[213] 日本国憲法への殉死(東京都/45才)2006-08-26 00:11:43
これは2004年11月1日に書いた原稿です。香田証生さんにあてたメッセージではなく、同時代の日本の若者に向けて書きました。趣旨と違っていたら、削除してください。このHPをお読みになられる日本の若者に読んでいただきたくて、投稿いたします。
「日本国憲法への殉死」
日本国憲法精神を体現するため、青年は自己責任でイラクに行った
イラクで武装集団によって人質となっていた24歳の日本人青年香田証生さんの遺体が発見された。実に痛ましいことであり、心よりご冥福を祈る。
香田さんを人質にとった武装グループは、48時間以内の自衛隊のイラク撤退を要求したが、日本政府が青年一人の命によって自衛隊をイラクから撤退させると、本気で思っていたのだろうか。
青年一人の命と任務についている千人の自衛隊員の去就は、けっして同じ重みではない。そんなことはこれまでのさまざまな人質事件からも明らかであるのに、どうして犯人たちはまったく罪のない青年を人質にし、殺してしまったのだろうか。イラクの国民のためにもならない、無益な殺人としか思えない。
青年を解放し、イラクの今日の姿をその目でしっかりと見てもらうことこそが、イラク国民と日本国民の将来のために最善であったのにと悔やまれる。
私は亡くなられた青年とは一面識もないが、同じ時代を生きる日本人として、彼の死の意味するところを考えてみた。
・ 対米敗戦国として共通の体験をもつイラク
そもそも香田青年は軽々しく観光に出かけたように言われているが、彼は今のイラク国内が危険であることを周囲から注意されていたのだ。それにもかかわらず入国したのは、面白半分の観光が目的ではなかったからであろう。
イラクと日本は、ともにアメリカとの戦争に敗れたという共通の体験をもつ。2004年のイラク社会を体験し見聞を深めることは、青年がまだ生まれていなかった大東亜戦争直後のアメリカ占領下の日本を疑似体験することになる。敗戦後、歴史を奪われた日本人にとって、今のイラクは失われた記憶を取り戻すための糸口になる。
2001年9月11日のニューヨークの世界貿易センタービル破壊テロは、なぜか1941年12月8日の真珠湾攻撃と重ね合わせて報道されていた。湾岸戦争のときも使用された劣化ウラン弾の残渣による体内被爆と癌患者の増大は、広島と長崎に落とされた原子爆弾の惨事に通ずる。そして、アメリカ式の民主主義がむりやり押し付けられる。
このように昨年3月にはじまったアメリカによる対イラク戦争と日本の大東亜戦争の間には、いくつもの共通点がある。一方、そこには明らかな違いもある。
ひとつは、イラクの国家主席であったフセイン大統領がアメリカによって逮捕されたことに対して、日本の裕仁天皇は形式的ではあれ、その地位を守ったことである。
また、戦争終結が宣言された後、イラクではアメリカ軍や対米協力者に対するゲリラ活動が今もなお続いているのに、日本では本土決戦が起きなかった。
これらの歴史の共通点と相違点を自分の目で見、自分の肌で感じることで自らの思考を深めようとする日本の若者が、自らの責任で、自らの命を張ってイラクに足を踏み入れることは、勇気ある行為として賞賛に値する。
そこで見聞きして、感じたことは、飽食と娯楽に不満を感じている日本の若者に、これからの自らの生き様について考える契機を与えてくれだことであろう。
・ 日本国憲法の平和主義を体現
今回の香田青年のイラク入りを、平和ボケした日本の若者の無謀な旅行であるかのような報道も一部見受けられた。たしかに無用心なところ、準備不足なところがあったかもしれない。しかし、実際にイラクに行って、テレビも新聞も伝えてくれないありのまま世界を自分の目で確かめようとしたのは、平和ボケから目覚めるための行動であった。
アメリカの占領政策があまりに巧妙だったから、テレビや新聞がけっして真実を伝えないから、日本の中にいると私たちは世界の現実を知ることができない。
イラクでおきていること、自衛隊のイラクでの活動に無関心なまま、お茶の間に座ってテレビの前で、何もせず、何も考えずに、青年の行動を批判している多くの日本人こそ平和ボケしているのである。
まもなく自衛隊は、より軍事的な活動を行うことを求められるかもしれない。そのとき、自衛隊の銃口が向けられるイラクの民衆の中に混じった日本の若者が、「イラクの民衆を撃つな。イラクの民衆には罪はない。イラクの民衆を、大東亜戦争に敗れた日本人だと思え」と自衛隊員に向かって叫ぶこと、これこそが戦後民主主義で教えられた平和を、体を張って実現することにならないか。生きておれば、香田青年はそのように行動したかもしれない。
日本人よ、平和ボケから目をさませ。自分の目で世界をみつめ、自分の頭で考え、自分の体を張って、国際社会の中で名誉ある地位を占めよう。
香田青年は不幸にして一命を落とされたが、彼がやろうとしたことは、文字通り日本国憲法の精神の実現であった。
(2004.11.1)