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香田証生さんを偲ぶメッセージ集

[158] 残された人達の気持ちは?(神奈川県)2005-03-30 21:16:10

 証生君の件について語る反戦の立場の人達の意見は、「自業自得」で誤魔化す人達よりずっと筋が通っていて人間的だし、正論だ。でも、そういう人達が「この事件を忘れるな!」と証生君を持ち出し、政治的発言や活動を始めようとしたら、どうしても反発を覚えてしまう。

 証生君のご家族は、小さなメッセージを寄せたり、幾つかの雑誌取材に簡単に応えた以外は、もやは何も語ろうとはしない。彼らは、むしろ一時的に「忘れたい」のではないだろうか。自分達自身が生きていく為に。

 亡くなった人の苦しみや恨みを、自らの内に抱いて生きていくのは、堪え難いほど辛い。そうした行為は、悲しみを代わりに背負った人の人生までも、醜く歪めてしまいかねない。その重みが、人格をどこまでも暗く変えてしまうことだってある。

 証生君の無惨な死の責任が誰にあるかなど、人の命がこんなに簡単に政治の道具にされる現実の酷さなど、家族にすれば分かり過ぎる程分かっているはず。それでも、あえて恨みを言わないのは、残された人達を守るためなのではないだろうか。
 証生君は、デモ行進の飾り付けやシュプレヒコールを上げる人々の口実ではなく、ジャーナリズムの一事例でもない。家族にとっては、それは情け容赦なく突き付けられた肉親の死であり、取り戻しようのない人生の欠落である。もはや取り戻しようのないものを取り戻そうと、底なしの深みまで追っていったところで、“失われた”という現実を突き付けられるだけだ。深い恨みだけを残して。そして大きな怒りに取り憑かれてしまえば、人はもはやこの先、どんな明るい人生も手に入れることができなくなる。

   それが分かっているから、あえて事件を追うのを止めたのではないかと思う。証生君のお兄さん、妹さんに、死んでしまった証生君の苦しみを背負って、そんな暗い道を辿らせたくはないから、もう言わないと決めたのではないだろうか。

 1人の青年の命を余りにも軽く扱った政府、バッシングの嵐を浴びせた人達、彼らの非情さを重々分かっていながらも、“あえて許す”と決めたからには、きっと、それを貫くと思う。
 家族の人達にとって、そう決意するには、心が壊れてしまう程の凄まじい葛藤があったと思う。でも、事件の現実を受け入れ、起こったことをあえて許そうと決めたことは、同時に、彼らの思想信条の全てを賭けた行為だったのではないだろうか。憎むのか、許すのか、その過程は、戦争うんぬんということを超えて、人としての存在全体を揺さぶる程の大きな試練だったと思う。

   ある個人のインターネットサイトに載った記述を読んだが(その情報がどこまで正確かわからない)、証生君の遺体が発見され、事態が絶望的な結末をむかえた時、ご家族は世間一般とは違う反応をしたそうである。
 知らせが入った時、一緒に付き添っていた神父さんに、「証生君は(地に落ちることで、初めて多くの実を結ぶ)ひと粒の麦になった」と言われた時、お母さんは泣きながら「そうなんです」と答えたという。
 後に「お礼と感謝」を述べ、一切恨みつらみを言わなかった彼女が、一体どんな気持ちでこんな答えを出したのか、きちんと察するべきだと思う。
 「香田証生」という名前は、振れば人とお金が集まる打出の小槌などではない。自分達の目的の為に振り回せば、残された近親者は忌わしい記憶に引き戻され、何度も傷付く。

   反戦が一番大切なことは分かる。でも、「一人も死なせない」とか、「すべての命が平等」といった美しすぎる言葉がどれだけ無力な幻想か、誰でも知っている。無邪気にそれを叫んでも、何かが起こった時、死ぬのは何故あの人達でなくて、この人達なのか、答えられない。社会や経済の形態が劇的に変化して新たな時代をむかえる時、常に大量の人間の死が伴うのはどうしてなのか、人の世の根本的な疑問を明らかにできない。大切な人の命の犠牲の上に、否応なく生きていかざるを得なくなる人間だっているのに。

   非難の言葉を一切口にしなかった証生君のお母さんは、仕事柄、理不尽な人の死にどういう意味があるのか、感覚的に知っていたのではないだろうか。
 証生君は自分を殺す人間の言い分を伝え、お母さんは自分達を精神的に殺そうとする相手にもお礼を述べた。あえて、そうする方を選んだのは何故か、又、人が人を犠牲にして生きざるをえないるのはどうしてなのか、知りたいと思った。

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わが友「香田証生君」の死から1年をむかえて(2005年10月28日四ノ宮 浩
画家Maurice Loirand (1922-2008)(同夫人の詩人霜鳥和絵さんは「眠る詩人の木」の著者)のコレクションより:

La grande ferme