で言えば、安上がりの技術力達成への期待感しかなく、それは明 治以来の「国家に必要な人材養成のための大学」の現代版でしかありません。 「知の世紀」と言われる21世紀を生きる人材の養成を担う大学への、国民の 期待に応えるものではありません。さらに、眼前に展開する未曾有の財政的危 機の中では、今まで以上に跛行的で、貧困な大学行政に帰結せざるを得ない。 したがってそれは、科学とはなにか、技術とはなにか、教育とは何かという、 大学の機能に関わる本質的な問いかけに答えられない姿にならざるを得ないと 思います。それは、皮肉にも、高度な技術力達成という行政者の願いにも反す る帰結を見ることは疑いありません。  極めて簡素な意見ではありますが、先生の発信される情報も含めた諸文献や、 私の接した内外の人々の意見を総合すると、今政府のやろうとすることは、効 率主義、競争原理、一点突破・大艦巨砲主義の3点に集約され、それを学問の 府に持ち込むことであり、結果として「大学の死」をもたらします。こんなば かなことをやっているところは、先進国にはありません。敢えて例示すれば、 アカデミックビジネスに走っているアメリカの一部「2流」大学の真似を、日 本の全ての大学に求めているだけの話です。しかしそのアメリカですら、しか るべき優れた大学には、アカデミックビジネスと一線を画した「知の共同体」 としての大学への確固たる姿勢が見られます。  先の3点の思想は同時に、日本の為政者とそれを支えるテクノクラート・ビュー ロクラットの哲学の貧困、また、依然としてその根底では基礎研究をおろそか にして技術導入に走ってきた産業界の焦躁の表現でもあります。彼らが日頃と なえている、「欧米に追い越せ式の明治以来のキャッチアップ型からの脱却」 が本当に求められるのは、彼らの側でありましょう。優れて国際的な数多くの 日本の大学関係者には、正当で健全な競争意識はあるとしても、もはや欧米に 追い越せ式の思想はありません。その人々に必要なことは、まさに効率主義、 競争原理、一点突破・大艦巨砲主義に彩られた官僚的な縦割り科学技術政策の 打破であります。  一方で、なぜこんなことを黙って日本の大学人が見過ごしてしまうか。これ も、日本の知識人への試練と思います。先の第2次世界大戦中に一部の科学者 たちが、研究者としてはハッピーだったと回顧するのと同じで、上からの独立 行政法人化構想に乗じて跋扈する人々には、その程度の浅い哲学しかないので す。  そもそもこのようになっているのは、大学にいるものが自分だけのことを考 え始めているからです。そうなったときの被害者は学生・市民で、我々は彼ら に罪を負うことになります。たとえば、大学の格付けに怯えて、博士課程の学 生を育成しすぎたらどういうことになるかのシミュレーションもしないで重点 化に安易に走り、大量のドクター/ポスドク、すなわち「行き場のない高学歴 失業者予備軍」を作って恥じないのはその好例です。「教員の任期制」は、さ らにその傾向に拍車をかけます。  つい最近に私はパリにいて、例の「ソクラテス計画」に支えられて、旧東独 のドレスデン工科大学からパリ大学のDCに在籍し、最先端の研究をしている 若者に会いました。確か1万円(100フランと言っていたと思います)に満 たない「入学料」のみが必要で、授業料は払っていません。旅費ももらってE U共同利用機関のイタリア・トリエステの実験施設で、翌日から3日間行う実 験の準備に余念がありませんでした。彼らに日本の大学院DC学生の実状を話 しました。どんな反応があったかは、ご想像の限りです。  私は、周りの若い研究者に、「この施策は10年と持たない。あるいはもう 少し長いかもしれないが、君たちが引退するまでには何らかのリアクションが あるはずだ、それに備えよ」といっております。彼らのためにも、きちんと意 見を言っておく必要があります。それは歴史の証言であり、後に必ず生きるも のです。」 ---------------------------------------------------------------------- ■発行の趣旨■  行財政改革の一環として、また、第二次科学技術基本計画実現の一環として、 国立大学独立行政法人化への期待が様々な方面から表明されています。現在、 文部科学省により、国大協の協力の下で国立大学法人制度(大学用の修正独立 行政法人制度)の設計が進められていますが、近い将来に民営化・第三セクター 化に接続する流れであるにもかかわらず、議事録を見る限りは、長期的大学構 想を真剣に議論することもなく技術的議論に終始しています。  日本社会における学術研究・高等教育の性格が大きな変動を迎えようとして いるのですが、日本経済の低迷に苦しむ日本の多くの人々には当然のことなが ら些細な問題としか映らず、大半の報道関係者も余り大きな問題があるとは考 えず、また、当事者である国立大学教職員の間には諦らめが広がっているよう です。しかし、今は、些細な差が大学の将来を大きく左右する臨界的状況にあ ります。教育・研究の現場にいる者は政治的には何の影響力も持たない存在で すが、事の経緯を注視し続け、教育・研究についての無理解・誤解に基づく施 策が決定されそうな場合には、関係者に思いとどまるよう説得することは、未 来世代への当然の義務でもあると考えています。  大学の抱えている諸問題の改善に少しでも資する方向に事態が進むことを願 いながら、資料や情報を提供していきたいと思います。意見・情報(新聞報道・ オンライン資料・文献・講演会記録等)をお寄せくださり、ご協力くださいま すようお願い申し上げます。 ============================================================================ 発行者: 辻下 徹 e-mail: tujisita@geocities.co.jp http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/3141/dgh/ 発行部数 1944 (2001.3.25現在)  Mag2:692|CocodeMail:346|Pubzine:84|Macky!:46|emaga:24|melma:20  直送(含北大評議員・国立大学長・国大協・報道関係・議員等):732 Digest版 発行部数 1652(北大),ML(he-forum,reform,aml,d-mail) --------------------------------------------------------------------------- End of Weekly Reports 45 ============================================================================
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