目次| I.独法化問題 (【I-1】 【I-2】) II.大学の現状について( 【II-1】 【II-2】 【II-3】) III.北大の諸問題について( 【III-1】 【III-2】 【III-3】 【III-4】 【III-5】 【III-6】【IV】全学への訴え
■III. 北大の諸問題について 【III-1】 現在、北大が直面している問題の核心はどこにあると思われますか。
阿部 和厚 教授
井上 芳郎 教授
太田原高昭 教授
小野江和則 教授
富田 房男 教授
中村 睦男 教授
福迫 尚一郎 教授
藤田 正一 教授
前出 吉光 教授
日本の大学が抱える共通の問題は別にします。 北大は、大学院重点化が完了しました。しかし、大学院の内容は重点化にふさわしい 内容にまだなっていません。重点化大学院を実質化することが求められています。こ こには多く問題があります。 大学院の教育体制では、学部での学士課程教育、大学院での修士課程教育、そして博 士課程教育のそれぞれのゴールとその教育方法(方略)との関係を明確に整理する必 要があります。大学院は教育体制であるといっても、研究体制と同体です。重点化し た大講座制が実質的に機能するように早急に検討することが必要でしょう。また、大 学院には様々な新しい形態も検討されます。とくに文系の大学院のあり方、新しい大 学院、ロースクール、ビジネススクールなども大きな課題です。大学運営に目を転じ ると、北大は、時代の変化に対応して様々な改革の動きがあり、さまざまな検討が活 発に行われています。しかしながら、これらが大学としての盛り上がりに欠けるきら いがあります。これは、多くの大学を訪問してみて、大きな大学に共通の問題である ことがわかります。中規模大学では学長、副学長、そしてそれぞれの役割を演じてい る要職の教員を中心にまとまりの雰囲気があります。中規模大学、小規模大学では、 大学で何がおこっているかが各構成員に伝わりやすいこと、そして、それぞれの人の 動き、役割がみえやすいことがあるためと思われます。北大の中で起きていること、 大学運営、教育、研究が適宜みえていく情報の共有が必要であると思います。とくに 大学運営は透明である必要があります。 ◇【II-3】の未来像とは逆の面を多くもった大学の気がします。

◇北大の歴史を見ると、必要に応じて学部を増設していったため、学部(部局)寄せ 集めの大学になってしまった。部局とは何か、教官組織と教育組織の関係など、今ま での部局単位の考え方から一歩出た考え方が必要です。丹保総長が常々主張されてお られるように、我々は総合大学とは何かを考える必要があります。

◇20年以上北大に勤務しましたが教官集団と学生集団の一体化が見られないことに ついては、寂しく感じています。体育館、プール、 課外活動施設その他もう少し学生を大切にした施設(教職員も利用できる)を整備す る必要があると考えます。

◇研究業績については、国立私立を問わず教官としての共通の義務ですのでこのアン ケートでも触れませんでした。

 対外的には独立行政法人問題への対応、内部的には一斉大学院重点化後の教育研究 体制の確立、そして北キャンパスへの展開に対するソフト面およびハード面の体制整 備。 重点化した大学院大学には、それなりの役割が期待されていると思いますが、北大人 全員がこのことに対して自覚しているとは思えません。また、各部局と総長を始めと する大学中枢との関係もあいまいです。良い意味での部局自治は、そもそも各部局が 形成された学問的背景を考えれば、もっと尊重されるべきと考えます。特に固有の教 育・研究の進展は、その道の専門家集団が揃っている、部局の意志を貫くことによっ て、始めて可能となると考えております。ただし、北大全体のバランス、個性などを 考えていく上で、部局のエゴ的権利主張が、しばしば障害となってきたことを充分自 覚べきでしょう。

研究所の教官の立場から云わせてもらえば、北大が大学の教育・研究に対する研究 所の役割に無関心、または冷淡な気がしております研究所は、高度な研究を推進し ていく上で、最も有利な組織形態を持っており、また多くの場合、大学院研究科の協 力講座となっております。研究科によっては、協力講座無しでは、成立しないケース も認められると思います。このような観点から、重点化大学における研究所の役割を 前向きに検討していく必要があると考えております。

 II-1と同じ。  北大は今、新しい研究対象の台頭、学生のあり方の変容、地域社会との関係、そし てついには設置形態も論議されるに至っております。これらの問題はいずれも難問で あり、従来の方式のみでは解決に到達しえないものも少なくありません。新しい課題 群には積極的に研究基軸を打ち出し、同時に基礎的研究は着実に蓄積を重ねる必要が あります。この両者をどのように両立させるかが問題に核心であり、そのためルール を変えていくためのルールを学術研究と高等教育の原則に立脚して、形成していく必 要があります。もとより万能薬的な新しい解決法は容易に見いだせるものではなく、 それは大学人の相互理解と討議のなかから生まれてくるものと考えます。 問題の核心という観点からは,本質は北大固有のものでは無く,先に申し上 げました日本の大学の問題と全く同じと思います. ・全国の大学が直面している問題(II-1)と大差ない。

・社会全般に言えることであるが、教官も学生も思考パターンが利益誘導型になって しまっている。損得勘定から言うべきことを言わないと言うことでは将来に憂いを残 す。
独立行政法人化にしても北大にとって有利かと言う発想よりも、日本の高等教育の 未来にとって有益であるかどうかと言う判断が優先すべきである。総長は単なる北大 の利益代表ではない。日本と世界、人と自然とのかかわり合いにおいて21世紀の日 本の教育をどうするかを他大学の総長とともに考えて行く立場にある。私は、例え一 時的には北大にとって不利であっても、そしてそれ故学内で批判を買おうとも、日本 の教育にとって有益である道を選び、決断出来るような人物を総長に選びたい。

・北大の精神を伝える人が少なくなってきている。
歴史をひも解けば、北大ほど個性と特色のある大学は少ないだろう。しかし、そこ に価値を見い出す人が減ってしまったのではないか。北大の伝統の継承と伝達がうま くなされないままになっている。北大は既に駅弁大学化している。125周年を期して、 北大の個性とは何かを歴史から学び、新しい世紀に生かして行く、新しい伝統の創設 を望みたい。

1876年、札幌農学校の初代教頭ウイリアム・スミス・クラーク博士は、札幌農学校の 開校祝辞で、「長年の間、東洋の国々を暗雲のごとく包んで来た因習と身分制度の暴 政からの素晴らしい解放は、教育を受けようとする全ての学生達の胸に高邁なる大志 を抱かさずにはおかない。」と述べ、明治維新の士農工商の身分制度の廃止と封建制 度からの解放により、人々が自由を獲得したことは実に素晴らしいことであり、学生 達の胸におおきな夢を持たせるものであることを述べた。

 クラーク博士は来札の10年程前、南北戦争の北軍の大統領リンカーンの呼び掛けに 応じて、自ら志願して、奴隷解放のために参戦した。南北戦争当時の北部アメリカは 独立宣言の精神が大いに発揚した時代であった。そしてその独立宣言には、自由、自 主独立の精神と、人間の平等が唱われている。アメリカ独立戦争を戦ったマサチュセッ ツ州出身のクラーク博士はこの独立宣言の精神的影響を強く受けていた。だからこそ 奴隷制と戦い、明治維新の身分制度の廃止を高く評価したのである。「自由は学問と 道徳の偉大な生みの親である」とはアメリカ独立宣言の起草者トーマスジェファソン の言であるが、クラーク博士もまた、「自由が教育を受ける学生の胸に大志を抱かせ る」という意味の言葉を語り、教育を施す上で最も重要な学生の意欲(大志)は、因 習や階級制度からの束縛の無い自由な環境より生まれるものであることを指摘し、維 新の改革を評価した。博士はアメリカの独立宣言に象徴されるような民主主義を札幌 の地で、日本の教育に持ち込んだのである。

 戦後の1952年5月26日、当時の東京大学総長 矢内原忠雄博士は「大学と社会」と 題した東京大学五月祭の挨拶で、「明治の初年において日本の大学教育に二つの大き な中心があって、一つは東京大学で、一つは札幌農学校でありました。この二つの学 校が、日本の教育における国家主義と民主主義という二大思想の源流を作ったもので ある。大ざっぱに言ってそういうふうに言えると思うのです。」と述べている。博士 はさらに、「・・・日本の教育、少なくとも官学教育の二つの源流が東京と札幌から 発しましたが、札幌から発した所の、人間を造るというリベラルな教育が主流となる ことが出来ず、東京大学に発したところの国家主義、国体論、皇室中心主義、そう言 うものが、日本の教育の支配的な指導理念を形成した。その極、ついに太平洋戦争を ひき起こし、敗戦後、日本の教育を作りなおすという段階に、今なっておるのであり ます。」と続けている。

 大学教育をはじめとする教育の自由を国家権力が掌握すると、一歩間違えば国をと んでもない方向に導いてしまう。こうした経験と反省から、戦後の教育には、クラー ク博士がもたらし、内村鑑三や新渡戸稲造によって育てられた札幌農学校の民主主義 的教育の思想が、新渡戸稲造の弟子たちがその制定に多数加わった教育基本法のなか に生かされている。 戦後、昭和20年から27年にかけて、内村鑑三や新渡戸稲造から強い影響を受けた 前田多門、阿倍能成、田中耕太郎、森戸辰男、天野貞祐らが相次いで我が国の文部大 臣となり教育の改革にあたっている。明治初期に札幌の地でクラーク博士が蒔いたリ ベラルな民主主義的教育の種は、70年後、太平洋戦争を経て始めて開花したのである。

このような歴史的背景を持つ北海道大学は、国立大学としての125年をどう評価し、 今後の国立大学の取るべき道をどこに定めるかを明確に提示し、大学のあるべき姿を 主張すべきでありましょう。

札幌農学校以来の伝統の上にあぐらをかき、北海道内唯一の総合大学(旧 帝国大学)という地位に安住してしまっていること。
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■III. 北大の諸問題について 【III-2 合意形成システムについて】
学長のリーダーシップ強化が法的に決まり、北大では総長室が新設される予定と聞い てますが、北大における合意形成や意思決定方法に関する考えをお聞かせ下さい。例 えば、教授以外の教員や職員、学生の大学運営参加に関してはどのようにお考えでしょ うか。
阿部 和厚 教授
井上 芳郎 教授
太田原高昭 教授
小野江和則 教授
富田 房男 教授
中村 睦男 教授
福迫 尚一郎 教授
藤田 正一 教授
前出 吉光 教授
 機構が複雑化し、課題が多様化し、柔軟で迅速な対応が求められるこれからの大学 では、学長を頂点とするピラミッドの強化では対応できません。できるだけ現場と直 結した階層の浅い機能的組織の並列的集合が必要となると考えます。各機能体の横の 連携が迅速に容易にできる機構も必要でしょう。各機能体はそこでの意思決定も可能 とすることになるでしょう。また、様々な変化に対応できる流動的機能体も重視され るでしょう。ここでは機能主義、能力主義が重視されます。各構成員も機能体の現場 で能力を発揮することになります。様々な場面で、肩書きよりは能力によって人材が 起用されるでしょう。また、機能中心であれば、教員のみならず、職員が重要な仕事 をする場面も出てきますし、機能体によっては学生の参加もありえます。ここで重要 なことは、これらの運営の透明性、情報の迅速な流通、組織の階層に関係しない水平 的な情報の流れ、各構成員に常に情報がとどくことです。各構成員は、全体のなかで どんな役割を担っているかを常に把握していることにより、機能的活性化が生まれる と考えます。ここでは、誰が何をしているかがわかる透明性は当然となります。 ◇教授以外の教員や職員、学生から意見を聴取する仕組みを整備する必要があると考 えています。しかし、国立大学の法規の上で教授に責任がある以上最終的には評議会、 部局長会議、教授会で意志を決定することになります。教授会を解体して、助手を含 めた教官の選挙による運営を試みた例も経験していますが、責任の所在が不明ゆえ、 完全に失敗しています。

◇新しい大学の形態を考えるとき、総長、評議員、部局長の選考方法や教授をはじめ とする教官人事の方法について議論を深める必要があるでしょう。

◇意志決定に関与するためには、大学に対する自己責任と、時によっては、自らの痛 みを覚悟する自覚も必要があります。

◇ネットワークによる意見聴取などは簡単かもしれません。私は教授以外の教官、学 生のネットを通じての要望について出来るものは実施してきました。

 独立行政法人問題への対応のように「北大の意志」を問われる場面がますます増え てくる中では、それにふさわしい体制が必要なので、総長室設置等の措置については 了承しています。ただしそれが部局自治の空洞化につながってはならないので、評議 会では旗本政治にならないように」との注文をつけておきました。

この点では昨年6月の全国農学系学部長会議の声明が、部局自治を土台にした「ネッ トワーク型合意形成」を提言しているので参考にしていただきたいと思います。

大学構成員の参加については制約が多いのですが、農学研究科では拡大教授会の積 極的開催のほか、独立行政法人問題についての職員への説明討論会の開催等の努力を してきました。

特に大学における直接民主制に対しては、私は否定的な考えを持っています。 科学・ 文化の醸成は、多様な個性の発露によって、始めて可能になります。ただし、大学の 組織論的な問題については、より多くの意見を聞き、これらの上に立って、責任ある 意志決定機関が最終的な判断を下すシステムが必要と思われます。このことに付随し て、大学の意志決定がどのようなメンバーによって、どのようなプロセスで行われた のかを公開していくことも重要です。北大において、この方向の動きが進められつつ ありますが、おおいに結構なことと考えております。  総長室は、4月から新設されることになりました。また、副学長3名体制も平成13年 度に実施されます。総長室は、事務組織と連携しつつ、全学的事項の企画・立案およ び調整に当たるものです。総長室と既存の大学管理機関との関係は、概ね次のような ものになります。即ち、総長の指示を受け、総長室において所管の事項について企画・ 立案して部局長会議に提案し、評議会のにおける審議を経て総長が最終決定を行う。 このことによって、各部局の考え方は、より直接的かつ速やかに大学の意志決定機構 に届き、意見の反映は、より具体的になるでしょう。そして、大学コミュニティにお ける多元的価値の保証を適切に反映させた意思決定ができると考えています。詳しW Gの報告書を参照ください。 社会の要請に大学が全体的に応えるために総長が適切に企画調整にあたることは重 要で>あり、それを補佐するために総長室が設置されることには意味があるといえま す。しかし同時に、大学の存在基盤が研究者の自由に基づく部局自治の原則にあるこ とを忘れてはならないと考えます。事務職員は教育研究の条件を整備し、これを補佐 するのに重要な役割を果たしております。事務職員の専門性を高めることは益々重要 な課題になると>思います。学生については、学生の声が聞こえてこないことが気に なります。学生の自>治能力を高める方策が必要と考えます。 大学に限らず,代議制をとっている組織では,基盤にある小組織の合意や意 志を積み上げていって,全体の合意とするものであります.

大学の場合は,研究室の合意から講座,専攻,部局というように全体の合意を得てい るはずです.
その場合,最も重要なことは,代議者は自分が属する組織の意志を会議において正し く明確に全体に伝え,また,議論における情報を正しくフィードバックすることです.

このことが正しく行われていればよいのですが,もしも,各人が代議者任せで問題に 関与せず,代議者もその情報を正しく伝えることを怠った場合,「自分の知らないと ころで上の人間が勝手に決めている」ということになります.

北大は評議会という代議制をとっています.評議員は各部局で選挙により選出される 代表者です.
代議制をとっている限りは,ワンマン社長がすべての経営責任を負ってトップダウン で運営される会社とは全く異なると思いますし,私はたとえ法的に総長の権限強化が なされても,それは総長としての責任の重さが増したととらえ,あくまで評議会を尊 重して行くことが大学の自治であるべきと思います.

 北大の総長室の設置は学長のリーダーシップをスムーズに行うために設置されたと は限らない。総長の独走を防ぐ機能もあり得る。さらに、今までは総長の他は、事務 局長をはじめとする文部事務官がいわば大学の執行部であった。副学長、総長補佐、 総長室と、総長を囲む教官組織が出来たことで、大学の行政に教官の意志が強く反映 される体制になってきたと言える。これはむしろ好ましいことではなかろうか。また、 見識ある総長であれば(そうでなければ困るのであるが)自分のイエスマンばかりを 総長室の委員とすることはないでしょう。

北大における合意形成や意志決定方法:
 重要事項は総長が部局長会議で部局長に部局での審議を依頼し、部局長は部局での 審議結果を部局長会議に持ち寄って審議し、さらに評議会にて審議し、合意形成に至 るのが従来の方式です。この方式の欠点は、決定権者が部局での論議を直接に聴くこ とが出来ないことです。重要事項の審議には、直接”民の声”を聴く公聴会があった 方がよいと思います。さらに、総長室はネットで直接”民の声”を聴くことができる よう、解放されていなければなりません。

教授以外の教員や職員、学生の大学運営参加:
 欧米の大学では、大学の構成員は教員と学生であるとの認識から、学生代表が大学 の意志決定機関にも参加しているところが多い。選挙権を持って国政にも参加できる 学生が大学構成員であるにも関わらづ大学運営に全く参加できないのはおかしいと言 うことでしょう。欧米の大学では学生の年令に大きな幅があり、かなりの年令の学生 が学生代表を勤めていることから、マチュアーな発言が期待できることもあるでしょ う。北大でも大学運営のかなリの部分(意志決定機関を含む)で、学生代表の参加を 要請していい。かといって、教官人事にまで学生が参加するのは日本の大学の民主主 義の成熟度から言って時期尚早であろう。教授以外の教員や職員の代表も大学運営に は積極的な参加が望まれる。

大学運営に、教職員や学生が何らかの役割を持って参画することは重要と 考えますが、意志決定と、その実行が迅速になされる仕組み、たとえば総長室の強化 等が必要です。
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■III. 北大の諸問題について 【III-3 情報公開について】 本年4月から情報公開法が施行されますが、学長裁量経費を含む大学財政や運営の 透明性をどのように確保されるお考えですか。
阿部 和厚 教授
井上 芳郎 教授
太田原高昭 教授
小野江和則 教授
富田 房男 教授
中村 睦男 教授
福迫 尚一郎 教授
藤田 正一 教授
前出 吉光 教授
これは上記の内部への情報の透明性の確保を前提とします。これにより各構成員の共 通の理解がえられる中で運営されます。また、学長裁量経費を含む大学の財政のふり 分けは、北大としての方向づけの他に、公正な競争でも行われるでしょう。たとえば、 完全にブラインドでの審査もありえます。そして、総長経費による事業や成果につい ては、学内での発表会も必要でしょう。こうして、学内の雰囲気をもりたててい一方、 様々な情報があります。とくに、大学の機能の中心からみると、教育と研究に関わる 情報発信および広報活動はとくに重要です。北大が北大らしいことが、社会に受け入 れられなければ、北大らしいということはないのと同じです。よい学生の獲得、政府 や社会からの様々な予算の獲得のためには、専門分野の閉じられた社会のみならず、 一般社会へ理解される形での発信(情報公開)が重要です。北大は、全国の大学のな かでも、情報(IT)は先進的と評価されています。新しい情報時代をむかえて、北大 の情報の力を、放送講座の実績もいれて、発展できると考えます。また、すでに述べ ましたように、大学運営でも情報は重要な役割をはたすことになるでしょう。 ◇運営の透明性といっても、財源に関しては現在校費はすべて部局に配当されており、 大学全体を対象とした財源は総長裁量経費しかありません。この財源は総長の見識を もって運用するべきものとされているので、透明にすべきものは今のところは、「学 内共通経費」が適切に使用されているか否か、くらいしかありません。

◇これらは全て部局長会議、評議会の審議の過程で説明ができる。また、大学全体の 事業自体も、財源が今のところ無いから、概算要求に向けた議論だけである。これは 部局長会議等で明らかにされており、不透明であるとは感じていない。

◇議事録など公開されていきますので運営の透明度は高まると思います。

◇現在の運営の仕方では透明性を持たせるとしたら、概算要求事項が大学内での意見 を集約したものであるかどうかが問題である。

 学長裁量経費を含めて大学財政については、公費である以上、公開するのが原則だ と考えます。 運営の透明性確保は、リーダシップ強化においては、欠くことの出来ない条件と思い ます。これまで、北大の概算要求の決定法、結果については、我々は全く蚊帳の外で した。ただし、すべての中央経費について、縛り的な制度によって、リーダーシップ を抑制することは、特にスピードが求められる種類の事項については、良くないこと と思います。いずれにしても大学中枢における、意志決定についての情報公開も、制 度として早急に取り組むべき課題と考えております。   総長室は、4月から新設されることになりました。また、副学長3名体制も平成13年 度に実施されます。総長室は、事務組織と連携しつつ、全学的事項の企画・立案およ び調整に当たるものです。総長室と既存の大学管理機関との関係は、概ね次のような ものになります。即ち、総長の指示を受け、総長室において所管の事項について企画・ 立案して部局長会議に提案し、評議会のにおける審議を経て総長が最終決定を行う。 このことによって、各部局の考え方は、より直接的かつ速やかに大学の意志決定機構 に届き、意見の反映は、より具体的になるでしょう。そして、大学コミュニティにお ける多元的価値の保証を適切に反映させた意思決定ができると考えています。詳しW Gの報告書を参照ください。  一般論として、大学財政であっても国民の税金が支出されているわけですから、説 明責任(アカンタビリティ)を高めていくことが必要です。学長裁量経費についても 同様ですが、さしあたり、研究費の配分等について透明化を図るべきと考えます。 回答: 情報公開は,社会の要求として当然行われるべきであり,大学においては個 人のプライバシーや研究の必要性から公開出来ない情報以外,とくに,会議等で議論 された内容などはすべてオープンにされるべきであると考えますし,また,その方法 はいくらでもあると思います. ・ホームページや広報誌で積極的に公表

・学内有線テレビ放送局を設置して、積極的にこれらの情報や今問題になっている問 題の問題点等を流すようにしてほしい。特に、部局長会議や評議会の議事の様子を実 況中継することができる様にしてほしい。

予算・決算の審議を、評議会、部局長会議において十分尽くすこと、その 結果を教職員に周知させること。
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■III. 北大の諸問題について 【III-4 教員の身分制度】
教員の身分制度、特に助手の実態をどのようにお考えですか。また、教員に対する 任期制導入についてはどのようなお考えをお持ちですか。
阿部 和厚 教授
井上 芳郎 教授
太田原高昭 教授
小野江和則 教授
富田 房男 教授
中村 睦男 教授
福迫 尚一郎 教授
藤田 正一 教授
前出 吉光 教授
学位をもち、教育も担当し、研究チームのリーダーを行っている助手も少なくありま せん。しかし、北大全体からみると、助手といっても、実体は様々です。同一には論 じられません。ここでは、教員の総合評価が正しく行われることが必要であり、これ により待遇改善に結びつくと考えます。 米国で任期制が一般的であるといっても、日本の社会的現状では、任期制導入には慎 重を期する必要があると考えています。点検評価委員会で行っている研究、教育、管 理運営、社会貢献を入れた総合評価は、まだ、データの開示程度です。これは、各分 野の特徴を踏まえて、大学にとってどれだけ役に立つかの基準をいれると、任期制の 判定に耐える評価が可能でしょう。しかし、まだ、各大学の個性化が明確でない現状 では、社会的に問題が多いとみなされます。 ◇助手は出来ればポスドクを経験した(少なくとも博士課程を修了した)、自ら研究 し、教育研究指導できる教官と位置付ける必要があ る。医学研究科では概ねその扱いになっている。

◇雑用係として助手を任用してはならない。

◇再任制度をつけるにしても、全教官の任期制導入に賛成であるが、人事の流動性を 確保するためには国大協で一斉に取り組む必要があ る。

農学研究科では、助手会が恒常的に活動している関係で、助手会の申し入れにより部 局長会議等で発言する機会が何度かありました。その中で「助手の英文表記」の問題 が未解決の問題として重要だと思っています。現在北大ではInstructorで統一してい ますが、農学部助手会はAssistant Professorが妥当としています。私は部局によっ て実態の開きが大きいので、大学一本の呼称でなく部局にまかせよと主張しましたが、 いまだ改善されていません。国際協力課の調べでもInstructorで統一している大学は 5校しかなく、完全に時代遅れになっているので、いずれ是正されるでしょう。

呼称の問題だけでなく、助手制度そのものを見直さなければ、とくに大学院重点化 後の教育研究はなりたちません。この点については丹保総長が国大協での責任者であ り、任期中に抜本的な提案をすることを約束しておられるので大きな期待を持ってい ます。

教員の任期制については反対です。これはどこかの思いつき的発言を無批判に取り入 れたものであり、教育研究の向上につながる何の根拠もありません。

助手は、教育・研究の有力な担い手であったにもかかわらず、その立場は弱いもの であると認識しています。何らかの改善が必要と思います。ただ、大学助手の教育・ 研究に対する役割が、学内一律ではないことは、この問題を複雑にしている側面とし て考慮すべきでしょう。任期制については、日本の大学が一律に導入し、流動性が充 分に確保されれば、良いことと考えます。現状で、先の見えない不安定なポジション につく、有能な若手研究者が多数いるとは思えません。重要なことは、終身雇用制に よってこれまで北大でどのような不都合があったのか、あるいはなかったのかを我々 自身で検証することだと考えます。 教育公務員特例法によれば助手は教員に準ずる教官であり、一般には独立して教育の 責任者になれません。従って、原則的には講義はもちろん演習についても単独で担当 できないのです。20〜30年前ならば学部卒業後、直ちに助手として採用され、多くの 場合に学位を目指す研究を同時に進め、教育と研究のキャリアーを安定した地位で積 むことができました。しかし、今日のように大学院を出て助手になることが一般的に なってくると、学位をもった人間をどう扱うかが問題となります。「PD一万人計画」 が現実になると、現在の助手(現在国立大学には約1万8千人助手がいる)の半分以上のDCとPDが生まれてく または講師となるのが普通の考え方となるでしょう。もちろん研究教育を支援する職 員は、上級技官(研究技官)として高度の専門職の系列に置くことで、技術職員のグ レードアップとかねた処遇を考えるべきでしょう。

任期制の導入について

 この制度にも長所と短所があります。長所としては、(1) 意欲の低い教員の怠慢に 活を入れる、(2) 競争原理の導入、(3) 流動性の向上があげられます。一方、短所と して、リストラにつながる。従って、この制度の導入と同時に、失職のリスクに見合 う報酬を支払えるシステムが、必須となります。
 任期制の運営には、(1) 評価の透明性、公平性、(2) 慎重な議論、(3) 教育政策の 確立が必要です。また、任期は、大学で決め、再任も大学の判断でなされることが必 要です。
 任期制度の導入に併せて、定年制の廃止も検討すべきでしょう。人の能力は、物理 的な年齢とは相関しません。廃止すれば、能力の高い人に北大の発展にもっと寄与し てもらうことも可能となるでしょう。一方、現行システムのように、定年まで勤め上 げないと退職金額が大きく変わるような制度も廃止されるべきです。

助手のあり方は部局によって多様ですが、自立的研究の環境を整備することが大切 です。任期制については、教授についていえば、社会との交流やプロジェクト研究等 の推進にとっては有用ですが、教育研究の継続性を損なうような制度は大学になじま ないと考えます。 教員の身分は,私自身は階層ではなく,教育や研究に対する責任と役割の分 担であると考えておりますし,教育や研究に対しては教授,助手の区別無く対等であ ると思います.
全学では,皆さんが様々な状況のなかで教育・研究のためにご苦労されておられると 思いますし,「助手の実態」という言葉でひとくくりにできることではないと思いま す.

私が担当させて頂いております分野では,助手は給料をもらっている博士課程学生で あるという認識であり,彼もしくは彼女らは,助手として学生の指導を手伝いながら 自分の研究・論文作成を行い,学位を取得して新しい道を見つけるというのが共通の 了解事項です.また,学生に最も年齢の近い立場で彼らを親身に指導してくれるとい う,最も重要な役割を担って頂いております.

たとえば,制度として助手を無くするということが,学生を身近で指導するというよ うな重要な役割を無くする事では困りますし,私は特に教育に対する役割として重要 かつ必要なもので,簡単に無くするようなものではないと思います.

任期制の導入は慎重に行うべきだと思います.教員の任期制が教官の意識の向上に寄 与するのであれば良いのですが,任期更新のための評価と業績に気をとられ本来の仕 事がおろそかになるような本末転倒では困ります.また,本来教育や研究の成果が, 1年や2年で評価できるものでしょうか?

どのような制度を用意しても,それが人間の行うことですからどこかに綻びや漏れが 出てくるのは避けられないことです.それをさらに制度で何とかしようとしてもうま く行かないのは歴史も証明していることです. 結局はそれを行う人間の問題に帰着するのではないでしょうか?

 助手廃止論が盛んであるが、若手のパーマネントポジションがなくなると言うこと を十分警戒する必要がある。助手が教授に隷属するリジッドな講座制が問題であって、 助手と言う若手対象の職が悪いわけではないのではないか。助手と言う研究者が、独 立に予算を取得、使用でき、自分のすきな研究を遂行出来るのであれば、若手のパー マネントポジションとして好ましいものではないだろうか。助手のポジションを廃止 すると、大学のパーマネントポジションが教授・助教授・講師のみとなり、助手に変 わる若手として、ポストドクを採用することとなり、事実上の若手研究者の任期制に なってしまう。助手廃止論は文部省内にもあると聞くが、待遇改善や講座制の見直し を検討する必要もある。助手の先生がたと意見交換したい。

大学の教員の任期制は息の長い研究は出来ず、また教員の帰属意識も薄れ、業績をあ げることの必要性から、教育面での努力もおろそかになる。教育研究上好ましい効果 は少ない。

助手制度には一長一短があり、直ちに廃止すべきとは考えませんが、学位 を有し、教育研究業績を上げている助手は速やかに、教育義務を有する講師に昇格さ せることが必要です(そのための概算要求をすぐにでも始めるべき)。また、「助手」 の名称は時代に合わないので、学内的には「講師」と呼称(学長を総長と称すごとく) すればよい(これは学内措置として、すぐにも実現できると思います)。任期制につ いては、教育研究の活性化のために教員の「任期付ポスト」を増やすことが必要です。
目次| I.独法化問題 (【I-1】 【I-2】) II.大学の現状について( 【II-1】 【II-2】 【II-3】) III.北大の諸問題について( 【III-1】 【III-2】 【III-3】 【III-4】 【III-5】 【III-6】【IV】全学への訴え
■III. 北大の諸問題について 【III-5 北大の改革について 】
北大における全学教育、学部一貫教育、重点化された大学院の教育をどう評価され ていますか。また、大学院重点化に伴い大量に増加した大学院生が、各々の研究分野 での定職を得難くなっている現状について、どのようにお考えですか。
阿部 和厚 教授
井上 芳郎 教授
太田原高昭 教授
小野江和則 教授
富田 房男 教授
中村 睦男 教授
福迫 尚一郎 教授
藤田 正一 教授
前出 吉光 教授
 入学してから進路をきめるという教養部を廃止して、入学時から学部をきめる学部 一貫教育を選んだことは、いろいろな矛盾を含んでの選択でした。いまここで、あれ は間違いだったと批判してもはじまりません。現在は、この体制の中でさらに問題点 を改善していくことが必要と考えます。一方、大学院重点化も同様の問題を抱えてい ます。日本の現状で教員数の増加のないまま、それまでと同様の教育を要求される学 部教育の学生数に加えて、さらに多くの 大学院生の教育を担当することになりました。大学院教育では、マス教育よりは、個々 に対応する教育が求められます。教育負担の増大にかかわらず、教員の増加はありま せん。ここに大きな矛盾があります。北大では、学部教育、大学院教育の質、効率を あげ、真に実力のある卒業生をだすことを考えます。また、人数の多いことで、研究 の効率、能率、質を上げたい。これが、よい大学院教育にも結びつくと考えま ◇総合大学としての観点から、全学教育は現在のところシステムとしては評価すべき ところがある。これを学生のためによい方向に運用するには全ての教官が「専門家に よる非専門教育」という教養教育の原点を持つ必要を感じる。

◇学部専門教育、大学院教育においても部局間の垣根を越えた柔軟ななカリキュラム 設計ができる体制を作りつつあることは評価できる。 しかし、ここでも教官の教育に対する視点が重要な課題になっている。我々は国立大 学は高水準な研究成果を期待されているとはいえ、 教育機関であることを明確に意識すべきである。

◇大学院修了者については、受け入れ社会の問題もあるが、逆に大学院にしか進学で きない学生を学部教育で作ってはいないか、大学院では社会の要請に応えられない応 用の利かない専門特化した教育・研究しかしていないか、検討すべき点もあると考え ます。

私は世代的に、かつての制度に郷愁を感じている一人ですが、今は現在の制度をより よいものにしていくことが大切だと考えています。その点で北大の全学教育が、たと えば一般教育ゼミが質量ともに全国的に抜きんでたレベルにあると評価されているこ となど、大変な努力によって支えられ成果を上げていることを正しく評価しなければ ならないと思います。学部一貫教育は、それなりの理念に基づいて発足したのですが、 受験戦争の現実の中で「複数志願制度」が維持し得なくなるなど、矛盾をはらんでい ます。入試制度はその都度改善しながら、長期的には次項の将来計画について議論し ていく必要があります。 重点化された後の大学院教育は、大変な努力をはらって皆で支えているのが実態です。 この点でも助手制度を見直して教育スタッフとして正式に位置づけることが急務となっ ています。

学位取得後の就職問題は、大学、研究機関だけでは間口減がさけられません。社会 のより多くのところに修士、博士のニーズを広げていく大学側の積極的な働きかけが 必要になっています。社会人入学制度をそうした戦略的な位置づけで活用していくこ とも大切です。

大学院教育については、全くお寒い状況と云わざるを得ません。これは重点化前と ほぼ同じ教官数で学部教育と大学院教育をまかなわなければなければならないという、 純粋に物理的な事情と同時に、個々の教官の意識改革が進んでいないためと思われま す。専攻によって事情は異なると思いますが、一人の教官が10人もの大学院生を教 育する大学院研究科も存在します。今後、大学院の指導教官については、もう少し柔 軟な制度を設計する必要があると思われます。遺制研では、 今年度から遺制研を中 心とする大学院共通講義を立ち上げますが、 もっとシステマチックな体制を構築す る必要があると考えております。  まだ十分に改革されたとは思っていません。今後の考え方のたたき台を未来戦略W Gで検討中であり、私はその座長を務めています。このWGの検討結果は、昨年末に報 告書として全学に出されています。これからは、これをたたき台として、積極的な全 学的な議論検討を行い、それらを基にして改革を進めていきたいのです。

現在の日本経済の状況は、厳しい状況にあり、大きな予算を使っての改革は、難し い状況にあることは理解しています。残念ながら、うまい解決策には至っていないの ですが、建学の精神にも照らし、北大が世界に羽ばたけるようにと考えています。ま たもっと起業家が生まれる仕組みも考えたいのです。

全学教育については、教養部の廃止によって初年次学生をケアする教官集団がなく なったこと、また、教育を実施する責任主体が曖昧になっていることが気がかりです。 従来の教養担当教官を引き継いだ責任部局が責任主体になって全学が協力するシステ ムを改めて確認する必要があります。大学院重点化を踏まえて、学部専門教育および 大学院教育にあっても、総合大学の特色を生かして、学部・研究科の壁をこえて共通 化を推進して行くべきと考えます。大学院生の就職については、研究職はもとより新 しい多様な進路を開拓するよう大学および教員の努力が求められます。 全学教育,学部一環教育,大学院重点化などその推進をお手伝いしてきたも のとして申し上げますが,その時点では皆の合意で最良と考えて行ったことでも,完 璧はあり得ないということです.先にも申し上げましたが,教育に対する効果の評価 は1,2年で出来るものとは思いませんので,これらの成果がどうかはいまのところ 申し上げることはございません.ただし,すでに重点化や学部一環教育にたいする反 省点も出てきていると思います.
 重要なのは,このような教育の根幹に関わる制度の改革ですから,十分な時間をか けた議論を経て行うべきで,やや急ぎすぎた感があることは否めません.

重点化により大学院生が急増したことは事実と思いますが,そのことと就職難の問題 は直接の関わりは無いように思います.

全学教育、学部一貫教育:
 教養部における教養教育を排して、全学支援体制で全学教育が始まった。同時に、 入学者を学部単位で受け入れる制度になったため、多くの学部が専門教育を前倒しし はじめ、一般教養教育が縮小され、ゆとりの無いものになった。もとよりゆとりの教 育とかで、狭い範囲の勉強しかしてこなかった高校卒業生を受け入れ、教養教育も狭 い範囲で、早々と専門教育を施す方針には、落とし穴があった。自分の専門以外には 見向きもしない視野狭窄を起こしている学生が増えたのである。多様な事象を有機的 に結び付ける能力が求められる時代に、狭い専門ばかを養成する結果となってしまっ た。社会で指導的立場に立つことのできる人材、国際社会で活躍できる人材を養成す ることを標榜する教育機関で、自分の専門しか分からない人材を輩出することは出来 ない。このような人材には、専門知識の他に、豊かな人間性、幅広い知識と指導力、 異なる文化、歴史と伝統、宗教等への理解と寛容、コミュニケーション能力等が要求 される。これらは、単にカリキュラム内の学科目の学習ばかりで育成されるものでは ない。青年期の多感な時期にクラブ活動等の切磋琢磨通じて学ぶことは多い。以上の ような反省を背景に、(II-3)の大学の将来像では、学部教育の将来像を描いてみま した。

重点化大学院:
 重点化に伴い各研究科で様々な新たな取り組みが始まっていることと思う。多くの 部局で、従来の研究一辺倒の教育から、大学院レベルの講議を導入している。好まし い傾向であると思うが、ここでも上に書いた問題が影響している。多くの興味深い講 議が準備されたのに、大学院に進学した学生達は、自分の研究に関連する(と自分の 狭い了見で考えた)授業しか選択しないのである。

大学院修了者の就職:
 歴史が進むにつれ、より高度な教育を受けた人材が社会に必要とされて来た事実は、 ここ100年の高等教育/大学進学率の推移を見ても明らかです。大学院進学率の上 昇も時代の流れをいくぶん先取りした形で流れている様です。様々な資格や専門家の 教育の基準も年々高度化し、また、これらの基準のグローバル化が進んでいます。そ して、この時必要とされる国際水準は、欧米の高い水準を要求されます。これらに対 応するためには、日本の教育研究を高いレベルに押し上げなければなりません。大学 院重点化はこのような流れと時を同じくして実現しました。国際化対応の為、企業で は博士号取得者を求めはじめました。外国の企業と交渉に当たるのに、博士号を持っ て、対等な立場で交渉できる人材が必要なのです。また、企業自体が何人PhDを雇用 しているかで評価されます。大学院修了者のニーズは上昇してくると思います。 
現在、大学院修了者が職を得にくいとありますが、これは、大学院卒に限ったこと ではなく、学卒でも、あるいは学卒の方が、職を得にくい状態にあるのではないでしょ うか。

本学の全学教育、学部一貫教育、大学院教育は全て不十分です。本学の未 来戦略検討WGの教育検討作業部会から提案されている教育改革を早急に進めることが 必要です。(大学院学生の就職難については)大学院学生が全国的に増加すれば、限 られた分野への就職競争が激化するのは当たり前のことです。要はその競争に打ち勝 つ学生を社会に送り出せば良いわけですが、そのためには、優秀な学生を入学させ、 これに最高の教育を施すことが必要です。しかし、大学院学生を安い労働力と考えて いる教官がいるとすれば、それは不可能であり、結果として学生の就職難は続くでしょ う。
目次| I.独法化問題 (【I-1】 【I-2】) II.大学の現状について( 【II-1】 【II-2】 【II-3】) III.北大の諸問題について( 【III-1】 【III-2】 【III-3】 【III-4】 【III-5】 【III-6】【IV】全学への訴え
■III. 北大の諸問題について【III-6. 北大の未来像について】
先日出された未来戦略検討WGの教育・研究に関する答申は、北大の在り方を論じた もので、今後学内で十分に議論される必要があります。WGの答申をどのように評価さ れているのか、今後のあるべき北大の教育・研究像と関連づけてお答え下さい。
阿部 和厚 教授
井上 芳郎 教授
太田原高昭 教授
小野江和則 教授
富田 房男 教授
中村 睦男 教授
福迫 尚一郎 教授
藤田 正一 教授
前出 吉光 教授
 大きな方向づけとしては、評価します。とくに総長補佐体制の整備は現実的であり、 整備はある程度評価します。一方、わたくしは以下のように考えます。

 まず、北大の理念目標を確認します。北大の建学の精神である「フロンティア精神」 「国際性」「全人教育」、関連して「実学」、そして、北大が北海道にある意味を考 えると「地域性」は無視できません。しかし、「フロンティア精神」をのぞいて他は、 現在の多くの大学に共通の理念といえます。すなわち、北大の北大らしさは、Boys, Be Ambitious! をめぐる「フロンティア精神」ということになります。この「フロ ンティア精神」を目標に具体的に何をするかが問題です。

 北大は日本の大学では類を見ないスケールの大きな総合大学性があります。この裏 づけは「全人教育」をささえる文系の科目が重視されます。北大の教養教育の「コア カリキュラム」は文系学部に大きく依存し、文系学部は北大の「全人教育」の担い手 となります。また理系学部の多い北大では、理学も教育面、研究面で全体をささえる ものです。

 北大が北海道にあることの意味、地域にあることの意味、「実学」などを考慮する と、北海道全体への大学解放、地域と大学との連携も重視されます。たとえば、情報 ネットワークにより、地域と大学をむすぶことで、地域が求める教育、学問への要求、 たとえば、地域での酪農への関わりなどは教育、研究レベルでの実際的連携へ結びつ きます。まだまだ多くの教育上の戦略が考えられます。

◇総論的には大学のあるべき方向性を示していると考える。

◇国の財政問題もあり、財源を含めて論議はさらに継続して行うことになると考える。

私は検討WGの一員であり、学内の論議の叩き台として十分役に立ちうるものとして了 承し、提案しております。学部については「総合教育学部」への統合、大学院につい ては研究科の再編がどこまで全学の合意を得られるかが焦点になると考えています。 後者については、北キャンパス、函館キャンパスなどのキャンパス問題との具体的な連関をも念頭に置いて、建設的な議論をお願いしたいと思います。

 なおこの間、未来戦略検討WGの他にも、基盤校費配分、情報公開、男女共同参画な ど北大の将来にとって重要な諸問題についてのWG答申が公開されていますので、併せ てご検討いただきたいと思います。

答申案を作成されたWGの御努力に対して敬意を表します。ただ、既に一部の仲間ととも に、アピール文を出しているので重複しますが、大学を構成する全ての部局の役割に 対する認識、学問の進歩に対応した教育・研究体制立ち上げの遅れ、大学におけるポ スドクの重要性等、早急に検討すべき課題は積み残されていると考えております。詳 細については、是非我々のアピールをお読み下さい。  北大は、大学院重点化大学へと舵を切ったわけです。III-5に述べたように、現在 未来戦略WGで将来への方向性を検討中です。昨年末に刊行された報告書は、完成と か最後の結論とかでないことは、報告書で述べた通りです。数々の思い切った新しい 提案が含まれており、北大の未来像を描く上でのたたき台として十分評価できる報告 書と考えています。

私は、次の3つの目標をもって将来の北大を見ています。

 【目標1】自らの力と倫理で立ち向かう「野心に満ちた」学生を育てる教育 勇敢 に挑戦する人材を輩出したい。科学技術と人間との新しい関係の時代に生きる人を育 てたい。そのために、人間教育と基礎教育を重視した学部一貫教育システムをめざし ます。
現代社会の特徴は、科学技術の進展が、理系はもちろん文系にも大きな影響を与え ていることです。今後この傾向は、さらに増大するでしょう。そこで、これまでの文 理系別の縦割り教育研究システムに代わる、新しい学部教育-高等学校までの北大型・ 基盤教育の方向性を探ります。
 例えば、入学時は、学部の区別をせず、学年の進行と共に専門性を絞り込んで行く システム(コモンコア教育)を「未来戦略検討ワーキンググループ」で検討していま す。
 文系・理系の区分は日本だけの特徴の様です。自然科学と人文・社会科学には本質 的な差はなく、いずれも人間の科学です。リベラルアーツ(一般教養)は、本来自然 科学と人文・社会科学を共に包摂しています。自然科学と人文・社会科学の教育方法 を再開発する必要があると考えています。

【目標2】発信型大学作り、先端的かつ総合的な大学院教育へ
 教育研究システムは、大学院を軸にして構築します(大学院重点化大学)。「高度 の教育」と「創造的な研究」を進める発信型大学作りをめざします。世界と競うアク ティビティーを発生させると共に、地域の核となり、地球環境時代をリードすること をめざします。
学部では、体系的な基礎重視の教育とします。各学部の教育理念、すなわち「学生 をどのような素質と人格を備えた人間に、どのような方法と手順で育てるか」につい て明確で共通的なプログラムを作るようにします。

【目標3】社会に開かれた大学へ
 開かれた大学にするために2つの視点から考えています。すなわち、社会人に生涯 学習の機会を提供する「大学大学院レベルの生涯教育の創造」と、もう一つは、社会 との連携を重視し、「大学の研究機能を産業社会と主体的に連携」して、新しい時代 の産業基盤を大学の研究に発し、地域に創成してゆきます。

 大学運営部会の「総長補佐体制」に関する報告は、現実的に考えられており、適切 と考えます。他の三つの部会の報告では、現状の問題点が指摘されており、今後の検 討の素材として重要な文書と考えます。新しい研究分野の環境整備は、早急に具体化 すべき課題として理解しております。 私自身,WGの一員として答申を提出した立場ですので,評価をする立場で はありませんが,今回の答申はご指摘のように,今後の北大のあり方についての一つ の考え方を示したものであります.問題は今後この答申をどのようにたたき台にして 学内で議論を尽くすかということです.
この答申が上位下達のように誤解されて,皆さんが十分な議論をせずに何となく決まっ てしまうことは避けなければなりません.個々の提案は,一つの方向性の提示であり, そのことに捕らわれる必要は無いと思います.

その際,今後あるべき大学像とも関連しますが,変わらないもの(変えずに守らなけ ればならないもの)と,時代とともに,また,社会の要求に沿って変えて行くべきも のを良く考えて区別する必要があると思います.
社会のニーズに答えることも大学の役目でしょう.また,総合大学であることは,先 進の研究による文明の担い手であると同時に,文化の拠り所でもあるとおもいます. 北大のような総合大学ならば,いま,社会が直面しつつある問題をあらゆる分野・方 向から総力を結集して解決にあたることが出来ると思いますし,それが総合大学,則 ちユニバーシティの役割ではないでしょうか.

それとともに,先端の研究をこなしながらも「北大には200年経っても500年経っ ても変わらずにあるものがある」という大学になってほしいと思います.

未来戦略検討WG答申:
まず、21世紀の北大をどのような特徴を持った大学にするのかと言う理念無しに、 実務的に改革案をまとめたもののように見受けられる。案自体は、近未来に北大の組 織がそうあっても良いと言う感じのものであるが、方向性が見えない。大学として何 を目指し、どのような学生を輩出し、社会にどのような貢献をするのか。
・2020年を想定した案であると言うが、むしろここ5年以内を考えた案のような 気がする。21世紀の教育研究がこれで良いのだろうか。
・札幌農学校からの伝統を考えると、21世紀の食料問題に向けて、農学を軸に食料 生産に関する研究機構を構築する必要があろう。

欠けている点:
・グローバル化への対応:本学は国際性を特徴の一つとしてきた。例えばインターネッ トや衛星を使った授業の国際間の互換性、例えば、北大カリフォルニア分校の設立、 たとえば数百人規模での留学生の受け入れと、それに必要な宿泊施設、文化施設の措 置など
・アジア・アフリカへの国際貢献としての北大が行う教育支援
・附置研究所と研究科のリサーチネットワークの構築と大学院生教育 先端的な研究を行っている学内の研究所は、大学院教育にとっても理想的な環境を提 供できる場である。各研究科と教育研究のネットワークを構築し、相互に協力する体 制とする。
・北大に文化の香りと品性を運び、北大を真の総合大学とするため芸術学部の創設を もとめる。北大を札幌の文化活動の中心として市民に解放できる劇場、音楽堂、美術 館を。
・北大のフィールドを活用した体験型学習 ”プロジェクト方式自己学習型教育”の 実現:具体的には、演習林を利用したプロジェクト研究、水産学部の船を利用した洋 上大学などで少なくとも半年分の総合単位とする等、特徴ある教育を。

 洋上大学の案は昨年のFD研修で私から提案し、皆さんのアイデアをあわせてさらに 良いものになったと思いますが、これを例にとれば、水産学部の練習船で訓練を受け ながら、世界各国に寄港し、現地の大学を訪問し、ミニ講議を受け、現地学生と交流 し、お互いの文化の紹介をし、4大文明発祥の地を実際に目で観て体験する。まず半 年は訪問予定の国々の政治経済文化言語と日本の文化を学び、現地での交流に備える。 また、訪問国と訪問地での行動の詳細な計画を自分達でたてる。個々の学生の研究テー マを自分で考える。海上での学習活動および課外活動についても計画をたてる。半年 から1年をかけて世界を回る。各自が研究レポートおよび生活記録をポートフォリオ にまとめる。と言うものです。北大らしい特徴のある教育と思います。予算に見合っ た縮小版でも実現させたいものです。
・青年の人間性陶冶:低学年学部学生の全寮制の実現等

未来戦略検討WGの教育検討部会では、(1)学部教育は教養教育中心、大 学院は専門教育を中心とする教育体制、(2)それぞれの教育を効果的に行うために、 学部教育では、従来の学部を廃して新たに総合教育学部(仮称)を設置して全教官の 協力のもとに、専門基礎科目を含む幅広い教養教育を行うこと、大学院では高度職業 人養成を目的とする修士課程と、研究者養成を目的とする博士課程を分離すること、 (3)学部入学は、理系、文系、医系等の区分なく一括入学として、学生は入学後に 進路決定を行うこと、3年次から大学院進学ができる等の各コースを設けること、大 学院についても全学的な大学院教育組織の下で統一的な教育を行うこと、(4)以上 を実行するため、教員組織と教育組織を分離すること(すなわち、A研究科の先生がA学部の学生を教育するという現状を改め、各教官は全学教育カリ キュラムの授業科目の中から自己の専門に近い科目を担当することになる)等を提言 している。

以上の提言は、かなり現実離れした改革のように思えるが、この提言の内容と極めて 類似した提案が教育改革国民会議から「新しい大学・大学院システム」として、つい 最近発表ました。すなわち、「学部は教養教育と専門基礎教育中心、大学院は高度職 業人養成型の修士課程と研究者養成型の博士課程に分離」、「18歳の入学年齢制限 の撤廃」等です(教育を変える17の提案)。この提案を受けて、文部科学省は「1 7歳での大学入学」、「大学3年からの大学院入学」等の大学入学資格制限緩和のた めの学校教育法の改正を次期国会に提出し、早ければ来春の入学者から実施する予定 ということです(1月11日付新聞報道)。

また、九州大学では今年から、「広範な教養を身につけた専門性の高いゼネラリスト の養成」を目的として、志望学部を特定しない入学定員枠(18名)を設け、これ をAO入試によって募集しています。九大では文部科学省での評判もよいことから、こ の定員を将来さらに拡大していく予定ということです。

以上のように、大学教育の改革速度は予想以上に早いことから、北大が遅れを取らぬ ためには、この未来戦略WGの提言を速やかに実行に移す覚悟が必要です。