2004年10月31日(日) |1665471 visits since 2004.10.31 |AcNet Project

香田証生さんを偲ぶメッセージ集

[116] 世界のために、私たちが個々にできること。(JAPAN/香田君と同い年)2005-01-07 23:45:54

私は香田証生君を偲ぶメッセージ集の38番を記した者です。ひと言でも何か、ご家族を元気づける言葉を送りたいと思いながら・・・、タイミングを見計らっておりました。
私の記したメッセージなのですが、今読み返してみると、かなりまとまりが無く、恥ずかしい文章だな、というのが正直な感想です・・・読む側の方にとってはお見苦しいものだったろうなと、私なりに反省しております(ただし、口が悪いのはネイティブです)。

当時の私は、生存を願ってメディアに釘づけになっていました。しかし、新聞を見るたびに各方面の手際の悪さだけが際立ち、ネットの世界では流言と罵声が飛び交うのを見るにつけ、「なんなんだ・・・この国の人間のこの反応は・・・」と驚愕し、居ても立ってもいられず、香田証生君を偲ぶメッセージ集への書き込みを決意しました。ですので、今も気持ちは変わってはおりません。
ただ、その後、サイト管理人に、ご家族からのメッセージをいただき、それを読みながら、「きっと家族には私の想像できないほどの葛藤や苦悩があるのだろか・・・」と想像しながらも、そのメッセージには私に欠けていた冷静さを見ることができ、ある意味で、穏やかな印象を受け、一過性の情念に駆られ感情的になった自分をとても恥ずかしく思いました。

多くの人と同じく私が証生君を知ったのはメディアを通じてです。当然、会ったことも話したこともありません。しかし、不思議と、妙に親近感がありました。まるで以前に会ったことがあるような。さらに不思議なのは、これからも私の人生に影響を与えるのではないかと。どういう訳か、そう思えてなりませんでした。これは情報ネットワークが発達した現代の謎なんでしょうか。あるいは、証生君の持って生まれた才能なのかもしれません。しかし、単なる私の妄想として片付けてしまうには勿体無い、不思議な感覚でした。
その時、私はただ、インターネットを通じて想いを発信することしかできませんでした。もし自分に権力があったら・・・・・それも無いものねだりに過ぎませんでした。私はその時、完璧に無力でした。
だから、無いものねだりの一つや二つくらいしたくもなりました。私は付き合ってる彼女を連れて、近所の誰もいない高台の丘の上に立って、証生君の還ったであろう福岡の方角を遠くに見ながら、一つだけ心の中で自分の無いものねだりを開放してみました。

「僕が君にしてあげれたことはなんだろうか、僕にはわからない。ただ、僕は、君が危険な地に足を踏み入れる決意をしたときに、君の身を案じる、友人の一人でありたかった。」

この想いが、あらゆる概念を超えて証生君に届いていれば、とても幸いです。

後ろを振り返るのはこれくらいにします。私も、どうすることもできずに家族を失った経験があるので、後ろを振り返るばかりでは何も変わらないし、亡くなった本人にとっても本意ではないと思うからです。でも、人間には、後ろを振り返らずにはいられない時期だってあります。そんなときは思う存分振り返ってやるのが私の生き方なんです。こうして、形は違えども、きっと証生君は私の、忘れられない、大切な友人の一人になってくれるのだと思います。そして、この先、この経験を、戦争や飢餓の無い世界の実現に有意義なものとするため、まずは、私にできる活動を続けて行きたいと思っています。

最後に、現代という魔物の餌食にされた全ての人に、一刻も早く穏やかな日々が来ることを望みます。

NHK World (2011.2.1) Real Life Lessons
(日本・イラク間の小学校交流)
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Saleem visits Kouda family
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画家Maurice Loirand (1922-2008)(同夫人の詩人霜鳥和絵さんは「眠る詩人の木」の著者)のコレクションより:

La grande ferme